革共同再建協議会の機関紙「未来」には「長期・読み切り連載 先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう(大場伸介)」というものが載せられている。「未来358号」には「資本の横暴に抗う女性たち 『泣きの涙』から闘う主体へ①」が始まり、1886年6月12日に始まった、甲府市の雨宮製糸場のストライキについて紹介されている。雨宮製糸場の女性労働者が始めたこのストライキは、工場労働者のストライキとしては最初のものだそうな。ちなみに明治維新・王政復古から20年もたっておらず、日本の近代化・資本主義化は早くも労働者からの搾取と抵抗を呼び起こしていたということもうかがえる。
当時、甲府市内には73もの製糸工場が存在し、4,400人もの女性労働者が働いていたそうだ。労働者は製糸組合の定めた規約により、自分の希望する工場で働くことができず、工場間の移動も禁じられ、自己都合で退職した場合は6カ月、事業主からクビを切られた場合は1年間、他の製糸工場で働くことは禁じられていた。こういった規約は、労働者がモノを言い、権利を主張していくことを押さえつける働きをする。以下、規約に規定されていた労働条件を記事から引用すると…
さらに、ささいなことで過料を課された。この罰金制度で、1カ月働いても手取りは半分程度になってしまう場合が少なくなかった。さらに賃金の50分の1が強制的に社内預金に回された。
労働時間は1日14時間。朝4時30分から8時間まで働き、1時間昼休み、13時30分から19時30分まで働いた。甲府市外から通勤する人が多く、朝3時半ごろ家を出て、夜8時半ごろに帰宅する毎日であった。12歳から20歳ぐらいまでの女性たちが、⒑人20人と同じ製糸工場に通勤し、なかには4キロから8キロも暗い道を歩いて、途中で暴漢に襲われることもあった。
とある。大変厳しい労働条件であったことが分かる。
さて、雨宮製糸場では実働がなんと14時間30分で、他の工場より30分長く働かされていた…農村の自宅から通勤する者は、やむを得ず遅刻や早退をしなければならないケースが少なくなかったのだが、罰金制度は容赦しない…そこで
193人の女性労働者は、ついに過酷で理不尽な労働環境に耐えきれず立ち上がった。誰言うとなく不満を語り合い、近くの寺院に集まって同盟休業をおこなったのである。
戦前の労働争議では寺など多人数を収容できる場所に立て籠もるケースが珍しくなかった。労働者同志が結束を固め、切り崩しに備えるためである。
彼女たちは1人も家に帰らず、ひもじい共同生活を耐え抜いた。5日間のストライキを経て、ストの中心人物と工場主が協議した結果、①出勤時間を遅くする。②その他何らかの方法で優遇措置を講じる、という内容で解決した。労働者側の大勝利である。
ということになった。そして記事はさらにこう論評する。
日本最初のこのストライキは、一見あっけなく解決したかのようである。しかし、まだ封建的雰囲気が色濃く残り、御主人様に楯突くなど人の道にもとる恐るべき危険分子の所業であるとみなされ、まして女性に対する差別と蔑視が支配する中で、彼女たちの勇気ある行動は、もっと歴史のなかで光を浴び高く称えられるべきである。
としている。記事はこの後、労働者の階級意識の萌芽や、日本資本主義の原始的蓄積が、軍拡に使われ朝鮮や中国侵略に使われていったことにも展開している。
岸田政権を倒すための国会が始まったが、春闘もまた始まっている。電気、ガスなどの光熱費や食料品、生活必需品の高騰が続く中、大幅な賃上げは待ったなしだ!安倍政権時代から始まった「官製春闘」や連合と経済団体とのなれ合い春闘ではなく、ストライキも構えた闘う春闘で、大幅賃上げや労働条件の向上を勝ち取ろう!
当時、甲府市内には73もの製糸工場が存在し、4,400人もの女性労働者が働いていたそうだ。労働者は製糸組合の定めた規約により、自分の希望する工場で働くことができず、工場間の移動も禁じられ、自己都合で退職した場合は6カ月、事業主からクビを切られた場合は1年間、他の製糸工場で働くことは禁じられていた。こういった規約は、労働者がモノを言い、権利を主張していくことを押さえつける働きをする。以下、規約に規定されていた労働条件を記事から引用すると…
さらに、ささいなことで過料を課された。この罰金制度で、1カ月働いても手取りは半分程度になってしまう場合が少なくなかった。さらに賃金の50分の1が強制的に社内預金に回された。
労働時間は1日14時間。朝4時30分から8時間まで働き、1時間昼休み、13時30分から19時30分まで働いた。甲府市外から通勤する人が多く、朝3時半ごろ家を出て、夜8時半ごろに帰宅する毎日であった。12歳から20歳ぐらいまでの女性たちが、⒑人20人と同じ製糸工場に通勤し、なかには4キロから8キロも暗い道を歩いて、途中で暴漢に襲われることもあった。
とある。大変厳しい労働条件であったことが分かる。
さて、雨宮製糸場では実働がなんと14時間30分で、他の工場より30分長く働かされていた…農村の自宅から通勤する者は、やむを得ず遅刻や早退をしなければならないケースが少なくなかったのだが、罰金制度は容赦しない…そこで
193人の女性労働者は、ついに過酷で理不尽な労働環境に耐えきれず立ち上がった。誰言うとなく不満を語り合い、近くの寺院に集まって同盟休業をおこなったのである。
戦前の労働争議では寺など多人数を収容できる場所に立て籠もるケースが珍しくなかった。労働者同志が結束を固め、切り崩しに備えるためである。
彼女たちは1人も家に帰らず、ひもじい共同生活を耐え抜いた。5日間のストライキを経て、ストの中心人物と工場主が協議した結果、①出勤時間を遅くする。②その他何らかの方法で優遇措置を講じる、という内容で解決した。労働者側の大勝利である。
ということになった。そして記事はさらにこう論評する。
日本最初のこのストライキは、一見あっけなく解決したかのようである。しかし、まだ封建的雰囲気が色濃く残り、御主人様に楯突くなど人の道にもとる恐るべき危険分子の所業であるとみなされ、まして女性に対する差別と蔑視が支配する中で、彼女たちの勇気ある行動は、もっと歴史のなかで光を浴び高く称えられるべきである。
としている。記事はこの後、労働者の階級意識の萌芽や、日本資本主義の原始的蓄積が、軍拡に使われ朝鮮や中国侵略に使われていったことにも展開している。
岸田政権を倒すための国会が始まったが、春闘もまた始まっている。電気、ガスなどの光熱費や食料品、生活必需品の高騰が続く中、大幅な賃上げは待ったなしだ!安倍政権時代から始まった「官製春闘」や連合と経済団体とのなれ合い春闘ではなく、ストライキも構えた闘う春闘で、大幅賃上げや労働条件の向上を勝ち取ろう!


