たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

#資本主義

日本発の工場労働者のストライキ!

 革共同再建協議会の機関紙「未来」には「長期・読み切り連載 先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう(大場伸介)」というものが載せられている。「未来358号」には「資本の横暴に抗う女性たち 『泣きの涙』から闘う主体へ①」が始まり、1886年6月12日に始まった、甲府市の雨宮製糸場のストライキについて紹介されている。雨宮製糸場の女性労働者が始めたこのストライキは、工場労働者のストライキとしては最初のものだそうな。ちなみに明治維新・王政復古から20年もたっておらず、日本の近代化・資本主義化は早くも労働者からの搾取と抵抗を呼び起こしていたということもうかがえる。
 当時、甲府市内には73もの製糸工場が存在し、4,400人もの女性労働者が働いていたそうだ。労働者は製糸組合の定めた規約により、自分の希望する工場で働くことができず、工場間の移動も禁じられ、自己都合で退職した場合は6カ月、事業主からクビを切られた場合は1年間、他の製糸工場で働くことは禁じられていた。こういった規約は、労働者がモノを言い、権利を主張していくことを押さえつける働きをする。以下、規約に規定されていた労働条件を記事から引用すると…
 さらに、ささいなことで過料を課された。この罰金制度で、1カ月働いても手取りは半分程度になってしまう場合が少なくなかった。さらに賃金の50分の1が強制的に社内預金に回された。
 労働時間は1日14時間。朝4時30分から8時間まで働き、1時間昼休み、13時30分から19時30分まで働いた。甲府市外から通勤する人が多く、朝3時半ごろ家を出て、夜8時半ごろに帰宅する毎日であった。12歳から20歳ぐらいまでの女性たちが、⒑人20人と同じ製糸工場に通勤し、なかには4キロから8キロも暗い道を歩いて、途中で暴漢に襲われることもあった。

 とある。大変厳しい労働条件であったことが分かる。
 さて、雨宮製糸場では実働がなんと14時間30分で、他の工場より30分長く働かされていた…農村の自宅から通勤する者は、やむを得ず遅刻や早退をしなければならないケースが少なくなかったのだが、罰金制度は容赦しない…そこで
 193人の女性労働者は、ついに過酷で理不尽な労働環境に耐えきれず立ち上がった。誰言うとなく不満を語り合い、近くの寺院に集まって同盟休業をおこなったのである。
 戦前の労働争議では寺など多人数を収容できる場所に立て籠もるケースが珍しくなかった。労働者同志が結束を固め、切り崩しに備えるためである。
 彼女たちは1人も家に帰らず、ひもじい共同生活を耐え抜いた。5日間のストライキを経て、ストの中心人物と工場主が協議した結果、①出勤時間を遅くする。②その他何らかの方法で優遇措置を講じる、という内容で解決した。労働者側の大勝利である。

 ということになった。そして記事はさらにこう論評する。
 日本最初のこのストライキは、一見あっけなく解決したかのようである。しかし、まだ封建的雰囲気が色濃く残り、御主人様に楯突くなど人の道にもとる恐るべき危険分子の所業であるとみなされ、まして女性に対する差別と蔑視が支配する中で、彼女たちの勇気ある行動は、もっと歴史のなかで光を浴び高く称えられるべきである。
 としている。記事はこの後、労働者の階級意識の萌芽や、日本資本主義の原始的蓄積が、軍拡に使われ朝鮮や中国侵略に使われていったことにも展開している。

 岸田政権を倒すための国会が始まったが、春闘もまた始まっている。電気、ガスなどの光熱費や食料品、生活必需品の高騰が続く中、大幅な賃上げは待ったなしだ!安倍政権時代から始まった「官製春闘」や連合と経済団体とのなれ合い春闘ではなく、ストライキも構えた闘う春闘で、大幅賃上げや労働条件の向上を勝ち取ろう! 
 

貯蓄より投資、労働より投資⁉

 現在、労働者の賃金は上がらず、また景気も悪いので銀行預金なんか全然利子がつかない。貯蓄というのは賃金が生活費をそこそこ上回るぐらいあって、初めてできるものなのだが、賃金が上がらないので貯蓄もできない。
 ところが政府は民衆に「投資」とやらを進めてくる…リスクはあるが、こっちのほうが”利回り”がエエのでどうぞといったところか。
 だがぶっちゃけた話、投資と言うのは「ミニ資本家」になることなのだ…投資によって得られるリターンというのは、どこかの労働者を”搾取”した結果なのである。労働者が働いて財もしくはサービスを生産し、市場でカネに変えて出た利潤のいくばくかが、投資家に配当として帰ってくる。労働者であっても、余剰のカネを投資に回すということは、資本家になるということなのである。(もちろん銀行預金や、生命保険などの保険商品、あるいは年金なんかも「投資」されているので、完全に労働者が労働者オンリーであるということは難しい)配当として帰ってくる利潤は、ブルジョワ国家におけるブルジョワ法によって「正当」に得られたものとされるから、いくら労働者が”搾取”されていてもなんら法的には問題はない。また労働者が完璧に労働基準法とかで守られていたとしても、剰余価値の搾取構造そのものは残っているので、搾取の結果が配当になるということは免れない。そう、労働者が投資で利益を得ようとすることは、同じ労働者階級からむしり取ってやろう!という”おぞましい”行為なのである。
 また投資には、配当を当てにするのではなく、株価の差益をあてにする方法もある(むしろこちらのほうが本命か?)株価というのは、その株を欲しがる人によって市場で決まるものだ。欲しがる人が多くなれば、株価は上昇する。ではなぜ欲しがるか?将来の株価上昇や、あるいは配当の良さが評価されるのであるが、それもぶっちゃけた話「労働者をどれだけ効率よく搾取できるか?」が決め手となる。どんなに良い財やサービスを生産しても、労働者の搾取が上手くいかないと商品は売れず、利潤が出ないからだ。書き出しに書いた「労働者の賃金は上がらず」の原因は、株価を上げるためには労働者に分け前を与えてはイケナイということなのだ。これもまた労働者階級からむしり取ることになる。
 貯蓄より、あるいは労働そのものより「投資」のほうが儲かりますよ!という社会ではまた、徹底的に労働そのものが貶められる…にもかかわらず、労働が行われなければ、投資家が期待する利潤・配当なんぞはでてこない。なんら生産活動が行われない社会に、利潤が生まれることはない(もし生産、労働がおこなわれないで利潤・配当があるというものがあれば、それは騙しであり、詐欺である)
 み~んなが労働を嫌がって「投資」を行えばどうなるのか?誰が生産するのか?なぁ~んも生活必需品が生み出されない?どうやって生活するのか?結局「外部」が生産労働を受け持つ、外部が労働する「寄生」という生き方になるのである。

 ざっくりと、貯蓄より、労働より「投資」をお勧めする社会を批判してみた…だが資本主義社会であれば投資は別に悪い行為ではなく、むしろ必要とされる行為として推奨される。だが、すべての人が「投資家」になることは出来ない…どこかで労働し、生産をやらなければ社会が成立しない、投資家だって生きることはできないのだ。

 数年前に前の会社を辞職したおり、いくばくかの退職金なるものを受け取った…銀行さんからなんか金融商品買いませんかと勧められたが断り、退職金とやらは実家の補修等に一部使い、残りは普通に預金としてそのままになっている…上記の理由により、積極的な投資なぞしていないのだ。

ではでは。

レイシズムとは何かー梁英聖(その7)

 その6の続き、これで最後です。
第七章 ナショナリズムとレイシズムを切り離す
 「レイシズムはナショナリズムと常に互いに補い合う関係にある」p257 なぜなら、レイシズムが実際に暴力を組織する時、国家権力を動員しナショナリズムの支えを得ているし、何らかの「エスニックな基盤」がないと国民/非国民を分断できないからである。これを補うのがレイシズムだ。国民/非国民 に(自)人種/(他)人種 が結びついているのである。
 レイシズムによるナショナリズムの補完については、
第一 レイシズムは過激なナショナリズムの産物などではなく、「正常な」ナショナリズムに内在的なものであり、
第二 国民国家の外的境界において機能するレイシズムが最も根本的なもの(ナショナリズムが存在する限り、レイシズムが存在し続ける)である。ただし、
第三 ナショナリズムとレイシズムには「それらの表象と実在に関してつねにズレが存在する」なぜなら反レイシズム次第で、その国のナショナリズムの政治的目標と具体的なレイシズム実践との間に、矛盾を生じさせ、激化させることも可能だからだ。反レイシズムによってシティズンシップを脱国民化されたものに変えてゆくことで、ナショナリズムとレイシズムの矛盾をふかめる実践的方向性が提示されるのである。
 ところで日本では下の図のように「日本人」/「外国人」という二分法では、①国民(ネイション)と②人種(レイス)がほぼ無意識に癒着している。

図表21 レイシズムとは何か_0001
 「日本人」と言った時、①日本国籍者だけを意味しない、②「日系」(人種)であることが無意識に前提とされている。ところが、① 国民と国民を分ける線(ナショナリズム)②人種と人種を分ける線(レイシズム)は、下図のように異なるのである。
図表22 レイシズムとは何か_0001

 Ⓐ日本国籍かつ人種的マジョリティ  Ⓑ日本国籍かつ人種的マイノリティ
 Ⓒ非日本国籍かつ人種的マジョリティ Ⓓ非日本国籍かつ人種的マイノリティ
 ⒷとⒸは普段見えない、「存在しない」、都合が良い時にⒶに同化し、都合悪くなるとⒹに「異化」する。これは、「日本国籍だったらもう日本人じゃん」という意識と、日本国籍を持とうが「外国人」として「攻撃」することが表裏一体だということだ。日本社会では、日系であっても犯罪被害者や、「慰安婦問題」解決に尽力するマイク・ホンダは「売国奴」であり、一方でノーベル賞受賞の仲村修二やカズオ・イシグロは、日本国籍がないにもかかわらず「日本人」とされる。
 世界は公民権運動、反レイシズム規範の発展により①国民(ネイション)と②人種(レイス)を切り離し、①国籍の壁と②レイシズムの壁を引っ剥がすことに成功した。それによってⒷとⒸは社会的に「見える」ようになり、他民族・多文化主義が成立するようになるのである。

セクシズムと一体のレイシズム―インターセクショナリティという難問
 インターセクショナリティ(交叉性)とは、現実の歴史の中では従属が、レイシズムやセクシズムなど、常に複数の従属と交差していることを明確にする概念である。
 黒人女性弁護士、キンバリー・クレンショウは、黒人女性など非白人女性がレイシズムとセクシズムの二重の従属に、特に暴力に苦しめられているにもかかわらず、既存の反レイシズム運動からもフェミニズム運動からも不可視化されている問題を告発した。これは民族差別と性差別によって被害が倍加するということだけを意味するのではなく、①支配の構造的次元②固有の支配システム③被支配者の表象 によって成り立つ問題なのである。
 レイシズムとセクシズムの絡み合いは、黒人男性が白人女性をレイプする犯罪者と言うステレオタイプによって示されている。これは人種混交へ恐怖を掻き立てるレイシズムと、女性の貞操を男性の所有物とするセクシズムによる扇動であり、奴隷である黒人女性を従属させるための白人男性によるレイプの頻発という実践だったのだ。
 また在日朝鮮人へのレイシズム暴力では、朝高生襲撃事件では狙われるのは男性であり、チマチョゴリ事件では女性であった。前者は極右によるマチズモとミソジニー「女を殴る男は恥だ」、後者は庶民がレイシズム暴力を振るう場合、より弱くしかも識別可能な制服を着用した女性が狙われるということである。また日本の戸籍制度は、レイシズムとセクシズムの体現を日本型家族によって媒介している。五二年の国籍はく奪も、戸籍=日本型家族を基準にして行われたことを想起しよう。
 レイシズムは近代に登場した時からセクシズムと一体なのだ。

資本主義とレイシズム
 資本主義は①レイシズムを途方もなく強化させる②反レイシズムを骨抜きにする③差別によって社会的連帯を壊す。(第二章でも見たが、資本主義が発展すればレイシズムも激しくなっている)こうした資本主義を、BLM運動は告発した。監獄ビジネスと呼ばれる産獄複合体が結びついた必然的なレイシズム暴力、レイシズムを生み出す資本主義のシステムを批判したのである。
 人間を不平等に扱う差別と、剰余価値の生産を目的とする資本主義的生産様式とが、きわめて相性が良いのだ。再生産の目的が剰余価値ならば、資本は際限のない長時間労働を強いる。奴隷制の残虐さ(身分制や奴隷制)が資本の残額さ(どんな過酷な搾取も辞さない)と結びつくことで、後者が搾取のため前者を再編し強化するのである。
 反差別が依拠する平等さえ、市場原理の平等に乗っ取られ、気づかないうちに抵抗できなくなってしまう。不平等な搾取が、”契約”を伴うことで自由で平等なものとして現れる、市場で行われる商品交換は自由で平等なものとして現れる。「隠された(賃金)奴隷制」を支えるのだ。
 新自由主義による平等の簒奪は、結果の平等が、機会の平等に置き換えられるということだ。ミルトン・フリードマンは市場原理の平等を論拠に差別禁止法さえ否定していたし、ゲーリー・ベッカーはアファーマティブアクションを否定して、差別を市場によって定義した。「偏見を満足させるために利益や賃金や所得を自発的に放棄することによって成立する」「もし企業があるグループの人たちを雇わないという選択をしても、よりコストの少ない、より生産性の高い他の人たちを雇うことが収益増加をもたらすものであるなら、その企業の決定は瀬別的ではない。」p291
 統計上マイノリティが所得や学歴で差別があったとしても、それはレイシズムのせいではなく、平等な市場で競走した結果だと正当化される。市場原理や統計を用いる新自由主義的レイシズムは、生物学的なレイシズムとも実は親和的なものだ。
 これに対抗するためには、新自由主義的レイシズムとシティズンシップ闘争の関係が重要である。シティズンシップ内部の市民的自由VS社会的自由の対立を社会権の側が市場規制によって抑え込むような階級闘争もまた重要であり、それなしには反レイシズムは容易に新自由主義に簒奪されてしまうであろう。重要なことは、資本主義を抑制する市場規制や福祉の拡充である。
 
反レイシズム闘争を越えて-ブラック・イズ・マター運動が問うもの
 BLM運動は資本主義との対決を回避した旧世代の反レイシズム運動への批判でもある。反差別ブレーキをつくる反レイシズムの限界性は、資本主義というシステムを変えない限り、レイシズムはナショナリズムと結びついて国民国家を支えるし、労働力再生産装置としての家族ナショナリズムに結びついたセクシズムと根がらみになり、労働者階級を分断し支配するのである。
 インターセクショナリティへの取り組みや、資本主義との闘いを避けることなく取り組むこと、BLMでは従来の反レイシズムと異なり①資本主義批判②気候正義要求③インターセクショナリティ④植民地主義批判⑤監獄・警察廃止 などの革新的要求を伴っている。パレスチナや南アをはじめ第三世界との連帯を通じてレイシズムとグローバルに闘ってゆく運動なのである。
 「私たちは同時代人として、この運動に触発されつつ、どのように日本であるいはアジアで反レイシズムを闘い取って連帯していくかが問われている。」P302

あとがき
 「日本型反差別は己の正当性を確保するために、マイノリティを「差別の真理」を生む「生産手段」にしてしまう。これこそ当事者に本心から被害を語るよう駆り立てて心身御すり減らすが、反レイシズム規範形成には一向に結びつかないという、権力がしくんだ恐るべきワナなのである。
 私たちは日本型反差別から完全に脱却し、本書で述べた反レイシズム1.0を勝ち取る実践の中で、私たちはBLMのような資本主義と闘うグローバルな反レイシズム運動と連帯する道を切り拓かねばならない。それができてはじめて私たちはマイノリティの阻害を語り、それを普遍的な社会変革につなげるための言葉を初面してゆくことができるだろう。」P305 とまとめられている。

 本書を学び、反レイシズム1.0をまず勝ち取っていこう!外国人差別、民族アイデンティティに基づく差別を許さない日本社会をつくろう!
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
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