たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

#気候変動

脱炭素こそ「大衆のアヘン」!

 これまでこれとかこれとかこれその他で、人類が産業革命以降に化石燃料を大量に燃やして発生させた二酸化炭素が、地球を温暖化させているということを批判してきた…温暖化は、残念ながら自然現象であり、人類が化石燃料を燃やすのをやめても「温暖化」は止まらない(二酸化炭素で温暖化しているのではないから)のである。
 ところが、グリーンランドに雨が降ったり、大熱波や大寒波が来たり、大規模な山火事が発生したりとう”気候変動”(それは1000年前の中世温暖期や、2000年前のローマ温暖期にも発生していたにもかかわらず、たまたま”観測”されていなかっただけ)の原因は「温暖化」であり(例えば他の、人間が森林を切りすぎたりしたことが原因だったらどうするのか?)、それをふせぐために「脱炭素」して二酸化炭素の排出量を減らさなければならない、というドグマがまかり通っている。
 それは結局のところ、目先の化石燃料の使用を”迂回生産”でなんとかしようという、誠に愚かな政策を行う事こそ「正義」とされ、なんでもかんでも電力化で余計に化石燃料やその他の資源を大量消費したり、(スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリ氏もこのドグマの下、原子力発電…放射性物質を制御するため、余計な化石燃料や資源を大量消費するシロモノ…を認めるというとんでもないことになっている)果ては大気中、海洋中の二酸化炭素を固定してしまおうという、エントロピー増大則に反するクソ技術に手を染める…もちろんこれも、化石燃料やその他資源を大量消費することにしかならない…など、もはや何をやっているのか、よくわからない状況に陥っている。

 どれもこれも
  二酸化炭素排出⇒温暖化⇒気候変動…×
  ゆえに、「脱炭素」こそ正義! というドグマが悪いのである。


 「気候変動に反対しよう」「気候変動対策をやれ!」という社会運動は、グリーンニューディールの名の下で、とりもなおさずなんでもかんでも電力化したり、エントロピー増大則に反するクソ技術を政府の手で推し進めろ、カネを出せという運動になってしまう。そしてそのことは、一部の石油資本などにはダメージがあるかもしれないが、大部分の重化学工業資本にとっては、願ったりかなったりの設備投資先となる(最終的には化石燃料も大量消費するので、石油資本も儲かる)そこに投資する金融資本も莫大な利益を蓄えることになるのである。

 そして問題…例えば森林の切りすぎだとか、大規模な開発だとか…は、まったく解決しない、むしろ「森林切っても、その分二酸化炭素を吸収すればいいでしょ」というような、問題はさらに悪化するのである。(もちろん、個々の「環境活動家」がそういった個別問題に取り組み、問題を解決させようとしていることは大いに認め、評価する)

 だから私は、斎藤幸平のように訴えたい
 脱炭素こそ「大衆のアヘン」である!

二酸化炭素の排出と吸収を横モデルで考えてみた

 この前の、海から出て来るのでちっとも減らない二酸化炭素!というネタを、もう少し分かりやすくする方法はないものか…と考えた。とりあえず、参考資料の口絵09 IPCC2007年報告の炭素循環図から
温暖化 炭素循環_0001
とりあえず炭素の出入りをGT/年で下のように読み取った。

二酸化炭素の放出と吸収_0001(7)
 人為的二酸化炭素放出は、化石燃料から出る6.4に、土地利用の変化1.6を加えて、8としている。自然状態の二酸化炭素吸収は、陸上における呼吸、光合成や陸そのものからの吸収も含んでいる。
 で、自然状態の二酸化炭素放出の横に、人為的二酸化炭素放出を加えて、下から全体的に215の炭素が吸収されるという絵をかいてみたら、こうなった!
二酸化炭素の放出と吸収_0001(8)
 いちおう、横モデルと名付けている。こうしてみると、毎年大気中に「残留」する炭素3のうち、人為的に排出されたものが占める部分αは0.11しかない。人為的に出てくる8の1.4%、全体の吸収量215と比べると、0.05%にしかならないのである…ひえぇ~!
 人為的に排出された二酸化炭素”のみ”が蓄積されるということを示す縦モデル図も作ってみた…自然状態の排出量210の上に、8の人為的排出が加わって、下から215の炭素が吸収されるというものだ。
二酸化炭素の放出と吸収_0001(9)
 これだと人為的に排出された炭素(二酸化炭素)のみが3ずつ溜まっていく、これが8に対する割合は4割弱、ただし全体吸収量からみると1.4%にしかすぎないのだ!
 まず二酸化炭素そのものは自然状態で排出されるものであろうと、化石燃料を燃やして出てきたものであろうと、同じ挙動をする!だから吸収を考えるに当たってた、同じ割合で吸収されるという”横モデル”のほうが実態を表しているだろう。
 だが、蓄積論者はこう考えるだろう…毎年3ずつは、必ず二酸化炭素は溜まっていく…と。
 しかし、215という数字自体、必ず固定された値ではない。3に対しても、1.4%しかないのだ!こんな量は毎年の変動で、吸収されたりされなかったり、ということを繰り返していると考えるのが妥当だ。
 ちなみに毎年3ずつ大気中に溜まれば、産業革命後の大気中の増165は、55年間で達成することになる。そう考えれば、確かにラクだ!だがそれでも、人為的に追加されたものの割合は、横モデルで考えると毎年3のうちの0.11、0.11/3=0.037、3.7%に過ぎない。

 頑張って二酸化炭素を削減しても、これではちっとも二酸化炭素は減らないのである。
 参考資料(ただし今回のは私が独自に考察したヤツなので、口絵09のみの引用である)
検証温暖化 20世紀の温暖化の実像を探る (シリーズ「環境問題を考える」) [ 近藤邦明 ]
検証温暖化 20世紀の温暖化の実像を探る (シリーズ「環境問題を考える」) [ 近藤邦明 ]

なんで産業革命以前の気温が「安定」していたとされているのか?

   先日の産業革命前より気温が3.5℃上がってはアカンのかの続きである。
 なぜ産業革命以前の気温が「安定」していたとされているのか?地球温暖化について様々な報告をしているIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)が2001年の報告で、マイケル・マンによる気候変動図を採用したためである。マンの気候変動図は、これまでの様々な古気候の研究に基づく北半球の様々な気候復元図を統計処理して得られたデータに、近年になって直接観測された気象観測データをくっつけたものなのだが、それまで認知されてきた中世温暖期やその後の小氷期が消し去られ、あたかも産業革命以前は気候が安定しており、産業革命以降、人為的なCO2放出の影響で気温が急上昇した形になっていたのである。気温のグラフの右肩が急に上昇するので「ホッケースティック曲線」と呼ばれている。
温暖化 ホッケースティック曲線_0001
 参考図書口絵01 「ホッケースティック曲線」
 このマンによる気候復元図に対しては、様々な自然科学者から過去の歴史的な記録に対しあまりにもかけ離れていると指摘がなされた。一般的にさまざまな不規則変動を示す複数のデータを平均処理すれば、極値が打ち消し合って変動が小さくなるのがその原因である。またポーランド、ワルシャワ中央放射線防御研究所のヤオロウスキーは、マンが使用したのと同一の複数の気候復元図を使って追試したところ、一つの気候復元図においてプラスとマイナスを逆転して使用していたという初歩的なミスを発見した。ヤオロウスキーによって訂正されたマンの気候変動図は、1400~1500年代のデータがマンのものより大きく上昇し「20世紀はもはや最高気温ではない」と書かれているのである。さすがにIPCC は2007年の報告でマンの気候変動図を取り下げたのであるが、こうした事実についてはほとんど報道もされず、ヤオロウスキーの名前さえ日本語でネット検索してもひっかからない有様である。(ポーランドのグラフィックデザイナー、ピーター・ヤオロウスキーがひっかかる)
温暖化 ヤオロウスキーの修正_0001
 参考図書図2.5(p53) ヤオロウスキーによって訂正されたマンの気候復元図

 もともと「地球温暖化」問題は、デービット・キーリングらのグループが1958年から行っているCO2濃度の連続精密観測の結果から、大気中CO2濃度の上昇は人為的に放出されたCO2の半量程度であることを1987年に報告し、1988年にNASAのハンセンが米国議会公聴会で「観測されている異常な気象現象の原因は、数値シミュレーションの結果から99%の確率で(人為的なCO2排出による)温暖化に関連している」と証言したことから始まっている。産業革命以降、たしかに人類は大量のCO2を化石燃料から排出してきており、気温も「小氷期」が終了した1850年代から上昇している。しかし気温はCO2排出量に比例して単純に上昇を続けたわけではなく、1940年代ぐらいに一旦下降を始め、70年代には極小期にはいっている。この時代は北極海の海氷面積が増大し、海上交通に支障をきたしていたぐらい寒かった。ちなみに70年代後半に小学生から中学生であった世代であれば、異常気象が続くのは地球が氷河期に向かっているからであり、石油はあと30年で枯渇するから原子力発電が必要だと、様々な子ども向けの科学雑誌や書籍に書いてあったことを懐かしく思うだろう。そして80年代以降、気温は上昇傾向になる。ここで20世紀後半の気温上昇のみ取り出して「地球温暖化が脅威である!」としても、少し考えれば中世温暖期やローマ温暖期に戻るだけの話だということは理解できるだろう。近年の日本では梅雨明け後、連日の猛暑日が続く厳しい気象が観測されているのだが、気温を観測するWMO(世界気象機関)の気温観測ステーション4,495カ所の、補正を行わない生データを使って気温偏差を求めると、20世紀終盤に気温は極大期を迎えた後、21世紀に入ってから気温が低下局面に入っていることが分かる。現代日本の猛暑は、都市化の更なる進展と、熱中症対策で皆がエアコンを使うようになったためである(エアコンとは屋内の熱を屋外に出す装置)。
 「温暖化対策」は待ったなしではない、斎藤氏の心配は杞憂である。また、人為的に放出されたCO2が温暖化の原因でもないので「対策」もしようがないのである。

参考:検証温暖化 20世紀の温暖化の実像を探る (シリーズ「環境問題を考える」) [ 近藤邦明 ]
検証温暖化 20世紀の温暖化の実像を探る (シリーズ「環境問題を考える」) [ 近藤邦明 ]

危機が来るからか、矛盾があるからか?

 30年以上前、大学の黒ヘルさんから「中核派は危機アジりばかり」であると批判していた。彼らが何を言いたかったのかというと、「危機が来るから闘いましょうじゃなくて、矛盾があるから闘う!だろ」ということだ。もっとも革共同(中核派)は「段階・過渡・変容・再編・危機」という世界情勢認識を確立していたから、危機が来るとアジらないわけにはいかんだろう。だがそんな理論なぞ知った事じゃないという人にとっては、危機アジりで闘いを組織するのではなく、ちゃんと現実の矛盾を見なさい!それで組織しなさいという、ある意味道徳的な正しさのほうが大切だということなのだろう。
 現実問題として、帝国主義(資本主義)の危機は様々な形で”乗り越えられ”2020年まで続いているのであるが、ではレーニンが指摘した、あるいは水野和夫氏が指摘した資本主義の危機・終焉が絶対に来ないとは言い切れないだろう。

 それを踏まえた上で、斎藤幸平氏の「人新世の資本論」であるが、基本、最初の3章は「環境問題」「気候変動」危機アジりである…このまま成長を前提とする資本主義が続けば、地球環境は破壊される。そうなっては「先進国」に住む”我々”の生活も危うい…だから「闘いましょう!」脱成長コミュニズムを目指しましょう!という主張である。
 だが、人間活動による二酸化炭素排出量の増大により、地球温暖化=気候変動が進んで大変なことになる!というのはまずないので、斎藤氏の掲げる前提は瓦解するのである!?
 
 ではなぜ斎藤氏の本を長々とレビューしたのか⁉いや、気候変動と言う「危機」が来て私たちの暮らしが危うくなるからではなく、経済成長を前提としたあり方が、斎藤氏のいう「グローバルサウス」に矛盾を押し付けている構造、これは解体しないとイケナイからである。そう「矛盾があるから、闘う!」のである。過去に二酸化炭素は目的でなく、結果だと書いた。そこには。
 大きなことを言えば、石炭火力発電で「二酸化炭素」を出しまくるのは問題ないが、石炭を大量に採掘するインドネシアの現場で、住民の生活が破壊されるなら、そんな発電は止めるべきだ。
 と書いている。
 もちろん、二酸化炭素以外の「環境問題」は、先進国に住む我々にも影響を及ぼす…先のブログ記事でいえば、アマゾンの森林破壊や海洋のプラスチックごみによる汚染である…「危機は来る」ので、斎藤幸平的に人びとを扇動し、オルグすることはある程度可能だろう、だが誤った前提・根拠・理論で人々を組織し、動かそうとすれば、必ず失敗し、しっぺ返しが来るのである。

 ということで、危機が来るからではなく、矛盾があるから、闘う…という精神は、大切にしたいと思う。
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
ではでは(^^)

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