なぜ園さんは、反戦・戦争責任・反天皇の「原則的」な運動に取り組んだのか。90年代前半、冷戦・バブル・55年体制・「昭和」が崩壊し、アジアから戦争責任が問われる時空が開けた。日本社会がこれに正面から向き合っていれば、今と全く違う社会になっていたであろう。しかし日本が経済的自信をなくし、阪神大震災やオウム事件で社会不安が高まった中、バックラッシュが起きていく。社会も本格的不況に突入し、新自由主義「構造改革」も推し進められようとしていた。そこに登場したのが「小林よしのり」「戦争論」他であった。社会の「底抜け感」の原因を、個人の権利ばかり主張し、自分勝手な消費社会に行きついた結果であり、侵略戦争を否定せずに戦前の価値観を見直せば良く鳴ると強引に結びつけたのだが、社会が不安定化して社会問題に関心を持つ同世代の青年層がそこに流れ込んだのである。だが彼は小林には論理と歴史の飛躍があると思い、それが明確に二の丸、君が代や天皇制に反対するきっかけとなったそうだ。(もっとも、小林がインチキであることを見抜くには、その前段に、例えば小中学校での教育とかなにかバックボーンがあるハズなので、そのへんも語ってもらえばよかったと思うのだが)とにかく彼は、日本が行った戦争は明らかに間違った侵略戦争であり、アジアの人びとを支配・大虐殺した。その最高責任者である天皇が免責されたから、日本は総無責任社会になった。豊かさをもたらした高度成長は、戦後賠償を逃れた結果であり、戦争責任が問題の1個目の根本であると考えている。
ひるがえって労組などの中間集団がなくなった今、個人の思いや生きづらさから運動に参加する人も多く、潜在的数も多いだろう。戦前―戦後の国家主義や資本主義の問題であると理解して左に行くか、小林のようにニセの物語に飲み込まれて右へ行くのか、前者を増やすため、私たちの思想と呼びかけ方、行動が問われていると語った。
それでは今の運動の現在地点と問題点は何か?3・11後も運動は盛り上がったが、街頭直接行動は集まっては散るということをくり返し、人と経験が蓄積されなかった。15年の9・19「安保法制」以降の「野党共闘」路線は、政党優先で統制がかかる。また選挙待機主義に陥り、自発性や原則性が後退した。中間集団の消滅で若者も、中年も少ない。このままだと高齢化であと10年もすれば運動参加者は9割減るだろう、このことをもっと深刻に考えないといけない。
そのためには、大勢の若者がいる街頭で行動すること、梅田解放区のようにオールテーマで誰でも発言できる場を増やすことで、若手から中年の活動家を育てる。そのために司会や重要な役もやってもらう…梅田解放区では「解放区ユース」という若手メンバーにいろいろやってもらっている。また労働者協同組合、労働組合の専従、カンパの拡充、生活保護の拡充、場の提供など、運動しながら生活できる道を増やすこと、90年代以降は右翼がうまくネットやサブカルを活用したから、こちらでもしっかり活用すること、そして国家が無くても社会は回るとか、社会主義を目指すとか言い切ることに躊躇する傾向があるが、社会変革の構想を打ち出すことが大切だと訴えた。
東京から見た関西・大阪の良さとかについて、原発事故の放射能被害から西へ避難することを考えた時、関西は最大の受け皿であり、地方分権と同時にそうした意義を持つ場所であるとした上で、大阪の良さは地域商店街と人とのつながりが残っていると指摘された。東京の地元では隅々までチェーン店とコンビニしかなくて泣きたくなるし、小学校の同級生の米屋や食堂も潰されてきた。大阪にはまだアーケードと個人商店があり、物を落としたら拾ってくれて話しかけてくれる!そんな大阪の良さとは正反対の都構想。大阪や全国の衰退は、地場産業の育成をやめ、USJ等の外や東京の大資本に投げたから起きた、地域単位で産業、商店街、会話を再構築すれば復活できる。それがポストコロナ、ポスト気候変動の経済政策だ。自分の住んでいる地域と人間関係に目を戻し、そこから出発しましょう!そうすれば性懲りもない大阪市廃止の繰り返しは終わり、未来が拓けますと述べられた。
その後、15分ほど休憩した後、質疑応答である。何問かあった後、私は「なぜ『(3・11後の)新しい運動』(路線)にならなかったのか?」というようなことを聞いてみた。こちらとしては「小林よしのり」的なものを見抜けたバックボーンが何かあるのでは…というつもりであったのだが…まず園さんは「新しい運動」ではなく、「新しく登場してきた」運動であり、自分もそれに関わって来たのだがと前置きした上で、3・11後の運動が「脱原発」のみのシングルイシューで動くのか、それとも被ばく労働者の問題など、構造的な差別他の問題に切り込んでいくのかという「分岐」が起こり、今現在で4~50代ぐらいになっている、その当時に運動をはじめたような人たち…政治運動・社会運動の経験はないが、音楽とかやっていて「マーケティング思考」はあり、社会人経験も豊富…が「どうすれば人が集まるか?」という観点からシングルイシュー路線を押し出し、もともとやってきた「原則的」な人たちを攻撃して、“党派闘争”的なことを始めだした。脱原発は、郷土ナショナリズムに訴えるところもあるので、右も左もない、右翼が“日の丸”を持ち込んでもOKとなったりする。そうゆうことを批判すると、シングルイシューを“守る”ために過剰な選別・排除・攻撃をかけてきた(話は変わるが、LGBTの運動にも、差別の根源である「天皇制反対」を叫ぶことは制限されるなどの制約があるそうだ)それが3・11以降の運動をぶちこわした原因なのだそうな。(その結果として「反原連」があり、「SEALS」がある)変な“党派闘争”によって、若い人が学ぶ機会が削られてしまったが、大阪の「反都構想」運動では、ほとんどすべての人が動いた、これが社会運動再生のいいきっかけになるのではないかということであった。
集会参加は30人ぐらい、当日は「老朽原発うごかすな!」関電包囲行動もあったのだが「こんなにたくさんの人が集まってくれるとは思ってもみませんでした」と園さんは述べられて、集会は終了した。
