たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

#性暴力

フェミニズムを論ずるのにこの本に依拠してはイケナイ!

 ここまで「セックスワーク(論)」についてあれこれ考えたり批判してきたりしたが、一応「セックスワーク論」を”マルクス主義”の立場から批判する本がある。
マルクス主義・フェミニズム・セックスワーク論_0001
マルクス主義、フェミニズム、セックスワーク論 搾取と暴力に抗うために
森田成也 慶應義塾大学出版会(2021年3月)
である。
 本書はマルクス主義の立場から、現代フェミニズム、特に性暴力の問題に切り込んだものである。章立を紹介すると、以下のとおり
第一部 再生産、平等、生産力 
 第一章 マルクス主義フェミニズムと社会的再生産理論
 第二章 日本国憲法と平等権ーフェミニズムから読み解く戦後平等権論争
 第三章 戦時の性暴力、平時の性暴力ー「女性に対する暴力」の二〇世紀
第二部 売買春、ポルノ、セックスワーク論
 第四章 売買春とセックスワーク論ー新しいアボリショニズムをめざして
 第五章 ポルノ被害と新しい法的戦略の可能性
 第六章 マルクス主義と売買春ーセックスワーク論はなぜ間違いか
である。第二章の「平等権」について、日本国憲法の平等権は単に「法の下の平等」を読みとるのではなく、不平等をを積極的に是正する「社会権としての平等権」として読むべき(なのに憲法学者はそういった視点をほとんど持っていない)という解釈は、憲法を武器にして男女平等を目指す…だから平等でないところに法的、制度的な介入を積極的におこなうべし…という地平を示しているし、売買春やポルノは男性による女性への「性暴力の体系」である論は明快である。そして「セックスワーク論」を前面批判し、現在のリベラルフェミニズムやマルクス主義フェミニズムは「セックスワーク論」に”屈服”し、性暴力と闘えていない!と批判している。
 筆者は序文の中で、
 本書はきわめて論争的な内容になっている。マルクス主義もフェミニズムも無数の論争を通じて事故を鍛えていった。両者をテーマとする本書が論争的でないわけがない。本書の立場に対立する人々、とりわけセックスワーク論を信望する人びとにとっては、本書は唾棄すべきものでしかないだろう。大いに結構。誰からも受け入れられるようなフェミニズムやマルクス主義の著作がもしあるとすれば、それは無難で通り一辺の内容でしかないにちがいない。(p18)
 と書いている。まぁ、それなりに「凄い書物」ではある…

しかし!
 本書の帯に「日常化した女性差別へ抗う理論を必要とする人たちへ。日本における売買春廃止論(アボリショニズム)の決定版の書!」なる推薦文を寄せているのは、NPO法人ほっとプラス理事で反貧困ネットワーク埼玉代表の藤田孝典氏なのだが、彼は2020年の夏ごろセックスワーク、セックスワーカーに対する差別発言をツイッターで繰り返した反貧困ネットワーク埼玉に提出された抗議書 何の根拠もないのに差別や偏見を振りまくNPO理事)この件に関しては私もツイッターで現認しており「反貧困」を掲げる活動家がここまで差別的にふるまえるのかとドン引きしたものだし、後者はなんのエビデンスもなくコロナ流行を「夜の街」「新宿などの繁華街」が原因としてスケープゴートにした、小池都知事や吉村大阪府知事と同じ発想であり、極めて許しがたいものだった。
 そして筆者の森田成也氏は、「トランスジェンダリズムはミソジニー」というような、トランスジェンダーの存在を徹底的に貶め、亡きものにする文書を「女性の権利を守る」「性暴力から守る」と称して発表している、とんでもない差別者である。(この文書はあまりにもおぞましいので、リンクは貼らない。”森田成也””トランスジェンダー”とかで検索すると出てくる。発表された文書にも書いてあるが、森田氏はこれを最初に「週刊かけはし」に投稿したのだが「内部議論中」でなかなか出なかったため、別のところに出したとのこと。「かけはし」はこれをボツにして大当然である.ちなみに「週刊かけはし」はトランスジェンダー当事者の声をあつめた冊子「トランスジェンダーのリアル」をHP内で紹介したりしている。ここ)また私は森田氏がかかわる「ポルノ・買春問題研究会」(APP研)もツイッターでトランスジェンダーを否定する書物を紹介していることを確認している。
何なんだこれは‼
 女性差別や性暴力と闘う理論が、度し難い差別や偏見を呼び寄せているのか?それとも度し難い差別者であっても「立派な理論」を構築することができるのか、それとも「立派な理論」を構築した人物でも差別から逃れられないのか?

 こんな書物に依拠してフェミニズムを語っては絶対にイケナイ‼
 本書はマルクス主義フェミニズムやアボリショニズムの「正当性」や「権威」もぶっ壊すシロモノなのか、それとも理論そのものに差別を容認する重大な欠陥が隠れているのか?単純に著者や取り巻きの「作風」の問題なのか?

 ということで、本書のリンクも貼りません(^^)

セックスワーク論は差別を問わない

 さて性的サービスは女性から男性に売っているのか?で、
ここに、女性⇒男性であるような関係性のように見えて、実は男性⇒男性であるという倒錯したところに、性産業の本質があり、そしてそれが性産業が女性差別である、あるいは構造的に女性差別を内包しているし、せざる負えないということではなかろうか?
 と、ややこしい考察を書いたが、次に「性的サービス」を金銭で切り売りすることができるのか?ということを考えてみよう。
 「性的なこと」は人間の性欲とか、生殖とか、意識とかに密接に結びついているため、その一部分にしろ、大部分にしろ「切り売り」するのは難しい!ということに気がつくだろう。性行為を考えてみよう…二人のムードが盛り上がって、行きつくところまで…いく時もあるし、途中でやめるときもある…どっかからどこまでの行為を切り取って「ここまでが合法」「ここまでが契約の範囲」としてSTOPするのが難しいのである。
 であるから「性的サービスをここからここまで提供する」契約がなされていたとしても、簡単にブレーキを踏み外して、セクハラ⇒性暴力 領域に至りやすいのだ(「合意」のない性行為はすべからくセクハラ、性暴力である)加えてセックスワークでは、お互いが密室で肌を見せ合い、さらすものだから逸脱も起こりやすい。そうならないようにワーカー側も神経を使うので、精神の消耗を激しくなる。そのため長期間続ければ、人によってはかなりのダメージを受けるだろう。

 そこに先ほどの、男性⇒男性で女性の「性的サービス」をやり取りする構造に、社会の男尊女卑、女性差別の意識をもった男性が、女性の「性的サービス」を対等の関係で購入している意識を持つだろうか?「性的サービス」を購入しているのではなく、相変わらず「性を買っている」「体を買っている」「女を買っている」という差別・抑圧意識はそのまんまであろう。
 そして、全ての産業は拡大再生産を目指す…性産業においては、AV等のポルノで男性の性欲を刺激して、性産業を儲けさせる、あるいはAV等自体も、性欲を刺激することによって拡大再生産する、性産業による欲望の刺激連鎖で、別の性産業を拡大再生産する…その過程で、男性の差別・抑圧意識もまた拡大再生産される。性産業自体も利潤を求めないとイケナイので、男性の性欲を刺激する事はやめないから、差別・抑圧意識を拡大させることもやめない。
 かくして社会に男性による、セクハラ・性暴力に繋がる差別意識がまん延することになり、それによって”別の”女性が被害を受け、苦しむことになる…ここで”別の”と書いたのは、あるセックスワーカーが別に自分は性的サービスの売買によって直接ハラスメントや性暴力を受けていないと感じていたとしても、別の女性(セックスワーカーであれ、そうでないひとであれ)の人権を侵害することに繋がるのですよ!ということだ。

 一方性産業の存在は、ブルジョワ家庭における「愛のあるセックス」「子孫を残すセックス」こそが至高のもの、正しいもので、それ以外の性のあり方は「不倫」だとか「不貞」「不純異性交遊(今どきはこんな言葉は使わず「不健全性的行為」と言うらしい…「交遊」だと交際もアウトということだが「性的行為」という言葉にすることによって、未成年の”性的行為”を取り締まるものになっている)」とか呼ばれるヨクナイものだという、これまた家父長制度、差別イデオロギーを支える構造に位置付けられている。家父長制度によって「正しいセックス」しかできない男性に対して「売買できる性」をあてがうことによってそれを支える、そのくせ金銭がかかわるあり方を「最下層の性」「売買春」として蔑み、女性を「(貞節な)妻」と「売春婦」に分断するものである。
 もちろん性産業従事者自らが「自分は「売春婦」ではない、セックスワーカーである!」と立ち上がり、自らを肯定することはこの構造をブチ破る突破口になる。ただし、それだけで差別・抑圧の構造自体はなくならず、別の一押しが求められる。そして今の「セックスワーク論」にはその観点が非常に弱いのではないだろうか?男性や性産業の持つ差別・抑圧自体を本質的に問うと、「対等な契約による性的サービスの売買」という建前が成り立たないからである。

性的サービスは女性から男性に売っているのか?

 前回のセックスワークとは、どんなワークか?において
 これに対し、セックスワークにおける性的サービスの提供については、圧倒的に
  女性 ⇒ 男性
 の関係性となる。
 と書いた。これをもう少し考察してみよう。

 具体的には、女性が街中で個別に男性と”交渉”して直接取引するケースを除き、性産業、風俗業を通さない限り、性的サービスを売ることはできない。そして性産業に携わるのは圧倒的に男性であり、男性が男性に性的サービスを売っているのである。女性が経営者であっても、性産業は「男性の論理」で商売しないと商品は売れないので、男性が男性に売るという構造は変わらない。
 すなわち
 男性 ⇒ 男性
 しか成立していないわけだ。この連関に入らないと、女性が性的サービスを自主的に売ることはできない。
 ここで前回出てきた、スーパー銭湯に併設されている、リラクゼーションを提供するマッサージについてはどうだろうか?実は個々の労働者がマッサージサービスを提供する場合も、業者を通じて行われている。ただしマッサージサービスを提供する業者は、別に男性であっても女性であってもかまわないし(男女平等が実現していないので、実際のところは男性経営者が圧倒的に多いのだろうが)経営が男性オンリーに向いているということもない。よって業者が介在していても
  男性 ⇒ 女性
  男性 ⇒ 男性
  女性 ⇒ 男性
  女性 ⇒ 女性
 の四つが平等に成立する。

 ここに、女性⇒男性であるような関係性のように見えて、実は男性⇒男性であるという倒錯したところに、性産業の本質があり、そしてそれが性産業が女性差別である、あるいは構造的に女性差別を内包しているし、せざる負えないということではなかろうか?
 加えてリラクゼーションを提供するマッサージ業の場合、サービス提供者は業者と雇用関係を結んでいるケースが多い、いわゆる雇用労働者である(そうでない場合もある)のに対し、性産業の場合、業者とサービス提供者(ワーカー)との間に雇用関係を結んでいるケースはほとんどない。ワーカーの立場は個人事業主である。これは雇用関係を結ぶに当たり、労働内容を明記しなけれなならないからであるが「性的サービスの提供」を労働内容にするわけにはイカンということがあるのだろう。
 業者はあくまでも「場」を提供しているだけなのだ。近年は店舗を構えない「デリバリータイプ」の性産業も盛んであるのだが、その場合業者は性的サービス提供の「機会」を提供しているだけということになる。だから大抵のセックスワーカーは「自分は男性に対してサービスを提供している」という意識になる。(もっとも大抵のサービスを提供する人は、会社に対して自らの労働・サービスを売っているという意識にはなりにくく、「お客様にサービスを提供している」意識を持っている人が圧倒的だろう)

 「セックスワーク論」あるいは「セックスワーク論者」が、実際の性産業で起こっている差別・抑圧関係への批判に欠けている(あるいは乏しい)といわれる原因は、このへんの仕分けがきちんとできていないからだろう。

セックスワークは、どんなワークか?

 さて「AV新法」を巡る紫と赤について
 「AV新法」に関しての被害者支援や「セックスワーク論」については、これからも大変な議論や考察を続けていかなければならないと思う。
 と書いたので、いろいろ考えることにする…まずは確認事項として、「大阪ミナミの貧困女子」は何が問題なのかで、こんなことを言っている。
 本の帯も酷いもので「コロナ自粛の大阪で、体を売るしかない女子たちの物語 風俗だけが救ってくれた」となっている。しかしこの書き方は、これまでセックスワーカーや支援者たちが様々な議論や苦闘をしてきた地平、すわなち「セックスワークは身体を売っているのではなく、サービスを売っている」というものに反するものだ。
 セックスワークは、身体(性)を売っているのだはなく、(性的な)サービスを売っているのだということだ。では「性的サービス」の売買はどんな特性があるのか?ということを考えてみよう。
 まず一般的な「サービス」を提供する労働…例えば美容・理髪とか、リラクゼーションを提供するマッサージ(スーパー銭湯なんかに併設されたりしてるヤツ)とジェンダーの関係を示してみる。なお矢印は、サービスの提供を表す。矢印の逆向きが、お金の流れである。

  男性 ⇒ 女性
  男性 ⇒ 男性
  女性 ⇒ 女性
  女性 ⇒ 男性

 おおむねこの四つのパターンが”平等に”成立している。
 これに対し、セックスワークにおける性的サービスの提供については、圧倒的に

  女性 ⇒ 男性

 の関係性となる。よく「セックスワークはセーフティーネット」であるとの主張がなされるが、貧困男性が自ら性的サービスを売って糊口をしのぐということは、ほとんどないわけだ。
(注意:もちろんLGBTQの存在があり、実際の性産業の現場においては女性⇒男性しか成り立っていないというわけではない。議論を分かりやすくするため単純化しているが、えてしてこういった単純化は少数者の存在を「ないこと」「ないもの」にしてしまう差別・抑圧になってしまう。)

 これはセックスワークの最大の特徴ではなかろうか?性的サービスの提供は、圧倒的に女性から男性に対して与えられる、特殊なサービスであると言える。
 一方、セックスワークでは女性がサービスを提供することで、例えば望まぬ妊娠(避妊のために薬を飲んだり手術をしたりすることも含む)や相手から性暴力を受けるなど、女性が一方的にリスクを受ける(「性感染症」は男女問わずリスクがあるが)ものがある。
 矢印の流れの逆が、お金の流れだから、セックスワークにおいては男性から女性に一方的にお金が流れる…ここで現代の「男性社会」は男性のほうに”経済力”すなわちお金があるから、だから女性⇒男性のサービス・お金の流れが一般的になるのでは?という論もでるだろう(では他のサービス業で男性⇒女性他が成立するのは何故か?)ただ女性が経済力をもった場合、例えば女性が働くところがきちんと整備されれば、男性⇒女性のセックスワークがバンバン出て来るのかというと、そうではないし、むしろ女性⇒男性のセックスワークは減少する、廃れていく方向に向かうのが普通だろう。

 もう一度確認すると、セックスワークにおけるサービスの提供は、女性から男性に与えるという類型が圧倒的である、一方で望まぬ妊娠や性暴力など男性側から女性に与えるリスク(男性側は決して負わない)がある。すなわち、あらかじめ男女平等なものとして成立していない。
 そこに現代の「男性社会」において、セックスワークを取引する場、性産業が女性を差別・抑圧する構造の上に成り立っている(理論的に何か書かなくても、様々な被害が出ているということからこれは”自明のこと”である)

 だからセックスワークを普通の労働、ワークであることを認めることが、なかなか難しいのではないか?と考える次第である。

「AV新法」を巡る紫と赤について

 昨日、アダルトビデオ(以下、AVと略す)への出演被害を救済するための「AV被害防止救済法案」(あるいは「AV新法」案…以下、「AV新法」と略す)が国会に提出され、内閣委員会で可決した。共同通信より
AV救済法案、内閣委で可決 今国会で成立目指し
 衆院内閣委員会は25日、アダルトビデオ(AV)の出演被害救済に向けた法案を全会一致で可決した。今国会での成立を目指す。
 採決に先立つ趣旨説明で、与党プロジェクトチーム(PT)の座長で自民党の上川陽子幹事長代理は「出演被害は将来にわたって取り返しのつかない重大な被害をもたらす」と述べ、年齢性別に関係なく救済対象とする点を強調した。
 法案では、契約成立から撮影まで1カ月、撮影から公表まで4カ月を空けることを義務付け、出演者は年齢や性別を問わず公表後も1年間は契約を解除できる(施行から2年までは公表後2年間)とした。

法案についてヒューマンライツ・ナウ事務局長、伊藤和子氏による肯定的な解説をY!ニュースからリンク…
AV被害防止救済法案が衆院内閣委員会で前回一致で可決。深刻な被害を救う法律となりうるか
 で、このリンク中に「法案をめぐる懸念」というのがあるので引用すると…
 法案をめぐっては、「契約による性交を合法化するのでは」との懸念が指摘されてきました。
 法案はこの懸念に配慮し、規制対象の定義を修正したほか(性行為を行う姿態→性行為に係る姿態と訂正など)、法律の解釈の基本原則を示す第3条で、民事上も刑事上も、違法な性行為を合法にするものではない趣旨を明確に規定しました。
 市民団体からは、そもそも性交を伴うAVや暴力的で安全でないAVを禁止すべきとの声が上がり、私も被害者の方々に接した経験から強く賛成します。
 残念ながらこの部分の合意に至らず、今回の法案には盛り込まれなかったのですが、これらの課題は、2年以内と定められた見直しに向けて議論を重ね、より良い改正を進める必要があるでしょう。(以下略)
 太字にした「契約による性交を合法化するのでは」というのは、売春防止法などとの齟齬の関連もあり、ここを中心に上記の問題点を問う支援団体やフェミニスト達からAV業界に有利なAV新法に反対する緊急アクション(ツイッター)が呼びかけられた。キモはこうゆうことである…
 一連の投稿に#性売買合法化反対 というハッシュタグもついているが、「AV撮影における性交を禁止すること」という、AV業界に対する抜本的な規制強化を求める運動である。この運動、ムーブメントのシンボルカラーは紫だ。
 ところがこういった「規制強化」を求める動きに対し、抗議の声をあげるフェミニストもいる。セックスワーカー差別への抗議行動である。規制強化は現在リアルで行われているセックスワーク、そしてセックスワーカーを「非合法化」「スティグマ化」「アンダーグラウンド化」するものだ!ということだ。 
    
 シンボルカラーは、赤である。

 ぶっちゃけた話をすると、私はどちらかといえば「赤」の立場を支持したい。いわゆる「セックスワーク論」である。やみくもな「規制強化」は業界のアンダーグラウンド化を産み、ワーカーを支援や法の保護から遠ざける(実際、今回の「AV新法」においても、業界のアンダーグラウンド化を懸念する声はある)し、規制強化によって職を失うワーカーにとっては死活問題でもある。だがそればかりではない。
 セックスワークの代替として、福祉・支援の強化、貧困対策も上げられる…それは絶対的に必要だ…だがセックスワークを「良くないもの」「法外のもの」として位置付けたうえでの「恩恵的」な福祉や政策は、様々な困難を生き抜いているセックスワーカーに対する、存在の否定、尊厳の否定ではなかろうか? 赤の人たちは、そこを「差別である!」と弾劾しているのである。

 だが「紫」の人たちについても、実際に被害を受けた人の支援・救済をしてきたわけだから、AV業界や性産業の存在そのものが、女性差別・性暴力・抑圧の体系であり、それを規制・解体しない限り女性差別はなくならない!という考えも充分理解できる。

 そして「赤」の主張も「紫」の主張もそれを突き詰めていくと、お互いの「存在」を否定し合わざるを得ない部分が出てくる。「赤」の立場においては「紫」の主張は存在・生存を全否定するものだから、全力で厳しい言葉を使って相手を否定するし、「紫」の立場においては「赤」の存在が被害者の声を押しつぶし、救済も否定するものとして立ち現れるから、こちらも全力で相手を否定さざるをえない。
 
 情況的に言うと「赤」の勢力はまだ少数派であるし、左の勢力も「AV業界や性産業の存在そのものが、女性差別・性暴力・抑圧の体系」であり、それを認めるわけにはイカン!という考えが主流だから、なかなか難しいものがある。また私のようなマジョリティ男性が、自らの男性として女性への抑圧構造を見ることから目を背け、安易にAV業界や性産業を肯定したいがために「赤」にすり拠るということも警戒せねばならない(「紫」による「赤」批判にそういったことも含まれる)

 「AV新法」に関しての被害者支援や「セックスワーク論」については、これからも大変な議論や考察を続けていかなければならないと思う。
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
ではでは(^^)

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