たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

#差別

「福田村事件」を観たぞ

 1週回以上前の話だが、映画福田村事件を観てきた。(少々ネタバレあり、注意)
 関東大震災における、流言飛語による朝鮮人・中国人などの虐殺事件のなかで、朝鮮人と間違われて被差別部落民が殺された事件を題材にしている。
 本題である朝鮮人に対する虐殺を描かないでどうするんだ!というような批判もあるのだが、この映画は朝鮮の植民地化、独立運動圧殺や差別もベースにきちんと描かれているし、部落差別や女性差別・抑圧、ハンセン患者への差別も描かれている。そして社会主義者の虐殺、されに「大正デモクラシー」の敗北が、次の悲劇を生んでいったであろうということも暗示される。(もちろん、関東大震災時における敗北が、ストレートに次の戦争への悲劇につながったわけではない。抵抗は1,920~30年代も継続されたのであるが…)

 映画は、大震災が起こる前の福田村や周辺のひとびと、また殺される讃岐の行商団の様子を細かく伝える。福田村に、朝鮮で教師をしていた沢田智一(井浦新)がつれあいを連れて帰ってきた。汽車の中でシベリア出兵で夫を亡くした島村咲江(コムアイ)が一緒だ。村の入り口で在郷軍人たちが盛大に咲江を迎える。インテリである村長(豊原功補)は同じインテリの沢田の帰郷を喜び、村にデモクラシーを根付かせるため一緒に頑張ろうと励ますが、沢田は村でなれない農業を始める。
 行商団は被差別部落の人たちが、食うために讃岐の村をあとにした。ハンセン病患者に”効かない薬”を売りつけることもする(もちろん効かない薬ばかり売っているわけはない。また効かない薬であっても、それが必要とされることもある)彼らは被差別者であるが、日本に来ている朝鮮人に対する意識は様々だ。あからさまに差別感情を持っているも者は、朝鮮人の飴売りに対し「(朝鮮人の飴は)何が入っているかわからん!」といって蔑むが、その言葉を聞いた行商団のリーダー、沼部新介(永山瑛太)は「自分も同じようなこと…部落民のつくるものには、何が入っているかわからん…を言われた」とそれをたしなめ、飴をたくさん購入する。行商団の何人かは「お守り」を持っているが、それは「水平社宣言」が書き込まれた紙であった。
 町では労働争議が行われたりして、赤旗・黒旗が掲げられたりもしている。争議では朝鮮人が戦闘的に闘うそうで、それを憎々しげに語る村の労働者がいる。新聞記事は「いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽り、市民の不安と恐怖在郷軍人も含む村の宴会では、日清戦争時の「旅順の虐殺」経験者も出てくるが、年齢的には朝鮮植民地化前後の、独立運動弾圧をしてきた人たちなのであろう。朝鮮人虐殺に向かう下地は、十分に描かれている。村での女たちの「不倫」模様も描かれるが、「不倫」は家父長制への反抗である!「不倫」への非難は「男が安心して戦場で戦えない!」という、まことに身勝手なものでもあった…家父長制が天皇制をささえ、戦争を支えているのだ!
 震災が起こる…避難民が逃げてくるとともに、「朝鮮人が火をつけた」「井戸に毒を入れた」などの流言飛語もやってくる。良識をもっている村長はそんなことはないと否定するが、村では在郷軍人が自警団を結成し、気勢をあげる。恐怖と憎悪に包まれる中、沢田はつれあいに、朝鮮で独立運動鎮圧の虐殺(「堤岩里(チェアムリ)教会事件」らしい)に加担していたことを語る。東京ではすでに、朝鮮人虐殺や社会主義者虐殺が始まっている。飴売りの朝鮮人少女も虐殺された。
 戒厳令が出され、治安は軍や警察、行政が責任をもつことになったので、村の自警団はいったん解散だ。何かことを期待していたのか、残念がる村の男たち…女たちは「戦争ごっこ」だと男たちを非難し、早く日常の仕事に戻るよう促す…だがそこに行商団がやってくる。渡し舟で川を渡りたいが、15人もの人間と大量の荷物だ。渡し守(東出昌大)とトラブルになり、村の人も集まってくる。ここで「朝鮮人ではないか?」と疑われるわけだ。半鐘が鳴らされ、さらに多くの村人が竹やりなどの武器も携えてやってくる。村の警察は、行商の鑑札を確認が済むまで手をださないよう注意するが、在郷軍人たちは「十戦十五倫と言ってみろ」「歴代天皇の名前を言ってみろ」などと尋問を繰り返す。沢田のつれあいが「私はこの人たちから薬を買った、この人たちは朝鮮人ではありません!」と必死に弁護するが、リーダーの沼部伸介は「朝鮮人ならころしてもええんか!」と、まっとうなことを叫ぶ、それと同時に彼の頭にとび口が下ろされ、虐殺がはじまってしまう…
 沼部の「朝鮮人だったらころしてもええんか!」というのは普遍的な人権思想、いやそれ以前のあたりまえのことだと思うのだが、その当たり前を叫んだ直ぐ後に、それを打ち消す虐殺が始まる描写は、本当に恐ろしい…まっとうな意見が通らず、虐殺がはじまってしまう差別社会ニッポン(「同調圧力」のせいだけにしてはイケナイ)の恐ろしさである。まやこのセリフは、様々なものに置き換えて考えることができる…「障害者だったら、ころしてもええんか!」「トランスジェンダーだったら…」「外国人だったら…」あるいは「アイヌだったら、琉球人だったた遺骨をかえさなくてええんか」「沖縄だったら、基地が集中していてもええんか」等々…この叫びは、死刑制度に反対し、オウム事件をドキュメンタリーとして撮ってきた森達也監督もいちばん言いたかったことだろう。

 虐殺のシーンは、ある意味しつこく描写される…何人からも竹やり等で突かれ、川に追い詰められ、死体は画がされる…殺される側の理不尽さ、恐怖をまじまじと見せつけられるが、これは同時に朝鮮人に対して、もっと大規模に行われてきたのだ!それを想像しなさいということだと思う。また、事件後、生き残りの少年が取り調べる刑事に対し、虐殺された9人の名前、それと生まれてくるはずだった赤ん坊につける予定の名前を告げる…これも、虐殺された人には、一人ひとり、名前のある、人生をいきていたのだ!ということだ。飴売りの朝鮮人少女も、殺される寸前、奪われた自分の名前を高らかに叫んだ!このことも、皆さん、想像してくださいということだ。

 映画「福田村事件」いい映画なので、絶対に観ろ!と書いておく。

LGBTからTを分離しない理由(トランスジェンダー入門番外編)

 トランスジェンダー問題において、トランスジェンダーについてよく理解していない人(その中には「女性の安全」を口実とした差別に加担してしまったりする人もいる)から「性的マイノリティのうち、性的指向によるLGBと性自認によるTを分けるべき」という意見をよく見かける。しかし「トランスジェンダー入門」にはそれは違うという答えもちゃんと書いてある。
トランスジェンダー入門 (集英社新書) [ 周司 あきら ]
トランスジェンダー入門 (集英社新書) [ 周司 あきら ]
 一つは、ここでも書いた「同性婚」の問題である…同性婚は、LGB(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル)と深く関わる問題であるが、性別移行前のトランスジェンダー異性婚をしても、その後に性別移行をすると同性婚状態になる。法的に同性婚を認めていない日本では、それを防ぐために「性同一性障害者の性別の取り扱いに関する法律」(いわゆる「特例法」)で戸籍の性別変更要件に「現に婚姻をしていないこと」というハードルをつけている。
 またトランスジェンダーの中には「異性愛者」でない者も多いそうで、
 「米国の調査によれば、トランスジェンダー全体のうち異性愛者の割合はたったの15%でした。はっきりと異性愛者である人のほうがマイノリティなのです!また2万人以上のトランスの人を対象としたヨーロッパの調査でも、トランスジェンダーの89%が自分を「非ヘテロセクシャル(異性愛者ではない)」と回答しました(p176~177)」(ただし調査の中にはノンバイナリーが含まれていることに注意)…LGBとTは重なっているのである。
 さらに「トランスジェンダー入門」の第三章「差別」には、トランスの子どもたちが学校で受ける差別に関して、このような記述がある。
 「ところでトランスの子どもは、しばしば「オカマ」や「おとこおんな」、「ホモ」、「レズ」といったいじめられ方をしています。ようするに、ゲイやレズビアンやバイセクシャルなど性的指向の少数者への攻撃と、トランスへの攻撃は区別されておらず、「性的におかしなやつ」という同じような認識のもとでいじめに遭うことが多いのです(p89)
 
 本書の第6章の最初のほうにあげられている、トランスジェンダーたちが何を求めているかという項目について
・性と生殖について自己決定権をもつこと。
・どのような服装や身体の状態であっても、差別をうけないこと。
・女らしさ、男らしさを押しつけられないこと。
・どのような人と親密な関係を築いても、国家からその関係を不当に扱われないこと
・プライベートを詮索されず、個人情報を守られること。勝手にそれらを暴かれないこと。
 ・・・p183~184

等々は、フェミニズムが要求してきたものであると同時に、LGBの人びとも要求するものではないだろうか?「男だったら、女をもとめる」「女だったら、男をもとめる」ことが普通であるとされることもまた、女らしさ、男らしさの押し付けではないだろうか?
 過去にはレズビアンが、おそらく女性を性的に「加害する」と見なされ、フェミニズムから排除されそうになったことがある。現在でもトランス女性を女性とみなさず、フェミニズムから排除する残念なフェミニストや左翼が存在する…シス異性愛のみが正しいという前提で社会が成り立ち「性的におかしなやつ」を排除するシステムは、性的マイノリティのみならず、マジョリティにも「女らしさ」「男らしさ」を強要し、生きづらい社会を生み出している…それとたたかうのがフェミニズムや左翼の仕事であるにもかかわらず、だ。
 
 性的マイノリティへの差別の根源は、家父長制に支えられた女性差別であると同時に、マジョリティから認められる「性のあり方」だけが「正しい」とする(そしてそれが家父長制を支える別の柱となっている)…だからLGBTはひとくくりで、これらの差別とたたかう主体でもあるのだ。そのことを忘れてはならない。

トランスジェンダー入門(中篇)

 「トランスジェンダー入門」(周司あきら 高井ゆと里 集英社新書 2023年7月)前回の続き第4章から…
トランスジェンダー入門 (集英社新書) [ 周司 あきら ]
トランスジェンダー入門 (集英社新書) [ 周司 あきら ]
 第4章は医療と健康と題して、トランスならではの医療、およびトランスの人たちがその他の日常的な医療に係わる際の困難や問題点について書かれている。
 まず「歴史的に、トランスであることは「性転換症」や「性同一性障害」という名前で、精神疾患や精神障害の扱いを受けてきました(p122)」医者たちはトランスに対し、ホルモン投与をしたり電気ショックを与えたりして「シス男性/女性」に「転向」させようとしていた。その後、電気ショックなどでジェンダーアイデンティティを変えさせるのではなく、ジェンダーアイデンティティに沿って身体を変えるという”治療”こそが必要という方向に変わり、現代はトランスジェンダーであることは病気ではないという「脱病理化」にまで進んでいる。ただ「脱病理化」したからといってトランスの人に特有の医療行為が不必要になったわけではない。妊娠は病気ではないが、産婦人科医などの医療サポートが必要だということと同じ状況であるということだ。「トランスの人たちは固有の医療を必要とすることがあり、医療的なサポートを必要とするほかの全ての人たちと同じように、その医療を安心して受ける権利を持っているのです。(p127)」
 日本においては1997年に初版が公表された、日本精神神経学会による「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」があり(脱病理化が進んでいるにもかかわらず「性同一性障害」という呼称を続けている問題があるが)、様々あるトランス医療の規範的な「正規ルート」が示されている。これが示される以前は、トランスに対する医療は「闇医療」扱いされ、例えば当事者に頼まれて睾丸摘出などを行った産婦人科医が「優生保護法違反」で有罪となるということもあった。そういった状況を打開して、トランスに対する医療を「正規の医療行為」として整理したものが、上記のガイドラインである。これによってトランスに対する医療が正規の医療として位置付けられた。他方、ガイドラインそのものにトランスにとって好ましくないプロセスが含まれている問題や、トランス医療を個々のニーズではなくガイドラインに沿って行うことが優先される問題がある。またガイドラインができても、トランスに固有の医療については保険がきかず、個人が高額の医療費を負担しなければならないという問題も解決していない。
 トランスが日常的な医療を受けるにあたり「しかしトランスジェンダーの人の中には、病気が悪化しても病院に行かない人が多くいます。(中略)自分の健康を回復するためのヘルスケアを受けようと思っても、ハラスメントや虐待を恐れて病院に行けない人がいるのです(p139)」病院で性別を聞かれる、入院先も性別分けされていたりするため、無理やり個室に入院させられて差額ベッド代を請求される、職場の健康診断も大変だ。そもそも性教育も含めて、トランスの健康についての情報が不足している…等の問題が述べられている。
 第5章は法律、トランスの人々にとって大きな影響を与えている三つの法律、戸籍の性別変更に係わる「特例法」、同性婚が認められていない問題、差別禁止法がないことの問題を取り上げている。
 「特例法」は2003年に定められた「性同一性障害者の性別の取り扱いに関する法律」であり、これに定められた要件を満たすことで戸籍上の性別を変更することができる。こういったトランスジェンダーの性別を正しく登録しなおすための法律を「性別承認法」と呼び、様々な身分証の性別表記とトランス本人の実態に合わせ、生活上のトラブルや困難に直面しないようにするために必要なものである。
 日本の「特例法」において必要な要件は5つあって、一「年齢要件」(成人していること)二「非婚要件」(婚姻していなこと)三「子なし要件」(未成年の子どもがいないこと、2008年までは子どもの年齢言及がなかった)四「不妊化要件」(妊娠する能力や妊娠させる能力をもたないこと…精巣や卵巣の切除が求められる根拠)五「外観要件」(シスジェンダーの男女が持つ性器に似た性器であることを要求するものであるが、一般的な解釈では陰茎の切断を義務付けるのみの要件となっており、造膣手術や、膣閉鎖、陰茎形成までは必須ではないそうな)その他「性同一性障害」の診断を2名以上の医師から得ることも前提とされる。(医師の診断も含めると6要件となる)これらの要件について後段で一つずつ中身の検討、要件をつくった立法側の発想とそれへの批判がなされている。特に二の「非婚要件」は、結婚しているのカップルの片方が性別変更を行うと「同性婚」状態になってしまうということなので、「同性婚」そのものを認める必要があるということになる。また四「不妊化要件」については「その背景には、トランスジェンダーたちが「精神病者」として扱われてきた歴史と、そうした精神疾患・精神障害の人々に対して政策的な不妊化を強いてきた、近代国家の優生思想の歴史が関わっています。現在ではしかし、このように法的な性別承認のために不妊化を義務付けることは実質的には不妊化の強制にあたり、人権侵害であるというのが世界的な常識です(p164)」また五の「外観要件」についても「これには女性の身体に対する国家の管理という側面があります。「ペニスのある女性を認めない」という思惑が明白な一方、「男性」がどのような身体を持っているのかについては厳密なハードルを設けていません。「ペニスが何㎝以上ならば男性として認める」といった、男性の身体への管理を暗に避けているということができるでしょう。そもそも「外観が近似」というのが法律の要求としてあまりに不透明ですが、それ以上に、ここには「女性の身体への管理」という伝統的な女性蔑視が読み取れるのです(p165~166)」なるほど、この批判は重要だ!
 そして筆者たちは「特例法」が「現状の「医学モデル」ではなく「人権モデル」への転換のもと、特例法の性別変更要件を全て変えるべきです。実際、諸外国では性別承認法の要件緩和が進んでいます(p167)」と展開し、精神科医の診断なしに性別変更を可能とするような、自分自身で性別変更のニーズを証明する「セルフID」制について紹介し、「「セルフID」制に対しては、性別を気軽に変えられるようにすると社会が混乱する、と指摘する人もいます。しかしそのように「気軽に」身分証を変えたとして、本当に困るのは(社会ではなく)その人自身です。なぜなら、自分の中長期的な生活実態と合わない性別へと身分証を書き換えることは、身分証を役立たずにすることであり、むしろ生活に支障をきたす行為だからです(p168)」ということなんだそうな。
 本章では「性別変更」については他にも様々な問題についても解説されているし、「特例法」ができたおかげでそれ以外の「性別変更」のルート、方法が排除されたこと(これは医療における「ガイドライン」でも同じような問題を指摘している)日本においてはそもそも戸籍自体に問題があるのだから、戸籍と住民票の記載を連動させる必然性もない。それぞれの公的書類ごとに異なる性別変更のルールを定めている国や地域も多い。「戸籍制度には幾多の問題が指摘され続けてきましたが、トランスジェンダーもまた、戸籍制度に苦しめられてきた集団の一つです。今後、日本においてより良い性別承認法のあり方を考えるに当たってこうした視点は決して無視してはならないでしょう(p175~176)」としている。(つづくよ)

トランスジェンダー入門(前篇)

 「トランスジェンダー入門」(周司あきら 高井ゆと里 集英社新書 2023年7月)をさっそく購入して読んでみた。大変読みやすい本である。
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トランスジェンダー入門 (集英社新書) [ 周司 あきら ]
トランスジェンダー入門 (集英社新書) [ 周司 あきら ]
第1章 トランスジェンダーとは?の内容からして、もう私も良く知らなかったこと、ああ、そうなのかという内容でいっぱいである。トランスジェンダーの「定義」は、「「出生時に割り当てられた性別」とジェンダーアイデンティティが異なる人たちのこと(p14)」であり、ジェンダーアイデンティティとは「自分自身が認識している自分の性別、自分がどの性別なのかについての自己理解のこと(p16)」「自分がどの性別集団に属しているかについての帰属意識とも関わっていますから、単なる「思い」とは少し違います。(p16)」ということだ。そして全ての人が、自分が「男性」「女性」のどちらか一方のアイデンティティを「安定的に」見出しているわけではなく、女性でも男性でもない、いかなる性別の持ち主でもない、あるいは女性と男性の性別のあいだを揺れ動く「ノンバイナリー」と呼ばれる方も存在する。こういった方も先ほどのトランスジェンダーの定義から言えばトランスジェンダーなのだが、ノンバイナリーの中には自分をトランスジェンダーと認識していない人も存在している。
 この重要な「定義」の他に、別の角度からトランスジェンダーを定義づける考え方があり、自分が「生き延びられる手段を模索していった結果として(たまたま)移行先の性別に適応していった(p24)」トランスジェンダーや、例えば「女装をしている男性」はジェンダーアイデンティティが女性ではないので、定義的にはトランスジェンダーではないものの、トランスジェンダーと同じような差別をうけてしまう…「このとき、同じ差別の雨に打たれている人々が集まる傘(アンブレラ)として、「トランスジェンダー」という言葉が使われることがあります。それが、アンブレラタームとしてのトランスジェンダーです。このときトランスジェンダーとは、割り当てられた性別に期待される姿で生きることをしない人を幅広く包摂する言葉になります。(p27)」とのことであり、「同じ差別に抵抗する政治主体としての「トランスジェンダー」を生み出しも(p27)」するそうな。
 その他「体の性」「心の性」といった使い方の問題点や、生まれた子どもに性別が「割り当てられた」際に子どもに与えられる課題は
一つ目は、「女の子として/男の子としてここからずっと生きなさい」という課題
二つ目は、「女の子は女の子らしく/男の子は男の子らしく生きなさい」という課題(p35)

があって、二つ目の課題に異議申し立てをするのがフェミニズム(あるいは「男性学」)であるのだが、ほとんどの人は一つ目の課題は「クリア」している…ところがトランスジェンダーはその一つ目の課題がクリアできないし、強いられるべきではない間違った課題であること、そして「この二つの課題が異なる課題であることは、常に意識しておく必要がある(p37)」、トランスジェンダーは「女らしさ」「男らしさ」を受け入れられない、納得できないという人ではないということなのだ。(このへんをトランスジェンダーを否定する森田成也ら、ジェンダークリティカル(GC)界隈はよく理解していないようだ)
 さて本書は第二章 性別移行 では①精神的な性別移行②社会的な性別移行③医学的な性別移行について述べれられ、トランスジェンダーが割り当てられた性別からどうやって移行が行われていくのか説明される。もちろん段階をふみ、周囲の理解を得ながら(あるいは周囲から一定の「断絶」を経ながら…「場」を切り捨てる)、ゆっくり「性別移行」は行われる。「トランスジェンダーたちは、ある場所では移行前の性別として、またほかの場所では移行後の性別として、場ごとに異なった認識のされ方をすることがあります。そのためトランスたちは、オセロの盤面を一マスずつ埋めていくように、一枚ずつ盤面の色を変えていくように、一つひとつの場において自分の性別を移行させていく必要があります。(p69~70)」ある日突然、「自分は女性/男性だ!」と宣言して移行できるものではないのだ!「埋没」や「パス」についても書かれている。
 第三章 差別 では、あらゆるところで男女分け、男女二元制が広がっている中で、トランスジェンダーが直面する差別や困難について展開される。トランスの存在が社会で想定されていないので、子どもの時から家庭や学校教育といった場から差別、排除、虐待されたりもする。就職活動の困難や、就労後の差別、不利益などを受ける。トランス女性(あるいはトランス男性やノンバイナリーであっても)が「女性」と認識されると「女性差別」も重複して受けることがある。「ハラスメント・暴行の加害者は、被害者を「本当は女性ではないのだろう」と言い張りながら、同時にその女性をミソジニー(女性蔑視)に満ちた仕方で扱っているということです。(p102)」この章では最後に「トランスジェンダーの人々が不利益を被るように、すでにこの社会ができあがってしまっているのです。…差別は、制度的・構造的な問題であり、それを作りあげて存置し続けてきたシスジェンダーの人々に、その解決の責任は存在しています。(p121)」と結ばれている。(続くよ)

LGBT差別を軽視する「前進」

革共同中央派(江戸川派?)の機関紙「前進」2023年6月26日 第3300号に
焦点「LGBT法」成立 狙いは運動の取り込みと分断という文章が掲載されている。
 岸田政権は6月16日、「LGBT理解増進法」なる理念法を、参院本会議で可決・成立させた。
 この間、「性の多様性」「寛容な社会の実現」といった美名のもと、与野党が競って「LGBT関連法(条例)」を推進しているが、これらはいずれも差別の解消につながらないばかりか、性的マイノリティの要求と女性解放の闘いとを対立・衝突させ、労働者階級を分断するものでしかない。
世界戦争情勢が背景に
 そもそも岸田の「LGBT法」強行の背景にあるのは、米帝を頭目とする帝国主義が自らの延命をかけ、ウクライナ戦争・中国侵略戦争―世界戦争へと全面的に突き進んでいるという現実である。
 今年2月、駐日米大使エマニュエルが主導し、G7のうち日本を除く6カ国と欧州連合(EU)の駐日大使が連名で、LGBT関連法の整備を求める書簡を岸田宛に提出した。書簡は「差別から当事者を守ることは経済成長や安全保障、家族の結束にも寄与する」とその狙いをあけすけに語り、帝国主義としての経済的・軍事的利害と家族制度強化の観点からも早急に法整備を進めることを日帝に要求した。さらにエマニュエルは、アジア最大級のLGBTイベントと呼ばれる「東京レインボープライド」に25カ国の在日公館大使らと共に参加し、登壇・発言まで行った。そして、多くの女性や性的マイノリティ当事者の懸念と反対意見を無視して「LGBT法」が可決されると、エマニュエルは真っ先に「歓迎」を表明した。
 米バイデン政権がロシア・中国との対立を「民主主義と専制主義の戦い」と描き、G7全体を「人権」や「多様性」の守護者に偽装しようと手を尽くしているのは、それによってあらゆる社会運動を体制の側に取り込み、階級闘争の解体と全人民の戦争動員を進めようとしているからだ。実に「帝国主義段階における世界戦争は、それの史上類例のない残虐さ、破壊の広さに逆比例するかのごとく、総力戦的特質に規定されたものとして社会改良的スローガンの氾濫(はんらん)を不可避とするのである」(本多延嘉元書記長「70年安保闘争と革命的左翼の任務」)。
 国家・資本が進んで運動への接近を図り、今やLGBT関連イベントのスポンサーには軍需産業も含む巨大資本が名を連ねている。
差別の元凶は資本主義
 こうした中、SNSなどでは、女性解放闘争が歴史的に闘いとった女性専用スペースなどの権利が「特権」と攻撃され、それに疑問や懸念を表明した女性が「トランス差別者」とみなされバッシングされるといった、激しい分断が生み出されている。他方、家父長制に基づく伝統的家族制度とジェンダー規範を護持し、女性の「子産み道具」化を強めようとする極右勢力が、「女性の安全を守れ」などと主張して女性の不安や怒りの声をかすめとろうとしている。
 だが洞口朋子杉並区議が議会で指摘した通り、戦時下の「産めよ殖やせよ」の攻撃のもとでは、女性も性的マイノリティも「性の多様性」とは最もかけ離れた現実を強制される。そして一切の性差別の根源は私有財産制と家父長制家族制度にあり、その変革と切り離されたところに差別・抑圧からの解放はない。戦争を内乱に転化する闘い、それと一体の革命的女性解放闘争の組織化を基軸として、あらゆる形態の性差別と闘う人々との団結を構築し、差別の元凶=資本主義の打倒へ共に闘おう。

 短い文書なので全文引用したが、いきなりLGBT法に「性的マイノリティの要求と女性解放の闘いとを対立・衝突させ、労働者階級を分断するものでしかない。」と罵倒をあびせ、かつ間違った認識をふりまいている。当たり前の話だが、性的マイノリティの権利要求と女性解放の闘いは対立するものではないし、今回成立したLGBT法によってもその「対立」とやらが促進されるわけではない。
 むしろ今回成立した法律に「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意するものとする」という、マジョリティへの配慮規定が入ったことで「理解増進」どころか、当事者や支援者が差別とたたかうことに躊躇させ、マジョリティの差別意識等を温存させる「差別増進」につながるものとなっているのだ。だが「前進」本文書にはそういったことへの批判はいっさいない。当然、この法律が本来目指すべきであった「差別禁止」にも一切触れず、「差別禁止法」の必要性も説かないシロモノだ。
 本法律が上記のような問題をもち「対立・衝突させ、労働者階級を分断」させるようなものになってしまったのは、前進文書の記述にあるとおり「女性解放闘争が歴史的に闘いとった女性専用スペースなどの権利が「特権」と攻撃され、それに疑問や懸念を表明した女性が「トランス差別者」とみなされバッシングされるといった、激しい分断が生み出されている。」ということが原因の一つであるが、「激しい分断」を生み出したのは「女性専用スペース」にトランス女性が入ってくるという「デマ」と「恐怖」をあおり、トランス女性(トランスジェンダー)を排除しようとしてきた人たちである。そしてそれに杉並区議会で加担したのが、洞口朋子杉並区議に他ならないのである。このことを無視して「一切の性差別の根源は私有財産制と家父長制家族制度にあり、その変革と切り離されたところに差別・抑圧からの解放はない。」などと書き連ねるのは、犯罪的行為に他ならない。そして最後に「差別の元凶=資本主義の打倒へ共に闘おう。」と結んでいるが、LGBT差別を内包したままで「革命的女性解放闘争の組織化を基軸として、あらゆる形態の性差別と闘う人々との団結を構築」なぞ、あり得ない!

 相変わらず現代社会にはびこる個別の差別問題をを軽視して、階級闘争・革命運動に従属させる彼らの論理には、うんざりだ!
 「前進」は洞口智子杉並区議のLGBT差別をきちんと切開し、批判・自己批判せよ!全てを資本主義社会に還元するのではなく、個別の差別問題に向き合え!あらゆる差別とたたかわなければ、団結を構築し、資本主義の打倒なぞ絶対に出来はしないのだ!

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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
ではでは(^^)

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