たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

#山本太郎

党への信認なのか人への信認なのか?

 半月前の話だが「新選組」参議院議員の水道橋博士が病気のため辞職し、その後任の議員は任期を1年ごとに交代してローテーションで回すことになった。
【代表談話】水道橋博士の辞職・れいわローテーションについて(2023年1月16日 れいわ新選組代表 山本太郎)
 れいわ新選組の参議院議員、水道橋博士が本日、議員辞職をいたしました。
参議院議長宛に辞職届けが出されたのは、本日9時30分です。【中略】
 比例当選議員が辞職すれば、比例名簿の次点が繰り上げとなるのが一般的ですが、私たちは博士の残してくれた議員任期を、より有効に活用させていただくことにしました。
 まずは今回に限って、ローテーション制度を導入します。簡単に説明すると、一年毎に議員任期を交代します。
 水道橋博士が辞職後、繰り上げとなるのが、大島九州男さん。その1年後に長谷川ういこさん、つじ恵さん、はすいけ透さん、よだかれんさん、という順です。党内の様々なメンバーに国民代表を務めていただく。多様で多彩なメンバーが、国民からの負託に応えていくことを目指していきたい、という趣旨です。【以下略】

 「新選組」は選挙制度の網やほころびをついて大胆なことをやる。うまく当たったのは「特定枠」を使って重度の障害をもつ人を2人も参議院に送り込んだこと、う~んと懸念を感じたのは山本太郎代表がせっかくもぎ取った衆議院議員を辞任して参議院に鞍替えすることで、自党への投票を呼び起こそうとしたこと(これは結局”結果オーライ的”になった)だ。選挙至上主義とか、制度のもてあそびとも言われている。今回のローテーションについても賛否両論はたくさんあって、批判する側は「参議院議員の『任期6年』をどう考えてのか」「選挙時の公約時に入っていない」等々、評価する側は「多様な人が議会に参加できる」「そもそも比例代表だから、誰を議員にするかは党が判断するもの」という感じか…
 私としてはやはり「参議院の任期6年」というものを重く見て、選ばれた議員は解散のない6年間、しっかり議員としての活動をしてほしいと思うから、法的に問題ないからと言ってローテーションで1年ごとに交代するのはどうなんだ!という立場である。しかし「6年の任期」を「党(この場合は党が責任を持つ5名)がチームで対応する!」というのであれば、話は別になってくる…う~ん、党なのか人なのか?

 参議院にはもともと、党よりも個人に重きを置く「参議院全国区」なるものがあったし、大きな選挙区から「人気のある人」を選ぶ側面がある。全国区が無くなって比例代表制が採用された際、人よりも政党が重視されるとして、拘束名簿式で「個人」を選べるように配慮されている。だからそこに「党」の意向に重きをおいたやり方は反発されるだろう。「新選組」のローテーションも、多様な個人を議会に送るという大義名分はあるものの、それを決めるのは個人ではなく「党」である(もっとも「新選組」は未だ山本太郎代表のカリスマ性によった「私党」であるという評価もあろう…ただしそのあたりは、先日の代表選挙とやらで「共同代表」制に近い組織体制にしたことから、少し緩和されそうではあるが)

 仮に自民党や維新が同じような「ローテーション制度」を同じような理屈で採用した場合、世論はどういった判断を示すだろうか?おそらく多くのリベラル・左翼の人たちは法の隙間をかいくぐった制度の濫用として反発するとは思う…しかし、彼らの用意する候補者とやらの陣容を見てみよう…同じような「新自由主義」「身を切る改革」「自己責任」「ホモソーシャルな男社会」云々…どこに多様な人たちの「名簿」があるだろうか?(杉田水脈などのような、多様性もへったくれもない差別主義者が比例名簿の上位にあげられ、どんな不祥事があろうと自民党の名前で当選してしまうトンデモ制度こそ、なんとかしろよ!)「新選組」の今回のローテーション名簿を見られよ!なんと個性的で何かやってくれそうな奴等ばっかり集めている…これを党の責任で国会で活躍させるのだ!期待しないほうが間違っているだろう。これが「新選組」の強みであるのだ!

 ということで「れいわローテーション」については、あんまり支持できないけれど一定評価しましょうか!?という態度をとっておこう(^^)(^^)(^^)///それと議員にある予定の尼崎のつじ恵さん、頑張って下さいね。

「国民」を「ひとびと」に変える!

 ツイッター上でのやりとり…こんなのどう?
 ということで、憲法は「国民」を「ひとびと」に書き換え、第一条から第八条まで削除し、前文の後、第一条はこんなかんじで始めよう‼

 このくにに住む人びとは、戦争は絶対にしないし、軍隊も持たない

 エエでしょ(^^)

 おまけ…だけれども重要な話
 「新選組」山本太郎が、演説の際に「国民」という言葉を使わず、「この国に住むすべての人びと」とかゆうフレーズを使っっているそうだ。全ての彼の演説や言説を確認したわけではないが、確かに彼は「国民」という言葉はあまり使っていないし、新撰組HPもそんな感じ…だから「新選組」を支持して熱心なボランティアをやっている韓国籍の若者を、私は知っている。このへんは日本共産党よりもはるかに”進歩的”だと思う。
 ただ「新選組」組織が「議員」や「予定候補者」のみを「構成員」として扱っており、日本の公職選挙法に従えばどうしてもそこが「国籍条項」的に在日外国人を排除してしまうことや、山本太郎自身が天皇に手紙を渡そうとしたり、元号を党名に採用するなど、天皇(制)がまさに「国民」をつくってることに無自覚すぎるので、手放しで賞賛するわけにはいかないのである。

 ではでは。

大阪府警の山本太郎演説妨害を弾劾する!

 昨日12日、「大阪市を廃止して4つの特別区を設置する」ことの是非を問う住民投票が告示された。これにあわせ、「新選組」の山本太郎代表がミナミの道頓堀でこの大阪都構想に反対する演説・街宣を行っていたのだが、大阪府警・南警察署に演説を妨害されたのである。
 画像を見ると、コロナ禍の影響か、月曜の昼だからか、戎橋の人通りは少なく、山本太郎の街宣が人々の通行の邪魔になっているとはとても思えない。
 別の21分の動画

 なるほど、デカいアンプやモニターなんかを出して大掛かりなものではあるが、それでも橋の端っこの膨らんだところで街宣をしており、通行の邪魔にはなっていない。動画でも分かる通り、警察は一方的に演説を中止するよう要求しているが、なんら法的根拠や理由を示していない。一方、山本氏は「道路交通法77条」に則って政治活動をしていると述べている…では、道路交通法77条とはどうゆうものか?
 道路において一般交通に著しい影響を及ぼすような通行形態又は方法により道路を使用する行為をしようとする場合は、当該行為に係る場所を管轄する警察署長の許可を得なければならない。
 というものである。要するに「一般交通に著しい影響」を及ぼさない限り、警察署長の許可を得ることなく街宣・演説などは出来るのだ!多くの市民団体や個人はこれにもとづき、あちこちで街宣やったりスタンディングをして意思表示をしている…そして歩道部分で人々の通行の妨げにならないよう注意しながら行うものに関しては、いちいち警察の許可などとってはいない。
 現に、梅田解放区ではここよりはるかに人が多く混雑している梅田ヘップファイブ前において、堂々と街宣をしている!
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 もちろん、いちいち警察への届け出、許可申請なんぞ行っていない。もっとも、梅田解放区がこの場でやり始めた時は曾根崎警察がいちゃもんをつけに来たが、毅然とした態度で反撃し、跳ね返している。こうやって街頭での「街宣の自由」を勝ち取って、みんなが自由に政治的主張を街頭で行い、広めることが出来るのだ!
 今回の「新選組」山本太郎氏への街宣妨害…演説を中止せよ!という大阪府警のやり方は、言論の自由・表現の自由への介入であり、政治弾圧である!絶対に認めてはいけない。
 それにしても…大阪府警・南署は、「新選組」はボランティアばかりの素人集団⁉だと思って、なめてかかってきたのではないか?また「野党共闘」の中から外れ独自路線を貫く「新選組」なら、弾圧してもそんなに問題はないだろうと考えただろうか?いずれにしても、彼らは「街宣」にかけてはプロだし、山本氏もうまくかわして「演説」を続けてはいる(独り言をマイクが勝手に拾っているだけなんだと)

 もっとも、こうゆう事が広まると一部で「道路使用許可」をとって街宣すべし!という意見が出てくることも確かであり、なかなかややこしい。実際、道路使用許可をとって街宣やってるグループや団体もあるようだが、車道部分に街宣車を停めて演説する(駐車禁止違反とかになりそうだ)ならまだしも、歩道部分において道交法77条の「一般交通に著しい影響」を及ぼさない街宣であれば、警察への届けなんぞ不要である!ということははっきりさせておこう。
 街宣は民衆の権利である!みんな「スガ政権打倒!」「新自由主義政策反対!」「辺野古新基地建設反対!」「大阪市解体反対!」などを掲げて、堂々と街宣しようではないか!

感染症と文明(その6)

 感染症専門家の「山本太郎」氏の本を、1章ごとにていねいにレビューしていく企画その6回目
 
 第五章 「開発」と感染症
 本章はメモ書き程度の長さでしかない…20世紀以降の「開発」はそれまでのものとは比較にならないほどの規模と速度と複雑さを持つようになったが、それゆえ副次的にもたらされる変化を予測することは難しく、しばしば想定を超えるものとなる。そうした開発によって引き起こされる疾病を「開発源病」と呼ぶ。
 「開発源病」として事例に挙げられているのが、ナイル川下流域で流行していたビルハルツ住血吸虫症である。アスワン・ハイダムの完成とナセル湖が出来たことにより、そこが住血吸虫の中間宿主である巻貝の生息地となったため、上流域に感染が拡大した。西アフリカで流行している、ブユによって媒介されるオンコルセンカ症(河川盲目症)も、ダム建設によって流行が拡大し、人々が高台への移転を余儀なくされた例も紹介されている。
 南アフリカにおける鉱山開発は、劣悪な鉱山都市を生み出し、結核を蔓延させた。結核で働けなくなった鉱山労働者は故郷に帰り、そこで結核を流行させることになる。
 サハラ以南のアフリカでマラリアを媒介するハマダラ蚊は、日蔭をこのむ種類「フネストゥス」と、日当たりの良い場所を好む「ガンビエ」の2種類が存在する。2000年前、バンツー族によってサハラ以南に農業が持ち込まれ、森林伐採が進む。熱帯雨林の生態は大きく変化し、ガンビエの生息域は増大した。一方、農業の開始と定住により人口が増加し、ガンビエの吸血機会も増加、かくしてマラリアが蔓延することになる。
 灌漑や農業開発でハマダラ蚊の生息域が変わり、マラリアが流行した事例としては、カリブ海における米作や、マレー半島におけるゴム農園開発がある。ただ、こうした事例は地域によって結果が異なる可能性があり、日蔭を好むハマダラ蚊が多い地域では流行が起こるとは限らない。
 感染症は開発の妨げにもなる。黄熱がパナマ運河の建設を妨げていたのは第三章で述べたとおり。キニーネによるマラリア対策で、熱帯地が肥沃な農地に変わり、鉱山の結核対策を行えば鉱山労働者の労働の質は向上し、生産性も上がる。疾病対策自身が、費用対効果の高い開発計画でもある。
 一方、開発が環境改変を目的とする限り、開発がどのようなものであれ、疫学的均衡はある種の攪乱を受ける。その結果、社会の疾病構造は良くも悪くも変化する。このことは疾病対策や感染症対策という名の開発計画にも当てはまる。疾病対策の成功が、「隠された健康損失」をともなうこともある。殺虫剤の屋内残留噴霧が、森林型マラリアの流行をもたらした例もある。(p152)
 長期にわたる健康損失は、問題が顕在化するまで分からないことも多く、例えば天然痘の根絶が病原体と宿主を含む生態系、および人類の健康にどのような影響をもたらすかということは、現時点では誰にもわからないと筆者は継承を投げかけている。
 なお本章には、マラリアに対する適応の事例として、ヒトの鎌状赤血球貧血症にも触れ、コラムではツタンカーメン王が鎌状赤血球貧血症だったのではないかということも述べているが、主題ではない。

感染症と文明(その5)

 感染症専門家の「山本太郎」氏の本を、1章ごとにていねいにレビューしていく企画その5
 

第四章 生態学から見た近代医学

本章ではアフリカの植民地支配を貫徹するための帝国医療、植民地医学から始まって、近代医学が感染症を「克服」していく様子が書かれている。少し長い。

 ヨーロッパのアフリカ進出(侵略)は、新大陸へのそれと比べ一方的なものとはならなかった。探検隊や軍隊は「熱病」でバタバタと倒れる…「熱病」の正体はアフリカ土着の感染症、マラリアやアフリカ・トリパノソーマ症(眠り病)である。1830年、イギリスは下士官を除いて白人兵士を西アフリカに送るのを止めたぐらいであり、感染症がヨーロッパ人のアフリカ進出に対する生物学的障壁となっていたのである。ただマラリアに関しては、南米の先住民が伝統的に解熱剤として使用していたキナの樹皮が効くことが偶然、発見されており、1820年にはキナの樹皮からキニーネが単離され、1827年にはマラリア治療薬として商業生産が始まっている。このおかげで19世紀になってから、探検隊や侵略軍の死亡率は大きく改善されることになった。南米にマラリアはなかったのだが、ヨーロッパ人による新世界再発見(侵略)でもたらされた南米原産のキニーネが、アフリカ植民地化の後押しをすることになったということは皮肉な話であると筆者も考えている。

 サハラ砂漠とカラハリ砂漠に挟まれた地域は「ツェツェ・ベルト」と呼ばれ、アフリカ・トリパノソーマ症(眠り病)が流行してきた地域である。アフリカ眠り病はツェツェバエが媒介する病気で、病状が進行すると睡眠周期が乱れ意識レベルが低下、昏睡して死に至る。牛や馬などの家畜も感染する病気なので、ヨーロッパ人の探検や移動、植民に大きな障害となる。このアフリカ眠り病が、1800年代後半からアフリカの欧州植民地で流行を始めた。このころの研究により患者の血液から検出されたトリパノソーマが病原体ではないかと考えられた。1907年頃は、結核菌やコレラ菌を発見した、近代細菌学の祖とされるドイツのロベルト・コッホもビクトリア湖北西の島で眠り病の調査をしていたぐらいだ。(ちなみにマラリア原虫やトリパノソーマは細菌よりも大きい単細胞の「真核生物」である)

 ヨーロッパ人がアジアやアフリカの植民地を経営するためには、現地の疾病を研究し、制御する必要がある。そのための医学は後に一つの体系として「帝国医療・植民地医学」と呼ばれるようになる。そうして発展した帝国医療・植民地医学は、現地住民の健康を守ることもしたし、近代医学によって未開地の病気を征服できるという信念は、植民地主義を正当化する論拠も提供し、帝国支配を正当化するための重要な道具ともなった。一方で植民地医学は様々な病気の原因を探り、感染経路や病原体の生活環を解明し、治療法や予防法を開発することで、近代医学の発展に大きく貢献したと筆者は評している。

 1894年、イギリスの植民地で国際港湾都市の香港でペストが流行した。当時の雲南ではペストが風土病的に流行しており、1855年には大規模な軍の反乱が起こったことから、政府軍兵士が中国各地にペストを持ち帰ったのだそうな。この時、国際調査団が組織され、日本の北里柴三郎とフランスのアレクサンドル・イェルサンがペスト菌を発見したことは有名である。この時に出来た国際協力体制は、香港在住ヨーロッパ人の保護と、欧米社会へのペスト移入を防ぐことが目的であったが、それは成功した。清末の1911年、満州でのペスト流行に対応し、満州進出を意図した日露政府に憂慮した清朝政府は奉天で「国際ペスト会議」を主催する。日露以外にイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、オーストリア、アメリカ、メキシコといった国が招待された。帝国主義下で、感染症とその対策が政治問題化した最初の事例であり、感染症とその対策が、近代国際政治の表舞台に登場したということである。

 「帝国主義」は欧米のみであるがペスト流行を抑え込んだ。しかし新型インフルエンザ(スペイン風邪)は押さえられなかった。

 ペスト流行に対する国際防疫体制の確立がこの時期の帝国医療・植民地医学の功績だったとすれば、1918年から19年にかけて世界的に流行した新型インフルエンザは、帝国主義が感染症流行に与えた大きな負の遺産といえるかもしれない。
 第一次世界大戦末期の1918年から19年にかけて流行したスペイン風邪は、世界全体で5000万人とも1億人ともいわれる被害をもたらした。最も大きな被害を受けた地域や国が、アフリカやインドであった。(p116117

 アフリカやインドという典型的な「植民地」で、感染症の被害が増大した。第一次世界大戦はイギリス・フランス連合軍によって、ドイツ植民地の占領が行われているが、そうした戦闘の主力を握ったのが現地の植民地軍である。アフリカ人が戦闘に参加し、その過程で食糧や労働力が強制的に移動させられている。そうした中でスペイン風邪が流行したのである。アフリカでは船舶を通して大陸沿岸部の港から港へと広がり、天然資源を求めて整備された鉄道や河川水運によって内陸部に広まったのである。
 インドで被害が大きかったのは、当時インドで飢饉が起こっていたためである。穀物生産量が五分の一に低下し、食糧価格が高騰したにもかかわらず、戦略物資としての穀物はイギリスに輸出し続けられたのである。

 こうして見てくると、第一次世界大戦は植民地を巻き込んだ総力戦だったことがわかる。アフリカにおける列強の代理戦争がインフルエンザ拡大の土壌を提供し、植民地経営の屋台骨を支えた鉄道がインフルエンザを運んだ。被害を悪化させたのは、植民地からの収奪であった。(p121

 これは今の新型コロナウィルス流行にもあてはまるだろう…グローバリズムとそれを支える旅客航空が感染を広げ、新自由主義による医療体制の脆化が、被害を悪化させている。

 第四章の後半は、そうした近代医学が感染症を抑え込んだ「歴史」が語られる。

 「感染症の教科書を閉じ、疫病に対する戦いに勝利したと宣言するときがきた」と発言したのは、当時のアメリカ公衆衛生局長官ウィリアム・スチュワート、1969年、アメリカ議会公聴会でのことであった。ペニシリンをはじめとする抗生物質が開発され、小児と家族を苦しめたポリオに対するワクチンの開発が成功し、天然痘根絶計画は達成までにあと一歩のところまで来ていた。(p124

1929年、アレクサンダー・フレミングがペニシリンを発見するも、しばらく忘れられる。1940年にハワード・フローリーとエルンスト・ボリス・チェーンがペニシリンを再発見、翌年には臨床の場で有効性が確認された。1942年にはペニシリンが単離実用化され、第二次世界大戦中に多くの負傷兵、戦傷者を救うことになる。

 細菌感染症にはペニシリンのような抗生物質が効果を発揮するが、ウィルス感染症であるポリオには治療法も予防法もない。二十世紀前半、欧米諸国でポリオが流行しており、1952年にはアメリカで6万人近くが発病、3000人が死亡し、2万人を超えるひとに障害がのこる流行が起こる。1954年にジョナス・ソークが開発した不活性ポリオワクチンの大規模野外実験が始まり、1950年代後半にはアルバート・セービンによって弱毒性ワクチンが開発され、世界標準ワクチンが確立した。アメリカには自らもポリオに罹患し、後遺症を持ったフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領がよびかけた、ポリオと闘うため10セントをホワイトハウスに送る「ダイムの行進」と呼ばれる社会運動があったが、その基金はポリオワクチンの開発に大きく貢献している。

 天然痘根絶計画は、1958年にソ連代表によって提案され、WHO総会において可決されて始まった。しかし計画の進捗は遅く、1965年、アメリカ大統領リンドン・ジョンソンが計画の推進を強力に支持する声明を発表し、10年に及ぶ天然痘根絶集中計画がWHOで承認され、米ソの共同事業として行われることになる。天然痘は1972年に南米から根絶され、1975年にはインドで根絶され、残る流行地はアフリカだけとなる。ソマリア南部で自然発生による地上最後の天然痘患者が発病したのが19771026日、その後、イギリスのバーミンガムで実験室から漏れたウィルスによる感染者・死者が出たため、天然痘ウィルスの国際管理体制が確立した。1980年5月に、WHOは天然痘根絶宣言を発表している。現在、アメリカのジョージア州アトランタにあるCDC(アメリカ疾病予防管理センター)の研究所と、ロシアのシベリア・コルツォボにあるロシア国立ウィルス学・生物工学研究センターに保管され、保管を続けるか破棄するかの議論が続いている。

 

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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
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