前編のつづき、革命的共産主義者同盟再建協議会が発効する理論誌「展望」第31号(2024年7月)の「綱領的世界認識のために 岸田大軍拡と闘う日本海遊闘争の飛躍を」(落合薫)論文の紹介
前編で紹介した文章のあと、「セキュリティ・クリアランス」(適正評価)制度、「特定利用空港・港湾」指定、地方自治法改悪案について批判した後「第Ⅱ部 綱領的世界認識のために」に続く…最初の方に
今回の岸田訪米を通じて、日帝の安保体制と沖縄政策は大転換した。従来の米帝の世界支配を日帝が支え補完するものから、日帝が世界支配の一角に食い込んでいくものに転換した。そのキー・ワードが「グローバル・パートナー」である。没落著しい米帝の尻を叩いて、日帝が「インド太平洋戦略」の全面発動のイニシアを採る。(p39)
と展開している。
この文章は、日帝が「世界支配の一角に食い込んでいく」とはいえ、まだまだ一国だけではできないので、アメリカを東アジア(から、インド太平洋)につなぎとめておかねばならない…そのためにアメリカの「言いなり」になって軍拡をしたり、基地建設をしている「かのように見える」ことに注意しなければならない、いや、実は違うんですよ!ということだ。
続く「米帝1極支配」の自己欺瞞 という項目から長々と引用する。
現在の危機と戦争の問題を、米帝1極支配や米ソ対決(現在的には米ロ、ないし米中対決)の枠組みでとらえることも同梱の間違いである。江戸川集団を典型として、ロシアのウクライナ侵略を否定し、米帝がロシアに仕掛けた戦争ととらえ、ウクライナ人民およびゼレンシキー政権を米帝のカイライ視し、他方でプーチンを擁護する者がいる。鈴木宗男や佐藤優と変わらない被抑圧民族の主体を無視した体制間矛盾論の古い枠組みの思想である。
米帝1極支配論の裏面が「日帝の対米従属」論である。力関係と地理的配置で、帝国主義間に支配従属関係が生じることはありえる。戦後の日帝・米帝関係もその枠組みでとらえること自体が誤っているわけではない。しかしそれが日帝との闘いを回避する文脈で言われるとき、重大な誤りに転化する。「役に立たないガラクタ兵器を米国に買わされている」と岸田政権を批判する人がいる。役に立つ最新兵器ならいいのか。現に日帝は、次世代最新兵器の開発と量産を自国企業に発注し、共同開発を日米で計画しているではないか。共産党は日本が帝国主義であることを否定し、単に国民国家であるかのようにとらえている。その結果、「国民連合政府への入閣」を自己目的化する。日本軍「慰安婦」問題に現政府・現日本国民は責任がないと言うし、「『尖閣列島』(釣魚台)を守れ」などと主張する。他方で、「下からの平和を」なる主張で、ASEANやアジア人民の闘いに「日・中・韓が吸いよせられ」て、形成される「多元的安全共同体」なるものを構想する者がいる。ここには日本の労働者人民の主体的闘いがどこにもない。ウクライナで、パレスチナで「直ちに停戦交渉を」として「無防備都市宣言」を主張する者のなかには、侵略される側、被抑圧の人民にまず武装解除を要求する者がいる。「戦うな」「武器を置け」と彼らは言う。一体だれに言っているのか。これらはすべて「日帝従属論」から帰結した誤りである。(p41~42)
ほぼ1ページ分を紹介したが、ここには江戸川集団(革命的共産主義者同盟全国委員会中央派)、日共批判のみならず、現代のウクライナ。パレスチナ戦争が行われている状況の中での様々な反戦潮流に対する批判である。もっともすべて「日帝従属論」から来る誤りであると断罪しているが、それは少ししんどいかもしれない。言いたいことは「日帝従属論」こそが誤り!ということだ。
引用の中に「ここには日本の労働者人民の主体的闘いがどこにもない」とある…「日帝従属論」が陥る罠としては、対米独立的な主張をする“リーダー”や”カリスマ”みたいな政治家・思想家に頼る、絶対視してしまうことだ。一部野党支持者のなかにある、小沢一郎や山本太郎への過大な期待がそれである。それは、岸田政権打倒後、ひょっとしたら成立するかもしれない現野党連立政権への過度な期待や”足の引っ張り”にもつながる…日帝独自の政策・外交で、例えば旧民主党政権は「尖閣列島」を国有化し、自衛隊の南西シフトへの道筋も掃き清めている…こういったことをきちんと批判し、やめさせることを「労働者人民の主体的な闘い」で行わなければならないのである。
以上、展望「第31号」の「綱領的世界認識のために」論文紹介終了!
前編で紹介した文章のあと、「セキュリティ・クリアランス」(適正評価)制度、「特定利用空港・港湾」指定、地方自治法改悪案について批判した後「第Ⅱ部 綱領的世界認識のために」に続く…最初の方に
今回の岸田訪米を通じて、日帝の安保体制と沖縄政策は大転換した。従来の米帝の世界支配を日帝が支え補完するものから、日帝が世界支配の一角に食い込んでいくものに転換した。そのキー・ワードが「グローバル・パートナー」である。没落著しい米帝の尻を叩いて、日帝が「インド太平洋戦略」の全面発動のイニシアを採る。(p39)
と展開している。
この文章は、日帝が「世界支配の一角に食い込んでいく」とはいえ、まだまだ一国だけではできないので、アメリカを東アジア(から、インド太平洋)につなぎとめておかねばならない…そのためにアメリカの「言いなり」になって軍拡をしたり、基地建設をしている「かのように見える」ことに注意しなければならない、いや、実は違うんですよ!ということだ。
続く「米帝1極支配」の自己欺瞞 という項目から長々と引用する。
現在の危機と戦争の問題を、米帝1極支配や米ソ対決(現在的には米ロ、ないし米中対決)の枠組みでとらえることも同梱の間違いである。江戸川集団を典型として、ロシアのウクライナ侵略を否定し、米帝がロシアに仕掛けた戦争ととらえ、ウクライナ人民およびゼレンシキー政権を米帝のカイライ視し、他方でプーチンを擁護する者がいる。鈴木宗男や佐藤優と変わらない被抑圧民族の主体を無視した体制間矛盾論の古い枠組みの思想である。
米帝1極支配論の裏面が「日帝の対米従属」論である。力関係と地理的配置で、帝国主義間に支配従属関係が生じることはありえる。戦後の日帝・米帝関係もその枠組みでとらえること自体が誤っているわけではない。しかしそれが日帝との闘いを回避する文脈で言われるとき、重大な誤りに転化する。「役に立たないガラクタ兵器を米国に買わされている」と岸田政権を批判する人がいる。役に立つ最新兵器ならいいのか。現に日帝は、次世代最新兵器の開発と量産を自国企業に発注し、共同開発を日米で計画しているではないか。共産党は日本が帝国主義であることを否定し、単に国民国家であるかのようにとらえている。その結果、「国民連合政府への入閣」を自己目的化する。日本軍「慰安婦」問題に現政府・現日本国民は責任がないと言うし、「『尖閣列島』(釣魚台)を守れ」などと主張する。他方で、「下からの平和を」なる主張で、ASEANやアジア人民の闘いに「日・中・韓が吸いよせられ」て、形成される「多元的安全共同体」なるものを構想する者がいる。ここには日本の労働者人民の主体的闘いがどこにもない。ウクライナで、パレスチナで「直ちに停戦交渉を」として「無防備都市宣言」を主張する者のなかには、侵略される側、被抑圧の人民にまず武装解除を要求する者がいる。「戦うな」「武器を置け」と彼らは言う。一体だれに言っているのか。これらはすべて「日帝従属論」から帰結した誤りである。(p41~42)
ほぼ1ページ分を紹介したが、ここには江戸川集団(革命的共産主義者同盟全国委員会中央派)、日共批判のみならず、現代のウクライナ。パレスチナ戦争が行われている状況の中での様々な反戦潮流に対する批判である。もっともすべて「日帝従属論」から来る誤りであると断罪しているが、それは少ししんどいかもしれない。言いたいことは「日帝従属論」こそが誤り!ということだ。
引用の中に「ここには日本の労働者人民の主体的闘いがどこにもない」とある…「日帝従属論」が陥る罠としては、対米独立的な主張をする“リーダー”や”カリスマ”みたいな政治家・思想家に頼る、絶対視してしまうことだ。一部野党支持者のなかにある、小沢一郎や山本太郎への過大な期待がそれである。それは、岸田政権打倒後、ひょっとしたら成立するかもしれない現野党連立政権への過度な期待や”足の引っ張り”にもつながる…日帝独自の政策・外交で、例えば旧民主党政権は「尖閣列島」を国有化し、自衛隊の南西シフトへの道筋も掃き清めている…こういったことをきちんと批判し、やめさせることを「労働者人民の主体的な闘い」で行わなければならないのである。
以上、展望「第31号」の「綱領的世界認識のために」論文紹介終了!