昨日のブチブチと切れていく日本の鉄道は、JR北海道とJR西日本の廃止確定および存続が危うい区間を淡々と紹介する”だけ”の記事になった。赤字ローカル線をなんとか存続させたい、残って欲しいというのは私のような鉄道趣味者の共通の思いではあるのだが、もう如何ともし難いところまで追い込まれているのが現状である。
ふりかえって、1987年の「国鉄分割・民営化」において、いやそれ以前から、赤字ローカル線は廃止されて当然!という流れになっていた。1980年の「国鉄再建法」において、輸送密度4000人未満の路線が「特定地方交通線」として廃止・転換の対象とされ、1990年までに83もの旧国鉄ローカル線が廃止もしくは第三セクター化されている。その後、旧国鉄赤字ローカル線の廃止はしばらく止んだが、地方私鉄では廃線の憂き目を見ている路線もあった。90年代、ローカル線問題は”ひと息ついた”ような状況であったのだが、モータリゼーションの進行や少子高齢化は当時から問題にされていた。人口が減少し、通学で使う学生の数も減れば、ジリ貧になることは目に見えていたのである。
ローカル線の”地元自治体”は様々な工夫を凝らして、なんとか鉄道の活性化を試みるところもあったりもするのだが、根本の人口減少、道路整備によるモータリゼーション進行(後者は地方で拒否することは不可能である)は避けられず、乗客は減っていく…乗客が減れば鉄道側も便数を減らしたりせざるを得ない、ますます鉄道が不便になって、さらに乗客が減るという悪循環が繰り返されてきたのである。本来ならば、鉄道の特性を生かし路線を残すのであれば、公的な補助は絶対に必要だ!だが自治体にはカネがない(第三セクター鉄道にはカネは出さなければならないが)国もしくはそれに準じる公的機関が、きちんと鉄道の位置づけを行ってカネを出さなければならない。しかし「なんでも独立採算」で黒字になるのがエエという昔からあるドグマに加え、”新自由主義”政策の申し子、JR体制になった日本の鉄道には、そんな道は閉ざされていたのである。
鉄道の特性とは何か?様々あるだろうが、全国につながっているという安心感もその一つ…だからローカル線のあるところ、なかなかカネがないから則廃止!というわけにもいかない。あちこちと繋がっていれば、観光にも、人的交流にも使えるだろう。大糸線をぶった切って「盲腸線」にしてしまうなど論外だ。また貨物列車のリダンダンシーという位置づけもあろう。函館本線の「山線」はもうすでに貨物列車も走っていないのだが、有珠山が噴火して室蘭本線が不通になった場合のう回路として期待する論もあった(DD51が廃止されたので難しいらしい…「函館山線は代替ルートにならない」。JR貨物が見解示す。貨物調整金もなし)山の中のローカル線も、万が一に備えて貨物列車が走行できるようにしておき、ときどき走行させておく…そのための整備に国が公的なカネを出す…ことをしておく必要があったのだ。
かくして2,000年代には、旧国鉄から第三セクターに転換された北海道ちほく高原鉄道やのと鉄道の一部区間などの廃止が始まり、2010年代にはJRにおいても災害でぶっ壊れても復旧できず、廃止・転換という路線も出てきた。地方の少子化・人口減少も、日本政治がそれを押しとどめる政策をまともに採らなかったため、これも止まらない…ローカル線存続問題は「臨界点」を迎え、もうどうしようもないところにまで来ているのだ。
それゆえに、淡々と廃止の事実を悲しむ他ないのであるが…国にカネを出させる!政策を取らせるのであれば、やはり資本主義・新自由主義との闘い、そして日本政府・日本帝国主義打倒の闘いに帰結する!のである。
ではでは…
ふりかえって、1987年の「国鉄分割・民営化」において、いやそれ以前から、赤字ローカル線は廃止されて当然!という流れになっていた。1980年の「国鉄再建法」において、輸送密度4000人未満の路線が「特定地方交通線」として廃止・転換の対象とされ、1990年までに83もの旧国鉄ローカル線が廃止もしくは第三セクター化されている。その後、旧国鉄赤字ローカル線の廃止はしばらく止んだが、地方私鉄では廃線の憂き目を見ている路線もあった。90年代、ローカル線問題は”ひと息ついた”ような状況であったのだが、モータリゼーションの進行や少子高齢化は当時から問題にされていた。人口が減少し、通学で使う学生の数も減れば、ジリ貧になることは目に見えていたのである。
ローカル線の”地元自治体”は様々な工夫を凝らして、なんとか鉄道の活性化を試みるところもあったりもするのだが、根本の人口減少、道路整備によるモータリゼーション進行(後者は地方で拒否することは不可能である)は避けられず、乗客は減っていく…乗客が減れば鉄道側も便数を減らしたりせざるを得ない、ますます鉄道が不便になって、さらに乗客が減るという悪循環が繰り返されてきたのである。本来ならば、鉄道の特性を生かし路線を残すのであれば、公的な補助は絶対に必要だ!だが自治体にはカネがない(第三セクター鉄道にはカネは出さなければならないが)国もしくはそれに準じる公的機関が、きちんと鉄道の位置づけを行ってカネを出さなければならない。しかし「なんでも独立採算」で黒字になるのがエエという昔からあるドグマに加え、”新自由主義”政策の申し子、JR体制になった日本の鉄道には、そんな道は閉ざされていたのである。
鉄道の特性とは何か?様々あるだろうが、全国につながっているという安心感もその一つ…だからローカル線のあるところ、なかなかカネがないから則廃止!というわけにもいかない。あちこちと繋がっていれば、観光にも、人的交流にも使えるだろう。大糸線をぶった切って「盲腸線」にしてしまうなど論外だ。また貨物列車のリダンダンシーという位置づけもあろう。函館本線の「山線」はもうすでに貨物列車も走っていないのだが、有珠山が噴火して室蘭本線が不通になった場合のう回路として期待する論もあった(DD51が廃止されたので難しいらしい…「函館山線は代替ルートにならない」。JR貨物が見解示す。貨物調整金もなし)山の中のローカル線も、万が一に備えて貨物列車が走行できるようにしておき、ときどき走行させておく…そのための整備に国が公的なカネを出す…ことをしておく必要があったのだ。
かくして2,000年代には、旧国鉄から第三セクターに転換された北海道ちほく高原鉄道やのと鉄道の一部区間などの廃止が始まり、2010年代にはJRにおいても災害でぶっ壊れても復旧できず、廃止・転換という路線も出てきた。地方の少子化・人口減少も、日本政治がそれを押しとどめる政策をまともに採らなかったため、これも止まらない…ローカル線存続問題は「臨界点」を迎え、もうどうしようもないところにまで来ているのだ。
それゆえに、淡々と廃止の事実を悲しむ他ないのであるが…国にカネを出させる!政策を取らせるのであれば、やはり資本主義・新自由主義との闘い、そして日本政府・日本帝国主義打倒の闘いに帰結する!のである。
ではでは…