ドキュメンタリー映画上映と講演のお知らせ。

南京の記憶をつなぐ2023ドキュメンタリー上映/講演
南京の人びとを救った外科医
■12月9日(土)
13:30開場―14:00開演
■於:エルおおさか・南館
5Fホール(地下鉄・京阪天満橋)
■資料代 1000円
映画「ウィルソン医師ー南京孤独のたたかい」50分
ロバート・O・ウィルソン(1904ー1967)
南京国際赤十字委員会委員。金陵大学付属病院(鼓楼病院)医師。日本軍の南京占領時、唯一続々と病院に運び込まれる負傷者の治療にあたっら。当時30歳であった。
講演(元桜花学園大学教授)高文軍(こう・ぶんぐん)さん
「私と南京―歴史、大虐殺の事実調査、戦争中の父」
主催:南京の歴史をつなぐ2023 ℡090-8125-1757

「南京の記憶をつなぐ2023」ドキュメンタリー上映/講演
◆ドキュメンタリー映画「ウィルソン医師ー南京孤独のたたかい」
これは、日本軍占領下で南京に残ったただ一人の外科医―ロバート・O・ウィルソンの記録で、史上初めての映像である。
1937年の冬、南京では30万人以上の中国人が日本軍の銃剣下に難を受けた。死地を逃れた膨大な数の難民が銃剣の傷、銃創、火傷の危険にさらされていた。
ウィルソンは当時、金陵大学附属鼓楼病院の外科医だった。この南京で最も初期の西洋医学病院は、120年以上の歴史がある。今日でも、南京で最大かつ最先端の病院のひとつだ。病院の北東の角には、清朝後期と民国初期に建設された3つの小さなレンガ造りの様式の建物が立っている。1037年の南京大虐殺の間、瀕死のケガを負った難民がその場所を埋め尽くしたことを知っている人は、今はほとんどいない。
ウィルソンから治療を受けた国民党の軍医は「ウィルソンは、どのような患者も受け入れて私の命を救ってくれた。連日連夜不眠不休の外科手術でウィルソン能では腫れ上がっていた」と述べている。ここは傷ついた難民が生き残るための最後の希望だった。ウィルソンは、この虐殺の事実を詳細に日記に残した。
◆講演:高文軍(こう・ぶんぐん)さん(元桜花学園大学教授)
「私と南京ー歴史、大虐殺の事実調査、戦争中の父」
高文軍(こう・ぶんぐん)プロフィール:1954年生まれ。1982年中国南京師範大学(当時は師範学院という)を卒業。1991年に来日し、名古屋大学大学院で博士課程を終え、2020年3月まで桜花学園大学の教授。その間に松岡環さんの調査活動や「心のケア」に通訳として参加。著書「郁達夫 文学の青春―大正期名古屋における中国人留学生の足跡」(明石書店)を2023年4月に出版。長年の研究の成果をまとめた。
また、彼女の父親について記す。抗日戦争中「新四軍」の部隊で戦っていた父は、1942年冬、日本軍下の「偽軍」が新四軍の根拠地への攻撃をし、父の部隊は阻止の戦闘に出た。途中で大隊にはぐれ父と2人の兵士だけになったが、敵軍と戦い続けた。弾が尽きて捕縛され投獄された。雪の山野で服、靴と帽子を奪われ、素足で血だらけのシャツ一枚で拷問を受けている。
南京は、歴史上 三国時代の「呉」をはじめ、六つの王朝が都と定め、通称「六朝古都(紀元229~589年)と言われる。明朝初期には南京が首都となり堅牢な城壁が設けられた。北東に紫金山を臨み、19世紀からの近代都市と城壁、緑のプラタナスの並木が特徴だ。南京で生まれたわたしは2005年、南京の地方新聞に掲載された南京大虐殺の事実と真摯に向き合う日本人松岡環さんを知り、その姿に感動。すぐに連絡を取り時間の取れる限り彼女の活動に同行し、生存者の証言を聞き、翻訳や通訳をした。特に「太平門1300人の集団虐殺」の調査では現地取材が4年にわたったが、中国人の利点を活かし、ネット検索や、現地の戸籍を管理する政府機関に足を運び、調査の手助けをして、それが「太平門消えた1300人」(監督松岡環)の映画製作として結実した。抗日戦争を戦った父の記憶とともに自身の経験を語りたい。
賛同団体、賛同人になってください!
■賛同団体:南京の映画を見る会しが、日中平和研究会、日本中国友好協会大阪府連合会、「週刊金曜日」読者の会・大阪、グループZAZA、大阪教育合同労働組合、教職員なかまユニオン、妙心会南京 ■賛同人:岡田光司、古賀滋、島田潤、田中泉、千葉征慶、長崎由紀子、中沢浩二、古橋雅夫、森田徹、山田光一、藤井幸之助(2023年10月現在)
連絡先:南京の記憶をつなぐ2023
℡090-8125-1757

南京の記憶をつなぐ2023ドキュメンタリー上映/講演
南京の人びとを救った外科医
■12月9日(土)
13:30開場―14:00開演
■於:エルおおさか・南館
5Fホール(地下鉄・京阪天満橋)
■資料代 1000円
映画「ウィルソン医師ー南京孤独のたたかい」50分
ロバート・O・ウィルソン(1904ー1967)
南京国際赤十字委員会委員。金陵大学付属病院(鼓楼病院)医師。日本軍の南京占領時、唯一続々と病院に運び込まれる負傷者の治療にあたっら。当時30歳であった。
講演(元桜花学園大学教授)高文軍(こう・ぶんぐん)さん
「私と南京―歴史、大虐殺の事実調査、戦争中の父」
主催:南京の歴史をつなぐ2023 ℡090-8125-1757

「南京の記憶をつなぐ2023」ドキュメンタリー上映/講演
◆ドキュメンタリー映画「ウィルソン医師ー南京孤独のたたかい」
これは、日本軍占領下で南京に残ったただ一人の外科医―ロバート・O・ウィルソンの記録で、史上初めての映像である。
1937年の冬、南京では30万人以上の中国人が日本軍の銃剣下に難を受けた。死地を逃れた膨大な数の難民が銃剣の傷、銃創、火傷の危険にさらされていた。
ウィルソンは当時、金陵大学附属鼓楼病院の外科医だった。この南京で最も初期の西洋医学病院は、120年以上の歴史がある。今日でも、南京で最大かつ最先端の病院のひとつだ。病院の北東の角には、清朝後期と民国初期に建設された3つの小さなレンガ造りの様式の建物が立っている。1037年の南京大虐殺の間、瀕死のケガを負った難民がその場所を埋め尽くしたことを知っている人は、今はほとんどいない。
ウィルソンから治療を受けた国民党の軍医は「ウィルソンは、どのような患者も受け入れて私の命を救ってくれた。連日連夜不眠不休の外科手術でウィルソン能では腫れ上がっていた」と述べている。ここは傷ついた難民が生き残るための最後の希望だった。ウィルソンは、この虐殺の事実を詳細に日記に残した。
◆講演:高文軍(こう・ぶんぐん)さん(元桜花学園大学教授)
「私と南京ー歴史、大虐殺の事実調査、戦争中の父」
高文軍(こう・ぶんぐん)プロフィール:1954年生まれ。1982年中国南京師範大学(当時は師範学院という)を卒業。1991年に来日し、名古屋大学大学院で博士課程を終え、2020年3月まで桜花学園大学の教授。その間に松岡環さんの調査活動や「心のケア」に通訳として参加。著書「郁達夫 文学の青春―大正期名古屋における中国人留学生の足跡」(明石書店)を2023年4月に出版。長年の研究の成果をまとめた。
また、彼女の父親について記す。抗日戦争中「新四軍」の部隊で戦っていた父は、1942年冬、日本軍下の「偽軍」が新四軍の根拠地への攻撃をし、父の部隊は阻止の戦闘に出た。途中で大隊にはぐれ父と2人の兵士だけになったが、敵軍と戦い続けた。弾が尽きて捕縛され投獄された。雪の山野で服、靴と帽子を奪われ、素足で血だらけのシャツ一枚で拷問を受けている。
南京は、歴史上 三国時代の「呉」をはじめ、六つの王朝が都と定め、通称「六朝古都(紀元229~589年)と言われる。明朝初期には南京が首都となり堅牢な城壁が設けられた。北東に紫金山を臨み、19世紀からの近代都市と城壁、緑のプラタナスの並木が特徴だ。南京で生まれたわたしは2005年、南京の地方新聞に掲載された南京大虐殺の事実と真摯に向き合う日本人松岡環さんを知り、その姿に感動。すぐに連絡を取り時間の取れる限り彼女の活動に同行し、生存者の証言を聞き、翻訳や通訳をした。特に「太平門1300人の集団虐殺」の調査では現地取材が4年にわたったが、中国人の利点を活かし、ネット検索や、現地の戸籍を管理する政府機関に足を運び、調査の手助けをして、それが「太平門消えた1300人」(監督松岡環)の映画製作として結実した。抗日戦争を戦った父の記憶とともに自身の経験を語りたい。
賛同団体、賛同人になってください!
■賛同団体:南京の映画を見る会しが、日中平和研究会、日本中国友好協会大阪府連合会、「週刊金曜日」読者の会・大阪、グループZAZA、大阪教育合同労働組合、教職員なかまユニオン、妙心会南京 ■賛同人:岡田光司、古賀滋、島田潤、田中泉、千葉征慶、長崎由紀子、中沢浩二、古橋雅夫、森田徹、山田光一、藤井幸之助(2023年10月現在)
連絡先:南京の記憶をつなぐ2023
℡090-8125-1757