たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

#南京大虐殺

南京の人びとを救った外科医

 ドキュメンタリー映画上映と講演のお知らせ。
20231209 南京20231122
南京の記憶をつなぐ2023ドキュメンタリー上映/講演
南京の人びとを救った外科医

■12月9日(土)
 13:30開場―14:00開演
■於:エルおおさか・南館 
 5Fホール(地下鉄・京阪天満橋)
■資料代 1000円
 
映画「ウィルソン医師ー南京孤独のたたかい」50分
ロバート・O・ウィルソン(1904ー1967)
南京国際赤十字委員会委員。金陵大学付属病院(鼓楼病院)医師。日本軍の南京占領時、唯一続々と病院に運び込まれる負傷者の治療にあたっら。当時30歳であった。

講演(元桜花学園大学教授)高文軍(こう・ぶんぐん)さん
「私と南京―歴史、大虐殺の事実調査、戦争中の父」

主催:南京の歴史をつなぐ2023 ℡090-8125-1757
20231209 南京20231122_0001
「南京の記憶をつなぐ2023」ドキュメンタリー上映/講演
◆ドキュメンタリー映画「ウィルソン医師ー南京孤独のたたかい」
 これは、日本軍占領下で南京に残ったただ一人の外科医―ロバート・O・ウィルソンの記録で、史上初めての映像である。
 1937年の冬、南京では30万人以上の中国人が日本軍の銃剣下に難を受けた。死地を逃れた膨大な数の難民が銃剣の傷、銃創、火傷の危険にさらされていた。
 ウィルソンは当時、金陵大学附属鼓楼病院の外科医だった。この南京で最も初期の西洋医学病院は、120年以上の歴史がある。今日でも、南京で最大かつ最先端の病院のひとつだ。病院の北東の角には、清朝後期と民国初期に建設された3つの小さなレンガ造りの様式の建物が立っている。1037年の南京大虐殺の間、瀕死のケガを負った難民がその場所を埋め尽くしたことを知っている人は、今はほとんどいない。
 ウィルソンから治療を受けた国民党の軍医は「ウィルソンは、どのような患者も受け入れて私の命を救ってくれた。連日連夜不眠不休の外科手術でウィルソン能では腫れ上がっていた」と述べている。ここは傷ついた難民が生き残るための最後の希望だった。ウィルソンは、この虐殺の事実を詳細に日記に残した。
◆講演:高文軍(こう・ぶんぐん)さん(元桜花学園大学教授)
「私と南京ー歴史、大虐殺の事実調査、戦争中の父」
 高文軍(こう・ぶんぐん)プロフィール:1954年生まれ。1982年中国南京師範大学(当時は師範学院という)を卒業。1991年に来日し、名古屋大学大学院で博士課程を終え、2020年3月まで桜花学園大学の教授。その間に松岡環さんの調査活動や「心のケア」に通訳として参加。著書「郁達夫 文学の青春―大正期名古屋における中国人留学生の足跡」(明石書店)を2023年4月に出版。長年の研究の成果をまとめた。
 また、彼女の父親について記す。抗日戦争中「新四軍」の部隊で戦っていた父は、1942年冬、日本軍下の「偽軍」が新四軍の根拠地への攻撃をし、父の部隊は阻止の戦闘に出た。途中で大隊にはぐれ父と2人の兵士だけになったが、敵軍と戦い続けた。弾が尽きて捕縛され投獄された。雪の山野で服、靴と帽子を奪われ、素足で血だらけのシャツ一枚で拷問を受けている。

 南京は、歴史上 三国時代の「呉」をはじめ、六つの王朝が都と定め、通称「六朝古都(紀元229~589年)と言われる。明朝初期には南京が首都となり堅牢な城壁が設けられた。北東に紫金山を臨み、19世紀からの近代都市と城壁、緑のプラタナスの並木が特徴だ。南京で生まれたわたしは2005年、南京の地方新聞に掲載された南京大虐殺の事実と真摯に向き合う日本人松岡環さんを知り、その姿に感動。すぐに連絡を取り時間の取れる限り彼女の活動に同行し、生存者の証言を聞き、翻訳や通訳をした。特に「太平門1300人の集団虐殺」の調査では現地取材が4年にわたったが、中国人の利点を活かし、ネット検索や、現地の戸籍を管理する政府機関に足を運び、調査の手助けをして、それが「太平門消えた1300人」(監督松岡環)の映画製作として結実した。抗日戦争を戦った父の記憶とともに自身の経験を語りたい。

賛同団体、賛同人になってください!
■賛同団体:南京の映画を見る会しが、日中平和研究会、日本中国友好協会大阪府連合会、「週刊金曜日」読者の会・大阪、グループZAZA、大阪教育合同労働組合、教職員なかまユニオン、妙心会南京 ■賛同人:岡田光司、古賀滋、島田潤、田中泉、千葉征慶、長崎由紀子、中沢浩二、古橋雅夫、森田徹、山田光一、藤井幸之助(2023年10月現在)
連絡先:南京の記憶をつなぐ2023
 ℡090-8125-1757



映画「南京!南京!」を見た

 昨日、府内某所にて「梅田解放区」忘年会とやらを行ったのだが、そこでのイベントとして映画「南京!南京!」の上映会を行った。今年の9月25日に、ドーンセンターで上映会が行われたのであるが、そこの関係者の方が持ち込んで企画したものらしい。
20221228 南京!南京!_0001
 2009年に陸川(ルー・チューアン)監督が撮影した、南京大虐殺を題材にした映画。中国で賛否両論はあれど大ヒットしたが、日本では公開されておらず、こうやって上映会の形でイベントとして視ることが出来るものだ。(概要)
 モノクロで撮影された映画が、長々と続く(133分)中国軍の兵士の視点、侵略してきた日本軍の視点、混乱に陥った南京市内の「国際安全区」を運営するラーベらの視点…いろいろ俯瞰的に描かれているのだが、もう救いようのない、絶望ばっかりのシーンでいっぱいだった。
 セリフも分からないし(字幕のみ)誰がどう”活躍”しているのか見えにくいのであるが、南京陥落前に中国軍が激しく抵抗していること、”捕虜”がまとめて殺されたり、散発的に殺されたり、あるいは運よく”助け出せれて”生き延びたり…
 そして日本兵が女性をレイプする…南京で起こった戦時性暴力について、この作品はかなりしっかりと描いている。安全区にも日本兵が現れる…阿鼻叫喚!やがて日本軍は安全区内から、女性を100人差し出せと要求する。恐る恐る手を挙げ”志願”する女性たち…やがて慰安所が開設され、そこで延々と日本兵の相手をさせられるシーンも出てくる。三週間限りという約束であったが、中には耐えられず死体となって慰安所を出てくる女性たち…白い体が荷車に載せられ、いずこへと去ってゆく…
 ラーベにはドイツ本国への帰国命令が出る。ラーベの秘書は「トモダチ」日本軍に安全区の庇護を求めるが、それがかえって避難している元兵士を犠牲にすることに繋がる。そして秘書もまた処刑される。
 作中には「よい日本兵(下級将校か?)」も登場する。捕虜を助けたり、見逃したりする”純粋な“青年だ。中国の娼婦(日本軍慰安婦ではない)にやさしくしてもらい、日本から来た慰問袋をプレゼントしたりして”思いやり”を見せるが、そんなやさしさが何になろうか!おそらく彼は慰安所には行かなかっただろうが、そばで進んでいる虐殺や強姦を止めることには少しも役に立っていない…それぐらいむなしく、救いようのない立ち位置なのだ。(陸川監督はあえてこういった良心的日本兵を入れて効果を出したわけだが、それがかえって中国で非難される元になったようだ。また日本人が南京大虐殺をテーマに作品をつくって、このような「良心的日本兵」の描写を入れることは、日本軍の悪行についての開き直り…良い日本兵もいた…ととられることになる)
 安全区内に避難していたが日本軍につかまった中国兵は、やがて子どもとともに釈放される。銃声がして(良心的)日本兵が倒れている…おそらく、凄惨な虐殺の現場に居続けたことに耐えきれなくなったのだろう。やがて子どもと中国兵は自由になったことを喜び、タンポポの綿毛を吹いて遊ぶシーンで、ようやく”救い”がやってきた。

 長かった映画の感想を述べあう…やはり「良心的日本兵」の扱いについて意見が出たりもする…いかに個人の“善意””善行”がむなしく、無力なものなのか…侵略戦争が起こり、差別排外主義の下、敵ならば皆殺せ!となる前に、戦争を止めなければならない。
 この映画はやはり、多くの日本人が見るべき映画である。上映会では、大阪の南部で上映会を企画してくれる人が欲しいというような意見も出た。また映像は衝撃的な場面も多いから、観た人の中にはトラウマとかの障害が起こるのではということも懸念する声も上がった。

 今年の終りにいい経験をさせてもらった…沖縄を再び戦場にしてはならないのと同時に、再び他の国に攻め込み、そこに住む人を苦しめ、虐殺・強姦するようなことがあってはならないと誓おう!
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
ではでは(^^)

最新コメント
タグ絞り込み検索
  • ライブドアブログ