斎藤幸平のゼロからの「資本論」(NHK出版新書2023年1月)を読んであちこち飛びながらのんびり解説するコーナー(その2)
資本主義社会をそのままにして、BIや税制改革による格差是正、MMTによる財政出動「雇用保障プログラム」を「法学幻想」としてぶった切った斎藤幸平氏であるが、欧州の資本主義社会はそのままの「福祉国家」については一定の評価を与えている。なお、彼が留学していたドイツは、大学の学費は無料!1学期2万円ほどで電車バス乗り放題の定期券がついた学生証がもらええる。それがあれば学食も集約円と安く…云々と続き、医療も原則無料、介護サービスも手厚く、失業者手当、職業訓練も充実している…のだそうで、これを
これこそが、福祉国家の研究者であるイエスタ・エスピン=アンデルセンが「脱商品化」と呼んだ事態です。つまり、生活に必要な財(住居・公園)やサービス(教育、医療、公共交通機関)が無償でアクセスできるようになればなるほど、脱商品化は進んでいきます。これらの財やサービスは、必要とする人に対して、市場で貨幣を使うことなく、直接に医療や教育といった形で現物給付されるわけです。
現物給付の結果、私たちは、貨幣を手に入れるために働く必要が弱まります。福祉国家は、もちろん資本主義国家です。けれども、脱商品化によって、物象化の力にブレーキをかけているのがわかるでしょう。(p170)
と称賛しているのだ。
手厚い福祉…とは、あまり対価を払わないで財やサービスを受け取れるので、ほとんど現物支給に近い…そうすると「生きるために」あるいは「老後に備えて」必死に働く必要はなくなるだろう。提供される財やサービスが、市場を通さないで、利用者からカネをもらわないで、提供されるならば、財やサービスを提供するための資金、労働者の賃金などはどうするのか?という疑問はのこる。
斎藤氏によれば、これは物象化の力をおさえる社会運動の力、これをマルクスは「アソシエーション(自発的な結社)」と呼ぶが、それが先にあって、そこから提供されているのだそうな。
実はマルクス自身は「社会主義」や「コミュニズム」といった表現はほとんど使っていません。浸るべき社会のあり方を語るときに彼が繰り返し使っていたのは「アソシエーション」という言葉なのです。(p171)
労働組合、協同組合、労働者政党、NGO,NPO、み~んな「アソシエーション」なんだそうな。
マルクスが目指していたのは、ソ連のような官僚支配の社会ではなく、人々の自発的な連帯を基礎とした民主的社会なのです。(p171)
ふえぇ~ん、そうなのだ‼
失業保険をはじめとする社会保険や年金、公共図書館から公共医療まで、その発端は労働組合、協同組合、互助組織の実践による、自発的な相互扶助システムなのだそうな。
現代社会ではこういった社会福祉制度も、国家の行政機構にしっかり組み込まれているから、ついつい税金の分配や「財源論」でものごとを考えてしまう。日本の「公共交通」なんかも「受益者負担原則」でサービスに対してそこそこのカネ払って利用せざるを得ないから、そうすると税制改革やMTTででてきたカネを国家がつぎ込むとかの「法学幻想」に陥ってしまうのだろう。
ただ斎藤氏も当然、福祉国家を手放しで礼賛しているわけではない。本書では福祉国家の限界を4点
1.官僚制の肥大化の問題…アソシエーションに端を発したとはいえ、国家や行政権力の力、官僚制が大きくなること、また労働者民衆の自発的な参加から、大きな組合・組織にまかせっきりの受動的な状態に変わっていく、そのことで労働者もまた資本主義的な価値観を内面化するようになること。
2.南北問題…福祉国家の「再分配政策」が高度経済成長を前提とするものであるから、経済成長のためより弱い立場の者から搾取・収奪することになること。福祉国家があくまでも先進諸国の一国内で「脱商品化」を進めても、外部としての途上国や旧植民地国からの膨大な搾取に依拠してしまうこと。
3.自然環境の収奪…より弱い立場のののからの搾取を批判しないで、資本主義の恩恵を享受して満足する、「帝国的生活様式」を維持するための収奪と外部化は、大量生産、大量消費のライフスタイルが普及することで、自然環境がその犠牲になること。
4.福祉国家の家父長的性格、ジェンダー不平等を再生産してしまった問題…マジョリティ男性が労働者として毎日働けるための、ケアの労働は女性のものとされ、料理・洗濯・子育ては再生産に必要なものであるにもかかわらず、賃金もいっさい払われないまま放置されてきたこと。
斎藤氏は、こうした福祉国家の限界にしっかり向き合わなければならないし、福祉国家を可能にしていた高度経済成長はもはや達成可能ではないし、気候変動のような地球の限界を前にしてさらなる外部化、収奪もできない、先進国中心で官僚的、男性中心主義的な運動は、社会を変えるために必要な広がりを欠くだろうとして。こうまとめている。
つまり、階級だけでなく、ジェンダーや環境、人種の問題に取り組む、新しいアソシエーションと脱商品化の道を改めて考えなければなりません。そしてそれが<コモン>の再生であり、最晩年のマルクスが考えていた「脱成長コミュニズム」なのです。(p184)
資本主義社会をそのままにして、BIや税制改革による格差是正、MMTによる財政出動「雇用保障プログラム」を「法学幻想」としてぶった切った斎藤幸平氏であるが、欧州の資本主義社会はそのままの「福祉国家」については一定の評価を与えている。なお、彼が留学していたドイツは、大学の学費は無料!1学期2万円ほどで電車バス乗り放題の定期券がついた学生証がもらええる。それがあれば学食も集約円と安く…云々と続き、医療も原則無料、介護サービスも手厚く、失業者手当、職業訓練も充実している…のだそうで、これを
これこそが、福祉国家の研究者であるイエスタ・エスピン=アンデルセンが「脱商品化」と呼んだ事態です。つまり、生活に必要な財(住居・公園)やサービス(教育、医療、公共交通機関)が無償でアクセスできるようになればなるほど、脱商品化は進んでいきます。これらの財やサービスは、必要とする人に対して、市場で貨幣を使うことなく、直接に医療や教育といった形で現物給付されるわけです。
現物給付の結果、私たちは、貨幣を手に入れるために働く必要が弱まります。福祉国家は、もちろん資本主義国家です。けれども、脱商品化によって、物象化の力にブレーキをかけているのがわかるでしょう。(p170)
と称賛しているのだ。
手厚い福祉…とは、あまり対価を払わないで財やサービスを受け取れるので、ほとんど現物支給に近い…そうすると「生きるために」あるいは「老後に備えて」必死に働く必要はなくなるだろう。提供される財やサービスが、市場を通さないで、利用者からカネをもらわないで、提供されるならば、財やサービスを提供するための資金、労働者の賃金などはどうするのか?という疑問はのこる。
斎藤氏によれば、これは物象化の力をおさえる社会運動の力、これをマルクスは「アソシエーション(自発的な結社)」と呼ぶが、それが先にあって、そこから提供されているのだそうな。
実はマルクス自身は「社会主義」や「コミュニズム」といった表現はほとんど使っていません。浸るべき社会のあり方を語るときに彼が繰り返し使っていたのは「アソシエーション」という言葉なのです。(p171)
労働組合、協同組合、労働者政党、NGO,NPO、み~んな「アソシエーション」なんだそうな。
マルクスが目指していたのは、ソ連のような官僚支配の社会ではなく、人々の自発的な連帯を基礎とした民主的社会なのです。(p171)
ふえぇ~ん、そうなのだ‼
失業保険をはじめとする社会保険や年金、公共図書館から公共医療まで、その発端は労働組合、協同組合、互助組織の実践による、自発的な相互扶助システムなのだそうな。
現代社会ではこういった社会福祉制度も、国家の行政機構にしっかり組み込まれているから、ついつい税金の分配や「財源論」でものごとを考えてしまう。日本の「公共交通」なんかも「受益者負担原則」でサービスに対してそこそこのカネ払って利用せざるを得ないから、そうすると税制改革やMTTででてきたカネを国家がつぎ込むとかの「法学幻想」に陥ってしまうのだろう。
ただ斎藤氏も当然、福祉国家を手放しで礼賛しているわけではない。本書では福祉国家の限界を4点
1.官僚制の肥大化の問題…アソシエーションに端を発したとはいえ、国家や行政権力の力、官僚制が大きくなること、また労働者民衆の自発的な参加から、大きな組合・組織にまかせっきりの受動的な状態に変わっていく、そのことで労働者もまた資本主義的な価値観を内面化するようになること。
2.南北問題…福祉国家の「再分配政策」が高度経済成長を前提とするものであるから、経済成長のためより弱い立場の者から搾取・収奪することになること。福祉国家があくまでも先進諸国の一国内で「脱商品化」を進めても、外部としての途上国や旧植民地国からの膨大な搾取に依拠してしまうこと。
3.自然環境の収奪…より弱い立場のののからの搾取を批判しないで、資本主義の恩恵を享受して満足する、「帝国的生活様式」を維持するための収奪と外部化は、大量生産、大量消費のライフスタイルが普及することで、自然環境がその犠牲になること。
4.福祉国家の家父長的性格、ジェンダー不平等を再生産してしまった問題…マジョリティ男性が労働者として毎日働けるための、ケアの労働は女性のものとされ、料理・洗濯・子育ては再生産に必要なものであるにもかかわらず、賃金もいっさい払われないまま放置されてきたこと。
斎藤氏は、こうした福祉国家の限界にしっかり向き合わなければならないし、福祉国家を可能にしていた高度経済成長はもはや達成可能ではないし、気候変動のような地球の限界を前にしてさらなる外部化、収奪もできない、先進国中心で官僚的、男性中心主義的な運動は、社会を変えるために必要な広がりを欠くだろうとして。こうまとめている。
つまり、階級だけでなく、ジェンダーや環境、人種の問題に取り組む、新しいアソシエーションと脱商品化の道を改めて考えなければなりません。そしてそれが<コモン>の再生であり、最晩年のマルクスが考えていた「脱成長コミュニズム」なのです。(p184)


