たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

#フェミニズム

トランスジェンダー入門(後篇)

 トランスジェンダー入門(前篇) (中篇) の続き…5章 法律の最後のほうから…
トランスジェンダー入門 (集英社新書) [ 周司 あきら ]
トランスジェンダー入門 (集英社新書) [ 周司 あきら ]
 法律では、同性婚の問題についても触れられている。同性婚は「LGB」の問題であってTは関係ないのでは?と思われるかもしれないが、先にも述べた通り日本の「特例法」には未婚要件があって、これは「同性婚」になることを防ぐためのものだから、同性婚が認められれば特例法に未婚要件を入れる必要もなくなる。またトランスジェンダーの人は異性愛者でない人も多いそうで(そういった調査結果もある)LGBとTは違うというのは、概念的には正しくても実態がそんなに簡単なものではないということでもある。そして「そもそも婚姻制度が偏った利益・不利益をもたらす以上、婚姻践祚自体がなくなって然るべきかもしれません。しかしそうした婚姻制度の廃絶のためにも、まずは婚姻平等の推進というかたちで、圧倒的な不均衡が(単婚)異性愛とそれ以外のあいだに存在するという現実を問題化していくことは有益に違いありません(p178)」とまとめている。
 日本には。性的マイノリティに対する差別を禁止する法律はないし、包括的な差別禁止法も存在しない。5章では最後にそういった状況や、「LGBT差別解消法」「LGBT理解増進法」制定についても触れた上で、差別禁止法の制定は急務であると述べている。一方5章までの厳しい現実がある中で、トランスジェンダーがただの「可哀そうなマイノリティ」ではなく、自ら行動し、世界を変えるための運動を積み重ねてきたとして、続く6章 フェミニズムと男性学 で社会変革のビジョンを示している。
 トランスジェンダーの方が何を求めているか、具体的なものを挙げて見ると(p183~184)
・身体の自律性を持つこと。身体の統合性を侵害されないこと。
・性と生殖について自己決定権を持つこと。
・路上で暴力をふるわれないこと。
 ・・・
・女らしさ、男らしさを押し付けられないこと。
 ・・・
・プライベートを詮索されず、個人情報を守られること。勝手にそれらを暴かれないこと。
・安全な環境で働けること。職場で差別されないこと。
 ・・・
・平等に教育の機会を得ること
・過剰な男女二元論をやめること。どこでも性差が意味を持ちすぎる現状や、その背景にある家父長制がなくなること。

 これらの要求は、フェミニズムが求め、獲得してきた権利や正義と幅広く重なっている。また社会の意思決定を下す地位に、少数者であるトラスジェンダーがいないという「過少代表」という状況をあらためなければならない。それはシス男性が意思決定の権力を独占してきたことに対する、フェミニズムが歴史的に問題視し、要求化してきたことともつながる。しかし、単なる目標の一致、敵が同じという問題に留まらないのである。それはフェミニズムが「女性たちの間にある差異」について常に目を配り、留意してきたことから「トランス女性をフェミニズムが置き去りにしてはならないことは明白です(中略)こうした差異が存在するという事実、「女性」が決して一枚板ではないという事実を無視してはいけません。つまりフェミニズムがフェミニズムであるためには、必然的にトランス女性が抱えている課題を共に女性の問題として考え続ける必要があり、また逆にトランス女性たちによる女性解放の訴えは、フェミニズムを間違いなく豊かにするのです(p188)」ということなのだ。
 さらにトランスジェンダーが望んでいるのは、「女性/男性はこうするもの」という性別規範・ルールが少しでも緩やかになる社会であり、それはフェミニズムにとっても重要な課題である。しかも「一部のトランスたちは、自身の体験を通して、シスの人が知らない「ジェンダー」の秘密をしっていることがあるからです。
 その代表例は、「女らしさ」や「男らしさ」の基準と適用が、実はとても曖昧で、ときに馬鹿らしいものですらあるという事実です(p191)」
トランスジェンダーであると「アウティング」された後で、姿や言動が変わっていないにもかかわらず「トランス女性っぽさ」や「男らしさ」が「発見」されてしまうようなことや、「女らしさ」を要求される場合でも、「トランス女性」だけに強いられる「女らしさ」があること(短髪にしても、シス女性なら「かっこいい」と許容されることが、トランス女性だとミスジェンダリングされ、差別を受ける確率が高くなるなど)そいうった「違い」に目を凝らす必要がある…「フェミニズムはときには失敗を繰り返しながら、「らしさ」の規範の多様性に目を凝らし、多様な女性たちと共に歩もうと努力を積み重ねてきました(p194)」
 また「リプロダクティブ・ライツ(生殖の権利)」という…中絶や避妊のような「子どもをもたないことを選ぶ権利」だけではなく、意に反して不妊化を強いられない権利、子どもを持つ権利、安全に子育てする権利が含まれているのだが、こうした権利はフェミニズムが求めてきたものである。ところが日本の「特例法」では不妊化が強制され、リプロダクティブ・ライツを侵害している。「意に反する不妊化を強いられてよい人などいません。フェミニズムの歴史は、私たちにそう教えています。性別承認のために子宮や卵巣、精巣の摘出を強いられているトランスの状況を変え、トランスの生殖の権利を守るために立ち上がることは、まさにフェミニズム自身の課題でもあるのです(p196)」ということで、フェミニズムがトランスの課題を考えざるを得ないのだ。
 フェミニズムがある一方で「男性学」というものもある。これは「人間」として自明のものとしてとらえられていた「男性」をジェンダーの視点からとらえ直し、「男性性」や「男らしさ」が社会的にどう構築されてきたか多角的にとらえる学問なのだが、男性の特権性のみならず、男性が抑圧された軽経験や、男性内の差異や多様性を考えるものでもある。ここに「トランスジェンダーの視点を取り入れるとどうなるか、「トランスジェンダーの経験を参照すれば分かるように、男らしさから距離を取ったりそこから排除されてきたりした男性もいます。(中略)それだけでなくトランスジェンダーの存在は、いかにして「男性」や「男らしさ」が社会的に作られてきたのか、暴く際のヒントにもなります(p198~199)」ということだ。
 男性内においても不平等があり、またトランス弾性波「賞賛されている男性像」に合致しづらい状況にあるので「現在の女性差別的な社会では「社会は男性に優位にできて」いますが、しかしながらそこで標準として認められる男性だけでは、困難な状況下にいる男性のことを考えるには不十分だということも、トランスの視点を通せば具体的にみえてくることです(p204)」トランスの視点から男性学を豊かにして、向かい先を見定めようということを示している。
 ノンバイナリーの状況は、フェミニズムや男性学と違い、不可視化されてきたノンバイナリーが何をもとめておるのか?ということだが、これは「あらゆるところに存在する過剰な男女分けをやめてほしいというものです(p206)」過剰な男女の区分分けは、社会を円滑にするのではなく、無駄に疲弊させていることになっていないか?という問題提起でもある。米国のオーケストラで、演奏家の採用時にカーテンを一枚隔てることにyって、視覚情報ではなく音楽的要素を重視して女性演奏家も選出するようになり、性別というバイアスを取りのぞいてオーケストラの質が向上したという結果があることが紹介されている。そして家父長制とむすびついて日本の戸籍登録の廃止や、「らしさ」の強要、そして男女二分法を当たり前のものとして、あるべき性別らしさを教え込む学校という装置についても「現在、学校は男女の違いを教え込む場所になってしまっています。それは、女性よりも男性の方が偉いという誤った社会常識を浸透させるために学校が機能しているということでもあります。ノンバイナリーの存在を前提とした学校、ひいては社会派、全ての人にとっても生きやすい学校・社会になるはずです。まずは、そうした着眼点かをもとところから環境を見直してみるのもよいでしょう(p210)」と鄭さんされている。

 トランスジェンダーやノンバイナリーへの差別をなくすだけでなく、彼ら、彼女らの視点から学び、より豊かな、誰もが生きやすい社会を目指すための一歩となる、そんな本であった。

 

フェミニズムを論ずるのにこの本に依拠してはイケナイ!

 ここまで「セックスワーク(論)」についてあれこれ考えたり批判してきたりしたが、一応「セックスワーク論」を”マルクス主義”の立場から批判する本がある。
マルクス主義・フェミニズム・セックスワーク論_0001
マルクス主義、フェミニズム、セックスワーク論 搾取と暴力に抗うために
森田成也 慶應義塾大学出版会(2021年3月)
である。
 本書はマルクス主義の立場から、現代フェミニズム、特に性暴力の問題に切り込んだものである。章立を紹介すると、以下のとおり
第一部 再生産、平等、生産力 
 第一章 マルクス主義フェミニズムと社会的再生産理論
 第二章 日本国憲法と平等権ーフェミニズムから読み解く戦後平等権論争
 第三章 戦時の性暴力、平時の性暴力ー「女性に対する暴力」の二〇世紀
第二部 売買春、ポルノ、セックスワーク論
 第四章 売買春とセックスワーク論ー新しいアボリショニズムをめざして
 第五章 ポルノ被害と新しい法的戦略の可能性
 第六章 マルクス主義と売買春ーセックスワーク論はなぜ間違いか
である。第二章の「平等権」について、日本国憲法の平等権は単に「法の下の平等」を読みとるのではなく、不平等をを積極的に是正する「社会権としての平等権」として読むべき(なのに憲法学者はそういった視点をほとんど持っていない)という解釈は、憲法を武器にして男女平等を目指す…だから平等でないところに法的、制度的な介入を積極的におこなうべし…という地平を示しているし、売買春やポルノは男性による女性への「性暴力の体系」である論は明快である。そして「セックスワーク論」を前面批判し、現在のリベラルフェミニズムやマルクス主義フェミニズムは「セックスワーク論」に”屈服”し、性暴力と闘えていない!と批判している。
 筆者は序文の中で、
 本書はきわめて論争的な内容になっている。マルクス主義もフェミニズムも無数の論争を通じて事故を鍛えていった。両者をテーマとする本書が論争的でないわけがない。本書の立場に対立する人々、とりわけセックスワーク論を信望する人びとにとっては、本書は唾棄すべきものでしかないだろう。大いに結構。誰からも受け入れられるようなフェミニズムやマルクス主義の著作がもしあるとすれば、それは無難で通り一辺の内容でしかないにちがいない。(p18)
 と書いている。まぁ、それなりに「凄い書物」ではある…

しかし!
 本書の帯に「日常化した女性差別へ抗う理論を必要とする人たちへ。日本における売買春廃止論(アボリショニズム)の決定版の書!」なる推薦文を寄せているのは、NPO法人ほっとプラス理事で反貧困ネットワーク埼玉代表の藤田孝典氏なのだが、彼は2020年の夏ごろセックスワーク、セックスワーカーに対する差別発言をツイッターで繰り返した反貧困ネットワーク埼玉に提出された抗議書 何の根拠もないのに差別や偏見を振りまくNPO理事)この件に関しては私もツイッターで現認しており「反貧困」を掲げる活動家がここまで差別的にふるまえるのかとドン引きしたものだし、後者はなんのエビデンスもなくコロナ流行を「夜の街」「新宿などの繁華街」が原因としてスケープゴートにした、小池都知事や吉村大阪府知事と同じ発想であり、極めて許しがたいものだった。
 そして筆者の森田成也氏は、「トランスジェンダリズムはミソジニー」というような、トランスジェンダーの存在を徹底的に貶め、亡きものにする文書を「女性の権利を守る」「性暴力から守る」と称して発表している、とんでもない差別者である。(この文書はあまりにもおぞましいので、リンクは貼らない。”森田成也””トランスジェンダー”とかで検索すると出てくる。発表された文書にも書いてあるが、森田氏はこれを最初に「週刊かけはし」に投稿したのだが「内部議論中」でなかなか出なかったため、別のところに出したとのこと。「かけはし」はこれをボツにして大当然である.ちなみに「週刊かけはし」はトランスジェンダー当事者の声をあつめた冊子「トランスジェンダーのリアル」をHP内で紹介したりしている。ここ)また私は森田氏がかかわる「ポルノ・買春問題研究会」(APP研)もツイッターでトランスジェンダーを否定する書物を紹介していることを確認している。
何なんだこれは‼
 女性差別や性暴力と闘う理論が、度し難い差別や偏見を呼び寄せているのか?それとも度し難い差別者であっても「立派な理論」を構築することができるのか、それとも「立派な理論」を構築した人物でも差別から逃れられないのか?

 こんな書物に依拠してフェミニズムを語っては絶対にイケナイ‼
 本書はマルクス主義フェミニズムやアボリショニズムの「正当性」や「権威」もぶっ壊すシロモノなのか、それとも理論そのものに差別を容認する重大な欠陥が隠れているのか?単純に著者や取り巻きの「作風」の問題なのか?

 ということで、本書のリンクも貼りません(^^)

維新に勝つためには?

 これは維新の「躍進」を世界の流れから読み解く(後編)の補足、終わりのパネルディスカッションでの議論でもあるのだが
 まず維新が新自由主義政策を高らかに掲げて支持を得ている、それに対して「ロスジェネ層の非正規労働者に支持される政治を」というようなことを書いた。維新を支持する階層が支持しそうな「改革」なんてのを立憲野党がスローガンに掲げてはいけないのだが、それだけではない。
 パネルディスカッション内では、維新(およびその支持層)のジェンダー問題に対する忌避感とか、そういった問題もあるということが浮き彫りになった。彼らはフェミニズム・フェミニストへのバッシング、攻撃が得意である。まさにフェミ嫌いの維新だ。また維新関係の政治HPを見ても分かるが、ジェンダーだとか「SDGs」などの、そこそこの人が飛びつきそうなスローガンはあまりない。こういったことは自民党ですらアリバイ的に「言わねばならない」ことなのだが、ほんとうにそういったことは彼らは行っていない。
 ある意味、それが「勝ち組み」層の(そしてブルジョワジーの)「本音」なのかもしれないが、そうでないと考える人も多くいるだろう。「勝ち組み」としてひとくくりされそうな、タワーマンションに住んでいる層も、あからさまな差別や格差拡大を望んでいるわけではないだろう。要するにすべての人が維新の政策や政治をOKだと思っているわけではない。
 彼らが強いのは「電話かけ」「握手」にノルマがあるぐらいの、組織選挙に強いということが大きい。だから反対勢力は維新が掲げる周回遅れの「新自由主義」批判をがっちり固め、組織選挙を上回る「草の根」の地道な路地裏オルグをやっていくしかない(もちろん、空中戦のSNSなんかによる宣伝も大切だ!)そしてそこにはジェンダー、フェミニズム問題をはじめとする「リベラルな政治理念と政策」を堂々と掲げて差異化を図るしかないのである。
 維新の政策は、シングルマザーや子どもの貧困といった、本当に困っている人に届く政策ではない。彼らは教育に力を入れているようだが、その層では教育に係るカネ以前の問題が山積している。そして投票にいく余裕、政治にかかわる意欲や余裕さえ奪われているのである。そしてそれを解決するのは、直接カネを出す!という即物的な政策ではなく、そこにはリベラルな理念が裏打ちされていなければならない。例えば非正規女性労働者の給与水準が低いことに対しては、男女平等・同一労働同一賃金を掲げねばならない。さらにはDVや虐待、あるいは養育費が支払われないといったことも、男女平等・同権や家父長制度、家制度・イデオロギーからの自由に裏打ちされていないとイケナイのである。

 思い出してみよう、2020年6月、コロナの緊急事態宣言でみんなが大変だった時、現金給付をいちはやく決めろとみんなが思っていた時、「#検察庁法改悪に反対します」とツイッター等でながれ、多くの人が街頭に立ち、ついに検察庁法改悪を阻止した時のことを…み~んな「ゼニカネ」で動いているわけではない。ちゃんとした理念に基づき、行動を起こす力が民衆にはあるのだ!と

 だから維新や、維新的な新自由主義政策に真っ向から対決するためには、彼らのマネをしたり追従したりしてはイケナイ!彼らの掲げない理念を堂々と掲げ、真っ向から立ち向かわないと勝てないのである!立憲民主党が先の総選挙で勝てなかったのは、そういったことが中途半端で、ゼニカネの話は消費税廃止・減税もごにょごにょ、それでいてリベラル理念もごにょごにょであった…新自由主義と真っ向から対決する(まぁそうすると、立憲内にいる「新自由主義」価値観をもった人たちもどうにかせんとイカンのだが)ことができなかったからである。
 れいわ新選組がそれなりに「躍進」したのは、新自由主義批判が明確であるためだ(リベラル価値観については不十分だが)そこのところをきちんと指摘しておいて、2021年のブログ記事を〆たい。
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
ではでは(^^)

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