たたかうあるみさんのブログMKⅡ

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#ノーベル物理学賞

シュミレーションで自然を知ることができるか?(後編)

 前回の続き、朝永振一郎氏「物理学とは何だろうか」(下)の、「科学と文明」からである。
物理学とは何だろうか 下【電子書籍】[ 朝永振一郎 ]
物理学とは何だろうか 下【電子書籍】[ 朝永振一郎 ]
 実験をやることができない、地球物理学について述べるにあたって、朝永氏は当時の再審理論「プレートテクトニクス」で地震が起こる仕組みがわかってきた…小松左京のSF[日本沈没」も例示しながら…ということを紹介すながら
 物理学者はなんかというとすぐ実験をやって、直接みようとするんですけれども、地球物理学者はそういう直接出ない事がらを積み重ねて、こういう驚くべき地球の構造と地球の変化に見当をつけた。(p220)
 朝永氏はこの講演で、ノーベル物理学賞、化学賞のメダルのデザインは、自然の女神がかぶっているベールを、サイエンスが少しめくってみようとしている図柄なんだと先に紹介している。それを受けて、次のように続けている。
 ある意味での物理学者というのはいちばん頭の悪い存在でして、試験問題が出たときにカンニングをやるんです。こっそり実験というようなことをやってのぞいてしまう。そうしないとなかなかわからないという頭の悪いところがあるんです。つまり自然の女神のベールをめくってじかに見ないとわからないというのが物理学者なんですけども、地球物理学者はベールをめくるような失礼なことはしないで外からいろいろ見て、どんな顔であろうかということを知ることができる。とても物理学者はかなわんなと思うような推理力を働かせて、測定、観測、測量とか、あるいはいろんなことからこうゆうことを見つけた。これは驚くべきことだと思うんです。(p220~221)
 もちろん、測定、観測、測量のためにはそれ以前の物理学による知識で得られた技術がぶんだんに使われ、大量のデータ処理にはコンピューターも使われている。しかし朝永氏が続けて言う
 つまり自然の女神のベールをめくって顔をのぞくというような、そういうぶきっちょなことをしないで、ベールをそのままにしながら自然を知るという方法、こういうものが可能であるということです。(中略)自然の女神というのはただ黙って立っているだけではない。どういうことを質問しようかということを学者が充分考えて、いろいろな状況証拠をそろえた上で、こうでありましょうかと言って自然の女神にうかがうと、聞き方が悪きゃだめなんですけれど、上手に聞けば少なくとも、そうだとかそうではないということは答えてくださる。(p221)
 そう、素直にあるがままの自然を観察し、そこから法則を見つけたりする科学が、地球物理学であり、気象物理学であるということなのだ。そこで分かった法則とかを丹念にコンピューターのプログラム、アルゴリズムに組み込み、膨大な計算をしているのがコンピューターシュミレーションなのだ!
 だからコンピューターシュミレーションそのものが”偉い”のではなく、それをここに攻勢している物理の法則が”偉い”のである…そしてその中身は、現実によって補正・修正されるのだ。

 さて気象や気候をコンピューターシュミレーションで解析し、予測するということは、IPCCの「地球温暖化予測」から明日明後日の天気予報まで広く行われているわけだが、「現実によって補正・修正」されるということを忘れてはならない…時に「自然の女神のベールをめくらない」地球物理学の分野ではそうであろう。ところが、優秀なコンピューターシュミレーションが出来上がってしまうと、主客が逆転してしまう…シュミレーションに合わないことは、認めないということが起こるのだ!
 近藤邦明氏は、検証温暖化の中で次のように批判している。
検証温暖化 20世紀の温暖化の実像を探る (シリーズ「環境問題を考える」) [ 近藤邦明 ]
検証温暖化 20世紀の温暖化の実像を探る (シリーズ「環境問題を考える」) [ 近藤邦明 ]
 2017年9月9日、NHKスペシャル「異常気象・スーパー台風」という番組が放映されました。その中で2017年7月5日から6日にかけて九州北部地方を襲った集中豪雨災害について、《数値計算に基づく予測を大幅に上回る異常な豪雨による災害であった》と報告していました。
 番組の中で名古屋大学の坪木和久氏(地球水循環研究センター気象学研究室)は「日本の天気予報は世界でも最も優秀な気象予測モデルに基いている。その日本の天気予報でも九州北部豪雨は予測できなかった。温暖化によって、世界で最も優秀な日本の気象予報でさえも予測できないほど、現実の気象現象が異常になっている。」と述べていましたが、これは噴飯物のコメントでした。
 現実に起こった気象現象は、自然現象として常に100%正しい、物理的に必然的な結果です。それが人間社会にとってかつて経験したことのない”異常気象”であったとしても、100%正常な自然現象なのです。気象予測数値モデルが予測できなかったということは、数値モデルが気象現象を正しく表現できないことを示しているだけなのです。(p231~232)


 気象予測モデルによるコンピューターシュミレーション結果と違う結果がでたら、シュミレーショにに入れた前提条件やらなにやらの「どこかがおかしい!」という当然の判断をせずに、自然のほうが「異常」であると判断することのおかしさ、愚かさを示している坪木氏のコメントである。謙虚さがたりない、ゴーマンだとしか言いようがないわけだ。

 自然の女神の言葉を素直に聞かず、コンピューターに”解析”させて間違った答えを引き出しても、コンピューターのほうが正しい!と豪語する科学に未来はあるだろうか?真鍋淑郎氏のノーベル賞受賞が、気象部地理学、地球物理学の傲慢な進化をこれまで以上に推し進めないか?非常に気がかりである。

シュミレーションで自然を知ることができるか?(前篇)

 少し前、日本出身の気象学者、真鍋淑郎氏が、大気のエネルギー収支を計算する気象モデルを構築し、コンピューターシュミレーションで予測する技術を開発、二酸化炭素の増大によって地球が温暖化することを予測したなどという功績でノーベル物理学賞を受賞したあたりに、tkさんからこんなコメントを頂いた。 
 あるみさんこんにちは。本日ノーベル物理学賞で二酸化炭素の温室効果理論で真鍋氏が受賞しましたね。私はあるみさんのブログで最近でも人為的二酸化炭素の効果を懐疑的に扱っていることと中世温暖化説について正しいのではないかと思っています。世間的には日本人のノーベル賞ということですまた二酸化炭素温暖化説に傾くと思いますが、そもそも真鍋説がよく分かってません。もしまた解説していただけるのならぜ批判的解説お願いします。tk
 これへの回答というわけではないが、まず「地球温暖化」が”政治的に”大問題となっている以上、それの解明などに貢献した人物が「ノーベル賞」をもらうことは、なんら不思議ではない。温暖化に関しては、IPCCや、ジェット旅客機で移動しながら「温暖化の脅威」を煽ったアル・ゴア元米副大統領なんてのもいた。
 気候を決める大気のエネルギー収支をモデル化し、コンピューターでシュミレーションをかけること自体、別に間違ったことをやっているわけではない。間違っているのはそこに「二酸化炭素が増えれば、温室効果もそのまま増大する」というアルゴリズムを組み込んだことなのだ。そんなモノを組み込めば、二酸化炭素が増えればそのまま気温もドンドン上昇するという結果が出てくるのは当たり前である。実際のところCO2が温暖化の原因ではない!で示したように、二酸化炭素の温室効果はすでに飽和していると考えれば、いくらシュミレーションしても結果は違ってくる。
 ところで大昔の天気予報は「当たらない」ものの代名詞のように言われていたくらい、当たらなかった。観測精度も今ほど細かくないし、気象衛星もなくて雲の分布とかも正確にわからなかったからだが、データを大量に集め、解析し、それを予測にフィードバックさせ、理論を立て直す…という努力を真鍋氏以降の先人がやってきたおかげで、昨今の天気予報の精度は非常に良くなっている。天気予報の番組では、寒気の動きや雨の範囲がコンピューターシュミレーションによって計算され、映し出されている。非常に良い世の中になったモンだ。だから真鍋氏の研究、業績は全然、無駄ではない。
 
 ここからが本題…真鍋氏の受賞は、これまでのノーベル物理学賞が、素粒子だとか宇宙論だとか、一般の人にはなんかなじみのない分野ではなく「気象物理学」という分野では初めてであるということだそうな。ここから、気象物理学をもう少し大きくした「地球物理学」という言葉を使うが、このへんの話を聞いて、岩波新書の「物理学とは何だろうか」(朝永新一郎 1979年)の下巻にある「科学と文明」を思い出した。なお「科学と文明」というのは、1976年10月19日、26日の岩波市民講座における講演なのだそうな。
物理学とは何だろうか 下 (岩波新書 黄版86) [ 朝永 振一郎 ]
物理学とは何だろうか 下 (岩波新書 黄版86) [ 朝永 振一郎 ]
 そこは科学批判やその系譜なんかも書かれており、非常に興味深いものがあるのだが、その中に自らがやってきた”自然の普遍的な法則を見つけ出す物理学”について、ゲーテの科学批判を紹介してこんなことを書いている。
 たとえば現在の物理学的な自然、物理学者が考える自然と言うのは、すべてのものは原子からできている。原子は素粒子からできている。その素粒子は粒子とは言うけれども、ふつうの粒子とはぜんぜん違ったものである。それは波動の性質をもっている。ですからわれわれの日常見る波動とか粒子とかとはまるで違ったものです。そうゆうものは日常の言葉では言いあらわせないものだ、そこで数学という非常に抽象的な言葉を使う。
 そうゆう物理学の世界ではわれわれの日常の世界のように、色とか、あたたかさとか、冷たさとか、音とか、そうゆうものはなんにもない。(中略)ですから物理学の方法で、実験でしらべると非常に索漠としたそうゆう世界にぶつかってしまう。このことをゲーテは詩人らしく非常に嫌ったわけです。(p181~182)

 多くの人がノーベル物理学賞に選ばれる、素粒子だとか宇宙論だとかは、おそらくそういった色も、においも、あたたかさもない世界を想像するだろう、ゲーテの科学批判はそこを突いている。朝永氏はそうやっていろいろな科学批判が展開しながらも、次のような話を持って来る。
 普遍的法則を求めるために自然を非常にかえるような実験をして、そして異常な世界を目の前に展開するというような科学のほかに、われわれの日常の死自然そのもののなかに、つまり異常でない日常の世界のなかで、実験などしないで法則を見つけ出すという性格の科学が、物理学のなかにおいてさえあるわけです。そういうべ別の面の科学があるということですね。(p213)
 その別の面の科学として、
 たとえば地球物理学という分野を見ますと、お天気がどう変わるかというようなこと、あるいは地震がどうして起るかというようなこと、こうゆうことは実験をやるわけにいきませんから、それを解明するのに手っとり速くはいかないわけですけれども、しかし地球物理学者が非常な努力をして、現在こうゆう分野でいろんな新しいことがわかっております。(p215)
 と、地球物理学について述べている。
 今回のノーベル賞は、その地球物理学(気象物理学)にようやく光が当たったと評価するべきものあのだろう。(続く)
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
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