寝ている時に考えたもの(これこれ…)
「性売買のブラックホール」(シンパク・ジニョン 2022年5月 ころから)の第五章「世界の性売買」には、ドイツの性売買反対運動、性売買経験当事者の組織「スパース・インターナショナル」の会員、マリー・メルクリンガ-の体験がつづられている。
自分がフェミニストで強い女性だと自負していたので、経済的に苦しいなかで子どもを育てながら「セックスワーク」が出来ると思ったと述べた(中略)うつ病とトラウマに悩まされ続けた(中略)福祉官は残念そうに「なぜ、もっと『セックスワーク』ができないのか」と問い、実際に性売買を行えないことを立証しなければ失業給付が受けられないことを告げた。(p164)
一応、日本では性産業は”やめるべきもの””することではないもの”とされているので、一応行政や民間のNPOなどから「やめるための支援」を受けることが期待できる(あくまでも期待である)。一方、性産業が「合法」なドイツでは、性産業従事者が性売買を行えないことを立証しなければ、失業給付を受けられない!と書かれてる。やめるための行政の支援は、ないらしい。
そう「フツーの仕事」(by土屋トカチ)は、簡単に辞めることはできないのである。
そうでしょ、皆さん‼
あなたは今やってる仕事が大変だから、しんどいから、云々で簡単にその仕事を辞めて、福祉につながり生活していくことが出来ますか⁉(もっとも”フツーでない仕事”の方が簡単に辞めることができない!ということもある。「過酷企業」で無理やり働かされ続け、辞めることも出来ずに過労死、あるいは自死を選ぶ人は多い。)
福祉と仕事でセックスワークはなくなるか?では、こう書いた。
性産業の代わりに、1日外で紫外線に当たって力仕事をしろ!と言われたら、多くのセックスワーカー達はどうするだろうか?極端なことを言えば「あらゆる(苦渋)労働からの解放」がなければ、セックスワークも(苦渋)労働の一つとして残る…これは非常に革命的な政策が実現しないことには不可能だ!
「あらゆる(苦渋)労働からの解放」おお、そうじゃ!その通り!
日本国憲法の第二十七条一項には「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とあるのだが、仕事から逃れる権利があってもいい…というより、あるべきだ‼
年齢、性別、障害の有無その他もろもろかかわらず、労働を拒否する権利、仕事をやめる自由を保障せよ‼
社会主義・共産主義における民族自決問題でも、レーニンは独立の自由、同盟からの離脱の自由を提唱した…離れる自由があってこそ、自由に「団結」「統一」できるのだ。
ということは、労働の自由を確立し、みんなが楽しく生産活動を行うためには
労働からの離脱の自由
もまた求められるのである。
「セックスワーク論」でも、辞めたい人、やりたくない人は辞められるような社会にすると言っている。他の仕事もそうあるべきだろう。
いつでもどこでも、仕事をやめる自由を!(そのためにはBI的なものも必要となってくるのだろう)
ではでは。
「性売買のブラックホール」(シンパク・ジニョン 2022年5月 ころから)の第五章「世界の性売買」には、ドイツの性売買反対運動、性売買経験当事者の組織「スパース・インターナショナル」の会員、マリー・メルクリンガ-の体験がつづられている。
自分がフェミニストで強い女性だと自負していたので、経済的に苦しいなかで子どもを育てながら「セックスワーク」が出来ると思ったと述べた(中略)うつ病とトラウマに悩まされ続けた(中略)福祉官は残念そうに「なぜ、もっと『セックスワーク』ができないのか」と問い、実際に性売買を行えないことを立証しなければ失業給付が受けられないことを告げた。(p164)
一応、日本では性産業は”やめるべきもの””することではないもの”とされているので、一応行政や民間のNPOなどから「やめるための支援」を受けることが期待できる(あくまでも期待である)。一方、性産業が「合法」なドイツでは、性産業従事者が性売買を行えないことを立証しなければ、失業給付を受けられない!と書かれてる。やめるための行政の支援は、ないらしい。
そう「フツーの仕事」(by土屋トカチ)は、簡単に辞めることはできないのである。
そうでしょ、皆さん‼
あなたは今やってる仕事が大変だから、しんどいから、云々で簡単にその仕事を辞めて、福祉につながり生活していくことが出来ますか⁉(もっとも”フツーでない仕事”の方が簡単に辞めることができない!ということもある。「過酷企業」で無理やり働かされ続け、辞めることも出来ずに過労死、あるいは自死を選ぶ人は多い。)
福祉と仕事でセックスワークはなくなるか?では、こう書いた。
性産業の代わりに、1日外で紫外線に当たって力仕事をしろ!と言われたら、多くのセックスワーカー達はどうするだろうか?極端なことを言えば「あらゆる(苦渋)労働からの解放」がなければ、セックスワークも(苦渋)労働の一つとして残る…これは非常に革命的な政策が実現しないことには不可能だ!
「あらゆる(苦渋)労働からの解放」おお、そうじゃ!その通り!
日本国憲法の第二十七条一項には「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とあるのだが、仕事から逃れる権利があってもいい…というより、あるべきだ‼
年齢、性別、障害の有無その他もろもろかかわらず、労働を拒否する権利、仕事をやめる自由を保障せよ‼
社会主義・共産主義における民族自決問題でも、レーニンは独立の自由、同盟からの離脱の自由を提唱した…離れる自由があってこそ、自由に「団結」「統一」できるのだ。
ということは、労働の自由を確立し、みんなが楽しく生産活動を行うためには
労働からの離脱の自由
もまた求められるのである。
「セックスワーク論」でも、辞めたい人、やりたくない人は辞められるような社会にすると言っている。他の仕事もそうあるべきだろう。
いつでもどこでも、仕事をやめる自由を!(そのためにはBI的なものも必要となってくるのだろう)
ではでは。