さて「AV新法」を巡る紫と赤についてで
まず一般的な「サービス」を提供する労働…例えば美容・理髪とか、リラクゼーションを提供するマッサージ(スーパー銭湯なんかに併設されたりしてるヤツ)とジェンダーの関係を示してみる。なお矢印は、サービスの提供を表す。矢印の逆向きが、お金の流れである。
男性 ⇒ 女性
男性 ⇒ 男性
女性 ⇒ 女性
女性 ⇒ 男性
おおむねこの四つのパターンが”平等に”成立している。
これに対し、セックスワークにおける性的サービスの提供については、圧倒的に
女性 ⇒ 男性
の関係性となる。よく「セックスワークはセーフティーネット」であるとの主張がなされるが、貧困男性が自ら性的サービスを売って糊口をしのぐということは、ほとんどないわけだ。
(注意:もちろんLGBTQの存在があり、実際の性産業の現場においては女性⇒男性しか成り立っていないというわけではない。議論を分かりやすくするため単純化しているが、えてしてこういった単純化は少数者の存在を「ないこと」「ないもの」にしてしまう差別・抑圧になってしまう。)
これはセックスワークの最大の特徴ではなかろうか?性的サービスの提供は、圧倒的に女性から男性に対して与えられる、特殊なサービスであると言える。
一方、セックスワークでは女性がサービスを提供することで、例えば望まぬ妊娠(避妊のために薬を飲んだり手術をしたりすることも含む)や相手から性暴力を受けるなど、女性が一方的にリスクを受ける(「性感染症」は男女問わずリスクがあるが)ものがある。
矢印の流れの逆が、お金の流れだから、セックスワークにおいては男性から女性に一方的にお金が流れる…ここで現代の「男性社会」は男性のほうに”経済力”すなわちお金があるから、だから女性⇒男性のサービス・お金の流れが一般的になるのでは?という論もでるだろう(では他のサービス業で男性⇒女性他が成立するのは何故か?)ただ女性が経済力をもった場合、例えば女性が働くところがきちんと整備されれば、男性⇒女性のセックスワークがバンバン出て来るのかというと、そうではないし、むしろ女性⇒男性のセックスワークは減少する、廃れていく方向に向かうのが普通だろう。
もう一度確認すると、セックスワークにおけるサービスの提供は、女性から男性に与えるという類型が圧倒的である、一方で望まぬ妊娠や性暴力など男性側から女性に与えるリスク(男性側は決して負わない)がある。すなわち、あらかじめ男女平等なものとして成立していない。
そこに現代の「男性社会」において、セックスワークを取引する場、性産業が女性を差別・抑圧する構造の上に成り立っている(理論的に何か書かなくても、様々な被害が出ているということからこれは”自明のこと”である)
だからセックスワークを普通の労働、ワークであることを認めることが、なかなか難しいのではないか?と考える次第である。
「AV新法」に関しての被害者支援や「セックスワーク論」については、これからも大変な議論や考察を続けていかなければならないと思う。と書いたので、いろいろ考えることにする…まずは確認事項として、「大阪ミナミの貧困女子」は何が問題なのかで、こんなことを言っている。
本の帯も酷いもので「コロナ自粛の大阪で、体を売るしかない女子たちの物語 風俗だけが救ってくれた」となっている。しかしこの書き方は、これまでセックスワーカーや支援者たちが様々な議論や苦闘をしてきた地平、すわなち「セックスワークは身体を売っているのではなく、サービスを売っている」というものに反するものだ。セックスワークは、身体(性)を売っているのだはなく、(性的な)サービスを売っているのだということだ。では「性的サービス」の売買はどんな特性があるのか?ということを考えてみよう。
まず一般的な「サービス」を提供する労働…例えば美容・理髪とか、リラクゼーションを提供するマッサージ(スーパー銭湯なんかに併設されたりしてるヤツ)とジェンダーの関係を示してみる。なお矢印は、サービスの提供を表す。矢印の逆向きが、お金の流れである。
男性 ⇒ 女性
男性 ⇒ 男性
女性 ⇒ 女性
女性 ⇒ 男性
おおむねこの四つのパターンが”平等に”成立している。
これに対し、セックスワークにおける性的サービスの提供については、圧倒的に
女性 ⇒ 男性
の関係性となる。よく「セックスワークはセーフティーネット」であるとの主張がなされるが、貧困男性が自ら性的サービスを売って糊口をしのぐということは、ほとんどないわけだ。
(注意:もちろんLGBTQの存在があり、実際の性産業の現場においては女性⇒男性しか成り立っていないというわけではない。議論を分かりやすくするため単純化しているが、えてしてこういった単純化は少数者の存在を「ないこと」「ないもの」にしてしまう差別・抑圧になってしまう。)
これはセックスワークの最大の特徴ではなかろうか?性的サービスの提供は、圧倒的に女性から男性に対して与えられる、特殊なサービスであると言える。
一方、セックスワークでは女性がサービスを提供することで、例えば望まぬ妊娠(避妊のために薬を飲んだり手術をしたりすることも含む)や相手から性暴力を受けるなど、女性が一方的にリスクを受ける(「性感染症」は男女問わずリスクがあるが)ものがある。
矢印の流れの逆が、お金の流れだから、セックスワークにおいては男性から女性に一方的にお金が流れる…ここで現代の「男性社会」は男性のほうに”経済力”すなわちお金があるから、だから女性⇒男性のサービス・お金の流れが一般的になるのでは?という論もでるだろう(では他のサービス業で男性⇒女性他が成立するのは何故か?)ただ女性が経済力をもった場合、例えば女性が働くところがきちんと整備されれば、男性⇒女性のセックスワークがバンバン出て来るのかというと、そうではないし、むしろ女性⇒男性のセックスワークは減少する、廃れていく方向に向かうのが普通だろう。
もう一度確認すると、セックスワークにおけるサービスの提供は、女性から男性に与えるという類型が圧倒的である、一方で望まぬ妊娠や性暴力など男性側から女性に与えるリスク(男性側は決して負わない)がある。すなわち、あらかじめ男女平等なものとして成立していない。
そこに現代の「男性社会」において、セックスワークを取引する場、性産業が女性を差別・抑圧する構造の上に成り立っている(理論的に何か書かなくても、様々な被害が出ているということからこれは”自明のこと”である)
だからセックスワークを普通の労働、ワークであることを認めることが、なかなか難しいのではないか?と考える次第である。