世間は小泉進次郎農水大臣による備蓄米の安売り(これでコメの値段が全体的に下がるというものではなく、ネット通販で運よく手に入れたり、スーパーやコンビニで並ぶことができる人にのみ”安くて品質の良くない米”が届くだけのもの)と、トランプ関税…アメリカがこれまで主導してきた「自由貿易体制」を手のひら返しでぶっ壊すだけの愚策…への対応として、「アメリカからのコメの輸入拡大」、さらには「コメの輸入自由化」云々が言われるようになった。が、FBで友人から”あるサイト”を教えてもらい、びっくり仰天⁉…関良基氏が、農産物の自由貿易批判を行っていたのである。
関良基氏は、昨年の5月にありえたかも知れない江戸の憲法ともうひとつの近代史という講演を聞き、また関連して「江戸の憲法構想 近代日本史の”イフ”」という本を購入し、倒幕の黒幕はアーネスト・サトウなんて記事も書いている。

江戸の憲法構想 日本近代史の“イフ” / 関良基 【本】
もっとも関さんの専門は”歴史”ではなく、上記本の著者紹介にも「京都大学農学部林学科卒業」とあり、林業や農業、さらにはそこから”社会的共通資本”を守ろう!という方面が専門の人だ。著書に「自由貿易神話解体新書ー「関税」こそが雇用と食と環境を守る」(花伝社、2012年)や
![自由貿易神話解体新書 「関税」こそが雇用と食と環境を守る[本/雑誌] (単行本・ムック) / 関良基/著](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/neowing-r/cabinet/item_img_658/neobk-1351369.jpg?_ex=128x128)
自由貿易神話解体新書 「関税」こそが雇用と食と環境を守る[本/雑誌] (単行本・ムック) / 関良基/著
共著で、「社会的共通資本としての森」(宇沢弘文共編著、東京大学出版会、2015年)や、「社会的共通資本としての水」(まさのあつこ・梶原健嗣共著、花伝社、2015年)などがある。

【中古】社会的共通資本としての森 /東京大学出版会/宇沢弘文(単行本)
![【中古】 社会的共通資本としての水 / 関 良基, まさの あつこ, 梶原 健嗣 / 花伝社 [単行本(ソフトカバー)]【宅配便出荷】](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/mottainaihonpo-omatome/cabinet/08019215/bkxbmoaazczixpjd.jpg?_ex=128x128)
【中古】 社会的共通資本としての水 / 関 良基, まさの あつこ, 梶原 健嗣 / 花伝社 [単行本(ソフトカバー)]【宅配便出荷】
で、紹介してもらったブログ記事①と、その続きの②~④のリンクを張っておく。
①農産物関税を撤廃してはいけない理由その1ー飢餓を生み出す―
②農産物関税を撤廃してはいけない理由その2ー農業にグローバル市場は不要ー
③農産物関税を撤廃してはいけない理由その3ー環境破壊ー
④農産物関税を撤廃してはいけないシリーズの補足ーアメリカの攻撃的保護主義ー
加えて、①の前段に当たる記事藻、リンクを張っておく。
関税と農業保護が必要なぬたつの理由
これらの記事が書かれたのが、2011年1~2月、ちょうど民主党、菅政権が「TPP」も加入すると言い出した頃に「自由貿易批判」として書かれたものである。
①は、二つの需要曲線…供給量の少しの変化で価格が大きく変わる農産物のようなものと、あまり変わらない工業製品の違いを示している。
農産物(とりわけ穀物)の価格はちょっと生産がダブついただけでも急落するし、わずかでも欠損が生じれば急騰する。人間の胃袋の大きさはほとんど変化しないので、価格が変化しても需要量に大きな変化は出ない。値段が高かろうが安かろうが、人間が必要とする食料の総量はほぼ決まっている。逆に言えば、需要曲線は垂直に近くなる(=つまり価格弾力性が低い)。従って供給量のわずかな変動で価格が乱高下することになる。
こういった価格弾力性の低い生活必需品(特に穀物)を”自由化”してはよくないという命題を導くのは容易であるとする。ちょっとの供給の変化…豊作・不作…で、値段が乱高下するということは、投資家にとっては魅力だろうが、生産者や消費者にとっては死活問題だ。
たとえば自由化の結果、30年間のうち28年は食料品の価格が自由化前の半分程度に安くなり、残りの2年間は価格が自由化前の3~4倍にも急騰するとしよう。価格の平均値を取れば今よりだいぶ安いということになる。しかし、30年中28年間は利益を受けていたにせよ、残りの2年間で貧困者は食っていけなくなり、下手をすれば餓死に至る。その2年間で人間の生命活動が停止に至れば、残りの28年間利益を受けていたとしても、そんなことは全く無意味であろう。
そう、28年間お金が儲かっても、残りの2年で“餓死”してしまっては何にもならない。
②は、工業製品と農産物の生産費用の特性を示したグラフを用いて、
しかし、例えば肥料の投入量を増加させていっても、生産量の増加は次第に鈍くなり、ついには限界に達する。これが農産物生産の特徴である。農産物(林産物もそうだが)は、所詮、水と二酸化炭素を太陽エネルギーで炭水化物を合成するという光合成の作用によるものである。自然法則によって定まる光合成の能力を超えて、農産物が生産されることはあり得ない。ゆえに農産物は費用をかければ生産はいくらでも増大するというものではなく、生産費用の増加率に比して、産出量の増加率は逓減していく。よって、この費用をかけてこれだけ生産すれば利潤が最大になるという「利潤最大点」が存在することになるのだ。こうした特質は収穫逓減(=限界費用逓増)という。
こういった農業や林業、水産業などは限界費用逓増(=収穫逓減)産業であり、ある価格の下で生産者が売りたいという量は一義的に決まってくる。それに対し、工業製品は、
工業製品をつくるには初期費用が膨大にかかるので、ある程度の量を生産せねば赤字になる。しかし、ある点を超えると生産増加に必要な追加コスト(限界生産費用)は低下していくので、販売すればするほと利潤はどんどん増大していくことになる。つまり利潤最大点は存在しない。このような条件で生産者は、できる限りたくさん売った方が利潤は増大するのである。こうした特質は収穫逓増(=限界費用逓減)と呼ばれる。
初期費用の問題をクリアすれば、売れれば売れるだけ生産を伸ばし、売りまくって利潤を得ることができるし、それをやる…工業製品の生産量を決めるのは、需要側の制約、売れなくなったらおしまいということだ。だから国境を撤廃して、グローバルに商売をしようとする、だが
限界費用逓増(=収穫逓減)産業である農業は、節度をもって生産量を抑制し、最適な量を地域の消費者に提供するという、本来的に地産地消型の産業である。農業生産力の発展に応じて人口も増え、農耕民族が打ち立てた国家であれば、だいたいどこでも歴史的に穀物自給率100%前後で落ち着くのである。それでみな満足なのであって、国境の壁を取り払ってグローバル単一市場にする必然性など何もない。
よって
工業製品は関税撤廃しても、農産物関税は撤廃してはならないのである。グローバルな国際協力として農業部門に必要なのは、諸国家に農産物関税の自主決定権と自給率向上の権利を認めた上で、食料を備蓄し、ある国で不作になって飢餓が発生したとき、備蓄のある国が穀物を輸出に回すという管理貿易である。
関良基氏は、昨年の5月にありえたかも知れない江戸の憲法ともうひとつの近代史という講演を聞き、また関連して「江戸の憲法構想 近代日本史の”イフ”」という本を購入し、倒幕の黒幕はアーネスト・サトウなんて記事も書いている。

江戸の憲法構想 日本近代史の“イフ” / 関良基 【本】
もっとも関さんの専門は”歴史”ではなく、上記本の著者紹介にも「京都大学農学部林学科卒業」とあり、林業や農業、さらにはそこから”社会的共通資本”を守ろう!という方面が専門の人だ。著書に「自由貿易神話解体新書ー「関税」こそが雇用と食と環境を守る」(花伝社、2012年)や
![自由貿易神話解体新書 「関税」こそが雇用と食と環境を守る[本/雑誌] (単行本・ムック) / 関良基/著](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/neowing-r/cabinet/item_img_658/neobk-1351369.jpg?_ex=128x128)
自由貿易神話解体新書 「関税」こそが雇用と食と環境を守る[本/雑誌] (単行本・ムック) / 関良基/著
共著で、「社会的共通資本としての森」(宇沢弘文共編著、東京大学出版会、2015年)や、「社会的共通資本としての水」(まさのあつこ・梶原健嗣共著、花伝社、2015年)などがある。

【中古】社会的共通資本としての森 /東京大学出版会/宇沢弘文(単行本)
![【中古】 社会的共通資本としての水 / 関 良基, まさの あつこ, 梶原 健嗣 / 花伝社 [単行本(ソフトカバー)]【宅配便出荷】](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/mottainaihonpo-omatome/cabinet/08019215/bkxbmoaazczixpjd.jpg?_ex=128x128)
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で、紹介してもらったブログ記事①と、その続きの②~④のリンクを張っておく。
①農産物関税を撤廃してはいけない理由その1ー飢餓を生み出す―
②農産物関税を撤廃してはいけない理由その2ー農業にグローバル市場は不要ー
③農産物関税を撤廃してはいけない理由その3ー環境破壊ー
④農産物関税を撤廃してはいけないシリーズの補足ーアメリカの攻撃的保護主義ー
加えて、①の前段に当たる記事藻、リンクを張っておく。
関税と農業保護が必要なぬたつの理由
これらの記事が書かれたのが、2011年1~2月、ちょうど民主党、菅政権が「TPP」も加入すると言い出した頃に「自由貿易批判」として書かれたものである。
①は、二つの需要曲線…供給量の少しの変化で価格が大きく変わる農産物のようなものと、あまり変わらない工業製品の違いを示している。
農産物(とりわけ穀物)の価格はちょっと生産がダブついただけでも急落するし、わずかでも欠損が生じれば急騰する。人間の胃袋の大きさはほとんど変化しないので、価格が変化しても需要量に大きな変化は出ない。値段が高かろうが安かろうが、人間が必要とする食料の総量はほぼ決まっている。逆に言えば、需要曲線は垂直に近くなる(=つまり価格弾力性が低い)。従って供給量のわずかな変動で価格が乱高下することになる。
こういった価格弾力性の低い生活必需品(特に穀物)を”自由化”してはよくないという命題を導くのは容易であるとする。ちょっとの供給の変化…豊作・不作…で、値段が乱高下するということは、投資家にとっては魅力だろうが、生産者や消費者にとっては死活問題だ。
たとえば自由化の結果、30年間のうち28年は食料品の価格が自由化前の半分程度に安くなり、残りの2年間は価格が自由化前の3~4倍にも急騰するとしよう。価格の平均値を取れば今よりだいぶ安いということになる。しかし、30年中28年間は利益を受けていたにせよ、残りの2年間で貧困者は食っていけなくなり、下手をすれば餓死に至る。その2年間で人間の生命活動が停止に至れば、残りの28年間利益を受けていたとしても、そんなことは全く無意味であろう。
そう、28年間お金が儲かっても、残りの2年で“餓死”してしまっては何にもならない。
②は、工業製品と農産物の生産費用の特性を示したグラフを用いて、
しかし、例えば肥料の投入量を増加させていっても、生産量の増加は次第に鈍くなり、ついには限界に達する。これが農産物生産の特徴である。農産物(林産物もそうだが)は、所詮、水と二酸化炭素を太陽エネルギーで炭水化物を合成するという光合成の作用によるものである。自然法則によって定まる光合成の能力を超えて、農産物が生産されることはあり得ない。ゆえに農産物は費用をかければ生産はいくらでも増大するというものではなく、生産費用の増加率に比して、産出量の増加率は逓減していく。よって、この費用をかけてこれだけ生産すれば利潤が最大になるという「利潤最大点」が存在することになるのだ。こうした特質は収穫逓減(=限界費用逓増)という。
こういった農業や林業、水産業などは限界費用逓増(=収穫逓減)産業であり、ある価格の下で生産者が売りたいという量は一義的に決まってくる。それに対し、工業製品は、
工業製品をつくるには初期費用が膨大にかかるので、ある程度の量を生産せねば赤字になる。しかし、ある点を超えると生産増加に必要な追加コスト(限界生産費用)は低下していくので、販売すればするほと利潤はどんどん増大していくことになる。つまり利潤最大点は存在しない。このような条件で生産者は、できる限りたくさん売った方が利潤は増大するのである。こうした特質は収穫逓増(=限界費用逓減)と呼ばれる。
初期費用の問題をクリアすれば、売れれば売れるだけ生産を伸ばし、売りまくって利潤を得ることができるし、それをやる…工業製品の生産量を決めるのは、需要側の制約、売れなくなったらおしまいということだ。だから国境を撤廃して、グローバルに商売をしようとする、だが
限界費用逓増(=収穫逓減)産業である農業は、節度をもって生産量を抑制し、最適な量を地域の消費者に提供するという、本来的に地産地消型の産業である。農業生産力の発展に応じて人口も増え、農耕民族が打ち立てた国家であれば、だいたいどこでも歴史的に穀物自給率100%前後で落ち着くのである。それでみな満足なのであって、国境の壁を取り払ってグローバル単一市場にする必然性など何もない。
よって
工業製品は関税撤廃しても、農産物関税は撤廃してはならないのである。グローバルな国際協力として農業部門に必要なのは、諸国家に農産物関税の自主決定権と自給率向上の権利を認めた上で、食料を備蓄し、ある国で不作になって飢餓が発生したとき、備蓄のある国が穀物を輸出に回すという管理貿易である。
のだそうな。
③は、ブラジルの大豆生産(収穫面積)と中国の大豆輸入量(いずれも2005年まで)を示したうえで、ブラジルにおける森林破壊…環境問題…と、中国における大豆農家の没落、農民暴動の増大といった問題に言及している。またインドにおいては、
インド政府は国産のナタネ油を、1994年から貿易自由化していった。これがインドネシアやブラジルの熱帯林破壊の大きな要因となった。すなわちインドネシアからのヤシ油、ブラジルからの大豆油の輸入によって、熱帯林破壊につながった。
③は、ブラジルの大豆生産(収穫面積)と中国の大豆輸入量(いずれも2005年まで)を示したうえで、ブラジルにおける森林破壊…環境問題…と、中国における大豆農家の没落、農民暴動の増大といった問題に言及している。またインドにおいては、
インド政府は国産のナタネ油を、1994年から貿易自由化していった。これがインドネシアやブラジルの熱帯林破壊の大きな要因となった。すなわちインドネシアからのヤシ油、ブラジルからの大豆油の輸入によって、熱帯林破壊につながった。
インドネシアでは、熱帯林に依存して暮らす地域住民がプランテーション会社に土地を奪われていった。輸入するインドの側では、菜の花生産農家や菜種油の搾油業者などあわせて300万人以上が失業し、路頭に迷ったと言われている。
農業で暮らしている人が食えなくなって、農地を手放し、流民化(プロレタリア化)するというのも、広義の環境問題であろう。そして、
新古典派経済学は、貿易による外部不経済効果を内部化するために関税をかけるという論点を真剣に取り扱おうとしない。貿易による環境破壊の発生という論点は、環境経済学の教科書のなかでもほぼスルーされている。
農業で暮らしている人が食えなくなって、農地を手放し、流民化(プロレタリア化)するというのも、広義の環境問題であろう。そして、
新古典派経済学は、貿易による外部不経済効果を内部化するために関税をかけるという論点を真剣に取り扱おうとしない。貿易による環境破壊の発生という論点は、環境経済学の教科書のなかでもほぼスルーされている。
新古典派の環境経済学は、貿易の問題には口を閉ざしてほとんど何も言わない、書かない。スタンダードな新古典派の環境経済学の教科書は、貿易によって発生する環境問題について何も書かない。触れたくないのである。これは現実と真剣に向き合うことを放棄した、彼らの不誠実さを物語るものでしかない。
と批判する…環境(農民と農村)を守るための関税は、正しいのだ!
④では、アメリカ・EUの農業保護政策について触れ
フランス農家の所得の80%は政府からの直接支払い。アメリカですら50%で、日本はたったの16%。これだけ補助されていれば、アメリカやフランスの穀物に競争力があるのは当たり前でしょう。日本に競争力がないのは補助が全く足りないからです。
と批判する…環境(農民と農村)を守るための関税は、正しいのだ!
④では、アメリカ・EUの農業保護政策について触れ
フランス農家の所得の80%は政府からの直接支払い。アメリカですら50%で、日本はたったの16%。これだけ補助されていれば、アメリカやフランスの穀物に競争力があるのは当たり前でしょう。日本に競争力がないのは補助が全く足りないからです。
本日(2011年2月7日付け)の東京新聞は、EUや米国の農家が国にいかに大事に保護されているのかということを数字で論証していました。さすが東京新聞。他の全国紙とは違います。それによれば、EUの農家一世帯が受ける直接支払額は日本の農家一世帯の3.6倍、アメリカの農業予算は年間10兆円などと紹介されていました。アメリカ政府が農業保護にかける予算の情熱といったら、ちょうど日本がダムや道路の公共事業にかける情熱に匹敵するといえるでしょう。
と述べ、
私は国土保全と食料安全保障のためのスイスのような自衛の保護主義は全く正当な行為だと思います。しかし、米国の輸出のための保護主義は、他国の人々の胃袋を支配し、国際覇権を維持するための戦略的道具であり、おまけに他国の国土をも破壊するという迷惑この上ないシロモノです。自衛の保護主義は正当であり、攻撃の保護主義は不当なのです。
と主張すている。
おお、これらの反グローバリズム、反自由貿易の主張を、トランプ関税がふきすさび、さらなる米不足・米価高騰(備蓄米放出はあくまでも”つなぎ”の政策でしかない…飢饉のときの「お救い米」だと思わないとイケナイ、そして放出する備蓄米さえなくなる可能性がある)が予想される…儲からないし高齢化でいよいよ、農家が米もつくらず”引退”する一方になる…なか、どうすれば生産者・消費者も満足できる食料政策、貿易管理政策を取ればよいか!ということが見えてきそうだ…というより、15年ぐらい前の議論だぞ、これ‼
さて、関良基さんの明治維新関連の講演は、「戦争あかん!ロックアクション」の企画で行われた…ロックアクションでは、食の安全や食料自給、種司法の問題なんかでも講演集会を企画しているので、ぜひ関良基さんの、自由貿易批判での講演集会を企画してもらいたいものである。
あと、関さんのブログ、Gooブログだが2025年11月18日にブログサービスを終了することになっている。関さんがブログの引っ越しとかをしない限り、ブログ記事が消えてしまうこと予想されるので、早めにアクセスして確認しておくことをお勧めする。
と述べ、
私は国土保全と食料安全保障のためのスイスのような自衛の保護主義は全く正当な行為だと思います。しかし、米国の輸出のための保護主義は、他国の人々の胃袋を支配し、国際覇権を維持するための戦略的道具であり、おまけに他国の国土をも破壊するという迷惑この上ないシロモノです。自衛の保護主義は正当であり、攻撃の保護主義は不当なのです。
と主張すている。
おお、これらの反グローバリズム、反自由貿易の主張を、トランプ関税がふきすさび、さらなる米不足・米価高騰(備蓄米放出はあくまでも”つなぎ”の政策でしかない…飢饉のときの「お救い米」だと思わないとイケナイ、そして放出する備蓄米さえなくなる可能性がある)が予想される…儲からないし高齢化でいよいよ、農家が米もつくらず”引退”する一方になる…なか、どうすれば生産者・消費者も満足できる食料政策、貿易管理政策を取ればよいか!ということが見えてきそうだ…というより、15年ぐらい前の議論だぞ、これ‼
さて、関良基さんの明治維新関連の講演は、「戦争あかん!ロックアクション」の企画で行われた…ロックアクションでは、食の安全や食料自給、種司法の問題なんかでも講演集会を企画しているので、ぜひ関良基さんの、自由貿易批判での講演集会を企画してもらいたいものである。
あと、関さんのブログ、Gooブログだが2025年11月18日にブログサービスを終了することになっている。関さんがブログの引っ越しとかをしない限り、ブログ記事が消えてしまうこと予想されるので、早めにアクセスして確認しておくことをお勧めする。