たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

明治維新

関良基氏の自由貿易批判を知る!

 世間は小泉進次郎農水大臣による備蓄米の安売り(これでコメの値段が全体的に下がるというものではなく、ネット通販で運よく手に入れたり、スーパーやコンビニで並ぶことができる人にのみ”安くて品質の良くない米”が届くだけのもの)と、トランプ関税…アメリカがこれまで主導してきた「自由貿易体制」を手のひら返しでぶっ壊すだけの愚策…への対応として、「アメリカからのコメの輸入拡大」、さらには「コメの輸入自由化」云々が言われるようになった。が、FBで友人から”あるサイト”を教えてもらい、びっくり仰天⁉…関良基氏が、農産物の自由貿易批判を行っていたのである。
 関良基氏は、昨年の5月にありえたかも知れない江戸の憲法ともうひとつの近代史という講演を聞き、また関連して「江戸の憲法構想 近代日本史の”イフ”」という本を購入し、倒幕の黒幕はアーネスト・サトウなんて記事も書いている。
江戸の憲法構想 日本近代史の“イフ” / 関良基 【本】
江戸の憲法構想 日本近代史の“イフ” / 関良基 【本】
もっとも関さんの専門は”歴史”ではなく、上記本の著者紹介にも「京都大学農学部林学科卒業」とあり、林業や農業、さらにはそこから”社会的共通資本”を守ろう!という方面が専門の人だ。著書に「自由貿易神話解体新書ー「関税」こそが雇用と食と環境を守る」(花伝社、2012年)や
自由貿易神話解体新書 「関税」こそが雇用と食と環境を守る[本/雑誌] (単行本・ムック) / 関良基/著
自由貿易神話解体新書 「関税」こそが雇用と食と環境を守る[本/雑誌] (単行本・ムック) / 関良基/著
共著で、「社会的共通資本としての森」(宇沢弘文共編著、東京大学出版会、2015年)や、「社会的共通資本としての水」(まさのあつこ・梶原健嗣共著、花伝社、2015年)などがある。
【中古】社会的共通資本としての森 /東京大学出版会/宇沢弘文(単行本)
【中古】社会的共通資本としての森 /東京大学出版会/宇沢弘文(単行本)
【中古】 社会的共通資本としての水 / 関 良基, まさの あつこ, 梶原 健嗣 / 花伝社 [単行本(ソフトカバー)]【宅配便出荷】
【中古】 社会的共通資本としての水 / 関 良基, まさの あつこ, 梶原 健嗣 / 花伝社 [単行本(ソフトカバー)]【宅配便出荷】

で、紹介してもらったブログ記事①と、その続きの②~④のリンクを張っておく。
農産物関税を撤廃してはいけない理由その1ー飢餓を生み出す―
農産物関税を撤廃してはいけない理由その2ー農業にグローバル市場は不要ー
農産物関税を撤廃してはいけない理由その3ー環境破壊ー
農産物関税を撤廃してはいけないシリーズの補足ーアメリカの攻撃的保護主義ー
 加えて、①の前段に当たる記事藻、リンクを張っておく。
関税と農業保護が必要なぬたつの理由
 これらの記事が書かれたのが、2011年1~2月、ちょうど民主党、菅政権が「TPP」も加入すると言い出した頃に「自由貿易批判」として書かれたものである。
 ①は、二つの需要曲線…供給量の少しの変化で価格が大きく変わる農産物のようなものと、あまり変わらない工業製品の違いを示している。
 農産物(とりわけ穀物)の価格はちょっと生産がダブついただけでも急落するし、わずかでも欠損が生じれば急騰する。人間の胃袋の大きさはほとんど変化しないので、価格が変化しても需要量に大きな変化は出ない。値段が高かろうが安かろうが、人間が必要とする食料の総量はほぼ決まっている。逆に言えば、需要曲線は垂直に近くなる(=つまり価格弾力性が低い)。従って供給量のわずかな変動で価格が乱高下することになる。
 こういった価格弾力性の低い生活必需品(特に穀物)を”自由化”してはよくないという命題を導くのは容易であるとする。ちょっとの供給の変化…豊作・不作…で、値段が乱高下するということは、投資家にとっては魅力だろうが、生産者や消費者にとっては死活問題だ。
 たとえば自由化の結果、30年間のうち28年は食料品の価格が自由化前の半分程度に安くなり、残りの2年間は価格が自由化前の3~4倍にも急騰するとしよう。価格の平均値を取れば今よりだいぶ安いということになる。しかし、30年中28年間は利益を受けていたにせよ、残りの2年間で貧困者は食っていけなくなり、下手をすれば餓死に至る。その2年間で人間の生命活動が停止に至れば、残りの28年間利益を受けていたとしても、そんなことは全く無意味であろう。
 そう、28年間お金が儲かっても、残りの2年で“餓死”してしまっては何にもならない。

 ②は、工業製品と農産物の生産費用の特性を示したグラフを用いて、
 しかし、例えば肥料の投入量を増加させていっても、生産量の増加は次第に鈍くなり、ついには限界に達する。これが農産物生産の特徴である。農産物(林産物もそうだが)は、所詮、水と二酸化炭素を太陽エネルギーで炭水化物を合成するという光合成の作用によるものである。自然法則によって定まる光合成の能力を超えて、農産物が生産されることはあり得ない。ゆえに農産物は費用をかければ生産はいくらでも増大するというものではなく、生産費用の増加率に比して、産出量の増加率は逓減していく。よって、この費用をかけてこれだけ生産すれば利潤が最大になるという「利潤最大点」が存在することになるのだ。こうした特質は収穫逓減(=限界費用逓増)という。
 こういった農業や林業、水産業などは限界費用逓増(=収穫逓減)産業であり、ある価格の下で生産者が売りたいという量は一義的に決まってくる。それに対し、工業製品は、
 工業製品をつくるには初期費用が膨大にかかるので、ある程度の量を生産せねば赤字になる。しかし、ある点を超えると生産増加に必要な追加コスト(限界生産費用)は低下していくので、販売すればするほと利潤はどんどん増大していくことになる。つまり利潤最大点は存在しない。このような条件で生産者は、できる限りたくさん売った方が利潤は増大するのである。こうした特質は収穫逓増(=限界費用逓減)と呼ばれる。
 初期費用の問題をクリアすれば、売れれば売れるだけ生産を伸ばし、売りまくって利潤を得ることができるし、それをやる…工業製品の生産量を決めるのは、需要側の制約、売れなくなったらおしまいということだ。だから国境を撤廃して、グローバルに商売をしようとする、だが
 限界費用逓増(=収穫逓減)産業である農業は、節度をもって生産量を抑制し、最適な量を地域の消費者に提供するという、本来的に地産地消型の産業である。農業生産力の発展に応じて人口も増え、農耕民族が打ち立てた国家であれば、だいたいどこでも歴史的に穀物自給率100%前後で落ち着くのである。それでみな満足なのであって、国境の壁を取り払ってグローバル単一市場にする必然性など何もない。
 よって
 工業製品は関税撤廃しても、農産物関税は撤廃してはならないのである。グローバルな国際協力として農業部門に必要なのは、諸国家に農産物関税の自主決定権と自給率向上の権利を認めた上で、食料を備蓄し、ある国で不作になって飢餓が発生したとき、備蓄のある国が穀物を輸出に回すという管理貿易である。
 のだそうな。

 ③は、ブラジルの大豆生産(収穫面積)と中国の大豆輸入量(いずれも2005年まで)を示したうえで、ブラジルにおける森林破壊…環境問題…と、中国における大豆農家の没落、農民暴動の増大といった問題に言及している。またインドにおいては、
 インド政府は国産のナタネ油を、1994年から貿易自由化していった。これがインドネシアやブラジルの熱帯林破壊の大きな要因となった。すなわちインドネシアからのヤシ油、ブラジルからの大豆油の輸入によって、熱帯林破壊につながった。
 インドネシアでは、熱帯林に依存して暮らす地域住民がプランテーション会社に土地を奪われていった。輸入するインドの側では、菜の花生産農家や菜種油の搾油業者などあわせて300万人以上が失業し、路頭に迷ったと言われている。
 農業で暮らしている人が食えなくなって、農地を手放し、流民化(プロレタリア化)するというのも、広義の環境問題であろう。そして、
 新古典派経済学は、貿易による外部不経済効果を内部化するために関税をかけるという論点を真剣に取り扱おうとしない。貿易による環境破壊の発生という論点は、環境経済学の教科書のなかでもほぼスルーされている。 
 新古典派の環境経済学は、貿易の問題には口を閉ざしてほとんど何も言わない、書かない。スタンダードな新古典派の環境経済学の教科書は、貿易によって発生する環境問題について何も書かない。触れたくないのである。これは現実と真剣に向き合うことを放棄した、彼らの不誠実さを物語るものでしかない。
 と批判する…環境(農民と農村)を守るための関税は、正しいのだ!

 ④では、アメリカ・EUの農業保護政策について触れ
 フランス農家の所得の80%は政府からの直接支払い。アメリカですら50%で、日本はたったの16%。これだけ補助されていれば、アメリカやフランスの穀物に競争力があるのは当たり前でしょう。日本に競争力がないのは補助が全く足りないからです。
 本日(2011年2月7日付け)の東京新聞は、EUや米国の農家が国にいかに大事に保護されているのかということを数字で論証していました。さすが東京新聞。他の全国紙とは違います。それによれば、EUの農家一世帯が受ける直接支払額は日本の農家一世帯の3.6倍、アメリカの農業予算は年間10兆円などと紹介されていました。アメリカ政府が農業保護にかける予算の情熱といったら、ちょうど日本がダムや道路の公共事業にかける情熱に匹敵するといえるでしょう。
 と述べ、
 私は国土保全と食料安全保障のためのスイスのような自衛の保護主義は全く正当な行為だと思います。しかし、米国の輸出のための保護主義は、他国の人々の胃袋を支配し、国際覇権を維持するための戦略的道具であり、おまけに他国の国土をも破壊するという迷惑この上ないシロモノです。自衛の保護主義は正当であり、攻撃の保護主義は不当なのです。
 と主張すている。

 おお、これらの反グローバリズム、反自由貿易の主張を、トランプ関税がふきすさび、さらなる米不足・米価高騰(備蓄米放出はあくまでも”つなぎ”の政策でしかない…飢饉のときの「お救い米」だと思わないとイケナイ、そして放出する備蓄米さえなくなる可能性がある)が予想される…儲からないし高齢化でいよいよ、農家が米もつくらず”引退”する一方になる…なか、どうすれば生産者・消費者も満足できる食料政策、貿易管理政策を取ればよいか!ということが見えてきそうだ…というより、15年ぐらい前の議論だぞ、これ‼

 さて、関良基さんの明治維新関連の講演は、「戦争あかん!ロックアクション」の企画で行われた…ロックアクションでは、食の安全や食料自給、種司法の問題なんかでも講演集会を企画しているので、ぜひ関良基さんの、自由貿易批判での講演集会を企画してもらいたいものである。

 あと、関さんのブログ、Gooブログだが2025年11月18日にブログサービスを終了することになっている。関さんがブログの引っ越しとかをしない限り、ブログ記事が消えてしまうこと予想されるので、早めにアクセスして確認しておくことをお勧めする。

倒幕の黒幕はアーネスト・サトウ

 5月6日の集会では「関さんは明治維新、武力討幕は、アーネスト・サトウやグラバーらイギリス勢力の干渉(薩摩への武器供与など)によって起こされたもの」だと主張されているを書いた…そこで当日購入した「江戸の憲法構想 日本近代史の”イフ”」(作品社 2024年3月)」を読んでみると…
江戸の憲法構想20240513
 第三章が「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」となっている。
江戸の憲法構想 日本近代史の“イフ” [ 関 良基 ]
江戸の憲法構想 日本近代史の“イフ” [ 関 良基 ]
 それによれば、「倒幕」と「王政復古」への世論形成に大きく貢献したのが、当時の在日本イギリス大使館の通訳官であったアーネスト・サトウの『英国策論』である。ところでイギリスの本国政府は、日本の内政に対して中立を維持せよと指示していた(実際、当時の列強は遠く離れた日本の内政に”介入”する余力はなかったそうである)。ところがサトウは英国公使館の一通訳官の立場ながら独断で、日本に対して「根本的な変革(radical change)を捲縮かつ真剣に提唱する」という論説記事を、横浜で発行されている英字紙「ジャパン・タイムズ」に書いたのである。ある意味、これは大変なことだ!ちなみに『英国策論』の骨子は、
 サトウの立論の大前提としてあるのは、徳川の大君とは、日本のなかで最大の領土を持つ諸侯の首席にすぎないのであって、日本全体を代表する存在ではないというものである。それゆえ、大君と結んだ通商条約は日本全体に及ばず、個々の大名領では効力を持たない。よって、新たに天皇の下で諸侯連合を組織し、「日本の連合諸大名(the Confederate Daimios of Japan)との条約をもって、現行の条約を補足するか、または、かの条約をもって現在の条約にかえるべき」というものである。条約問題を口実として、ミカドの下での諸侯連合政府への変革を促したのである。(p96)
 英国政府の公式な立場では、あくまでも条約は日本とむすんだものであるということに対し、サトウはそうではないと逸脱した論説を発表し、日本の体制変革を促しているのである。この「ジャパン・タイムズ」に掲載された論説は日本語に訳され「英国策論」として小冊子となり、印刷して「大坂や京都のすべての書店で発売されるようになった」のだそうな。
 サトウの案は、あくまで徳川の権力をそいで、ミカドの下で諸侯会議の設立を促し、雄藩による連合政権を構築するというもの…江戸の憲法構想にみられるよう、国民に広く参政権をあたえようというものではない…が、これが「尊王攘夷」を掲げる人たちにはまったのであろう。また「英国策論」という邦題、書名によって、読んだ人がこれはイギリス政府の公式見解だと認識するようになったということもある。イギリスは自分たちの見方であるという認識も強まったであろう。 
 サトウは一貫して、薩長に武装蜂起を働きかけていた。1867年(慶応3年)6月、「薩土盟約」が結ばれて薩摩藩は土佐藩とともに”議会政治路線”に向かう(土佐藩、山内容堂の「大政奉還建白書」につながる路線)ことになる。サトウ翌7月の27,28日に二回も薩摩の西郷隆盛と会い、「薩土同盟」を反故にして武力討幕に踏み切るべきだと翁長がしている。「幕府はフランスと組んで薩長を滅ぼそうとしている」などのフェイク情報も並べ、西郷の危機感をあおったりもした。サトウは8月に土佐藩に赴き、山内容堂や後藤象二郎と会談、その後坂本龍馬と共に長崎に赴き、長州藩の桂小五郎や伊藤俊輔(博文)と会い、武力決起を促している…いたるところで過激派「志士」たちと会い、挑発して武力討幕への決起を促して回ったのである。サトウの働きによるものかはともかく、西郷隆盛はサトウとの会談後半月後の8月4日に、長州藩と具体的な強兵計画の約定を結び、9月には薩摩藩は「薩土盟約」から離脱してしまう。

 では、なぜサトウはこれほどまで「武力決起」「武力討幕」にこだわったのか?日本で内戦が起これば、武器の売却でイギリス資本が大儲けできる、そして内戦が長引いて日本が弱体化すれば、ますますイギリスの言いなりになってくれる…ということを期待したからに他ならない。
 少し前、長州藩は「攘夷」を掲げて下関海峡で外国船を砲撃し、その報復で四か国の連合艦隊で攻め込まれ完全敗北する。この「下関戦争」の賠償金300万ドルは、本来長州藩が払うべきものだが、英国は幕府にそれを請求した。またこの戦争をきかっけに、日本の関税率を20%から5%に引き下げることに”成功”したのである。「不平等条約」の問題は、実はここから始まる…イキった連中が暴発してくれたおかげで、ここまで儲かるのだ!
 サトウは『英国策論』において、徳川大君との旧条約を破棄し、ミカドの下で諸侯連合政府と新しく条約を結びなおすと論じていた。しかるに、徳川政権との間で改税約書が結ばれるや、手のひらを返し、薩長が新政権を樹立して条約改正を要求しても、イギリスは決して交渉の席に着こうとしなかった。矛盾するようだが、イギリスの「新しい条約」とは、日本の関税自主権を剝奪すること(=関税率の引き下げと固定化)に主眼があったのだと考えれば納得できよう。徳川政権が設定した日本に有利な関税率の引き下げが達成されてしまえば、後は新政府が何を言おうが拒絶することがイギリスの国益となる。(p111)
 また下関戦争から1年後の1965年9月、長州藩の伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)は長崎でグラバー商会から4,300挺のミニエー銃を購入した。日英修好通商条約によれば、イギリス商人は軍用品を日本政府(徳川幕府)以外に販売してはならないはずであり、これを平然と破って秘密裏に薩摩や長州に武器を密売していたのが、グラバーである。
 長崎貿易を研究した重藤威夫によれば、「グラバーが武器の輸入について圧倒的な勢力をもっていた」。統計が残る慶応二年(一八六六)一~七月および翌三年(一八六七)に、長崎に輸入され販売された小銃は、あわせて三万三八七五挺であったが、その約四〇%にあたる一万二八二五挺はグラバー商会から購入していたという。坂本龍馬の亀山社中は、薩摩名義でグラバーから購入した小銃を、薩摩船の胡蝶丸で長州へと運んだ。坂本龍馬は、イギリスの軍事戦略の掌中で踊らされていた側面が強いのだ。戊辰戦争が勃発した慶応四年/明治元年(一八六八)になると、薩摩藩は長崎にあるミニエー銃のすべてを、グラバー商会を通じて買い占めた。(p112)
 このように、内戦とその後の「維新政治」によるイギリス資本の利益のため、サトウは本国政府の方針を逸脱して独自に動いたと考えられる。

 関さんは先の講演集会で、明治維新、武力討幕は、アーネスト・サトウやグラバーらイギリス勢力の干渉(薩摩への武器供与など)によって起こされたものだとしており、そういったことは以前の講演で述べているとのことである。覇権国の軍事介入があれば、前近代は近代に勝利し得ると述べたのだが、それはこういったことなのだ。

ありえたかもしれない江戸の憲法ともうひとつの近代史【後編】

 前回の続き。
 なぜ遠山や井上らの戦後マルクス主義史学は、こうした江戸末期の憲法構想を低く評価してきたのか?それは①人間の意識は階級に規定される…徳川や諸藩から出てきた議会制度論は、封建制の再構築に過ぎない②政治や文化などの上部構造は、経済的下部構造に規定される…最先進のイギリスでさえ普通選挙はまだだった時代に、より遅れた封建制の日本が普通選挙など唱えられるわけがない③人類の歴史は階級闘争の歴史である…反政府側(薩長)の暴力は階級闘争の発現、よって反政府側は進歩的で政権(徳川)は反動的 こういった「ドグマ」に支配されていたためだと、関さんは説明された。こういうのは「勝てば官軍」史観であるが、歴史は複雑系で、そういった単純な論理では必ずしも説明できるものではないのである。
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 それにしても、なぜ「江戸の憲法」がこんなに”進歩的”であったのか?それは儒教・朱子学の影響だそうな。当時の西洋の人権観念は、諸個人の自由を侵害しないよう、国家の行為に足かせをはめるもの。人権規定は国家にマイナス行為をさせない、個人に干渉しないというのが良い政府である(アメリカのリバタリアンが典型)しかし警察力や国防力は積極的に肯定する…これはネオリベ思想になる。
 ところで朱子学ではどうとらえているのか?下川玲子「朱子学から考える権利の思想」(2017年ぺりかん社)を参照すると…
朱子学から考える権利の思想
朱子学から考える権利の思想
 そもそも朱子学では積極的に国家権力を想定していない…それはマルクス主義の理想(共産主義の高次段階)であると関さんはおっしゃったが、私はアナキズムに近いものではないかと考える。人間は本来的に善(性善説)であり、社会不安が取り除かれれば、諸個人の「天命の性」にそった善性は開花する。そのため、福祉の教育を充実させるための国家の機能は否定されない。国家にマイナス行為をさせないというだけでなく、プラス行為をさせる論理である。ちなみに儒教思想では、人間が犯罪を犯した場合でも、刑罰はすべて教育に収斂する、死刑廃止論に通じるものもあり、福祉や教育が充実していれば警察はいらないという考えにも連なる(そのわりに江戸時代には「打首獄門」などの残酷な刑罰もあったわけだが…)西洋のホッブズ的な社会契約論…「万人の万人に対する闘争」になるので、警察や軍隊などの暴力装置で社会秩序を維持、そのかわり国家は諸個人の内面の自由を侵害してはならない…から帰結する、警察や軍などの暴力が強調される「ネオリベ国家」に対する、東洋の儒教的「社会契約論」では、人間は本質的に善であるから、国家権力は不要、ただ人間が悪をなすのは貧困など善制の発現を阻害する要因があるからであり、国家は教育や社会福祉を通して、諸個人の天命の性を発揮できるようサポートするもの、「福祉国家」が対置される…ということだそうな。このへん、関さんは「異論や反発も多いでしょうが…」とおっしゃった。私も朱子学というのは「封建秩序」を維持するためのイデオロギーだと考えていたが、なるほどこうした見方もあるのかと感心した次第である。(儒教政策
下で福祉や教育が”充実しなかった”のは、生産力その他の要因もあるだろう)
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 その後、関さんは江戸を否定し西洋近代を否定した福沢諭吉と、江戸の儒教をベースに近代化を目指した渋沢栄一の違いにもふれられた。福沢は”貧民を甘やかすな”というネオリベ的近代化であり、渋沢は福祉と教育を重視する江戸的近代化を目指したということである。(一万円札の肖像が福沢から渋沢に代わるのも、なにかネオリベ政策が行き詰ってきた象徴でもある?)また、江戸時代に生まれ、儒教教育を受けた人たちが自由民権運動をやっていたという指摘もなされた。
 江戸時代からの内発的近代のシナリオを取れば、天皇は儀礼や宗教のみつかさどる象徴天皇制や、大きな福祉・教育、小さな治安維持機構をもつ国家になったであろうところを、「神道原理主義」で明治維新を行った結果、侵略主義に染まり、大きな軍隊と小さな福祉しか持たない「大日本帝国」が出来上がった…それが敗戦によって”象徴天皇制の福祉国家をGHQにより”押し付けられた”ということになる。なお関さんは明治維新、武力討幕は、アーネスト・サトウやグラバーらイギリス勢力の干渉(薩摩への武器供与など)によって起こされたものだとしており、そういったことは以前の講演で述べているとのことである。覇権国の軍事介入があれば、前近代は近代に勝利し得るということだ。日本は、江戸の儒教文化を継承した合理的、普遍的、内発的な近代化の道を歩んでいたにもかかわらず、前近代的で家父長主義的な国家神道原理主義者たちが、覇権国の軍事支援を受けて政権を奪取し、西洋列強に従属しつつ、国内では抑圧的、対アジアでは侵略主義的な「国体」を77生み出したのが「明治維新」あんおである。
 その後、休憩のあと質疑応答の時間。そしてまとめのあいさつでは、社民党の服部良一幹事長が発言され、現行憲法をないがしろにする、重要経済安保情報の保護及び活用に関する法案が審議されていることへの警鐘をならされた。

ありえたかもしれない江戸の憲法ともうひとつの近代史【前編】

 戦争あかん!ロックアクション主催の集会、明治維新の正体パートⅣ
「ありえたかもしれない江戸の憲法ともうひとつの近代史」に参加してきた。
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 司会あいさつ、新社会党で茨木市議の山下けいきさん(維新のふるさと、鹿児島出身)の主催者あいさつの後、関良基さんの講演が始まる。講演は関さんが出版された新刊「江戸の憲法構想 日本近代史のイフ」(作品社)を基にしている。
江戸の憲法構想 日本近代史の“イフ” [ 関 良基 ]
江戸の憲法構想 日本近代史の“イフ” [ 関 良基 ]
 本の帯には前法政大学総長の田中裕子氏(こんな”腐れリベラル”から推薦もらうなよ!)の推薦のことばがあり「江戸時代からやり直さなければならない」とある…これは江戸時代に戻れではなく、江戸時代から”やり直せば”侵略戦争をするような国にはならなかったというものだそうね。
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 用意されたパワーポイントに沿って、講演は進められた。
 戦後歴史学の「定説」では、江戸時代、幕末の「公議政体論」とは、遠山茂樹氏が1,946年に著した「明治維新」(岩波新書)などに「…蘭書および中国書によって輸入され紹介された欧米の議会制度の外形だけの知識によって、…分解せんとする封建政治機構の補強救済策としての列藩会議論に定着していった。…議会制度論は、もっぱら封建的支配者間の対立を緩和し、封建支配秩序を再建する手段として、受け取られたのである」という、まぁ封建社会・封建制度の救済論であり、進歩(明治維新)に対する「反動」としてとらえられてきた。また、輸入思想・政体であり、内発的なものではないとされていたわけだ。
明治維新【電子書籍】[ 遠山茂樹 ]
明治維新【電子書籍】[ 遠山茂樹 ]
 ところで、渋沢栄一は1917年「徳川義信公伝」において、横井小楠や赤松正三郎の議会政治思想を紹介している。それは決して輸入ものではなく、日本独自のものであったとして「気運の然らしむるところ、欧州思想の模倣とのみは言ふ能わざるなり」と記述しているそうだ。大正時代に、横井小楠や赤松小三郎ら”議会政治の先駆者”が知られていたにもかかわらず、戦後歴史学(マルクス主義・講座派史学)からその功績が消えていたのは、なぜなんだろう?
 それはともかく、関さんから「江戸時代(慶応)の憲法構想」として、6人が紹介される…ジョセフ・ヒコ(播磨の百姓で江戸見物からの帰りに船が遭難、アメリカ船に救出され米国で教育をうけ、帰化する。日本に帰って「海外新聞」の主筆となる…濱田彦蔵)、赤松小三郎(上田藩、薩摩藩の兵学教授)、津田真道(津山藩、開成所教授・幕臣)、西周(津和野藩、開成所教授・幕臣)松平乗謨(奥殿藩・龍岡藩、公儀陸軍総裁・老中格)山本覚馬(会津藩)である。6名とも天皇については、明治維新国家がやったような神格化、強大な権力を持たせたり、軍隊を統率させたりするのではなく「お飾り」としての機能すなわち「象徴天皇制」を掲げていた(アメリカ帰りのジョセフ・ヒコ案は、天皇についての記述なし…この人は幕藩体制の行政機構、老中とか奉行とかをそのまま、アメリカ的な政体に移行できると考えていたようだ)赤松小三郎や松平乗謨は議会の決議に天皇の拒否権を認めず、西周や山本覚馬は、天皇は歴訪や徐爵、神仏儒の長として、江戸時代と変わらぬ儀礼に特化した存在と規定していた。
 議員の選出については、庶民を入れるか(普通選挙)公家・武士階級に限定するか(制限選挙)の違いはあるものの、入札(入れ札、村落共同体で行われていた”選挙””投票”)によって選出すべきものとしている。ジョセフ・ヒコや赤松小三郎、山本覚馬は「国民の権利」を記載しており、ヒコは「自由権」を尊重する考え方…米国流で、国家に対し、個人の銃を妨げるマイナス行為をさせないというもの、赤松と山本のものは、法の下の平等の他、「人々その性に準て充分を尽くさせ候事…諸学校を増し、国中の人民を文明に育み候儀、治国の基礎」(赤松)「人を束縛せず、其所好をなし、長技を尽くさしむ可し、また従来上下隔絶の塀を止メ、貴賤混淆学術技芸を磨しめ、官二当るは貴賤等級を不論」(山本)と、諸個人の「性(個性)」や「長技(長所)」を伸ばすべく、国家は教育などによってサポートすべし、国家は人びとに対し、プラス行為を行えということが打ち出されている。これは西洋の人権観念の模倣ではなく、儒教(朱子学)的な人権論であると関さんは考えている。(儒教・朱子学の評価については後ほどもでてくる)
 6人の政治的スタンスに、政体が中央集権的か、分権・封建制的か、民衆の参政権をどれだけ認めるかに違いがあるものの、明治維新以外に、近代に向かう多様な可能性があったということを示している。逆に維新を実行した「薩長」の側から、こうした憲法構想なんかはでてきていない…彼らがいかに「天皇を国の中心においた」、神がかり的かつ強権的な政治体制を考えていたか、逆になぁ~にも考えず、権力を取ることのみに集中していたか?ということなのだろう。

 つづいて関さんはマルクス主義史家、井上清氏の「山内容堂なんかの公議政体論というのは、要するに支配者の交代段階にとどめておこうということでしょう」(『日本の歴史20巻 明治維新』(中央公論、1966年)付録での司馬遼太郎との対談)を紹介したうえで、山内容堂(土佐藩主)が徳川慶喜に示した「政権返上建白書(”大政奉還”とは「洗脳」の言葉だから使わないそうな)」に「議事院上下を分ち、議事官は上公卿より、下陪臣庶民に至るまで正明純良の士を撰挙」と書いていたことから、マルクス主義史家たちは、山内容堂の議会政治論を過小評価している…平和革命なぞまやかしで、戊辰戦争によって徳川軍を粉砕する必要があった…また封建支配階級であたっとしても、聡明な人物であれば出身階級の利害に執着せず、自分に不利な変革であっても毅然として断行できるものだと述べた。(マルクスやエンゲルスも決して「労働者階級」ではなかったからね)
 山内容堂は、津田真道をはじめ神田孝平や加藤弘之といった幕府の”御用学者”をリクルートして、こういった公議政体論をまとめていったらしい。だが、山内容堂の理想…徳川慶喜も含めた新政府構想…は1867年12月の「小御所会議」における薩長のクーデター…西郷隆盛が「短刀1本で片をつける」と恫喝した…によって葬り去られる。
 加藤弘之は翌年、「立憲政体略」というパンフレットのようなものを出した。略とあるから、憲法草案というよりアウトラインというものだが、まず「憲法」を制定して、近代化に必要な一般の法律は「みな国権の枝葉なり」とした。最初に憲法を作成しようというものだ。薩長の政府は、まず民放や刑法などを西洋から輸入してつくり、最後に憲法を制定したが、逆である…ここからも薩長が理想とする国家像や政体像は、天皇が中心であるが漠然としたものぐらいしか考えていなかったことが明らかだ。この「立憲政体略」には立憲、憲法、立法権、行政権、歳入、歳出、代議士といった、今日私たちが使っている法律・政治用語が確立されている。
 また、特筆すべきは現行憲法に定められている様々な基本的人権が、「国憲」に書き込まれるべきものとして
①「生活の権利」 生存権(現行憲法25条)
②「自信自主の権利」 正当な理由なしに逮捕・拘禁されない(34条)
③「行事自在の権利」 職業選択の自由(22条)
④「結社及び会合の権利」 集会・結社の自由(21条)
⑤「思、言、書、自在の権利」 思想・言論・出版・表現の自由(19条)
⑥「信法自在の権利」 信教の自由(20条)
⑦「万民同一の権利」 法の下の平等(14条)
⑧「各民所有の物を自在に処置する権利」 財産権(29条)
が掲げられているそうな。特に一番最初に「生存権」が掲げられていることは、当時の西洋人権思想にはないものであり、福祉国家の先駆けでもある。

 なお、このような基本的人権を掲げた憲法構想を持つ加藤弘之であったが、のちに「転向」し「キリスト教は吾が国体に甚だ害である。吾が国体が至尊として崇敬するのは皇祖皇宗と天皇のみ。この外に、唯一真理が存在するなどといった妄言は、吾が国体の決して許さぬところである」などとのたまっている。「転向」は、薩摩の”テロリスト”海江田 信義に脅されたからということだそうな。

つづくよ。
 
 

明治維新の正体パートⅣ

 集会のお知らせ…戦争あかん!ロックアクション”恒例”「明治維新の正体・関良基さん」シリーズ…
20240506 明治維新の正体パート420240406
明治維新の正体 パートⅣ
ありえたかもしれない江戸の憲法ともうひとつの近代史
5月6日(月・休)
午後2時~4時
中央会館(大阪市中央区島之内2-12-31)
最寄駅:大阪地下鉄堺筋線/長堀鶴見緑地線 長堀橋駅
    大阪地下鉄千日前線/近鉄難波線 日本橋駅
    どちらの駅も 6号出口 徒歩約7~10分
資料代:1000円(応相談)

最新刊発売!
お話し:関良基さん
1969年、信州上田生まれ。京都大学農学部林学科卒業。京都大学大学院農学研究科博士課程単位取得。博士(農学)。早稲田大学アジア太平洋研究センター助手、(財)地球環境戦略研究機関客員研究員などを経て、拓殖大学教授。明治維新関係の著書に『赤松小三郎ともう一つの明治維新』(2016年 作品社)『日本を開国させた男、松平忠個』(2020年 作品社)最新刊『江戸の憲法構想』(2024年 作品社)

新刊本の出版にあわせて昨年末に企画した関さんの講演会。出版社の都合で発売が大幅に遅れ、講演会に間に合いませんでした。3月末にようやく発売される新刊本に合わせ、改めて出版記念を兼ねた講演会を開催します。
 多くの日本人が抱く英雄的で先進的な明治維新のイメージは、戦前の皇国史観や、司馬遼太郎のような「国民作家」のみならず、戦後民主主義を標榜するリベラルや左翼の学者までもが一緒になって構築してきたある種のフィクションでした。
 江戸時代は遅れた封建社会で、徳川政権が倒されない限り日本が近代化されることはなかったというのはほんとうでしょうか?じつは江戸時代の末には、現行憲法と比較しても遜色のない、象徴天皇制や国民の権利を規定した憲法構想が存在しました。今回の講演は、江戸末期にいくつも提案されていた江戸文明の精神を引き継ぐ憲法構想を読み解く中で、それらが実現していれば、近代日本は天応を「現人神」とする侵略国家にはならなかったであろうという、歴史の「もしも」の話です。

主催:戦争あかん!ロックアクション
連絡先:090-5063-0073(平日は16時以降、土日は午後可)
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
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