その1の続き
岩国行動、16日の夕方から「反基地交流会」となる。
まず「在韓米軍のサード撤去闘争に関する報告」が、ソソン里平和活動家 金永宰(キム・ヨンジェ)さんがリモート+会場通訳による報告。

サード現場反対闘争は8年間続けられているが、全体的に縮小され、非常に委縮した状態で一部少数の連帯者によって続けている状況だそうな。住民や連帯者の疲労の他、内部分裂(後の質疑応答では一部連帯者が疲弊する住民に対し失礼なことを言ったことなどが原因らしい…他にも理由はあるようだが)で闘争勢力が弱まったこともある。現場住民たちとのコミュニケーションを続けながら、住民たちとのきずなを放さないことがきわめて重要だ。韓米日の、さらには全世界の反戦、反基地、平和勢力も連帯とコミュニケーションの実戦を広げていかなければならない…等々。
続いて「宮古からいつでも始められる潜像準備」と題して、ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会の清水早子さんからリモート報告。

宮古島の駐屯地には、ミサイル部隊だけではなく電子戦部隊の配備も24年度中に計画されている…新しい兵舎の建設なども進められ、写真で示したグランドや倉庫は既に完成している。
自衛隊は、戦車を南方仕様に作り替えるといっている。サンゴ礁の島が爆撃されるとどうなるか、破砕実験をしてデータを取っている。宮古島の公的な場所に住民を収容する「遺体収容袋」が搬入されている。自衛隊25万人の血液を採取して血液製剤をつくり、冷凍して戦場で米軍と共用する計画や、負傷した隊員の輸送計画では一旦、那覇病院に集めてから全国に分散輸送する…これは明らかに「戦場は沖縄島以南である」ことを物語っている。

住民の生活領域や文化伝統、人びとの内面にまで「戦争の空気」が入り込んできている。宮古駐屯地の警備隊長ら20名が、制服姿で公用車で宮古神社を参拝していたので、抗議した。2023年4月、宮古島沖でブラックホークが墜落し第8師団幹部や宮古島駐屯地司令ら10名が亡くなった事故から1年、「黒鷹の勇士」と刻銘された慰霊碑が基地内のウタキのそばに置かれたので、これについても抗議した。
石垣島ではハーリー競漕への自衛隊員の出場は「公務」であり、明らかに軍事訓練だ。宮古島でも自衛隊員が出るかもしれないので、私たちは会見して声明を出した。那覇市の第15旅団のホームページには、沖縄戦で多くの住民を死に追いやった牛島中将の辞世の句を掲載した…などなど。
続いて沖縄から「辺野古・安和報告及び衆議院選挙結果について」と題して、辺野古カヌー隊の金治明(キム・チミョン)さんの報告。

僕がなぜここにいるのか…それは岩国から多くの爆撃機が飛んで、故郷を破壊したから…だから沖縄と岩国は連携しなければならない。

大浦湾側の工事が始まったが、どこのカ所を工事しているのか…できるところから護岸を作り出しているそうだ。
選挙では「オール沖縄」は2勝2敗、沖縄3区は屋良さんが落選し、自民党の島尻あい子が当選した。名護市では公共事業で暮らしている人も多く、とにかく金、金、カネで負けたとのこと。
最後は「岩国基地に対する岩国市民のこの間の闘いについて」ということで、愛宕山を守る会代表世話人の岡村寛さんの報告。
岩国基地は滑走路を沖合に展開し2010年に供用を開始した。巨大な軍艦が横付けできる専用の岸壁ができた。湊と滑走路が一体となった唯一の基地である。辺野古新基地に期待していた用途は、岩国で使えるということを確認してきたのだろう…辺野古ができなくても良いと考えているのではないだろうか?また2012年オスプレイの配備は、岩国の岸壁からにオスプレイを陸揚げし、岩国で整備して沖縄に飛ばした。オスプレイの陸揚げ、整備場としての岩国の機能がある…とのことであった。
質疑応答の時間はほとんどとれず、このあと夜の交流会…固体・液体燃料の補給になだれこむ。
翌日は朝からのフィールドワークに参加。車に分乗して岩国基地の滑走路北側に向かうが…

ちょうどこの日が、艦載機の機種変更の日で、F35Cがやってくる…ということで、ミリヲタ、航空ファンの人たちが朝から詰めかけていた。滑走路北側の道路にも多くの車が停車し、カメラを構える人がたくさんいたので、一番先端まで行ってUターン。
ちなみに空母艦載機は、空母が港にいる時は発鑑ができない…空母が走行する力も揚力として利用しているからだ。だから空母が横須賀に寄港している時、艦載機は岩国やってきて、そこからいつでも飛び立てるようにしているわけだ。
岩国飛行場も、もともとは旧海軍の空母が寄港しているとき、艦載機が飛び立つための場所として検察されたものだ。そういう意味で岩国も「軍都」だったわけで、JRをまたぐ橋のところに「三笠橋」という地名がある。
岩国基地の滑走路の沖合展開は、住民には「騒音対策」ということで進められてきたが、アメリカ軍や日本政府は滑走路を長くして艦載機が離発着できるようにすることや、水深の深い軍港機能を持つことを当初から目論んでいたということだ。

南側の米軍住宅地前で車を降りて、説明をうける。

滑走路を沖合に出すための埋め立て土砂は、愛宕山を削ってそれをベルトコンベヤーで運んで持ってきたものだ。その跡地は住宅団地に開発するということで、こうしたす「絆スタジアム」などのある愛宕スポーツコンプレックスや…

岩国医療センターなどが建っている。その他、いわくに消防防災センターや「ふくろう公園」なんて施設もあるが、奥まったところには「愛宕ヒルズ」と呼ばれる米軍住宅もある…愛宕ヒルズは米軍施設だから、ちゃんとゲートもある。
愛宕山を後にして岩国の市街地にもどり、岩国市福祉会館で2日目のプログラムとなる(つづく)
岩国行動、16日の夕方から「反基地交流会」となる。
まず「在韓米軍のサード撤去闘争に関する報告」が、ソソン里平和活動家 金永宰(キム・ヨンジェ)さんがリモート+会場通訳による報告。

サード現場反対闘争は8年間続けられているが、全体的に縮小され、非常に委縮した状態で一部少数の連帯者によって続けている状況だそうな。住民や連帯者の疲労の他、内部分裂(後の質疑応答では一部連帯者が疲弊する住民に対し失礼なことを言ったことなどが原因らしい…他にも理由はあるようだが)で闘争勢力が弱まったこともある。現場住民たちとのコミュニケーションを続けながら、住民たちとのきずなを放さないことがきわめて重要だ。韓米日の、さらには全世界の反戦、反基地、平和勢力も連帯とコミュニケーションの実戦を広げていかなければならない…等々。
続いて「宮古からいつでも始められる潜像準備」と題して、ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会の清水早子さんからリモート報告。

宮古島の駐屯地には、ミサイル部隊だけではなく電子戦部隊の配備も24年度中に計画されている…新しい兵舎の建設なども進められ、写真で示したグランドや倉庫は既に完成している。
自衛隊は、戦車を南方仕様に作り替えるといっている。サンゴ礁の島が爆撃されるとどうなるか、破砕実験をしてデータを取っている。宮古島の公的な場所に住民を収容する「遺体収容袋」が搬入されている。自衛隊25万人の血液を採取して血液製剤をつくり、冷凍して戦場で米軍と共用する計画や、負傷した隊員の輸送計画では一旦、那覇病院に集めてから全国に分散輸送する…これは明らかに「戦場は沖縄島以南である」ことを物語っている。

住民の生活領域や文化伝統、人びとの内面にまで「戦争の空気」が入り込んできている。宮古駐屯地の警備隊長ら20名が、制服姿で公用車で宮古神社を参拝していたので、抗議した。2023年4月、宮古島沖でブラックホークが墜落し第8師団幹部や宮古島駐屯地司令ら10名が亡くなった事故から1年、「黒鷹の勇士」と刻銘された慰霊碑が基地内のウタキのそばに置かれたので、これについても抗議した。
石垣島ではハーリー競漕への自衛隊員の出場は「公務」であり、明らかに軍事訓練だ。宮古島でも自衛隊員が出るかもしれないので、私たちは会見して声明を出した。那覇市の第15旅団のホームページには、沖縄戦で多くの住民を死に追いやった牛島中将の辞世の句を掲載した…などなど。
続いて沖縄から「辺野古・安和報告及び衆議院選挙結果について」と題して、辺野古カヌー隊の金治明(キム・チミョン)さんの報告。

僕がなぜここにいるのか…それは岩国から多くの爆撃機が飛んで、故郷を破壊したから…だから沖縄と岩国は連携しなければならない。

大浦湾側の工事が始まったが、どこのカ所を工事しているのか…できるところから護岸を作り出しているそうだ。
選挙では「オール沖縄」は2勝2敗、沖縄3区は屋良さんが落選し、自民党の島尻あい子が当選した。名護市では公共事業で暮らしている人も多く、とにかく金、金、カネで負けたとのこと。
最後は「岩国基地に対する岩国市民のこの間の闘いについて」ということで、愛宕山を守る会代表世話人の岡村寛さんの報告。
岩国基地は滑走路を沖合に展開し2010年に供用を開始した。巨大な軍艦が横付けできる専用の岸壁ができた。湊と滑走路が一体となった唯一の基地である。辺野古新基地に期待していた用途は、岩国で使えるということを確認してきたのだろう…辺野古ができなくても良いと考えているのではないだろうか?また2012年オスプレイの配備は、岩国の岸壁からにオスプレイを陸揚げし、岩国で整備して沖縄に飛ばした。オスプレイの陸揚げ、整備場としての岩国の機能がある…とのことであった。
質疑応答の時間はほとんどとれず、このあと夜の交流会…固体・液体燃料の補給になだれこむ。
翌日は朝からのフィールドワークに参加。車に分乗して岩国基地の滑走路北側に向かうが…

ちょうどこの日が、艦載機の機種変更の日で、F35Cがやってくる…ということで、ミリヲタ、航空ファンの人たちが朝から詰めかけていた。滑走路北側の道路にも多くの車が停車し、カメラを構える人がたくさんいたので、一番先端まで行ってUターン。
ちなみに空母艦載機は、空母が港にいる時は発鑑ができない…空母が走行する力も揚力として利用しているからだ。だから空母が横須賀に寄港している時、艦載機は岩国やってきて、そこからいつでも飛び立てるようにしているわけだ。
岩国飛行場も、もともとは旧海軍の空母が寄港しているとき、艦載機が飛び立つための場所として検察されたものだ。そういう意味で岩国も「軍都」だったわけで、JRをまたぐ橋のところに「三笠橋」という地名がある。
岩国基地の滑走路の沖合展開は、住民には「騒音対策」ということで進められてきたが、アメリカ軍や日本政府は滑走路を長くして艦載機が離発着できるようにすることや、水深の深い軍港機能を持つことを当初から目論んでいたということだ。

南側の米軍住宅地前で車を降りて、説明をうける。

滑走路を沖合に出すための埋め立て土砂は、愛宕山を削ってそれをベルトコンベヤーで運んで持ってきたものだ。その跡地は住宅団地に開発するということで、こうしたす「絆スタジアム」などのある愛宕スポーツコンプレックスや…

岩国医療センターなどが建っている。その他、いわくに消防防災センターや「ふくろう公園」なんて施設もあるが、奥まったところには「愛宕ヒルズ」と呼ばれる米軍住宅もある…愛宕ヒルズは米軍施設だから、ちゃんとゲートもある。
愛宕山を後にして岩国の市街地にもどり、岩国市福祉会館で2日目のプログラムとなる(つづく)