6月24日午前、母親が亡くなりました…86歳でした。
ず~っと心不全を患っており(先天的なものだったらしい)、私が大阪にもどってきた都市ぐらいには入院とかもしていたのですが、介護保険つかって訪問看護師さんに週1回の本門漢語をうかたりして、なんとか健康をたもっておりました…しかし、心不全は少しづつ進行していたようで、昨年ぐらいから体がふらつくだの、神経痛がするだの不調を訴えることが多くなりました。
朝、起きて2階の寝室から自力で降りてくるのですが、着替えてパンとかの朝食を食べてからは、今でゴロンと寝転がっていることも多く、食事の量も(お腹がすかないから)減ってきだしたのですね…体力がドンドン落ちてきた。5月末や6月初めには、不調がひどいから急遽病院に連れて行っったこともあります。(対処療法しかできない)
数日前から咳が出て少し苦しそうだったのですが、6月23日の日曜日、いつものように起きてきません…寝室に行ってみると、なにやら喉をゴロゴロいわせて苦しそうです。「痛いとこないか?大丈夫か?」と聞いても、要領を得ません…「慰霊の日」同時行動に行く予定でしたが、急遽、救急車を呼び、CCU(循環器疾患集中治療室)に入院することになりました。
血液検査の結果、様々な数値が悪化しておりました。心不全で血流が悪くなると、腎臓や肝臓機能にも影響してきますが、そうした数値が悪化、同時に、なにか感染症にり患しているようで(咳はそのせい…ちなみに私は咳や発熱等はなかった)気管支炎を起こして、肺でのガス交換がうまくいかず、動脈血内の二酸化炭素濃度も高い状態だったそうです…こうゆう状況だと、意識混濁が起こります…医者が呼びかけて、なんとか反応はあるそうですが、こっちの言うことを理解しているかどうかという感じだったそうです。
万が一の急変時に、心臓マッサージ(胸の骨がバキバキに折れる)や電気ショック、人工呼吸器による延命措置を取るかどうか聞かれて、「(高齢だから)無理に延命措置をとる必要なないです」と返事しておきました。ただ、喉の血管(腕の血管が細すぎるため)から薬を入れることはやってもらってよいとしました。
翌日朝、病院から昨日と同じ状況ですが…という、定時報告のようなものを受けて、とりあえず今日は安心だろうと思って外出したのですが、9時半過ぎに「電話したあと急変して、呼吸が止まったので来てほしい」と連絡があり、病院に向かいました。CCUに入ると、もう自発呼吸がなく、酸素マスクで無理やり呼吸させているような状況、脈拍もありませんでした。
兄が病院に来てから、心不全をずっと診てきてくださった主治医の先生が、瞳孔反射の確認など、死亡の確認を行ってくださいました。
その後、母親がはいっている互助会の葬儀社に連絡し、家のすぐ近くの家族葬用ホールで通夜。争議を行う段取りを決め、親戚筋に連絡…私は母親が日頃お世話になっていた整骨院の先生や、かかりつけ医の先生のところに報告しました。
通夜は、25日の夕方から、葬儀は26日の朝から、その後、火葬・骨上げ、初七日法要となりました。
まだ少し手続等がのこっていますが、一段落つきましたので報告します。
ず~っと心不全を患っており(先天的なものだったらしい)、私が大阪にもどってきた都市ぐらいには入院とかもしていたのですが、介護保険つかって訪問看護師さんに週1回の本門漢語をうかたりして、なんとか健康をたもっておりました…しかし、心不全は少しづつ進行していたようで、昨年ぐらいから体がふらつくだの、神経痛がするだの不調を訴えることが多くなりました。
朝、起きて2階の寝室から自力で降りてくるのですが、着替えてパンとかの朝食を食べてからは、今でゴロンと寝転がっていることも多く、食事の量も(お腹がすかないから)減ってきだしたのですね…体力がドンドン落ちてきた。5月末や6月初めには、不調がひどいから急遽病院に連れて行っったこともあります。(対処療法しかできない)
数日前から咳が出て少し苦しそうだったのですが、6月23日の日曜日、いつものように起きてきません…寝室に行ってみると、なにやら喉をゴロゴロいわせて苦しそうです。「痛いとこないか?大丈夫か?」と聞いても、要領を得ません…「慰霊の日」同時行動に行く予定でしたが、急遽、救急車を呼び、CCU(循環器疾患集中治療室)に入院することになりました。
血液検査の結果、様々な数値が悪化しておりました。心不全で血流が悪くなると、腎臓や肝臓機能にも影響してきますが、そうした数値が悪化、同時に、なにか感染症にり患しているようで(咳はそのせい…ちなみに私は咳や発熱等はなかった)気管支炎を起こして、肺でのガス交換がうまくいかず、動脈血内の二酸化炭素濃度も高い状態だったそうです…こうゆう状況だと、意識混濁が起こります…医者が呼びかけて、なんとか反応はあるそうですが、こっちの言うことを理解しているかどうかという感じだったそうです。
万が一の急変時に、心臓マッサージ(胸の骨がバキバキに折れる)や電気ショック、人工呼吸器による延命措置を取るかどうか聞かれて、「(高齢だから)無理に延命措置をとる必要なないです」と返事しておきました。ただ、喉の血管(腕の血管が細すぎるため)から薬を入れることはやってもらってよいとしました。
翌日朝、病院から昨日と同じ状況ですが…という、定時報告のようなものを受けて、とりあえず今日は安心だろうと思って外出したのですが、9時半過ぎに「電話したあと急変して、呼吸が止まったので来てほしい」と連絡があり、病院に向かいました。CCUに入ると、もう自発呼吸がなく、酸素マスクで無理やり呼吸させているような状況、脈拍もありませんでした。
兄が病院に来てから、心不全をずっと診てきてくださった主治医の先生が、瞳孔反射の確認など、死亡の確認を行ってくださいました。
その後、母親がはいっている互助会の葬儀社に連絡し、家のすぐ近くの家族葬用ホールで通夜。争議を行う段取りを決め、親戚筋に連絡…私は母親が日頃お世話になっていた整骨院の先生や、かかりつけ医の先生のところに報告しました。
通夜は、25日の夕方から、葬儀は26日の朝から、その後、火葬・骨上げ、初七日法要となりました。
まだ少し手続等がのこっていますが、一段落つきましたので報告します。