先日の記事には、「台湾は中国の不可分の領土」であるという主張を日本が理解すると書き、中国が「台湾は中国の不可分の領土」であり「一つの中国」という原理・原則を持っていることを示した。台湾は日清戦争の勝利により、日本帝国主義が中国(清国)から奪い取った場所であり、第二次世界大戦で日本が敗北した後、カイロ宣言により中国(中華民国)に返還された。その後、中国革命が起こり、中国の大部分は現中国、中華人民共和国の革命政権が支配することになったが、中華民国を支配する蒋介石は台湾に逃れ、そのまま中華民国を名乗り続ける。中華人民共和国としては、台湾の地もまた中国であり、中国革命を完遂するには、台湾の中華民国政権を打倒して解放する必要がある。また中華民国としては、「大陸反攻」を行って、中国共産党政権を打倒し、再び中国全土を支配したい。これが「一つの中国」原則である。またアメリカは中国革命において、当初は中華民国・蒋介石と中國共産党とを仲介して革命の進展を防ぎ、中華民国を防衛しようとしていたが、蒋介石政権があまりにも腐敗していたためいったんはサジを投げる。台湾に逃亡した蒋介石政権が負けるがまま、逃げるがままにしていたのであるが、1950年に朝鮮戦争が勃発すると一転、反共の砦として蒋介石政権・中華民国を支援するようになる。当然、大陸の中華人民共和国は承認しない。
一方で中華民国は第二次世界大戦の戦勝国として、国際連合において「常任理事国」の地位にあった。ところが中国革命により台湾後に追いやられてしまったにもかかわらず、国連の代表権、すなわち「中国」を代表して国連の常任理事国になる権利は、中華民国が持っていた。中華人民共和国としては国連に対し、中華民国の国連からの”追放”を1949年から訴え続けてきたが、否決され続けてきた。ところがアメリカがベトナム戦争の泥沼に陥り、中華人民共和国と和解・協力したいと考え始めた。国連ではアルバニアなどが、中華人民共和国を国連の常任理事国として代表権を回復させ、中華民国は追放するという決議案を提出する。一方、アメリカは中華人民共和国の代表兼は認めるが、中華民国を追放する必要はないという「二重代表制決議案」を提出した。
ところがこの「二重代表決議案」は蒋介石の猛反発を受ける…台北駐日経済文化代表処のホームページに2008年2月27日に発せられた国民投票第6案(国連復帰案)に対する外交部意見書には、こんなことが書かれている。
国連が設立されてから1971年にわが国が国連から脱退させられるに至るまで、わが国は国連内で「中華民国」の名称を用いていた。上述の期間、中華人民共和国の動きを通じて、国連内の情勢は徐々にわが国に不利となり、「中国代表権」の争いが浮かび上がってきた。米国等の主要国は「二重代表権案」の議題を提出し、中華民国の国連における議席を守ろうとしたが、当時の政府が「漢賊不両立」(漢・国民党と賊・共産党は両立せず)の政策に固執し、全中国の代表を固持し、台湾2,300万国民の利益を前提として守ろうとしなかったため、最終的に1971年の国連総会において第2758号決議が通過し、「中華人民共和国」が「中華民国」に取って代わり、国連における中国の唯一の合法政府となった。このため、われわれが再び「中華民国」等の名義を使用して国連「復帰」申請をした場合、国際社会はわが国が「中国代表権」を求めていると誤解することになりかねない。実践上においても、必ず中華人民共和国を国連から退出させてはじめて国連復帰できるのであり、不可能なことである。(注:太字はこちらで編集したもの)
当時の政府とは、蒋介石政権のことである…まぁ蒋介石も「一つの中国」+αの面子にこだわりすぎてしまったようだ。一方、中華人民共和国側は実を取るため、あまり「二重代表権案」に反対というわけでもなかったようだ。かくして中華民国、台湾は国連から「追放」されることになり、国際的地位が不安定なものになってしまった。
もし蒋介石が意固地にならず、「二重代表権案」が採択されていたとしたら…現中国と対等な中華民国・台湾が東アジアに存在するということになるわけだ。「二つの中国」である。ちょうど現在、朝鮮半島に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国があるように…もちろん、中国からみれば「中華民国」は中国革命を完遂するための大きなハードルとなるが、それは中国の”内政問題”ではなく、よりはっきりとした外交・国際問題となる。もちろん、中華人国・台湾が独自に外交を行い、各国と正規に国交を結び、外交官を交換し、同盟その他を結ぶこともできる…米国も”中国封じ込め”のため、中華民国・台湾と堂々と軍事同盟をむずび、武器を輸出し、集団的自衛権を行使する(かもしれない)ことができるだろう。だから、今より「分かりやすく」はなるかもしれないが、平和になっていたかどうかはわからない。ただし中台戦争について、国連がより関与して防ぐ道は開けていたかもしれない。
また「二つの中国」になったからといって、中国と中華民国・台湾との戦争に日本が介入してよい理由は、どこにもないことは言うまでもない。 〇〇有事に介入してはイケナイのである。
一方で中華民国は第二次世界大戦の戦勝国として、国際連合において「常任理事国」の地位にあった。ところが中国革命により台湾後に追いやられてしまったにもかかわらず、国連の代表権、すなわち「中国」を代表して国連の常任理事国になる権利は、中華民国が持っていた。中華人民共和国としては国連に対し、中華民国の国連からの”追放”を1949年から訴え続けてきたが、否決され続けてきた。ところがアメリカがベトナム戦争の泥沼に陥り、中華人民共和国と和解・協力したいと考え始めた。国連ではアルバニアなどが、中華人民共和国を国連の常任理事国として代表権を回復させ、中華民国は追放するという決議案を提出する。一方、アメリカは中華人民共和国の代表兼は認めるが、中華民国を追放する必要はないという「二重代表制決議案」を提出した。
ところがこの「二重代表決議案」は蒋介石の猛反発を受ける…台北駐日経済文化代表処のホームページに2008年2月27日に発せられた国民投票第6案(国連復帰案)に対する外交部意見書には、こんなことが書かれている。
国連が設立されてから1971年にわが国が国連から脱退させられるに至るまで、わが国は国連内で「中華民国」の名称を用いていた。上述の期間、中華人民共和国の動きを通じて、国連内の情勢は徐々にわが国に不利となり、「中国代表権」の争いが浮かび上がってきた。米国等の主要国は「二重代表権案」の議題を提出し、中華民国の国連における議席を守ろうとしたが、当時の政府が「漢賊不両立」(漢・国民党と賊・共産党は両立せず)の政策に固執し、全中国の代表を固持し、台湾2,300万国民の利益を前提として守ろうとしなかったため、最終的に1971年の国連総会において第2758号決議が通過し、「中華人民共和国」が「中華民国」に取って代わり、国連における中国の唯一の合法政府となった。このため、われわれが再び「中華民国」等の名義を使用して国連「復帰」申請をした場合、国際社会はわが国が「中国代表権」を求めていると誤解することになりかねない。実践上においても、必ず中華人民共和国を国連から退出させてはじめて国連復帰できるのであり、不可能なことである。(注:太字はこちらで編集したもの)
当時の政府とは、蒋介石政権のことである…まぁ蒋介石も「一つの中国」+αの面子にこだわりすぎてしまったようだ。一方、中華人民共和国側は実を取るため、あまり「二重代表権案」に反対というわけでもなかったようだ。かくして中華民国、台湾は国連から「追放」されることになり、国際的地位が不安定なものになってしまった。
もし蒋介石が意固地にならず、「二重代表権案」が採択されていたとしたら…現中国と対等な中華民国・台湾が東アジアに存在するということになるわけだ。「二つの中国」である。ちょうど現在、朝鮮半島に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国があるように…もちろん、中国からみれば「中華民国」は中国革命を完遂するための大きなハードルとなるが、それは中国の”内政問題”ではなく、よりはっきりとした外交・国際問題となる。もちろん、中華人国・台湾が独自に外交を行い、各国と正規に国交を結び、外交官を交換し、同盟その他を結ぶこともできる…米国も”中国封じ込め”のため、中華民国・台湾と堂々と軍事同盟をむずび、武器を輸出し、集団的自衛権を行使する(かもしれない)ことができるだろう。だから、今より「分かりやすく」はなるかもしれないが、平和になっていたかどうかはわからない。ただし中台戦争について、国連がより関与して防ぐ道は開けていたかもしれない。
また「二つの中国」になったからといって、中国と中華民国・台湾との戦争に日本が介入してよい理由は、どこにもないことは言うまでもない。 〇〇有事に介入してはイケナイのである。
