たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

ナクバ

「ナクバの日」連帯スタンディングアピール

 パレスチナ連帯、スタンディングアピールのお知らせ。
20250515ガザ緊急アクション
ナクバデーが、イスラエルのナショナルデーに?
万博は民族浄化に加担するな!

5月15日(木) 18:30~19:30
JR大阪駅東南バスターミナル前(人民広場)

パレスチナの人々に帰還の権利を
ナクバデー連帯スタンディング

1948年のイスラエル建国によって、パレスチナの地に住んでいたアラブ系住民が居住地を追われ難民となったことを記憶し、77年つづく民族浄化の終結を求める日です。(ここまで)

チラシにも書いてあるとおり、この日は万博の「イスラエルナショナルデー」とされております。しかしこの日は、パレスチナにとって「ナクバ」の日なのです‼土地や住居を奪われ、人権を奪わアれた日なのです!ちなみにパレスチナも万博に参加し、パビリオンを出していますね。

万博協会のイスラエルのやっているジェノサイドを是認する行為にも、断固抗議していきましょう!

ガザとは何か(中編1)

 昨日の記事のつづき
 パレスチナ分割後の「ユダヤ人国家」でも、ユダヤ人の割合は6割…完全な「ユダヤ人国家」をつくるためには、アラブ人を追い出さなければならない!と「民族浄化」が始まる…・これが「ナクバ(大いなる災厄)」の原因である。1948年4月9日、デイル・ヤ―シーンで起こった100人以上の集団虐殺は有名であるが、パレスチナの各地でデイル・ヤ―シーンを上回る規模のものを含め、多数の集団虐殺が起きている。そんなことが起これば、そこに住んでいる人は逃げださざるを得ない。それがパレスチナ難民の始まりだ。
 ところで1948年12月10日に国連総会で採択された「世界人権宣言」の第十三条第二項には「すべての人は、自国その他の国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する」と書かれている。さらに翌日に採択された総会決議194号には「イスラエル建国によって難民となったパレスチナ人は、即刻自分たちの故郷に帰る権利がある、帰還を希望しない難民に対しては、イスラエルは彼らが自分たちの故郷に残してきた財産を舗装するように、と述べられています。(p61)」パレスチナ難民は、自分たちの故郷に帰る権利があるということだ。だが75年たっても、孫、ひ孫の代になっても、帰ることができていないのである。
 イスラエルの占領をのがれたガザは、当時8万人の住民がいたが、19万人もの難民がやってきた。現在、ガザは面積約360平方キロメートルのところに、人口230万人。人口密度は1平方キロあたり6300人ぐらいと、八尾市や藤沢市ぐらいになる。ただ難民キャンプやその周辺では、人口密度は1平方キロあたり20万人ちかくになる。(ガザには農地とかもある)そうしたところに、今イスラエルは爆撃をしているのである。
ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義 [ 岡 真理 ]
ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義 [ 岡 真理 ]
 イスラエルの民族浄化作戦により、難民となったパレスチナ人、その解放を目指すため、1957年、アラファト議長率いる民族解放組織ファタハが生まれる。1967年の第三次中東戦争で、イスラエルは東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、エジプトのシナイ半島とシリアのゴラン高原を占領、歴史的パレスチナの全土をイスラエルが占領したことをきっかけに、マルクス・レーニン主義を掲げるPFLP(パレスチナ解放人民戦線)やDFLP(パレスチナ解放民主戦線)といった、武装解放組織が立ちあがる。それでも違法なイスラエルの占領に対し、国際社会は何ら実行的な手を打たない中、1987年に第一次インティファーダが起こる。この時、ガザで結成されたのが、イスラーム主義を掲げる民族解放組織「イスラーム抵抗運動(略称ハマース)」である。
 1993年、オスロ合意がイスラエルとパレスチナ解放機構との間で結ばれ、相互承認とイスラエルの占領地(ヨルダン川西岸とガザ地区)からの撤退、パレスチナの暫定自治と、5年後の「最終的地位」確認と公正で永続的な包括的和平への合意がなされた。だがイスラエルは占領地での入植を続ける…93年の合意からの7年間で、入植者の数はそれまでの1.5倍になっている。イスラエルはパレスチナ自治政府に占領の下請けをやらせ、イスラエルに対する抗議も自治政府が取り締まる…「世界が「和平プロセス」と呼んでいたオスロ合意からの七年間のいうのは、占領下のパレスチナ人にとっては、占領からの解放の夢”独立国家”の夢が指の間から砂がこぼれ落ちるおうに日々遠ざかっていく、そうゆう絶望のプロセスでした(p73)」
 その絶望が2000年、第二次インティファーダとして爆発する。ハマースだけでなく、PFLPもファタハの戦闘員も自爆攻撃などを行った。2005年にイスラエルはガザから全入植地を撤退させ、イスラエル軍もガザから撤退した。ただし入植者は西岸に入植し、ガザはイスラエルによって封鎖されることになる。
 2006年、パレスチナ立法評議会選挙が行われる「EUの監視団なども来て近年稀にみる民主的な選挙であったとお墨付きを与えられましたが、その選挙でハマースが勝利を収めます。(p74)」ハマースは当初自分たちだけで組閣しようとしたが、ハマースをテロ組織と見なすアメリカやイスラエルはそれを認めようとしないため、ファタハのメンバーも含めて統一政府をつくろうとした。ところが「アメリカやEU諸国は、ファタハのメンバーに軍事訓練を施し、アメリカは、当時のガザ地区のファタハの治安部門の責任者だったムハンマド・ダハラーンという人物に兵站(武器や食料)を提供し、ハマースに対してクーデターを画策させます。(p75)」かつてチリのアジェンデ政権に対してやったことと同じことをしようとして、ガザは内戦状態になるが、その結果ハマースが勝利したのである。う~ん、やっぱり「ハマス政権」も結果的にアメリカが作った「反米政権」というわけだ!
とはいえその結果、パレスチナはガザのハマース政権と、西岸のファタハ政権の二重政権となり、「テロ組織」ハマースを政権与党として選んだパレスチナ人への報復として、2007年からガザの完全封鎖が始まる。「それ以前からハマース締め付けのために、ガザは封鎖されていたのですが、ここにおいて全面的な封鎖となります。人間の出入域、物資の搬入・搬出、全てをイスラエルが管理する。南の国境を管理しているのは、イスラエルと同盟しているエジプトですが、イスラエルの指示の下にあります。集団懲罰は、国際法違反です。p76」
 2014年には、統一政府を実現しようとしう動きもあったのだが、イスラエルの入植者3人がハマースによって殺害された(ハマースは否定)という口実で始まった「五十一日間戦争」によってそれもつぶされてしまう…ここまでが、昨年10月7日に起こった攻撃の前段である(つづくよ)
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
ではでは(^^)

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