先日1月17日は、阪神淡路大震災から30年ということであった。高度経済成長後に出現した大都市の直下で発生した大地震は、多くの犠牲を出すとともにたくさんの教訓を与えてくれた。
 あの地震まで「大地震安全神話」というものが日本にはあった…世界のあちこちで震災が起こり、高層ビルや高速道路の高架橋が倒壊していたが、「日本ではそういったことは起こらない!」という、変な”自身”があった。それは30年前のあの日に覆された…新幹線も高速道路もぶっ壊れ、横倒しになり、交通インフラは完全に破壊されたのである。
 新幹線や高速道路などのコンクリート構造物がもろくも壊れ去った原因は、たしかに想定していた地震動が甘く、直下型地震で強烈な振動を受けた場合を想定していない設計…せん断補強鉄筋の不足や、鉄筋の段落とし(柱の上の方に行くほど鉄筋が少なくなる…曲げモーメントだけに抵抗するのであれば、鉄筋は根元だけ沢山配置しておけばよいという設計思想に基づく)があげられる。しかし、それだけではなかった。高度経済成長期のイケイケどんどんで作られてきた構造物の、施工不良もその原因だったのである。
 「コンクリートの文明史」(小林一輔 岩波書店 2004年10月)には、こんなことが書かれている。
コンクリートの文明誌
ノーブランド品

 もろくも倒壊した山陽新幹線や阪神高速道路の高架橋のテレビ映像に私は息を呑んだ。どこかよその国の地震際涯ではないか、そんな錯覚を起こさせるような惨状であった。時間の結果とともに、手抜き工事の実態が次々と明らかにされた。倒壊した新幹線高架橋の柱は、施工当初から二分されており、一体化していなかった。鉄筋はガス圧接部分で剥離破壊していた。上部に帯鉄筋が存在しない柱もあった。
 しかし、私がもっとも衝撃を受けたのは一枚の写真であった。それは、単なる手抜き工事としてはかたづけられない異常な状態を示していた。その写真には新幹線高架橋柱の縦筋が見えている。柱の鉄筋は等間隔で配置することになっているが、この柱では鉄筋がまとめて無造作にほうりこまれてあった。写真では見えないが、その分、別の個所では鉄筋が疎らになっているはずである。縦筋を束ねる帯筋は通常直径10ミリの異形鉄筋であるが、実際に使用されていたのは六ミリの丸い鉄線であった。
 驚くべきことは他にもある。高架橋や橋脚が「ゴミ捨て場」になっていたのである。空き缶、角材、発泡スチロールなど、実に多彩なものが投げ込まれていた。なかでも極めつきは、コンクリートポンプの洗い滓が廃棄されていた武庫川橋梁の橋脚である。橋脚断面の中ほど数センチの層は洗い滓であった。橋脚のコンクリートは、この部分で二分されており、鉄筋のみでかろうじてつながっていた。
 このような犯罪的行為は、請負業者の暗黙の了解の元で行われたと考えるべきであろう。構造物が完成してしまえば、すべてが半永久的にお蔵入りとなる。外観からチェックできないからだ。震災が起こったから判明したのである。これらはどう考えても手抜き工事の範疇を超えている。施行の完全放棄である。(p178)

 こうした”手抜き工事”。施工不良がなぜ発生したか?一つは工期が限られていて時間がなかったということがある。山陽新幹線の工事では、開業時期が決められても、まだ用地問題等で釋種できない区間が存在していた…発表した開業時期にまにあわせるため、無理に無理をかさねて、途中の検査などもおろそかになっていったのである。そればかりか、施工手順そのものの手抜きもあった。本書には、こんな記述もある。
 それから十五年後に謎は解けた。当時、相生付近の高架橋工事に従事していた中堅ゼネコンの技術者から聞いた話は信じがたいものであった。通常、三日間程度は存置する高架橋柱の型枠をわずか八時間で外したというのである。セメントの水和反応が満足に進まないのでコンクリートはスカスカの状態になる。連続している床版の急速施行には移動式型枠が用いられた。通常の存置機関では、柱の施工が追いつかない。後は野となれ山となれという施工管理の放棄行為が起こりうる状況にあった。(p183)

 その他にも「シャブコン」といって、施工を早くするため生コン車ではいたツイされたコンクリートに後から水を加えて柔らかくする行為…水の量が多くなれば、コンクリートの強度が出なくなる…も、多くなされていたのではと推測されている。(こういった「シャブコン」、加水行為をさせない!というのが、全日建連帯関西生コン支部のコンプライアンス活動でもあるのだ!)施工不良・手抜き工事で震災に耐えられない構造物があったというのも、事実であろう。しかし、そういったことは公に明らかにされぬまま、誰も責任をとらず、とらせずうやむやにされた。倒壊した構造物は”証拠物件”でもあるのだから、存置して原因を徹底追及しろ!という声もあったのだが、交通インフラの復旧は大至急なされなければならない…ということで、ぶっ壊れたコンクリートの柱や床版などはさっさと撤去されてしまったのである。

 私は阪神淡路産震災で、現地を調査したり、ましてやボランティア加津堂で被災地の人々を支援したことはない…だが、こういた情報のは接していた。そして、土木技術者として、コンクリートの施工不良や品質不良を絶対にゆるさない!ということは、心に誓った次第である。そして、今も私がいるのだ!