7月8、9,10日と弾丸で宮古島に行ってきました。
8日の夕方、那覇経由で下地島空港から宮古入り、翌日はレンタカーで、保良の弾薬庫のところへ。


ここでは平日の午前中、保良集落の人が座り込みと監視行動を行っている。

ここで建設されている弾薬庫は3棟、ほぼ完成していて、あとは周辺の舗装工事を残すのみとなっている。ただ、3棟目はこれまで作られた2棟よりも小さくなっている…基地用地の取得に疑義があり、裁判で係争地となっているためだろうか?
また8日から宮古島に、社民党比例候補の山城ひろじさんが来島していて、あちこちで演説会とかをやっていた。保良の集落の公民館にも、ちょうどこの時間帯にやってきた。

保良の座り込み現場にもやってきて、あいさつ&演説をする山城ひろじさん。なお、にわかに空は書き曇り、大雨となった…ぐっちょんぐっちょんに…
この後、千代田駐屯地前で「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」の清水早子さんと合流し、案内してもらう。

千代田駐屯地内にある「黒鷹の勇士」の碑…2023年4月の陸上自衛隊ヘリ墜落事故で第8師団長ら幹部を含む10人の犠牲者を祈念するものだが、「黒鷹の勇士」とは英霊化まるだしのネーミングである。

駐屯地内には、電子戦部隊の車両や、ミサイル部隊の車両がたくさんいる…ただ、ミサイル部隊については日出生台演習場に車両ごと訓練に出かけているので、少なくなっているとのこと。
駐屯地に目隠しで餓えている木(ハイビスカス)も大きくなってきたので、写真が撮りにくい。

基地に隣接している、基地拡張予定用地。

航空自衛隊の、野原のレーダー基地…見えにくいが、PAC3が常時、展開している。

株式会社エム・ジー・シーが建設した、怪しい電波受信ドーム?。5基もある!民間の施設だが、軍事用に使われるのだろうと清水さんは懸念していた。

このあと、宮古島市歴史文化資料館で行われていた「戦後80年「慰霊の日」関連企画展 新たな戦争遺跡」を見学。主にパネルで説明を見るだけの地味な展示内容であったが、宮古島に米軍の上陸に備えて壕がたくさん掘られ(飛行場も現宮古空港になる場所も含め、3カ所建設され、米軍上陸が良そうされる海岸には、特攻艇を秘匿する壕も掘られた)、米軍とガチで戦争をする準備が整えられていたことに改めて戦慄するものだ。宮古島への米軍上陸は無かったが、空襲や艦砲射撃はあったし、3万人もの
日本軍上陸による食料不足や、マラリア焼結地帯への強制疎開などで多くの住民が犠牲になっている。もし、米軍が上陸して戦闘になった場合、沖縄島と同様のさらに悲惨なことが起こったであろう。
また、そういった記録をきちんと残し、資料化している宮古島市職員にも頭が下がるものだ…画像は企画展で配られていた無料パンフのものである。

次は伊良部島に取って返し、自衛隊のヘリが墜落した海域をみる。

夕方は、毎週水曜日にやっているサンエー前でのスタンディング行動に参加。

翌日は、これも毎週木曜日午前中の、千代田駐屯地前のアピール行動に参加。

駐屯地の正門で歩哨している兵士は、銃をかかえている!2021年からだそうな。

電子戦部隊配備反対!

スタンディング後は、宮古島市総合博物館に行ったり。

市街地のはずれ、宮古島空港の近くに建てられたの自衛隊宿舎や

国家公務員の宿舎…おもに会場保安庁の職員が入っているようだ。

今年2月に、電子戦部隊車両搬入の阻止闘争が行われた、平良港。

伊良部大橋手前にある、特攻艇秘匿壕。

伊良部島、長山港に停泊する、海上保安庁の巡視船などを見て、下地島空港から帰りました。
詳細な報告は、別途。
8日の夕方、那覇経由で下地島空港から宮古入り、翌日はレンタカーで、保良の弾薬庫のところへ。


ここでは平日の午前中、保良集落の人が座り込みと監視行動を行っている。

ここで建設されている弾薬庫は3棟、ほぼ完成していて、あとは周辺の舗装工事を残すのみとなっている。ただ、3棟目はこれまで作られた2棟よりも小さくなっている…基地用地の取得に疑義があり、裁判で係争地となっているためだろうか?
また8日から宮古島に、社民党比例候補の山城ひろじさんが来島していて、あちこちで演説会とかをやっていた。保良の集落の公民館にも、ちょうどこの時間帯にやってきた。

保良の座り込み現場にもやってきて、あいさつ&演説をする山城ひろじさん。なお、にわかに空は書き曇り、大雨となった…ぐっちょんぐっちょんに…
この後、千代田駐屯地前で「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」の清水早子さんと合流し、案内してもらう。

千代田駐屯地内にある「黒鷹の勇士」の碑…2023年4月の陸上自衛隊ヘリ墜落事故で第8師団長ら幹部を含む10人の犠牲者を祈念するものだが、「黒鷹の勇士」とは英霊化まるだしのネーミングである。

駐屯地内には、電子戦部隊の車両や、ミサイル部隊の車両がたくさんいる…ただ、ミサイル部隊については日出生台演習場に車両ごと訓練に出かけているので、少なくなっているとのこと。
駐屯地に目隠しで餓えている木(ハイビスカス)も大きくなってきたので、写真が撮りにくい。

基地に隣接している、基地拡張予定用地。

航空自衛隊の、野原のレーダー基地…見えにくいが、PAC3が常時、展開している。

株式会社エム・ジー・シーが建設した、怪しい電波受信ドーム?。5基もある!民間の施設だが、軍事用に使われるのだろうと清水さんは懸念していた。

このあと、宮古島市歴史文化資料館で行われていた「戦後80年「慰霊の日」関連企画展 新たな戦争遺跡」を見学。主にパネルで説明を見るだけの地味な展示内容であったが、宮古島に米軍の上陸に備えて壕がたくさん掘られ(飛行場も現宮古空港になる場所も含め、3カ所建設され、米軍上陸が良そうされる海岸には、特攻艇を秘匿する壕も掘られた)、米軍とガチで戦争をする準備が整えられていたことに改めて戦慄するものだ。宮古島への米軍上陸は無かったが、空襲や艦砲射撃はあったし、3万人もの
日本軍上陸による食料不足や、マラリア焼結地帯への強制疎開などで多くの住民が犠牲になっている。もし、米軍が上陸して戦闘になった場合、沖縄島と同様のさらに悲惨なことが起こったであろう。
また、そういった記録をきちんと残し、資料化している宮古島市職員にも頭が下がるものだ…画像は企画展で配られていた無料パンフのものである。

次は伊良部島に取って返し、自衛隊のヘリが墜落した海域をみる。

夕方は、毎週水曜日にやっているサンエー前でのスタンディング行動に参加。

翌日は、これも毎週木曜日午前中の、千代田駐屯地前のアピール行動に参加。

駐屯地の正門で歩哨している兵士は、銃をかかえている!2021年からだそうな。

電子戦部隊配備反対!

スタンディング後は、宮古島市総合博物館に行ったり。

市街地のはずれ、宮古島空港の近くに建てられたの自衛隊宿舎や

国家公務員の宿舎…おもに会場保安庁の職員が入っているようだ。

今年2月に、電子戦部隊車両搬入の阻止闘争が行われた、平良港。

伊良部大橋手前にある、特攻艇秘匿壕。

伊良部島、長山港に停泊する、海上保安庁の巡視船などを見て、下地島空港から帰りました。
詳細な報告は、別途。