たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

さつま町

さつま町弾薬庫フィールドワーク

 戦争止めよう!沖縄・西日本ネットワーク結成集会の翌日、2月23日はさつま町へのフィールドワークである。鹿児島中央駅の前から車に分乗して、高速道路を経由し、国道504号を通ってさつま町へ。国道は途中から高規格道路「北薩横断道路」にはいり、永野インターで降りてすぐ…
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 弾薬庫の建設計画がある、中岳が見えるところで下車…手前の道路が、北薩横断道路。木を伐り出した山の向こう側が、中岳である。

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 ここでパネルを掲げて説明。中岳は大部分が国有林であり、用地取得の問題がない。山のどこかにトンネルを掘って弾薬庫とする計画である。ここに調査費として今年度、10奥円もの予算がついた…来年、設計に2億円をかけるそうな。なお、調査費がかさむのは地形の調査や土質地質調査だけでなく、環境調査…そんな生物がいるか、生態系の調査…にけっこう費用がかかるかららしい。また、北薩摩横断道路のインターチェンジの近くでもあり、北薩横断道路が整備されれば鹿児島空港まで1本、また国分駐屯地と川内駐屯地の中間地点にあたるという立地でもある。
 大分の敷戸や京都・祝園と違って住宅が密集しているわけではないが、それでも静かに人が暮らす山里に突然、弾薬庫の建設計画が降ってわいてきたのだ!なお、中岳の向こう側から流れる河川水は、ここらへんで使う種籾を育てる田んぼに流れているとのことで、水源への影響が心配されている。ただ、地元の動きとしては「建設ありき」で、そういった水源の問題と、地元に仕事をまわすようにしてほしいといった要望があるぐらいだそうな。
 再び車に乗って、中津川交流館に向かう。途中「自衛隊歓迎」ののぼり旗があちこちで見られる…地元商工会が力を入れて立てまくっているのだろう。
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 中津川交流館に到着。

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 奥の建物で、さっそく交流集会…具志堅隆松さんのお話し。沖縄の市民団体として、上海の研究機関に赴いたとき、「米軍が撤退すれば、沖縄に中国軍が来るのではないか?と心配する人がいる。中国はそのようなことを考えているのか聞いてみた…そのようなことはないと答えた…沖縄の市民団体が国の政策である”軍縮”について聞かざるを得ないのは、そうしなければ私たちが脅かされるからだ…」というような話であった。
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 さつま町に弾薬庫はいりません。

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 さつま町、上間さんから先ほどのフィールドワーク時に聴いたのと同じような内容の講義。

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 佐賀からオスプレイ配備に反対する行動についての説明。
 
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 大分での行動についての説明…こうしたプラカードを作って掲げている…核兵器なら多くの人が反対するが、通常のミサイルでも人が殺される、だから反対しなければならないという論理は、人口密集地でなければ弾薬庫があってもやむをえないという論理に抗するものだ。
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 ノーモア沖縄戦、えひめの会の高井弘之さんから、西日本ネットワークの意義についての説明。その後の質疑・自由討論で、さつま町の人から「(中国が脅威だから)自衛隊を歓迎するという人もいる…そういった人にどう説明するのか?」というような質問が出た。それについて、こちらが犠牲になるということと、こちらから攻めていくことは確率的には同じはずなのに、こちらから攻めていくことは考えない…自衛隊増強の「加害性」を認識し「被害者にも、加害者にもならない」ということを掲げようということであった。また具志堅隆松さんは「隣の家との関係が悪くなった…隣は包丁を磨いている、ではこちらはもっと大きな包丁を買ってこよう。隣は刀を買った、だったらこちらは槍だ…こんなことをやっていれば際限がない」と軍拡競争を批判するたとえ話を展開した。
 福岡の人から、戦争に反対するためには、排外主義と闘わなければならない、また26日の宮古島への電子戦部隊配備に抗議に行くとの表明があった。
 最後にさつま町の武さんから、父親の兄が特攻で亡くなっていること、その叔父さんの手紙がずっと封印されていたが、父親が亡くなり引き出しを開けてそれを出したことなどの反戦の思いを語られた。
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 お昼前に交流会が終わり、昼食はとってもおいしい豚汁をごちそうになる。
 
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 そのあと、さつま町薩摩支所まで車で移動して…

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 弾薬庫建設反対のアピールスタンディングを1時間ほど行った。

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 スタンディング終了後、中岳をバックに記念撮影…後ろの長いミサイルの横断幕は、祝園ネットが持ってきたもの。長さ9メートルの実物大ミサイルのイラストである。 
 ここで22,23日の一連の行動は終了…皆さま、おつかれさまでした。

金も出たぞ!さつま町

 22日に行われる戦争止めよう!沖縄・西日本ネットワーク結成集会の翌日のフィールドワークでは、さつま町中岳(弾薬庫建設予定地)、その近くの中津川交流館へ行くのだが、中津川交流館の場所を調べているうち、少し近くに鉄道が通っていたことが明らかになった。
 さつま町には現在、鉄道は通っていないのだが、1987年1月まで国鉄宮之城線が走っていた。ちなみに現さつま町は2005年に宮之城町、鶴田町、薩摩町が合併してできた自治体である。その3村を貫いて、鹿児島本線の川内~薩摩大口66.1㎞を結んでいた国鉄のローカル線があったのだ。
 晶文社、全国鉄道地図帳の188ページを開くと、こんな感じで記載されている。
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 赤い星印が、中津川である。
 宮之城線の説明には
 大正時代より工事が進められ1937年(昭和12年)に全通。永野金山と精錬施設で活気があった永野地区への駅設置のため、薩摩永野駅は行き止まり式の構造を採用している。一時は佐渡を凌ぐ産出量を誇った金山が1953年に閉山になると、赤字ローカル線に転落、末期は1・2両の気動車が僅かな貨車を牽く程度の輸送量であった。
 とある。黄色のアンダーラインが、永野鉄道記念館という、旧駅舎を利用した記念館となっている。ホーム跡や線路も残っているようだ。
 この外、さつま町内には、旧宮之城町の中に宮之城鉄道記念館(旧宮之城駅跡)や、旧薩摩鶴田駅跡の鶴田鉄道記念館がある。

 さて永野金山とその精錬施設という言葉もあるよう、さつま町には金山もあったのである。
永野金山産業遺跡群
 なんでも1640年に宮之城領主・島津久通が発見したもの…幕府の許しを得て薩摩藩が採掘を開始する。江戸時代中期には佐渡の金山よりも金の産出量が多かったそうだ。おお、これも薩摩藩が幕末に幕府を倒す財源となったのであろう。明治以降は近代化が進められ、水銀を用いたアマルガム法、水力や蒸気機関の導入が行われた。1904年から1912年まで第七代鉱業館長を務めた五代龍作(五代友厚の娘婿)は更なる近代化を推し進め、シアン化カリウムを用いる青化法の導入や電化、新たな精錬所を永野に作るなどしたとのことである。太平洋戦争中に金鉱山整備令によって「不要不急産業」に指定され,休山。1950年に再開するも、新たな金鉱脈が見つからず53年には休山状態となった。正式な閉山は1965年である。
 まぁ、永野地区の奥山には、金山跡の坑道がボコボコ開いているわけだが、ここをミサイル弾薬庫に再利用するわけではない。弾薬庫建設予定地は国道504号(北薩横断道路)を隔てた中岳のふもとあたりらしい。

 なお国鉄宮之城線の終点、薩摩大口駅も現在はない…これも国鉄(JR)山野線という、1988年2月に廃止された路線の途中駅である。山野線は鹿児島本線水俣から、肥薩線栗野を結ぶ55.7㎞の路線で、全国鉄道地図帳では、
 金などを産出する鉱山への人員資材輸送のため1937年(昭和12年)に全通、軽便鉄道がルーツで規格の低い「簡易線」であったが、1970年までは気動車1両の急行「からくに」も走っていた。途中の大川ループ線は標高差30m、直径320mと国鉄最小サイズ。
 とある。金などを産出する鉱山は、永野金山の他沿線に何カ所かあったのかもしれない。
 
 以上、さつま町の廃線と金山のおはなしである。
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
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