たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

映画・芸術

太田昌秀と翁長雄志

 映画太陽(てぃだ)の運命を観てきた。
 政治的立場は正反対であり、互いに反目しながらも国と激しく対峙した二人の沖縄県知事がいた。1972年の本土復帰後、第4代知事の大田昌秀(任期1990~98年)と第7代知事の翁長雄志(任期2014~18年)である。ともに県民から幅広い支持を得、保革にとらわれず県政を運営した。大田は、軍用地強制使用の代理署名拒否(1995)、一方の翁長は、辺野古埋め立て承認の取り消し(2015)によって国と法廷で争い、民主主義や地方自治のあり方、この国の矛盾を浮き彫りにした。大田と翁長、二人の「ティダ」(太陽の意。遥か昔の沖縄で首長=リーダーを表した言葉)は、知事として何を目指し、何と闘い、何に挫折し、そして何を成したのか。そこから見えるこの国の現在地とは―。

 大田昌秀と翁長雄志という、国と最も対立した二人の沖縄県知事から、沖縄の基地問題を描いた労作である。今、国によって強行されている辺野古新基地建設について、20年以上の歴史的経緯もおさらいできる映画である。
 大田知事について、上のキャプションでは軍用地強制使用の代理署名拒否があげられているが、太田県政を追い詰めたのは、普天間代替施設の辺野古への建設問題である。「代替地」を沖縄・辺野古にしなければ、普天間は動かない…一方、県民が望むのは「もうこれ以上米軍基地はいらない」である。名護市では市民投票が行われ、辺野古新基地建設には反対の民意が示されたにもかかわらず、当時の市長は「受け入れ」を表明した後、辞任。太田県政も国からの兵糧攻め、「県政不況」に追い込まれる。
 ここで大田知事を引きずりおろしたのが、翁長雄志だった。映画でも出てくるが、議会で大田知事をボロクソに攻撃していた。とにかく国の提案、辺野古への移設を認めて県政を前に進めろ!というわけだ。次の選挙で大田知事は落選し、稲嶺恵一知事が誕生する(稲嶺氏も映画に出演されているよ)。稲嶺県政で、条件付きで辺野古への代替施設受け入れ表明がなされる。その条件とは、軍民共用で15年の使用期限を設けるというもの、普天間は5年以内に返還されるはずであった。だが小泉政権下でその計画も反故にされ、現行のシュワブ沿岸を埋め立てた恒久的な基地建設が進められる。なお「沖縄に寄り添った」とされる橋本政権も、軍用地の代理署名拒否ができなくなるよう特措法を改悪し、普天間の「返還」を決めたものの代替地を沖縄県内に設定するという酷いものだ。また当時は米海兵隊の沖縄通流の戦略的重要性が”ある”と信仰されていた時代でもあり(左翼もそう言っていた)海兵隊の基地は日本のどこにあってもよいという発想すら出てこなかったし、「本土で引き取る」なんてことも発想されなかった時代でもあった(現代でも「本土で引きとる」という考えは主流にこそなってはいないが、発想はされるし、「引き取る行動」として市民運動もある)
 大田昌秀は鉄血勤王隊として沖縄戦を体験し、戦後は米国留学や琉球大学教授など学究の道から「革新」の立場で政治家になったのに対し、翁長雄志は戦後、保守の政治家の家系に生まれる、根っからの保守政治家である。将来の目標は、那覇市長だったそうな。ただ那覇市であれ沖縄県であれ、首長をやるということは一つの党派やイデオロギーに拘泥するだけでなく、幅広い調整能力や異なる意見を聞く寛容さなどが必要となる…翁長にはそれがあった。映画のプロフィールにも書かれているが、教科書検定で「集団自決」の削除、修正に対し反対の声をあげた県民大会や、2012年オスプレイ配備に反対する県民大会、さらには政府へ「建白書」を携えて政府に直訴する行動(この時のクソ右翼どもの罵詈讒謗も映画にでてくる)…やがて辺野古新基地建設の埋立承認を巡り、政府と対立することになる。翁長が辺野古埋立反対で政府と対立するようになっても、映画の中で太田は翁長を認めることはなかったが、最期はどうだったであろうか…

 大田も翁長も、県民大会で発言するシーンが出てくる…太田知事はあまり「ウチナーグチ」で語るシーンは見られない。一方、翁長知事は「ウチナーグチ」であいさつし、語り掛ける…ただしこれは、大田よりも翁長がよりウチナンチューのアイデンティティーを大切にした…というわけではない。太田から翁長までの20年間に、先住民の権利や琉球のアイデンティティ復権の動きも進められてきた結果でもあるだろう。とはいえ、そうした太田と翁長の違い、時代の違いと、やはり沖縄に基地を押し付け続けてきた、変わらない「本土(の政治と私たち)」を映し出すドキュメンタリー映画である。

遅すぎる映画「戦雲(いくさふむ)」

 先日、三上知恵監督の映画「戦雲(いくさふむ)」を観てきた。
 
 自衛隊ミサイル部隊配備を始め、どんどんと軍事要塞化が進められていく与那国島、石垣島、宮古島、沖縄島のたたかい・状況を報告する映画である。
 しかし、遅い、遅すぎる…

 映像内では、基地建設工事が着工し、赤土をむきだしにした工事現場が広がる。そこに反対する住民がコールを上げたり、牛歩をしたりして抗議しているのだが、結局基地や弾薬庫ができあがってしまう。
 石垣島では、若い人が中心になって、基地建設の是非を問う住民投票をやろう!と署名を集める…しかし、署名は法定数を大きく超えて集まったにもかかわらず、石垣市は住民投票条例を否決した。駐屯地は2023年の3月に開設される。
 与那国島では「国境警備」という名目で自衛隊配備がなされた。自衛隊が来る前は、島の未来をどうするか?という議論がなされていたが、自衛隊が誘致されれば、その議論は消えた…演習で、自衛隊の装甲車(戦車)が公道を走るようになる。国境警備から、ミサイル部隊を置く話へ…さらに港湾を整備するということで、島の南側、琉球列島最大の樽前湿原を大きく掘削した港や、滑走路延長計画も持ち上がってくる。自衛隊員は、地元久部良の祭り、ハーリーに参加している。子どもは、自衛隊員のお子どもは「与那国が好き」と言う…島が「自衛隊ありき」の町づくりになってしまうのだ。

 自衛隊基地は、宮古島でも、沖縄島でもすでに出来上がり、ミサイル弾体も運び込まれている。いったん基地が出来れば、そこを拠点にドンドン「反撃能力」を持つための「軍拡」が進められる。
 もちろん、まだまだ「第二ラウンド」以降がある…これ以上の軍拡・基地拡大や機能強化に反対していかなければならない。3月30日にうるま市・勝連分屯地では第七地対艦ミサイル連隊の編成完結式が行われたが、うるま市でゴルフ場跡地に計画されている自衛隊の訓練場…おそらく米軍との興津訓練にも使われるであろう…は、県知知事や保守系の議員も声を上げ、住民の反対運動が続いている。まだまだやらなければならないことは多くあるのだが…

 監督は意図していないだろうが、映画のシーンを見ていると「手遅れ」感を感じる…「反対していたけれど、基地はできてしまった」…この映画の完成は情勢に比べ”遅い”のだ!監督もそのあたりは把握していたので、この映画が完成する前、スピンオフ企画「沖縄、再び戦場(いくさば)へ」を昨年完成させた。しかし、悪い言い方をすれば、基地が完成して、全てが終わってから、本映画の映像が”完成”している…監督はそれを待っていたのではないか?

 監督を批判するのはたやすい…だが振り返って私たちをみれば、ようやく昨年宮古島の要塞化に反対する会を立ち上げたり、「沖縄を再び戦場にさせない」ための取り組みを始めたりと…後手後手のことばかりしかできていないではないか?この映画を視て「絶望」を感じることは簡単だが、それを乗り越えること…しかも三上監督を頼らないで…ということが大切だと思うぞ。

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

 鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎を観てきた。【ネタバレ注意】
 水木しげる先生の生誕100年を記念してつくられた本作は、水木先生の思想、世界をあまるところなく盛り込んだ素晴らしい作品である!
 「鬼太郎」の誕生譚について、知っている人もいるだろうが、最後の「幽霊族」である母親が死んで埋められた土の中から、おぎゃーと生まれた…父親も死んで腐ってしまったが、子を思う気持ちが強く、目玉だけ生き残る。寺の隣に住んでいるしがないサラリーマン水木が、鬼太郎を育てることになる…というもの。
 本作はその前日譚であり、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」第6期のプロローグという位置づけでもある。

 本作ででてくるサラリーマン水木は、なかなかかっこいい!「帝国血液銀行」に勤める、野心あふれるサラリーマンだ。もっとも先の大戦での「玉砕部隊」の生き残りという過去をもち…このへんは水木先生の戦争体験や「総員玉砕せよ!」と話がかぶってくる、ここで本作の「水木テイスト」が深みをもってくるのだ…左目の上に刀傷のようなものもある。
総員玉砕せよ! (講談社文庫)
水木 しげる
講談社
1995-06-07

 水木は野望と密命を帯びて、龍賀一族の当主、時貞の死を弔うため哭倉村に赴く…夜行列車の中はたばこの煙で充満し、子どもがせき込んでいる(つい30年ぐらい前の大昔は、受動喫煙の被害もへったくれもなく、公共の場や職場、家庭内でおおっぴらにタバコを吸ってよい社会だった…水木の勤めるオフィスも煙が充満しているような描写がある…そういえば鬼太郎自身、「墓場鬼太郎」のような初期の作品では子どものくせに?平気でたばこをふかしていた)哭倉村の手前までは、タクシー…なぜか村の入り口のトンネル手前で降ろされるが…トンネルを抜けると、緑豊かで光あふれ、湖の水面がキラキラ光る哭倉村が広がる…すぐ後から始まる、陰惨なストーリーを際立たせる描写だろう。ちなみに結構広い湖、中にはストーリー上重要な「結界」で封印された島もあるようなところは、どこだろう?水木先生の故郷なら山陰だが、山陰、中国山地の山奥に、大きな湖はない。電源開発のために戦後つくられたダム湖でもないようだ。
 龍賀家の屋敷は、さすがに立派…トンネルの手前でタクシーが引き返すような山奥にあるとは思えないぐらいの権勢を誇る。そこに通された水木は、あくまでもよそ者だ。屋敷の大広間に一族、関係者が集まる中、次の当主は誰か?時貞の遺言書が読み上げられる。龍賀製薬の社長で、時貞の長女の婿である克典は自分が投手に指名されるであろうことを望んでいた…もちろん、取引先の水木も同様である。だが、指名されたのはずっと人前に出てこなかった、長男の時麿であった!それは孫の時弥が成長し、当主になるまでの「つなぎ」でもあるという…ここから、龍賀家の跡目争いが起こる。
 龍賀製薬は、特定の富裕層にのみ、何日間も不眠不休で働ける「血液製剤M]を販売し、富を蓄積していた。先の大戦時に、特攻隊や勤労奉仕員の士気を上げるため覚醒剤(ヒロポン)が使われていいたそうだが、それよりも古い日清、日露戦争時から使われ、日本の発展や、戦後復興の原動力にもなったという設定だ。だがこの血液妻財Mの原材料も、哭倉村でひそかに作られているという…その製法は龍賀製薬の社長、克典さえも知らされていない…水木は克典に取り入るだけでなく、その製法の秘密を探りに来たというわけでもある。
 龍賀一族のしきたりでは、当主の葬儀まで一族の者はそれぞれの部屋にこもって身の潔斎を行うのだが、そんな中で一族の者が惨殺される!ここから横溝正史ばりのホラー展開になるのだが、そこに「犯人」の疑いで囚われるのが、鬼太郎の父である。行方不明になった妻の気配があると教えられたので、ここに来たと。村人から惨殺される寸前に、水木が父親を助けることになるが、村長宅の座敷牢で父親を監視することになる…便宜上、水木は彼のことを「ゲゲ郎」と呼ぶようになる…

ここから二人の、血液製剤Mの謎ときおよびゲゲ郎の妻探しの冒険がはじまるのだが、このへんでやめておこう…

それにしても
①ゲゲ郎も幽霊族だから、鬼太郎と同じような能力をもって、人や妖怪とたたかうことができる…このアクションがすごいぞ!
②ゲゲ郎、目玉だけになる前から、風呂が好き!
③幽霊族の地を人間に輸血すると、人間は生きながら死体となる…という重要設定もそのままキープ…バラすと、この死体人間から血液製剤Mを作ったいるらしい。また死体人間をつくるために、幽霊族の血もまた集められていた…これが、龍賀一族の権勢と因習の”秘密”でもあった。
③当初、自らの野心と出世…それは戦争で全てを失い、また戦争から帰ったら待ていた母親も悪い奴らに騙されて全てを失っていたことからの反動なのだが…それのみで動いていた水木が、ゲゲ郎との付き合いで「見えないもの(妖怪たち)」が見えるようになり、変わっていくのが定番のだいご味…ゲゲ郎が捉えられ、絶体絶命のピンチに陥った時、水木は時貞の孫娘、紗代をつれてトンネルを抜けようとしていたのだが、ゲゲ郎を助けるために引き返すのだ!
④いつものあの男は、ずっと前からゲゲ郎とはお知り合い…今回は裏切らなくてよかったね。
⑤結局、ラスボスを倒し、血液製剤Mもこれ以上作れなくなるわけだが、これは「戦前・戦後を貫く闇」を倒したというより、誰かの犠牲…この場合は滅ぼされる幽霊族や、死体人間とされた村人…の上に立つ繫栄や発展を拒否するという、ゲゲ郎や鬼太郎、さらには水木先生(もっとも水木先生はそこまで深刻に考えていないだろうな)の生き方が反映されたものだろう。
⑥それにしても、幽霊族の死体から血を吸って咲き誇る桜の赤いこと、きれいなこと…
⑦でも結局、ゲゲ郎の妻の死体がいつ埋められて鬼太郎が誕生したのか?ゲゲ郎がなんで目玉だけ残っって生きているのかは、謎のまま…生まれるこどもの生きる世界をみたみたいぞ!だけではわからんぞ?

ではでは…

ガールズ&パンツァー劇場版最終章第4話

 ガールズ&パンツ―アー劇場版最終章第4話を観てきた…


以下、ネタバレあり…
・いくら戦車が頑丈だからといって、あれだけゴロゴロ転がったらぶっ壊れると思う…
・継続高校もそれなりに人がいて、戦車持ってるんだ。
・「魔女」は実はたいしたことなかった⁉
・ヤンキーがいるぞ!
・通信手段は、楽器‼
・ソ連の戦車をフィンランドに供与してよいのか⁉カチューシャ。
・砲撃で雪崩を起こす…というのは、さすがに「反則」ではないだろうか?(雪崩に埋まっちゃうと、確実に人が死にます)
・戦車の中でビールを飲んではいけない…というか、高校生がビールを飲んではイケナイ(ノンアルという設定なのだろうな)
・聖グロメンバーも、増殖!
・飛び級で大学行ったヤツが、高校に再編入するのは落第というのでは⁉
・無限軌道杯、決勝戦。対戦相手はやっぱり(というか予想通り)あのチーム。

えーんたーえんたーみっしょん…

おまけ
映画見るついでに本屋さんによったら、岩波ブックレット№.1080 検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?があったので、購入。
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 ではでは…

「福田村事件」を観たぞ

 1週回以上前の話だが、映画福田村事件を観てきた。(少々ネタバレあり、注意)
 関東大震災における、流言飛語による朝鮮人・中国人などの虐殺事件のなかで、朝鮮人と間違われて被差別部落民が殺された事件を題材にしている。
 本題である朝鮮人に対する虐殺を描かないでどうするんだ!というような批判もあるのだが、この映画は朝鮮の植民地化、独立運動圧殺や差別もベースにきちんと描かれているし、部落差別や女性差別・抑圧、ハンセン患者への差別も描かれている。そして社会主義者の虐殺、されに「大正デモクラシー」の敗北が、次の悲劇を生んでいったであろうということも暗示される。(もちろん、関東大震災時における敗北が、ストレートに次の戦争への悲劇につながったわけではない。抵抗は1,920~30年代も継続されたのであるが…)

 映画は、大震災が起こる前の福田村や周辺のひとびと、また殺される讃岐の行商団の様子を細かく伝える。福田村に、朝鮮で教師をしていた沢田智一(井浦新)がつれあいを連れて帰ってきた。汽車の中でシベリア出兵で夫を亡くした島村咲江(コムアイ)が一緒だ。村の入り口で在郷軍人たちが盛大に咲江を迎える。インテリである村長(豊原功補)は同じインテリの沢田の帰郷を喜び、村にデモクラシーを根付かせるため一緒に頑張ろうと励ますが、沢田は村でなれない農業を始める。
 行商団は被差別部落の人たちが、食うために讃岐の村をあとにした。ハンセン病患者に”効かない薬”を売りつけることもする(もちろん効かない薬ばかり売っているわけはない。また効かない薬であっても、それが必要とされることもある)彼らは被差別者であるが、日本に来ている朝鮮人に対する意識は様々だ。あからさまに差別感情を持っているも者は、朝鮮人の飴売りに対し「(朝鮮人の飴は)何が入っているかわからん!」といって蔑むが、その言葉を聞いた行商団のリーダー、沼部新介(永山瑛太)は「自分も同じようなこと…部落民のつくるものには、何が入っているかわからん…を言われた」とそれをたしなめ、飴をたくさん購入する。行商団の何人かは「お守り」を持っているが、それは「水平社宣言」が書き込まれた紙であった。
 町では労働争議が行われたりして、赤旗・黒旗が掲げられたりもしている。争議では朝鮮人が戦闘的に闘うそうで、それを憎々しげに語る村の労働者がいる。新聞記事は「いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽り、市民の不安と恐怖在郷軍人も含む村の宴会では、日清戦争時の「旅順の虐殺」経験者も出てくるが、年齢的には朝鮮植民地化前後の、独立運動弾圧をしてきた人たちなのであろう。朝鮮人虐殺に向かう下地は、十分に描かれている。村での女たちの「不倫」模様も描かれるが、「不倫」は家父長制への反抗である!「不倫」への非難は「男が安心して戦場で戦えない!」という、まことに身勝手なものでもあった…家父長制が天皇制をささえ、戦争を支えているのだ!
 震災が起こる…避難民が逃げてくるとともに、「朝鮮人が火をつけた」「井戸に毒を入れた」などの流言飛語もやってくる。良識をもっている村長はそんなことはないと否定するが、村では在郷軍人が自警団を結成し、気勢をあげる。恐怖と憎悪に包まれる中、沢田はつれあいに、朝鮮で独立運動鎮圧の虐殺(「堤岩里(チェアムリ)教会事件」らしい)に加担していたことを語る。東京ではすでに、朝鮮人虐殺や社会主義者虐殺が始まっている。飴売りの朝鮮人少女も虐殺された。
 戒厳令が出され、治安は軍や警察、行政が責任をもつことになったので、村の自警団はいったん解散だ。何かことを期待していたのか、残念がる村の男たち…女たちは「戦争ごっこ」だと男たちを非難し、早く日常の仕事に戻るよう促す…だがそこに行商団がやってくる。渡し舟で川を渡りたいが、15人もの人間と大量の荷物だ。渡し守(東出昌大)とトラブルになり、村の人も集まってくる。ここで「朝鮮人ではないか?」と疑われるわけだ。半鐘が鳴らされ、さらに多くの村人が竹やりなどの武器も携えてやってくる。村の警察は、行商の鑑札を確認が済むまで手をださないよう注意するが、在郷軍人たちは「十戦十五倫と言ってみろ」「歴代天皇の名前を言ってみろ」などと尋問を繰り返す。沢田のつれあいが「私はこの人たちから薬を買った、この人たちは朝鮮人ではありません!」と必死に弁護するが、リーダーの沼部伸介は「朝鮮人ならころしてもええんか!」と、まっとうなことを叫ぶ、それと同時に彼の頭にとび口が下ろされ、虐殺がはじまってしまう…
 沼部の「朝鮮人だったらころしてもええんか!」というのは普遍的な人権思想、いやそれ以前のあたりまえのことだと思うのだが、その当たり前を叫んだ直ぐ後に、それを打ち消す虐殺が始まる描写は、本当に恐ろしい…まっとうな意見が通らず、虐殺がはじまってしまう差別社会ニッポン(「同調圧力」のせいだけにしてはイケナイ)の恐ろしさである。まやこのセリフは、様々なものに置き換えて考えることができる…「障害者だったら、ころしてもええんか!」「トランスジェンダーだったら…」「外国人だったら…」あるいは「アイヌだったら、琉球人だったた遺骨をかえさなくてええんか」「沖縄だったら、基地が集中していてもええんか」等々…この叫びは、死刑制度に反対し、オウム事件をドキュメンタリーとして撮ってきた森達也監督もいちばん言いたかったことだろう。

 虐殺のシーンは、ある意味しつこく描写される…何人からも竹やり等で突かれ、川に追い詰められ、死体は画がされる…殺される側の理不尽さ、恐怖をまじまじと見せつけられるが、これは同時に朝鮮人に対して、もっと大規模に行われてきたのだ!それを想像しなさいということだと思う。また、事件後、生き残りの少年が取り調べる刑事に対し、虐殺された9人の名前、それと生まれてくるはずだった赤ん坊につける予定の名前を告げる…これも、虐殺された人には、一人ひとり、名前のある、人生をいきていたのだ!ということだ。飴売りの朝鮮人少女も、殺される寸前、奪われた自分の名前を高らかに叫んだ!このことも、皆さん、想像してくださいということだ。

 映画「福田村事件」いい映画なので、絶対に観ろ!と書いておく。
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
ではでは(^^)

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