映画太陽(てぃだ)の運命を観てきた。
政治的立場は正反対であり、互いに反目しながらも国と激しく対峙した二人の沖縄県知事がいた。1972年の本土復帰後、第4代知事の大田昌秀(任期1990~98年)と第7代知事の翁長雄志(任期2014~18年)である。ともに県民から幅広い支持を得、保革にとらわれず県政を運営した。大田は、軍用地強制使用の代理署名拒否(1995)、一方の翁長は、辺野古埋め立て承認の取り消し(2015)によって国と法廷で争い、民主主義や地方自治のあり方、この国の矛盾を浮き彫りにした。大田と翁長、二人の「ティダ」(太陽の意。遥か昔の沖縄で首長=リーダーを表した言葉)は、知事として何を目指し、何と闘い、何に挫折し、そして何を成したのか。そこから見えるこの国の現在地とは―。
大田昌秀と翁長雄志という、国と最も対立した二人の沖縄県知事から、沖縄の基地問題を描いた労作である。今、国によって強行されている辺野古新基地建設について、20年以上の歴史的経緯もおさらいできる映画である。
大田知事について、上のキャプションでは軍用地強制使用の代理署名拒否があげられているが、太田県政を追い詰めたのは、普天間代替施設の辺野古への建設問題である。「代替地」を沖縄・辺野古にしなければ、普天間は動かない…一方、県民が望むのは「もうこれ以上米軍基地はいらない」である。名護市では市民投票が行われ、辺野古新基地建設には反対の民意が示されたにもかかわらず、当時の市長は「受け入れ」を表明した後、辞任。太田県政も国からの兵糧攻め、「県政不況」に追い込まれる。
ここで大田知事を引きずりおろしたのが、翁長雄志だった。映画でも出てくるが、議会で大田知事をボロクソに攻撃していた。とにかく国の提案、辺野古への移設を認めて県政を前に進めろ!というわけだ。次の選挙で大田知事は落選し、稲嶺恵一知事が誕生する(稲嶺氏も映画に出演されているよ)。稲嶺県政で、条件付きで辺野古への代替施設受け入れ表明がなされる。その条件とは、軍民共用で15年の使用期限を設けるというもの、普天間は5年以内に返還されるはずであった。だが小泉政権下でその計画も反故にされ、現行のシュワブ沿岸を埋め立てた恒久的な基地建設が進められる。なお「沖縄に寄り添った」とされる橋本政権も、軍用地の代理署名拒否ができなくなるよう特措法を改悪し、普天間の「返還」を決めたものの代替地を沖縄県内に設定するという酷いものだ。また当時は米海兵隊の沖縄通流の戦略的重要性が”ある”と信仰されていた時代でもあり(左翼もそう言っていた)海兵隊の基地は日本のどこにあってもよいという発想すら出てこなかったし、「本土で引き取る」なんてことも発想されなかった時代でもあった(現代でも「本土で引きとる」という考えは主流にこそなってはいないが、発想はされるし、「引き取る行動」として市民運動もある)
大田昌秀は鉄血勤王隊として沖縄戦を体験し、戦後は米国留学や琉球大学教授など学究の道から「革新」の立場で政治家になったのに対し、翁長雄志は戦後、保守の政治家の家系に生まれる、根っからの保守政治家である。将来の目標は、那覇市長だったそうな。ただ那覇市であれ沖縄県であれ、首長をやるということは一つの党派やイデオロギーに拘泥するだけでなく、幅広い調整能力や異なる意見を聞く寛容さなどが必要となる…翁長にはそれがあった。映画のプロフィールにも書かれているが、教科書検定で「集団自決」の削除、修正に対し反対の声をあげた県民大会や、2012年オスプレイ配備に反対する県民大会、さらには政府へ「建白書」を携えて政府に直訴する行動(この時のクソ右翼どもの罵詈讒謗も映画にでてくる)…やがて辺野古新基地建設の埋立承認を巡り、政府と対立することになる。翁長が辺野古埋立反対で政府と対立するようになっても、映画の中で太田は翁長を認めることはなかったが、最期はどうだったであろうか…
大田も翁長も、県民大会で発言するシーンが出てくる…太田知事はあまり「ウチナーグチ」で語るシーンは見られない。一方、翁長知事は「ウチナーグチ」であいさつし、語り掛ける…ただしこれは、大田よりも翁長がよりウチナンチューのアイデンティティーを大切にした…というわけではない。太田から翁長までの20年間に、先住民の権利や琉球のアイデンティティ復権の動きも進められてきた結果でもあるだろう。とはいえ、そうした太田と翁長の違い、時代の違いと、やはり沖縄に基地を押し付け続けてきた、変わらない「本土(の政治と私たち)」を映し出すドキュメンタリー映画である。
政治的立場は正反対であり、互いに反目しながらも国と激しく対峙した二人の沖縄県知事がいた。1972年の本土復帰後、第4代知事の大田昌秀(任期1990~98年)と第7代知事の翁長雄志(任期2014~18年)である。ともに県民から幅広い支持を得、保革にとらわれず県政を運営した。大田は、軍用地強制使用の代理署名拒否(1995)、一方の翁長は、辺野古埋め立て承認の取り消し(2015)によって国と法廷で争い、民主主義や地方自治のあり方、この国の矛盾を浮き彫りにした。大田と翁長、二人の「ティダ」(太陽の意。遥か昔の沖縄で首長=リーダーを表した言葉)は、知事として何を目指し、何と闘い、何に挫折し、そして何を成したのか。そこから見えるこの国の現在地とは―。
大田昌秀と翁長雄志という、国と最も対立した二人の沖縄県知事から、沖縄の基地問題を描いた労作である。今、国によって強行されている辺野古新基地建設について、20年以上の歴史的経緯もおさらいできる映画である。
大田知事について、上のキャプションでは軍用地強制使用の代理署名拒否があげられているが、太田県政を追い詰めたのは、普天間代替施設の辺野古への建設問題である。「代替地」を沖縄・辺野古にしなければ、普天間は動かない…一方、県民が望むのは「もうこれ以上米軍基地はいらない」である。名護市では市民投票が行われ、辺野古新基地建設には反対の民意が示されたにもかかわらず、当時の市長は「受け入れ」を表明した後、辞任。太田県政も国からの兵糧攻め、「県政不況」に追い込まれる。
ここで大田知事を引きずりおろしたのが、翁長雄志だった。映画でも出てくるが、議会で大田知事をボロクソに攻撃していた。とにかく国の提案、辺野古への移設を認めて県政を前に進めろ!というわけだ。次の選挙で大田知事は落選し、稲嶺恵一知事が誕生する(稲嶺氏も映画に出演されているよ)。稲嶺県政で、条件付きで辺野古への代替施設受け入れ表明がなされる。その条件とは、軍民共用で15年の使用期限を設けるというもの、普天間は5年以内に返還されるはずであった。だが小泉政権下でその計画も反故にされ、現行のシュワブ沿岸を埋め立てた恒久的な基地建設が進められる。なお「沖縄に寄り添った」とされる橋本政権も、軍用地の代理署名拒否ができなくなるよう特措法を改悪し、普天間の「返還」を決めたものの代替地を沖縄県内に設定するという酷いものだ。また当時は米海兵隊の沖縄通流の戦略的重要性が”ある”と信仰されていた時代でもあり(左翼もそう言っていた)海兵隊の基地は日本のどこにあってもよいという発想すら出てこなかったし、「本土で引き取る」なんてことも発想されなかった時代でもあった(現代でも「本土で引きとる」という考えは主流にこそなってはいないが、発想はされるし、「引き取る行動」として市民運動もある)
大田昌秀は鉄血勤王隊として沖縄戦を体験し、戦後は米国留学や琉球大学教授など学究の道から「革新」の立場で政治家になったのに対し、翁長雄志は戦後、保守の政治家の家系に生まれる、根っからの保守政治家である。将来の目標は、那覇市長だったそうな。ただ那覇市であれ沖縄県であれ、首長をやるということは一つの党派やイデオロギーに拘泥するだけでなく、幅広い調整能力や異なる意見を聞く寛容さなどが必要となる…翁長にはそれがあった。映画のプロフィールにも書かれているが、教科書検定で「集団自決」の削除、修正に対し反対の声をあげた県民大会や、2012年オスプレイ配備に反対する県民大会、さらには政府へ「建白書」を携えて政府に直訴する行動(この時のクソ右翼どもの罵詈讒謗も映画にでてくる)…やがて辺野古新基地建設の埋立承認を巡り、政府と対立することになる。翁長が辺野古埋立反対で政府と対立するようになっても、映画の中で太田は翁長を認めることはなかったが、最期はどうだったであろうか…
大田も翁長も、県民大会で発言するシーンが出てくる…太田知事はあまり「ウチナーグチ」で語るシーンは見られない。一方、翁長知事は「ウチナーグチ」であいさつし、語り掛ける…ただしこれは、大田よりも翁長がよりウチナンチューのアイデンティティーを大切にした…というわけではない。太田から翁長までの20年間に、先住民の権利や琉球のアイデンティティ復権の動きも進められてきた結果でもあるだろう。とはいえ、そうした太田と翁長の違い、時代の違いと、やはり沖縄に基地を押し付け続けてきた、変わらない「本土(の政治と私たち)」を映し出すドキュメンタリー映画である。