たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

読書

ガザとは何か(後編)

 昨日の続き
 岡真理さんは「ガザとは何か」という問いに、こう答える…
 「ガザ、それは巨大な実験場です」
 イスラエルの最新兵器を実験する、世界のニュースがそれを放映してくれる。古い兵器の在庫も一掃できる…そして「百万人以上の難民たちを閉じ込めて、五十ね以上も占領下に置き、さらに十六年以上完全封鎖して、食料も水も医薬品も、辛うじて生きるのに精一杯という程度しか与えないでいたら、人間はどうなるか、その社会はどうなるか、何が起こるのか、という実験です」(p136)
 産業基盤が破壊され失業率は50パーセント近く、50パーセント以上が貧困ライン以下の生活を強いられ、三割の家庭が子どもの教育費を賄えない。八割の世帯が食料援助に頼らざるを得ない…炭水化物や油を大量に摂ることになるので、糖尿病が風土病になる。自殺が禁忌とされるイスラームの世界であっても、自ら命を絶つ人が後を絶たない。下水処理施設が使えないため、生活排水がそのまま川に流され、地中海に流れ込む。飲み水の97パーセントが飲料に適していないのに、飲まざるを得ない。海が汚染されているので、ビーチは遊泳禁止になっているが、夏、電気がなくてエアコンも扇風機も使えないので、海で涼むしかない。
「ガザは実験場です。
 「2007年当時で百五十万人以上の人間を狭い場所に閉じ込めて、経済基盤を破壊して、ライフラインは最低限しか供給せず。命をつなぐのがやっとという状況にとどめておいて、何年かに一度大規模に殺戮し、社会インフラを破壊し、そういうことを十六年間続けた時、世界はこれに対してどうするのかという実験です。
 そして、分かったことー世界は何もしない。」(p142)
「いずれにせよ、停戦になったら、すぐ忘れられてしまうのです。」(p143)

ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義 [ 岡 真理 ]
ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義 [ 岡 真理 ]
 ここまで書けば「つまり、問題の背景には、西岸とガザに限っても、六十年近いイスラエルによる占領がある。パレスチナ人に対する法外な占領の暴力がある。」(p160)その「実験の結果」が、昨年十月七日の攻撃なのだ!
 ことわっておくが、今回の攻撃は「ハマースによる攻撃」ではなく、「ハマース主導の戦闘員たち」による攻撃である。ハマースに主導された、イスラーム聖戦やPFLPなど、パレスチナ解放を掲げる複数の、民兵組織、パレスチナ解放を目指す人民が参加した解放のための作戦だったのである。
「日本のメディアではほとんど報道されていませんが、まず、彼らはガザ周辺にある十二のイスラエルの軍事基地を占拠しました。そこにいたイスラエル兵を捕虜にして、その後、イスラエル軍との交戦になり、基地にいた戦闘員たちは全員殺されたのだと思います。このことにはほとんど触れられず、キブツと野外音楽祭が襲撃され、そこで民間人が殺されたことばかりが強調されて、報道されているように思います。
 占領下にある者たちが、占領からの解放のために、占領軍に対して武力を用いて抵抗することは、国際法上、正当な抵抗権の行使です。しかし、この時には守るべきルールがあります。民間に対する攻撃や、民間人を人質に取ることは、国際人道法違反であり、戦争犯罪です。占領からの解放を目指す武装抵抗が正当なものであるとしても、戦争犯罪に当たるこうした行為は許されるべきものではありません。国際法に則って、戦争犯罪としてきちんと裁かれるべきことです。だからといって、占領下のパレスチナ人が、イスラエルによる占領からの解放を求めて戦うということ、それ自体が違法化されるわけではありません。」(p160~161)

 そう、戦争犯罪は裁かれなければならない…では、イスラエルの行ってきた戦争犯罪や、国連決議違反、人道にもとる数々の行為は、これまで裁かれてきたのか?誰か責任者が責任をとったのか?
 そして、10月7日以降「ハマースとは何か」と問われることに対し、むしろ問うべきは「イスラエルとは何か」である、どのように建国されたのか、何をしてきて、何を行っているのか…それがこの問題の根本なのである。(「イスラエルとは何か」というのが、本記事の前編である)またイスラエルは「アパルトヘイト国家」でもある。これはパレスチナにかかわる人権団体や国連の専門家が常々主張していることであり、「ユダヤ人至上主義」を掲げ常にパレスチナ人に対する差別・抑圧を国家として続けているということだ。南アフリカでかつてアパルトヘイトと闘っていたANC(アフリカ民族会議)が「テロ組織」とされ、ネルソン・マンデラも「テロリスト」とされていたように、イスラエルはパレスチナにある六つの字k年団体を「テロ組織」として認定している。
 そして岡真理さんは「もう一つ強調したいのは、パレスチナ問題の根源にある、イスラエルによる占領、封鎖、アパルトヘイト、そして、難民の帰還ーこれらはすべて、「政治的な問題」だということです。
 植民地支配されている国の独立が、政治的な解決を必要とする政治的問題であるのと同じく、パレスチナ問題は政治的な問題です。しかし、イスラエルは人為的にガザに大規模な人道的危機を作り出すことによって、本来は政治的問題であるはずのものを「人道問題」にすり替えてえいます。」(p178~179)

 今現在行われている空爆、攻撃、封鎖による水、食料、燃料、電気、医薬品の欠乏そのものは「人道問題」であり、一刻も早い停戦と「人道物資」支援が望まれるが、それで終わりということでは絶対にない!イスラエルの違法な占領を終わらせ、パレスチナを解放すること…それは政治的な解決をやらなければならない。そのためには、世界がアパルトヘイトを行っていた南アフリカに対し「経済制裁」「ボイコット」等を行い、徹底的に批判・非難してきたことを、イスラエルに対して(そうすると、後ろ盾になっているアメリカや欧州の一部の国に対しても)行わなければならないだろう。それぐらい厳しい政治対決になる。

 岡真理さんは、京都大学での講演では、マンスール・アル=ハッラージュというイスラーム中世の神秘主義者の言葉
 地獄とは、人々が苦しんでいるところのことではない。
 人が苦しんでいるのを誰も見ようとしないところのことだ。

を紹介し、早稲田大学での講演では、ネルソン・マンデラの言葉
 パレスチナ人が解放されない限り、私たちの自由が不完全であることを私たちは熟知している。
を紹介して、講演をしめられた…

みんなでパレスチナ解放のため、声をあげていこう!

ガザとは何か(中編2)

 先日の記事のつづき
ガザとは何か20240314
 昨年10月7日に起こった攻撃の「前段」は、まだ書かねばならないことがある。
 2007年からガザの完全封鎖がはじまるのだが、それから何回もイスラエルから攻撃されている。最初が2008年12月末から、09年1月までの22日間、2012年11月に8日間、2014年7月の「五十一日戦争」、2021年に15日間の攻撃があった。その都度、国際社会はガザに”注目”するが、攻撃が終われば忘れ去ってしまう…その繰り返しであった。2008年の22日間の攻撃の後には、国連の調査団がガザに入り詳細な調査を行った。それによれば、双方に戦争犯罪があったものの、イスラエル側に圧倒的に戦争犯罪があったと結論づけている。にもかかわらずイスラエルの戦争犯罪について説明責任を果たすだの、責任者を処罰するだのということは一切行われず、忘れ去られたのである。
 2018年、3月20日の「土地の日」から5月15日まで、ガザで「帰還の大行進」が行われた。これはハマースを含むガザの様々な党派が呼びかけたデモで、パレスチナの旗をもってイスラエルとの境界付近に行進するという、基本平和的、非暴力のデモであった。しかしイスラエルはこのデモに催涙弾を打ち込み、スナイパーが参加者を狙い撃ちするということをやっている。イスラエルはわざと若い人の脚をねらい、国際法違反の、弾丸の中に沢山の小さな弾が入っているもの、着弾すると裂けて複数の刃物のようになる弾丸を使う…当たれば脚を切断するしかなくなるので、若い人たちに一生障害を負わせるために、そうした戦略を積極的にとっている。
ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義 [ 岡 真理 ]
ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義 [ 岡 真理 ]
 「帰還の大行進」は難民の帰還の実現、ガザ封鎖の解除、そしてトランプ米大統領がアメリカ大使館を占領下のエルサレムに移転する(国際法違反)ことに反対するという主張を掲げていたが、こうしたことは全く報道されなかった。「日本のメディアは、五月十四日のアメリカ大使館のエルサレム移転お式典を報じる、その報道の刺身のツマのように、移転に反対するパレスチナ人が、ガザで大規模な抗議デモを行っています。そこで死傷者が出ています、ということを伝えただけでした。」(p132)

 「停戦、そして忘却。
  こうやって私たちは忘却を繰り返すことによって、今回のガザ、この紛れもないジェノサイドへの道を整えてきたことになります。
 メディアも市民社会も、攻撃が続いて建物が破壊され、人が大漁に殺されているときだけ注目して、連日報道し、でも、ひとたび停戦すれば忘れてしまう。ガザの人々の生を圧殺する封鎖は、依然続いているにもかかわらず。パレスチナ人「だけ」が苦しんでいる限り、イスラエルがどれだけ国際法を踏みにじり、戦争犯罪を行おうと、世界は歯牙にもかけない。
 世界が認める、国際社会が認めるパレスチナ人の正当な権利の実現を、国際社会に向かってパレスチナ人が非暴力で訴えても、そのデモがイスラエルに攻撃されて死傷者がどれだけ出ても、世界にとってはどうでもいい。せいぜい、アメリカ大使館のエルサレム移転の報道のツマとして、ガザでそれに反対する抗議デモがあったと紹介すれば事足りるような、そういうものだということです。
 私には、この恥知らずな忘却と虐殺の繰り返しが、今、ガザで起きているこのジェノサイドをもたらしたものだとしか思えません。」(p133~134)


 この批判はメディアだけでなく、自分自身にも向けられていると岡真理さんは書いている。
「非暴力で訴えても世界が耳を貸さないのだとしたら、銃を取る以外に、ガザの人たちに他にどのような方法があったでしょうか。反語疑問ではありません。純粋な疑問です。教えてください。」(p135)
 忘却は、悪なのである。

ガザとは何か(中編1)

 昨日の記事のつづき
 パレスチナ分割後の「ユダヤ人国家」でも、ユダヤ人の割合は6割…完全な「ユダヤ人国家」をつくるためには、アラブ人を追い出さなければならない!と「民族浄化」が始まる…・これが「ナクバ(大いなる災厄)」の原因である。1948年4月9日、デイル・ヤ―シーンで起こった100人以上の集団虐殺は有名であるが、パレスチナの各地でデイル・ヤ―シーンを上回る規模のものを含め、多数の集団虐殺が起きている。そんなことが起これば、そこに住んでいる人は逃げださざるを得ない。それがパレスチナ難民の始まりだ。
 ところで1948年12月10日に国連総会で採択された「世界人権宣言」の第十三条第二項には「すべての人は、自国その他の国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する」と書かれている。さらに翌日に採択された総会決議194号には「イスラエル建国によって難民となったパレスチナ人は、即刻自分たちの故郷に帰る権利がある、帰還を希望しない難民に対しては、イスラエルは彼らが自分たちの故郷に残してきた財産を舗装するように、と述べられています。(p61)」パレスチナ難民は、自分たちの故郷に帰る権利があるということだ。だが75年たっても、孫、ひ孫の代になっても、帰ることができていないのである。
 イスラエルの占領をのがれたガザは、当時8万人の住民がいたが、19万人もの難民がやってきた。現在、ガザは面積約360平方キロメートルのところに、人口230万人。人口密度は1平方キロあたり6300人ぐらいと、八尾市や藤沢市ぐらいになる。ただ難民キャンプやその周辺では、人口密度は1平方キロあたり20万人ちかくになる。(ガザには農地とかもある)そうしたところに、今イスラエルは爆撃をしているのである。
ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義 [ 岡 真理 ]
ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義 [ 岡 真理 ]
 イスラエルの民族浄化作戦により、難民となったパレスチナ人、その解放を目指すため、1957年、アラファト議長率いる民族解放組織ファタハが生まれる。1967年の第三次中東戦争で、イスラエルは東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、エジプトのシナイ半島とシリアのゴラン高原を占領、歴史的パレスチナの全土をイスラエルが占領したことをきっかけに、マルクス・レーニン主義を掲げるPFLP(パレスチナ解放人民戦線)やDFLP(パレスチナ解放民主戦線)といった、武装解放組織が立ちあがる。それでも違法なイスラエルの占領に対し、国際社会は何ら実行的な手を打たない中、1987年に第一次インティファーダが起こる。この時、ガザで結成されたのが、イスラーム主義を掲げる民族解放組織「イスラーム抵抗運動(略称ハマース)」である。
 1993年、オスロ合意がイスラエルとパレスチナ解放機構との間で結ばれ、相互承認とイスラエルの占領地(ヨルダン川西岸とガザ地区)からの撤退、パレスチナの暫定自治と、5年後の「最終的地位」確認と公正で永続的な包括的和平への合意がなされた。だがイスラエルは占領地での入植を続ける…93年の合意からの7年間で、入植者の数はそれまでの1.5倍になっている。イスラエルはパレスチナ自治政府に占領の下請けをやらせ、イスラエルに対する抗議も自治政府が取り締まる…「世界が「和平プロセス」と呼んでいたオスロ合意からの七年間のいうのは、占領下のパレスチナ人にとっては、占領からの解放の夢”独立国家”の夢が指の間から砂がこぼれ落ちるおうに日々遠ざかっていく、そうゆう絶望のプロセスでした(p73)」
 その絶望が2000年、第二次インティファーダとして爆発する。ハマースだけでなく、PFLPもファタハの戦闘員も自爆攻撃などを行った。2005年にイスラエルはガザから全入植地を撤退させ、イスラエル軍もガザから撤退した。ただし入植者は西岸に入植し、ガザはイスラエルによって封鎖されることになる。
 2006年、パレスチナ立法評議会選挙が行われる「EUの監視団なども来て近年稀にみる民主的な選挙であったとお墨付きを与えられましたが、その選挙でハマースが勝利を収めます。(p74)」ハマースは当初自分たちだけで組閣しようとしたが、ハマースをテロ組織と見なすアメリカやイスラエルはそれを認めようとしないため、ファタハのメンバーも含めて統一政府をつくろうとした。ところが「アメリカやEU諸国は、ファタハのメンバーに軍事訓練を施し、アメリカは、当時のガザ地区のファタハの治安部門の責任者だったムハンマド・ダハラーンという人物に兵站(武器や食料)を提供し、ハマースに対してクーデターを画策させます。(p75)」かつてチリのアジェンデ政権に対してやったことと同じことをしようとして、ガザは内戦状態になるが、その結果ハマースが勝利したのである。う~ん、やっぱり「ハマス政権」も結果的にアメリカが作った「反米政権」というわけだ!
とはいえその結果、パレスチナはガザのハマース政権と、西岸のファタハ政権の二重政権となり、「テロ組織」ハマースを政権与党として選んだパレスチナ人への報復として、2007年からガザの完全封鎖が始まる。「それ以前からハマース締め付けのために、ガザは封鎖されていたのですが、ここにおいて全面的な封鎖となります。人間の出入域、物資の搬入・搬出、全てをイスラエルが管理する。南の国境を管理しているのは、イスラエルと同盟しているエジプトですが、イスラエルの指示の下にあります。集団懲罰は、国際法違反です。p76」
 2014年には、統一政府を実現しようとしう動きもあったのだが、イスラエルの入植者3人がハマースによって殺害された(ハマースは否定)という口実で始まった「五十一日間戦争」によってそれもつぶされてしまう…ここまでが、昨年10月7日に起こった攻撃の前段である(つづくよ)

ガザとは何か(前編)

 岡真理、早稲田大学教授の緊急講義(10・20京都大学 10・23早稲田大学)をまとめて出版されたもの。
「ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義」大和書房 2023年12月31日
ガザとは何か20240314
 
ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義 [ 岡 真理 ]
ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義 [ 岡 真理 ]
 パレスチナ問題は、きわめて単純明快な政治問題である。シオニストが「国連決議」をもとに、パレスチナ人が住んでいるところに無理やり「イスラエル」という国をつくり、パレスチナ人を追い出した…のみならず、イスラエルを「成立」させるために、パレスチナ人を排除。抹殺しているということだ。
 岡真理先生は、この問題をドレフェス事件に象徴される反ユダヤ主義、ユダヤ人差別から、それを解消するためシオニズム(ユダヤ人のみの国をつくろうという運動)がでてきたこと、ただしそれはユダヤ人、ユダヤ教徒の主流ではなかった…から始める。反ユダヤ主義は20世紀にナチスのホロコーストとして結実するが、ナチスが打倒され、強制収容所、絶滅収容所が”解放”されても問題は解決しなかった。ヨーロッパに行き場のないユダヤ人難民が25万人も出現したのである。ユダヤ人が収容されている間に、元居た家に別のキリスト教徒が住んでいた、あるいはホロコーストを生きのびたのに、故郷の村で集団虐殺されたなどということが起こっており、ヨーロッパでユダヤ人差別が全然克服されていなかったからである。そういったときに「シオニズム」を利用してユダヤ人をパレスチナの地に「追い出そう」というのが、パレスチナ分割案の始まりである。
 もともとシオニズムを推進したのは、同化ユダヤ人で非宗教的な人たちだったので、新たなユダヤ人国家を作ろうというときはどこかの「帝国(の軍事力)」を頼るという発想になる。シオニズムの提唱者ヘルツルは「帝国に援助を乞います。イタリアはリビアの辺りはどうか提案し、イギリスは当時の英領ウガンダを提供すると言ったりしました。なぜイタリアやイギリスに、リビアやウガンダを勝手にヨーロッパのユダヤ人に提供する権利があるのか。まさに植民市主義です。シオニストのユダヤ人もそれを当然と考えていました。(p50)」…そう、パレスチナにヨーロッパのユダヤ人の国をつくろう!というのは、植民地主義なのである。「つまり当時のヨーロッパ人が持つ、アラブ人、ムスリム、アジア人などに対するレイシズムと、ヨーロッパ人、西洋白人が軍事力の行使によって彼らの土地に自分たちの国を持つのは当然だとする植民地主義の精神を、シオニストたちもまた、当然のこととして共有していたということです。(p52)」
 パレスチナ分割案が出た当時のパレスチナの人口は120万人ほど、ユダヤ人が60万人と1/3程度、ユダヤ人がそれまで購入して所有していたの土地は、全体のわずか6%ほどであった。分割案ではユダヤ人人口の多いところをユダヤ国家に組み込んではいたが、それでも数パーセントしか土地を持っていないユダヤ人に、歴史的パレスチナの地の半部以上を与えるというとんでもないものだ。それでも国連は分割案を総会にかける前に、アドホック委員会、特別委員会にその内容を検討させている。その結論は
・分割案は国連憲章違反であり、国際法にも違反している可能性があるので、国際司法裁判所に図るべきである。
・経済的に、ユダヤ国家はよいが、アラブ国家は持続不可能になる。
・ヨーロッパのユダヤ人問題は、関係当事国が速やかに解決すべき問題で、ホロコーストとは何ら関係のないパレスチナの地に国を作って解決しようとしうのは、政治的に不正(unjust) 分割案は採択されたとしても機能しない(unpractical)

 とまぁこんな結果だった。ところが分割案は特別委員会で可決され、総会にかけられる。アメリカとソ連の多数派工作によって1947年11月29日に可決されるわけだ。岡先生は書いていないが、ソ連がパレスチナ分割案を推し進めたのは、植民地解放闘争に対するスターリン主義の”裏切り”でもあるし、ソ連国内のユダヤ人差別を自ら克服するのではなく、パレスチナの地に”追い出す”ことで解決しようという誤りもおかしているのである。それはそうとして決議から76年がたった今、まさにアドホック委員会の結論こそが正しかったということが現れているのである。
 しかし、パレスチナ分割によって生まれる「ユダヤ人国家」に住むユダヤ人は60%程度で、のこりはアラブ人である。後にイスラエルの初代首相になるシオニズムの指導者「ペングリオンは「たとえユダヤ国家ができたとしても、ユダヤ人の人口が六割では、安定的かつ強力なユダヤ国家にはならない」と言いました。言い換えれば、安定した強力なユダヤ国家にするためには、ユダヤ国家の領土にいるアラブ人を可能な限り排除しろということです。つまり、民族浄化の教唆です。(p57)」
 つづくよ… 

女子鉄道員と日本近代

 鉄道むすめことはじめ…的な本ではアリマセン(^^)(^^)(^^)///
 日本において、鉄道という職業の中に、どのように女性が進出してきたのか?ということを解き明かすお話です。
女性鉄道員と日本近代20240304
女子鉄道員と日本近代(若林宣 青弓社 2023年12月)
女子鉄道員と日本近代 [ 若林 宣 ]
女子鉄道員と日本近代 [ 若林 宣 ]
 一般的に鉄道の仕事は男性のものとされおり、例外的に先の大戦で男性労働者が大量に軍隊に召集された”穴埋め”として女性が鉄道職に”動員”されていた…と認識している人も多いだろう。鉄道の仕事は男性のものという認識は、「男女雇用機会均等法」以降も続き、それゆえ女性の進出も遅れ「鉄道むすめ」なるコンテンツがそれなりに受ける土壌ともなった。
 だが日本の鉄道において、職場に全く女性がいなかったのかというとそうではない。日本国有鉄道の正史によれば、1900年6月12日に採用した女性事務職がその嚆矢であるとされるし、それ以前にも鉄道で働く女性は存在した。本書はそんな女性労働者について書かれたものだ。
 はじめの「鉄道むすめ」は、踏切番であった…1897年2月18日、日本で鉄道が開業してから6年4ヶ月ほど経った頃だが、新聞に「旗振女」が列車にひかれて亡くなったという事故の記事が出た。「旗振り女」というのは踏切番…列車が通る際に踏切の遮断機を閉める仕事をする女性である。当初は「守線手」という専門職種が踏切番も含めた線路の安全を守る仕事をしていたのっであるが、経費節減!のため、鉄道員の家族を線路のそばに住まわせ、踏切番をさせていた…そういった鉄道員の妻が列車にはねられたという事故である。
 本書ではそういった「踏切番」をはじめ、鉄道の職場で働いていた女性について昔の新聞記事をひろいあつめ、また旧国鉄の統計年報(ただし職種ごとの人数をまとめたものが掲載されるのが「明治四十一年度鉄道院統計図表(1913年)以降であり、鉄道創業期にはそんな資料はない)などから紐解いていく。1935年の統計では、事務員、電話掛、主札掛の他、踏切看守(踏切番)、客車清掃手、工場技巧の雇員、傭人に女性労働者がいたことがわかる。また女性労働者の賃金は、男性に比べて極めて低かった。
 本書では出札掛や車掌に女性労働者が登用、進出していく様子も記載されている。こうした「お客さん」相手の”感情労働”については、当時の「女性のほうが穏やかで客と衝突しないだろうという見方」(p65)が期待されていたそうだ。そういったジェンダーに対する筆者のまなざしも興味深い。
 また出札掛や車掌職に女性が進出してくることで、男性労働者が賃金の低い女性労働者にとって代わられる!という軋轢、危機感についても書かれている。1933年2月2日、武蔵野鉄道(現・西部池袋線)の労働者は始発からストライキに入ったが、労働者側の要求の中に「女性を従業員として採用しないこと」というのがあった。「つまり男性労働者は、安価な労働者への置き換えを警戒したのである。ここで、低賃金で働く女性の賃金引上げとか、あるいは男女同一賃金を要求しないという点で彼らの限界があった。」(p114)と筆者は当然のことを述べている。
 もちろん事務員や出札掛、車掌などへの女性労働者の進出は、単に安い労働力を求めてというだけではなく、女性への教育の普及や産業の成熟、また欧米における第一次政界大戦、総力戦で男性労働者が動員”され、その”穴埋め”的に女性労働者が進出してきたという動きも含めた、様々な要因による、様々な分野への女性進出の一環である。当然女性も主体的に鉄道の職を選んでいるのである。
 そういった経緯もあったが、やはり鉄道職場において女性労働者の進出…というか動員が進んだのは、第二次世界大戦期である。本書では「第6章 アジア太平洋戦争期の国鉄と女性職員」「第7章 戦時下の女性乗務員の採用」と、当時の女性労働者の増加や、どのように彼女たちが鉄道の仕事に従事したのかということが書かれている。新潟鉄道管理局では「模範女子管理駅」が指定され、駅長や助役、指導的地位のある者を除いた駅員をすべて女性にしようとしたことも紹介されている。当時の鉄道の職場は劣悪であり、女性も男性と同様に厳しい労働に従事した。また女性車掌の登用も進められたが、国鉄は私鉄よりも女性登用がスローモーだったそうだ。運転士・機関士について私鉄では女性運転士の採用がなされたものの、国鉄ではついに登場しなかった。
 終戦後、男性労働者が復員してくると、女性労働者の減員が開始される。「第8章 敗戦から現代へ」には「一九八五年八月。「毎日新聞」は東京車掌区に所属していた女性職員のその後を追跡調査した。二期生四十四人のうち、消息がつかめたのは二十人。さらにそのうち、電話交換手や労務課など配置転換によってしばらく国鉄や運輸省(当時の国鉄は運輸省の現業機関だった)に残れたのは五人だった。敗戦後の人員千里の大規模なさまが、ここからもうかがえる。」(p191~192)
「戦時下に表向きだけ動いたかに見えたジェンダーの壁は、こうして押し戻されたのである」(p192)
と記されている。とはいえ、女性労働者がまったくいなくなったわけではなく、国鉄において一部の職種に限って女性の新規採用が続けられている。
 1985年の男女雇用機会均等法、そして99年に女性の深夜労働禁止が撤廃されたことから、鉄道の運転士や車掌に再び女性が採用されるようになった。しかし、問題がすべて解決したわけではなく、差別待遇撤廃に名を借りた労働強化や、女性の鉄道院を男性の視点から愛玩物のように見なす姿勢、「女性の感性」や「女性らしい」ふるまいだとされるジェンダーバイアスを正していくこと…「企業の努力が必要なことはいうまでもないが、もし社会が働きにくさを増幅させているのだとしたら、そのような社会もまた、変わらなければならないだろう。女性鉄道員をめぐる問題は過去だけでなく今日の問題でもあり、また未来に向けて考え直していかなければならない問題なのである。」(p201)と結ばれている。
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
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