8月31日に海兵隊と陸上自衛隊合同音楽会に抗議!に行ってきたのであるが、那覇空港に午前中に到着するという行程を組んだため。お昼の時間があいている…そこで、暇つぶし闘争として与那原町立軽便与那原駅舎展示資料館に行ってきた。
那覇バスターミナルからバスに乗って30分強、与那原で降りて少し歩く…国道からはいってすぐのところに展示資料館がある。

軽便鉄道の駅舎だから、こじんまりとした建物である。昔はここに農協が入っていたそうだが移転し、2014年に展示資料館として復元された。

なお、バス停は与那原町役場入口のほうが近く、バス停から那覇方面に戻るとすぐこの看板が現れるので、分かりやすい。

「この場所にはかつて、対償から昭和にかけ31年間の営業を行った、沖縄県営鉄道の停車場「与那原駅」がありました。鉄道開通100周年を迎えた2014年、この歴史を後世に伝えるために、戦争で破壊されたその駅舎を、当時と同じ場所、同じ姿のまま、展示資料館として復元しました。」とある。
展示資料館は、中学生以上100円、小学生以下と与那原町民は無料である。受付で「県外からです」と言って100円を支払うと、硬券の形をした入場券が渡され、自分で入鋏して改札気分が味わえるのだ。窓口の上には、現代風の路線図と料金(当時のもの)が掲げられている。
与那原はもともと、沖縄北部などへの舟運の拠点であったそうな。そこに1914年、那覇から与那原まで「県営鉄道」が開通したのである。沖縄でも昔から有志が鉄道を敷こうといろいろ構想があったようだが、お金もかかる…1910年に「軽便鉄道法」が施行され、簡易な規格の鉄道が敷設できるようになった。その結果、全国に軽便鉄道を敷くブームが起こったのであるが、沖縄県営鉄道もその一つである。軽便鉄道だから、軌間は762㎜(2フィート6インチ)で、これは黒部峡谷鉄道や四日市あすなろう鉄道、三岐鉄道北勢線と同じである。
また沖縄には県営鉄道の他、沖縄電気軌道という路面電車(軌間1067㎜ 1933年廃止)や、与那原から泡瀬まで沖縄馬車軌道(1944年まで)、那覇から糸満まで糸満馬車軌道(1935年まで)がというものが走っていた。沖縄県営鉄道も1922年には嘉手納線が古波蔵から嘉手納まで、1923年には国場から東風平を経て、糸満まで路線を伸ばし、那覇を中心に鉄道路線網を形成していた。 名護方面まで延伸する構想もあったようだ。
だが沖縄戦により、県営鉄道は完全に破壊される…沖縄戦直前の3月26日までは運行されていたそうだ…展示物の中には、米軍が撮影した鉄道車両なんかの写真もある。戦後、地元から「鉄道復活を」ということで米軍にも働きかけ、米軍も交通機関として鉄道の重要性は認識し復旧のGOサインも出ていたのであるが、資材が滞ってそのままになり、復活には至らなかったそうだ。
仮に沖縄戦が行われず、あるいは戦後に復活していたとしても、軽便規格のままでは後のモータリゼーションに対抗できず、廃止される可能性のほうが大きいであろう。しかし、なんらかの形でテコ入れ(国からの資金投入を含む)して改軌し、設備を大型化して、嘉手納から名護あたりまで延伸していれば、沖縄島の交通状況も今とずいぶん違ったものになっていたに違いない。


建物の裏手…というより、こちら側に線路が敷かれていたホーム側になるのであるが、ホームの屋根を支えていたコンクリートの柱9本が残されている。

段丘上に上がる階段には、汽車の絵が描かれている。

階段を昇って、駅舎のほうを眺めてみる…駅の向こうに、まっすぐメインストリートが広がっており、鉄道駅を中心とした街並みが出来ていたことが分かる。

国道と交差して、駅前メインストリートがあるのだ(というより、国道のほうが後で整備されているのだろう)
おまけ…那覇枡ターミナルで保存されている、県営鉄道のターンテーブル跡


ではでは…
那覇バスターミナルからバスに乗って30分強、与那原で降りて少し歩く…国道からはいってすぐのところに展示資料館がある。

軽便鉄道の駅舎だから、こじんまりとした建物である。昔はここに農協が入っていたそうだが移転し、2014年に展示資料館として復元された。

なお、バス停は与那原町役場入口のほうが近く、バス停から那覇方面に戻るとすぐこの看板が現れるので、分かりやすい。

「この場所にはかつて、対償から昭和にかけ31年間の営業を行った、沖縄県営鉄道の停車場「与那原駅」がありました。鉄道開通100周年を迎えた2014年、この歴史を後世に伝えるために、戦争で破壊されたその駅舎を、当時と同じ場所、同じ姿のまま、展示資料館として復元しました。」とある。
展示資料館は、中学生以上100円、小学生以下と与那原町民は無料である。受付で「県外からです」と言って100円を支払うと、硬券の形をした入場券が渡され、自分で入鋏して改札気分が味わえるのだ。窓口の上には、現代風の路線図と料金(当時のもの)が掲げられている。
与那原はもともと、沖縄北部などへの舟運の拠点であったそうな。そこに1914年、那覇から与那原まで「県営鉄道」が開通したのである。沖縄でも昔から有志が鉄道を敷こうといろいろ構想があったようだが、お金もかかる…1910年に「軽便鉄道法」が施行され、簡易な規格の鉄道が敷設できるようになった。その結果、全国に軽便鉄道を敷くブームが起こったのであるが、沖縄県営鉄道もその一つである。軽便鉄道だから、軌間は762㎜(2フィート6インチ)で、これは黒部峡谷鉄道や四日市あすなろう鉄道、三岐鉄道北勢線と同じである。
また沖縄には県営鉄道の他、沖縄電気軌道という路面電車(軌間1067㎜ 1933年廃止)や、与那原から泡瀬まで沖縄馬車軌道(1944年まで)、那覇から糸満まで糸満馬車軌道(1935年まで)がというものが走っていた。沖縄県営鉄道も1922年には嘉手納線が古波蔵から嘉手納まで、1923年には国場から東風平を経て、糸満まで路線を伸ばし、那覇を中心に鉄道路線網を形成していた。 名護方面まで延伸する構想もあったようだ。
だが沖縄戦により、県営鉄道は完全に破壊される…沖縄戦直前の3月26日までは運行されていたそうだ…展示物の中には、米軍が撮影した鉄道車両なんかの写真もある。戦後、地元から「鉄道復活を」ということで米軍にも働きかけ、米軍も交通機関として鉄道の重要性は認識し復旧のGOサインも出ていたのであるが、資材が滞ってそのままになり、復活には至らなかったそうだ。
仮に沖縄戦が行われず、あるいは戦後に復活していたとしても、軽便規格のままでは後のモータリゼーションに対抗できず、廃止される可能性のほうが大きいであろう。しかし、なんらかの形でテコ入れ(国からの資金投入を含む)して改軌し、設備を大型化して、嘉手納から名護あたりまで延伸していれば、沖縄島の交通状況も今とずいぶん違ったものになっていたに違いない。


建物の裏手…というより、こちら側に線路が敷かれていたホーム側になるのであるが、ホームの屋根を支えていたコンクリートの柱9本が残されている。

段丘上に上がる階段には、汽車の絵が描かれている。

階段を昇って、駅舎のほうを眺めてみる…駅の向こうに、まっすぐメインストリートが広がっており、鉄道駅を中心とした街並みが出来ていたことが分かる。

国道と交差して、駅前メインストリートがあるのだ(というより、国道のほうが後で整備されているのだろう)
おまけ…那覇枡ターミナルで保存されている、県営鉄道のターンテーブル跡


ではでは…



































