斎藤幸平氏のベストセラー「人新世の「資本論」」(集英社新書2020年9月)では第一章において、「気候変動」の危機がこれでもかと述べられている。
人新世の「資本論」 (集英社新書) [ 斎藤 幸平 ]
人新世の「資本論」 (集英社新書) [ 斎藤 幸平 ]
 斎藤氏は2018年にノーベル経済学賞を受賞したウィリアム・ノードハウスを批判し、「ところが、彼の提唱した二酸化炭素削減率では、地球の平均気温は、2100年までになんと3.5℃も上がってしまう。これは、実質的にはなにも気候変動対策をしないことが、経済学にとって最適解だということを意味している」(p17)と書いている。ここで3.5℃というのは、産業革命以前と比較してということであり、2016年に発効したパリ協定では2100年までに産業革命以前と比較して2℃未満(可能であれば、1.5℃未満)に抑えるということになっていることを踏まえ3.5℃もの気温上昇が起これば、アジアやアフリカの途上国を中心に壊滅的な被害が及ぶことになる。と続けている。しかしそれはホントだろうか?
 斎藤氏の前提は「産業革命以前は地球の気温がおおむね一定で安定していた」というものであり、そこから3.5℃も気温が上昇すれば大変なことになる!ということなのだが、それでは地球上の気温は産業革命以前にはずっと安定していたのだろうか?
 古い時代の気候(古気候)は、南極やグリーンランドの氷床に含まれる気泡中の放射性同位体含有量や、化石として出てくる生物相を調べることによって推定している。まず恐竜が闊歩していた1億2千年前の白亜紀では、地球は現在よりもかなり暖かかったのだが、そこから寒冷化が進み始め、300万年前には北半球で氷河が発達するようになる。100万年前ぐらいから気温の変動幅が大きくなって、10万年周期で「氷期」と「間氷期」をくり返す氷河期に入る。斎藤氏の著書にはノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンが提唱する「人新世」という言葉が使われているが、現在を含む最も新しい地質年代を示す言葉は「完新世」である(以前は「沖積世」と言った)完新世は1万年ほど前に最後の氷期が終了してから現代までの、「間氷期(氷期と氷期の間)」の時代を指す。暖かくなった地球は6000年前ころに気温の極大期を迎え、この時代を「完新世高温期(ヒプシサーマル期)」あるいは「気温最適期」と呼んでいる。この時代は現在より3℃程度気温が高かったようで、三内丸山遺跡にみられる日本の縄文文化が発展していた時期でもあり、すでに農耕が行われていた西アジアや東アジアで文明が発達した時期でもある。その後4000年前から気温は低下するが、ミノア温暖期、ローマ温暖期、中世温暖期と、概ね1000年程度の周期で気候極大期が現れている。ローマ温暖期も今より1~2℃程度気温が高く、イギリスの北の方までブドウ裁判が行われ、ワインが作られていた。中世温暖期は今より少し高い程度で、グリーンランドの氷は溶け、北欧からバイキングが入植してきた時代である。日本では平安貴族の文化が栄えていた頃で、暑いので風通しの良い寝殿造りの屋敷に住んでいたのかもしれない?
温暖化、完新世の気温変動_0001
 図はIPCCが1990年に出した報告書にあるものから作成したもので、完新世の気温変動の概要図である(参考資料:図1.14完新世の気温変動の概要 p30)
 中世温暖期が終了すると急激に地球は寒冷化する。産業革命以前は「小氷期」と呼ばれ、イギリスでは冬、テムズ川が凍結しスケートが出来るようになり、日本でもたびたび飢饉が起こっている時代である。要するに産業革命以前は「寒すぎた」時代なのである。斎藤氏の著書によれば現在は産業革命前と比較して1℃上昇しているそうだから、3.5℃気温が上昇しても現代より2℃高いローマ温暖期、ミノア温暖期ぐらいの気温となる。この時代にアフリカやアジアで「壊滅的な被害」があったとはとても考えられない…自然災害であっても遺跡に痕跡は残るし、アジアであれば古代中国の記録に残るハズ…ので、大変なことにはならない。
 よって、斎藤幸平の唱える前提は誤っているのである‼
 ではなんで産業革命以前の気温が「安定」していたとされているのか? つづくよ

参考:検証温暖化 20世紀の温暖化の実像を探る (シリーズ「環境問題を考える」) [ 近藤邦明 ]
検証温暖化 20世紀の温暖化の実像を探る (シリーズ「環境問題を考える」) [ 近藤邦明 ]