感染症と民衆 明治日本のコレラ体験(奥武則 2020年11月 平凡社新書)を読んだ。
![感染症と民衆(961) 明治日本のコレラ体験 (平凡社新書) [ 奥 武則 ]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/9614/9784582859614_1_96.jpg?_ex=128x128)
感染症と民衆(961) 明治日本のコレラ体験 (平凡社新書) [ 奥 武則 ]
本書は主に明治期前半におけるコレラ流行時における「コレラ騒動」について紹介し、考察した本である。
明治の人々にとって、コレラはどうゆう病気だったのか、近代国民国家に向けて走り出したばかりの政府は、コレラ流行に対して、どのように対応したのか。そこには伝統的生活世界に生きる民衆と政府のあいだにさまざまなかたちの軋轢が生じた。これが本書で中心に取りあげる「コレラ騒動」と呼ぶ出来事にほかならない。(p8~9)
「コレラ騒動」はいろいろあって、例えばコレラ流行時に防疫や患者の治療に献身的に尽くしているにもかかわらず「コレラ医」がコレラを広めているとされて殺されてしまう医者がいたり、同じく貿易や患者の隔離に走り回る巡査が暴行・殺害されたり、あるいは避病院(簡易に7設けられる隔離病棟)の開設に反対したり…そういった場面で人々は「民衆暴力」をふるっていたわけだ。
様々に興味深い話もあって、例えばコレラ流行時には魚介類を食べることが忌避された(現代のコロナでは、酒が忌避される⁉)が、それが漁村なんかの生業に影響したであろうこと(ただし時計的な裏付けがあるわけではない)、遊技場や寄席などはコレラ流行時には営業禁止になるが、1週間コレラ患者が出ていない区域では予防法などをきちんと添え書きした願書を提出した上で営業が許される(このへんは現代のコロナよりも融通が効いてそうだ)などの話も出てくる。もっとも「コレラ騒動」あるいはコレラ避けの「コレラ祭」を起こす民衆の側からは「避病院に行きたくない」「家族も行かせたくない」「患者を自宅で看取りたい」「漢方による調剤で治療して欲しい」といった要求が掲げられている。こういった要求は単なる民衆の「無知蒙昧」ということで片づけられるものではなく、そこには
コレラ騒動は一連の新政反対一揆と同じように「おれたちはこのままでいいのだ」という伝統的生活世界に生きる民衆の心情を背景にしていることは確かである。(p172)
問題は、「知識の量」ではないのだ。すでに何度か指摘したように、伝統的生活世界に生きる民衆には、長く培ってきた病に対峙する知恵があった。この世を生きる人間には、老・病・死は不可避なものとして存在する、老いを許容し、病と対峙しつつ、死を迎える。こうした不可避なものに対して伝統的生活世界に生きる民衆が持っていた知恵は、当然に倫理というべきものを生み出した。コレラ予防をめぐって国家は公衆衛生の名による医療の倫理を掲げて、この倫理の世界に踏み込んだのである。(p180)
要は「伝統的生活世界」と「近代社会」との対立、というか、近代日本が避けて通る事のできなかった近代への移行過程における摩擦が「コレラ騒動」なのである。明治期におけるコレラ流行は「明治十二年流行(1879年 患者数16万人、死者10万人)が最悪であり、その時に「コレラ騒動」も多発したのだが、次の大流行である「明治十九年流行(1886年 患者数15万五千人、死者10万人と、79年と同規模)では、「コレラ騒動」は下火になっている。この間に国家の側から、公衆衛生や防疫体制の整備が進められ、「伝統的生活世界」を圧倒するようになったのであろう。

現代のコロナ禍においても、「コロナは茶番」「コロナはフェイク」とか「ノーマスク」とか主張する人たちはいるし、店舗への自粛・休業・酒出すな要請にも「もう従わない!」と叛乱を起こすお店もあるようだが、おおきな「騒動」とまでは至っていない。現代のコロナ禍では、まだまだ社会の仕組みやあり方が”根本的に変わる”場面ではないということだろうか?だから大きな軋轢は生じていないとも言える。
だがコロナ禍で明らかになったことは、いままで通りの「グローバリズム」「新自由主義」そしてその根本である「資本主義」社会ではやっぱりアカンということなのだから、本当は「コレラ騒動」並みの「社会叛乱」が起こっていないとアカンということなのだろうか?なんかそうゆうことも考えさせられる本であった。
ちょっと追記:
むしろコロナ禍での 「反五輪運動」 が「コレラ騒動」に近いのだろうか…「コレラ騒動」では社会は変わらず、「伝統的生活世界」は”制圧”されてしまったが、五輪を止めれば、社会は確実に変わるだろう!
感染症と民衆(961) 明治日本のコレラ体験 (平凡社新書) [ 奥 武則 ]
本書は主に明治期前半におけるコレラ流行時における「コレラ騒動」について紹介し、考察した本である。
明治の人々にとって、コレラはどうゆう病気だったのか、近代国民国家に向けて走り出したばかりの政府は、コレラ流行に対して、どのように対応したのか。そこには伝統的生活世界に生きる民衆と政府のあいだにさまざまなかたちの軋轢が生じた。これが本書で中心に取りあげる「コレラ騒動」と呼ぶ出来事にほかならない。(p8~9)
「コレラ騒動」はいろいろあって、例えばコレラ流行時に防疫や患者の治療に献身的に尽くしているにもかかわらず「コレラ医」がコレラを広めているとされて殺されてしまう医者がいたり、同じく貿易や患者の隔離に走り回る巡査が暴行・殺害されたり、あるいは避病院(簡易に7設けられる隔離病棟)の開設に反対したり…そういった場面で人々は「民衆暴力」をふるっていたわけだ。
様々に興味深い話もあって、例えばコレラ流行時には魚介類を食べることが忌避された(現代のコロナでは、酒が忌避される⁉)が、それが漁村なんかの生業に影響したであろうこと(ただし時計的な裏付けがあるわけではない)、遊技場や寄席などはコレラ流行時には営業禁止になるが、1週間コレラ患者が出ていない区域では予防法などをきちんと添え書きした願書を提出した上で営業が許される(このへんは現代のコロナよりも融通が効いてそうだ)などの話も出てくる。もっとも「コレラ騒動」あるいはコレラ避けの「コレラ祭」を起こす民衆の側からは「避病院に行きたくない」「家族も行かせたくない」「患者を自宅で看取りたい」「漢方による調剤で治療して欲しい」といった要求が掲げられている。こういった要求は単なる民衆の「無知蒙昧」ということで片づけられるものではなく、そこには
コレラ騒動は一連の新政反対一揆と同じように「おれたちはこのままでいいのだ」という伝統的生活世界に生きる民衆の心情を背景にしていることは確かである。(p172)
問題は、「知識の量」ではないのだ。すでに何度か指摘したように、伝統的生活世界に生きる民衆には、長く培ってきた病に対峙する知恵があった。この世を生きる人間には、老・病・死は不可避なものとして存在する、老いを許容し、病と対峙しつつ、死を迎える。こうした不可避なものに対して伝統的生活世界に生きる民衆が持っていた知恵は、当然に倫理というべきものを生み出した。コレラ予防をめぐって国家は公衆衛生の名による医療の倫理を掲げて、この倫理の世界に踏み込んだのである。(p180)
要は「伝統的生活世界」と「近代社会」との対立、というか、近代日本が避けて通る事のできなかった近代への移行過程における摩擦が「コレラ騒動」なのである。明治期におけるコレラ流行は「明治十二年流行(1879年 患者数16万人、死者10万人)が最悪であり、その時に「コレラ騒動」も多発したのだが、次の大流行である「明治十九年流行(1886年 患者数15万五千人、死者10万人と、79年と同規模)では、「コレラ騒動」は下火になっている。この間に国家の側から、公衆衛生や防疫体制の整備が進められ、「伝統的生活世界」を圧倒するようになったのであろう。

現代のコロナ禍においても、「コロナは茶番」「コロナはフェイク」とか「ノーマスク」とか主張する人たちはいるし、店舗への自粛・休業・酒出すな要請にも「もう従わない!」と叛乱を起こすお店もあるようだが、おおきな「騒動」とまでは至っていない。現代のコロナ禍では、まだまだ社会の仕組みやあり方が”根本的に変わる”場面ではないということだろうか?だから大きな軋轢は生じていないとも言える。
だがコロナ禍で明らかになったことは、いままで通りの「グローバリズム」「新自由主義」そしてその根本である「資本主義」社会ではやっぱりアカンということなのだから、本当は「コレラ騒動」並みの「社会叛乱」が起こっていないとアカンということなのだろうか?なんかそうゆうことも考えさせられる本であった。
ちょっと追記:
むしろコロナ禍での 「反五輪運動」 が「コレラ騒動」に近いのだろうか…「コレラ騒動」では社会は変わらず、「伝統的生活世界」は”制圧”されてしまったが、五輪を止めれば、社会は確実に変わるだろう!
