6月に入ろうとするところで、新型コロナのワクチン接種が加速してゆきそうだ。かくゆう私の母親(80代前半)においても接種券が届けられ、近所のかかりつけ医で1回目、2回目の接種予約が完了した。東京・大阪等から始まった大規模接種も軌道にのっているようで、大阪では近隣県からも予約を受けつけるという。大規模接種方式は、不特定多数が集まり、かえって感染を広げたり、高齢者にとってわざわざ遠方まで出かけるのが困難だという話もあるが、ワクチン供給というロジスティックの面では効果が高いだろう。
 ワクチンが大量にあっても、接種業務を行うのは人間である。接種を行う医者の外、問診等を行う医療従事者、看護師ばかりでなく、歯科医を始め、研修医や薬剤師も動員しているそうだ。医療従事者ばかりでなく、接種を支える大量の人員が動員されているのだろう。まさに「人海戦術」なのだが、こんな状況はおそらく秋以降まで続くだろう。ワクチン接種に医療関係者を含め大量に人員が割かれている以上、7月末にオリンピックをやる余裕など、どこにもない!とっとと止めるが良い。

 だが何度でも書くが、ワクチンのみが感染症対策ではない。これをやることで、公衆衛生や医療体制の整備がおろそかにしても良いということにはならない。ワクチン接種をしていても、感染して発病する人はいるし、重症化する人もいるだろう。変異ウィルスによって、ワクチンの効果が悪くなることも予想される。
 だからPCR検査を十分に行える体制を整備するとともに、感染しても”安心して”入院・治療ができる体制を整えておく必要があるのだ。「おおさか維新」松井・吉村らがやってきた、保健所を統合し、病院をつぶすような政策は改めなければならない。
 もっと言えば、感染して体調が悪くなったら、遠慮なく仕事を休めるような社会、無理して会社にでてこなくてもよい社会でなければならない。そして普段から栄養や休養が十分に取れ、体の抵抗力・免疫力を高めておけるような生活ができる社会でなければ、感染症に打ち勝つことはできないのである。そう、資本主義社会、そして現在、最悪の形で表れている新自由主義社会の根本的な解体が求められるのである。

 だから「感染症に打ち勝った証」として、新自由主義にまみれたオリンピックをやることなぞ、まったくもってナンセンスであって、オリンピックを中止・廃止したあかつきに、感染症に打ち勝つことが可能なのである。