先日、13日夕方の梅田解放区にて、子どもが障がいをもっているという方がパラリンピックを批判した。曰く、自分の子どものように、”(スポーツとかが)できない”障がい者が取り残されること、そしてパラリンピックの始まりが、戦争で負傷した兵隊のリハビリのために始まったもので、戦争を批判するものではないということであった。
 障がい者がスポーツを楽しむ、競技で競争すること自体、否定されるものではない。障がい者スポーツの認知・普及において、オリンピックと同時に行われるパラリンピックの果たす役割は大きいだろう。だが、オリンピックと同時に行うことで、結局「勝者」のみが過大に称えられる…批判者の子どもさんのような、”できない”障がい者はより一層、肩身の狭い思いをする…のみならず、特に「新自由主義」的になんでも能力・生産性で測られる、その裏には「優生思想」があるような社会において、障がい者を競わせるパラリンピックを手放しで称えるわけにはいかないのだ。
 また障がい者がスポーツをするためには、特殊な義足など器具に頼ることも多い。器具の”良し悪し”が競技に影響する度合いが、「健常者のスポーツ」よりも大きいし、競争で競うためには、それらの条件もそろえる必要がある…どこまで器具・道具に頼るのが”スポーツ”として認められるのか?また、器具が用意できない経済状態の国や地域、人はどうするのか?もちろんこれらは「健常者のスポーツ」も同様に持つ課題であり、スポーツにおける差異と差別や格差について根源的に考えると、一筋縄ではいかないのは言うまでもない。
 ちなみに後者の批判…パラリンピックは戦争で負傷した兵隊のリハビリのために始まった…というお話は、ハイフォンポストの2016年9月の記事「パラリンピックの「パラ」の意味 障害者の苦難と希望の歴史がそこにある」に詳しい。第二次世界大戦、特にノルマンディー上陸作戦で脊髄損傷を負った兵士たちにスポーツをさせたこと、1948年、ロンドンオリンピックの開会式と同じ日に退役軍人が参加したアーチェリー大会、それが初回「ストーク・マンデビル競技会」となり、パラリンピックにつながっているということだ。もちろん、これを始めた医師(亡命ユダヤ人でもある)グッドマンは、障がいを受けた人に生きる希望を持ってもらうために善意で行ったことは言うまでもない。亡命ユダヤ人がナチスと闘って負傷し、障がいを受けた兵士のために始めた…というストーリーが、障がい者を生み出す「戦争」そのものへの批判を含まないものになっているのではなかろうかとも思う。もし”始まり”がアメリカのベトナム戦争で負傷した兵士のリハビリであったなら、パラリンピックの発するメッセージはもっと違うものになっていたであろう。なお、障がい者スポーツはそれ以前から行われており、それらも含めたパラリンピックの歴史は、日本パラリンピック委員会のパラリンピックの歴史に記述がある。
 パラリンピックの「パラ」とは、もともと
「Paraplegia(対まひ者)」の「Olympic」=「Paralympic」という発想から、東京大会の際に日本で名付けられた愛称だったのだが、85年からギリシア語の接頭語であるパラ=Para(沿う、並行)+Olympic(オリンピック)と解釈することになったそうだ。ハフポストの記事では「対等」の意味をもつとしている。 
 いずれにせよ、オリンピックと「対等」であるならば、パラリンピックもまたその政治性、商業主義そして差別・抑圧性もまた「対等」「同等」であることに他ならない。他のスポーツも同じことだが、障がい者スポーツの認知・普及に努力している方その他関係者の努力はともかく、パラリンピックもやってはイケナイのである。

おまけの話…「パラ」とは「平行」「対等」という意味を持つとはいえ、なんかやっぱり主流とは違うというイメージは避けられない。感染症で「腸チフス」「パラチフス」というのがあるが、どちらも臨床的にはほぼ同様の症状を示す。ただし「パラチフス」のほうが症状が軽いことが多いようなので、やっぱり「パラ」には格下感?が漂う。もっとも「腸チフス」と「パラチフス」が区分されているのは、もともと腸チフスの患者からチフス菌が1880年に発見されたのだが、後に腸チフスの症状を発している人から別の菌(パラチフスA菌)が発見されたため、別の病気という事で分類されているようだ。ただしどちらの菌もサルモネラ属に属するよく似た菌である。どちらも抗菌剤でぶっ殺すことができる。