2月3日、森喜朗東京五輪組織委員会会長が、とんでもない女性差別発言を行った(リテラの記事
「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」
「結局、あんまりいうと、新聞に書かれますけど、悪口言った、とかなりますけど、女性を必ずしも数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制をしていかないとなかなか終わらないで困るといって。そんなこともあります」
 というような内容で、女性の発言は規正すべきという「女性差別」だけでなく、ていねいな議論をぬきに密室内の談合とかで物事を決めてきた、これまでの日本の男性中心文化(オッサン文化とも言う?)を前提とした、民主主義的価値を否定するものである。
 この発言は非難ごうごうとなり、謝罪会見が行われたのだが、これが謝罪にもなんにもなっておらず、記者に対して逆ギレを起こす始末…そして形ばかりの「謝罪会見」が済んだら、組織委員会を辞任することもなくそのまま在任するということだ。(余人をもって替え難いのだそうな…)
 日本オリンピック委員会のHPには、2020年版オリンピック憲章(pdf)があって、その11~12頁目に「オリンピズムの根本原則」というのがある。
4.スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピック精神においては友情、 連帯、 フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。
6.このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。

 とある。すなわち、オリンピック憲章は明確に差別を否定しているのだ。
 森喜朗の女性差別発言は、これに照らし合わしても許されるものではなく、ちっとも反省・謝罪もできないようであれば辞任して当然なのだ。
 だがJOCや関係者は、コロナ禍での東京五輪無理矢理開催のため、森を続投させ、差別問題に頬かむりをしている。絶対に許してはならない。
 
 もっとも、森が辞めれば万事OKというわけではない…こうゆう意見があった。
 なるほど、近代オリンピックそのものを”清算”しないとイケナイわけだ。
 一応、オリンピック憲章は、差別を認めない、あってはならないものだとしている…だが、オリンピックそのものが、そんなに高邁なものだろうか?
 なんどもブログで記事に書いているよう、まず東京五輪そのものが、福島の原発事故、放射能汚染被害を「もう終わった事」「なかったこと」にするためのイベントなのだ。被ばくさせられ、差別され、故郷を追われた人々も「いないこと」「なかったこと」にされる、究極の差別オリンピックなのだ。
 加えて、コロナ禍で競技によっては代表選考もままならない中、アスリートや観客の健康や安全も無視して強行されるのは、コロナ対策で何もできなかった自民党・菅政権の、起死回生の政権浮揚政策ともなった。そしてその陰で、アメリカのTV局を始めとする独占資本、グローバル資本が金もうけをするのである。もちろん金もうけをする資本には、日本のゼネコン資本や電通などの情報産業資本その他モロモロが含まれており、保守政治家へのキックバックもある…利権にまみれたイベントだ。だからやめることができないし、やめようとしない。
 そして出来上がった巨大なスタジアムや施設は、アフターコロナで今までのような巨大な大会。イベントが出来るかできないかにかかわらず、維持管理費用を捻出するためにも無理矢理イベントを打たなければならない「負の遺産」と化す…MMTでいくらカネをだしても、これらの施設に吸い込まれてしまうのだ!

 もうこんなモノはやめてしまおう!森喜朗も東京五輪も、やめてしまえ!