11月23日(月)高槻市民会館で行われた「園良太さんが語る!」講演会に参加してきた。本集会は「高槻『日の丸』「君が代」の強制に反対する会」主催なのだが、司会挨拶等から、主催団体は日の丸、君が代の強制に反対したために再任用されなかった教師の闘いに取り組んできた「山田さんを支える会」が改組して発足したもので、本日はその第一回目の「学習会」という位置づけであるそうな。ということで、会場はなんかでかい机がどんと真ん中にあって、お茶菓子が出てきそうな雰囲気であった!(お茶菓子等は出ていません)なお、参加費は無料だが、みんなのカンパで運営。
あいさつに続いて、「君が代」不起立処分と闘うZAZAメンバーからの発言ということで、当該の松田さんらが発言した…学校現場ではほとんど組合が組織されておらず、松田さんの職場も正規・非正規合わせて70名ぐらいのところで、組合に結集している人は4人しかいないそうだ。闘いによって若い人も「声をあげていいのだ」ということにはなるが、「自分がやろう」ということにはなかなかならないと述べられた。
あいさつに続いて、「君が代」不起立処分と闘うZAZAメンバーからの発言ということで、当該の松田さんらが発言した…学校現場ではほとんど組合が組織されておらず、松田さんの職場も正規・非正規合わせて70名ぐらいのところで、組合に結集している人は4人しかいないそうだ。闘いによって若い人も「声をあげていいのだ」ということにはなるが、「自分がやろう」ということにはなかなかならないと述べられた。

そして園さんの講演である、①自己紹介②なぜ右傾化や「リベラル」が主流の時代に、反戦・戦争責任・反天皇に取り組んだか、どう考えているか③3.11以降~運動の現在地点と、運動の継承に何が必要か④東京から見た大阪・関西の良さと、都構想はいらないということ この4つのテーマでレジュメをまとめており、それに沿って話をされた。
園さんは81年生まれ、友人や先輩とサッカーをして育ったが、中二の時先輩たちに暴力を受け始め、そのせいで5年間、他者との会話ができなくなった。ただ「ひきこもり」をしていたわけではなく、渋谷等の街に出ることは可能だった。工業高校から定時制高校に転入し、図書室の秘書さんから文章執筆を進められ、文章表現から自己解放が始まった。大学の夜間部では社会学を学んだとのこと。2002年、アフガン反戦の渋谷「ピースウォーク」に参加し、そこから一気に社会運動への道を進む。03年のイラク反戦運動では、東京でも5万人が結集し「日本の街頭でもこれだけ出来る」ということを学んだ。その後、フリーター全般労組に加入、年越し派遣村でも学ぶ。08年に「麻生邸リアリティーツアー」で不当逮捕、09年に「ヘイトスピーチに反対する会」を立ち上げ、反天皇制、5・15デモ、在特会への抗議を行って来た。11年の3・11、東日本大震災と福島原発事故が起こる…「今は国や東電を批判せず祈ろう」という挙国一致ムードに反対し、3月18日から「東電前アクション」を開始する。コロナでもそうだが、危機の時に支配層のやることは変わっていないし、それに同調・追従してしまう日本人のメンタリティーも変わっていないとのこと。脱原発、東電追及の運動が広がる中、3回不当逮捕もされている。14年に辺野古新基地建設工事が開始された直後は「辺野古リレー」を立ち上げ、現地に行き、東京でデモも行っている。(「麻生邸リアリティーツアーに関しては、過去ブログのこんな記事がある。また3・11後の園さんの別の逮捕の件は、この記事で絶賛している。)
ところが15年の夏に不整脈が起きて倒れる。このへんは「ゴーウエスト」なんかの集会でも話されており「非常に大きな話なので別途話ができる機会を求めている」とのことだが、東京の仲間にも考えられない病気や死亡者が多発したため、悩んだ末に知人が多く仕事も見つかった大阪に16年の末に避難し、心臓病は回復した。17年3月に「ゴーウエスト」開始、5月に「共謀罪」反対運動から、「長時間・オールテーマで・誰でも話し・抗議する場・反天皇制や戦争責任など原則的な事を言う場」梅田解放区を開始…当初はヨドバシ前で行っていたのだが、高架の上を歩かせる「車中心」の場になっていることから、ヘップファイブ前に変更した。あそこは人をショッピングモール内で歩かせるように仕向けた街づくり(阪急のコンセプト?)が行われており、歩行者天国に近い非常にいい場所。また渋谷のような街頭ビジョンがないのも理想的なのだそうな。20年3月から「コロナ生活補償を求める大阪行動」開始。5月にたまたま十三市民病院の労働者と松井市長の会見中に「直撃」し、「(雨がっぱは)無いよりマシです!」発言を引き出したのは記憶に新しいところである。(つづくよ)
