以前の記事、石丸新党をぶっつぶせ!において、こうゆうことを書いた。
東京都議選挙への候補者の公募は、普通の勤め人などから政治家に「転職」するつもりでやってほしという…普通の転職のように、エントリーシートにプロフィール等を書いて、書類選考、適性検査の受検、その後石丸氏による面接を経て、”採用”されるかどうかが決まるという。
石丸新党に”採用”されれば、そこから選挙資金を得て選挙に勝ち抜き、晴れて都議会議員に”就職”できるという「石丸新党」であるが、「転職」という言葉を聞いて思い出したのが、民間の求人サイトを使った公募で市長候補者を決め、その候補者が市長選挙で当選した、大阪府の四条畷市長選挙のことである。ちょっと前にMBSが取材し、放送していた。
『求人サイトで市長候補を公募』したのはなぜ?(以下略)
市長が求人サイトで「次の市長候補」を募集するという全国初の試み。その旗振り役となったのは、大阪府四條畷市の前市長・東修平さん(36)です。公募にこだわったのはなぜか?公募から市長選までの舞台裏に密着しました。
東前市長によれば、「前回の統一地方選挙で市長だと4分の1が無投票だった。なり手不足と言われている中で、市長としてふさわしい素質や情熱を持っている人は一定数いると思っているんですね。ただ、あまりにこの選挙というブラックボックスが、壁が高すぎて挑めていないと」…地方自治体の首長や議員などの政治家の「なり手不足」対策であるという。なお、東市政の継続すら求めない、ということで、ある意味「理念」を求めない石丸新党と共通点がある。
で、公募に応募したのが209人!なんだこれは?うむ、大阪府下のベッドタウンで、あんまり規模も大きくない市長をやってみたいという人がこんなにいるわけだ。ここから絞り込み、最終選考で6人の立候補予定者を、匿名で参加した5人の市民と東前市長が選考委員となって面接し、一人に絞り込んだ。当初は四条畷市とは縁もゆかりもない、元国連職員の篠原雄之氏が「候補者」となったが、選考後に心臓疾患が見つかり、立候補が難しくなった。そこで最終選考で残ったもう一人の、四条畷市出身で市役所に勤めていた銭谷翔氏が「候補者」になった。本番の選挙では、銭谷氏の他に保守系無所属で長年市議を務めてきた渡辺氏が立候補した。選挙結果は銭谷氏9989票、渡辺氏が8891票と、僅差で銭谷氏が市長に選ばれたのである。
政治家の「公募」そのものは、これまでも様々な政党がやっている。民間の「求人サイト」を使って、まるで「転職」のように政治家を募集するのも、維新なり、新しもの好き。人気取りポピュリズム政党ならやりかねない(維新は「政治家への転職」という言葉を使うことがある)。今回の「候補者の公募」は、東前四条畷市長というあるていどまともな政治家が「行政」の仕事の一部として行い、かつ四条畷市そのものがあまりメジャーじゃないこともあって注目を浴びたとは言い難い。維新や石丸のような輩がやると、マスコミも衆目するし、反発する人も多いだろう。
当然「(行政による)市長候補者の公募」というのは、いくら市政の継続性をもとめず、匿名の市民の公募を入れるからといっても、市・行政「公認候補」といった印象・イメージをぬぐうことができない。引用記事にはないがこれが放送されたとき、あるコメンテーターは「(行政の公認ということで)選挙が形骸化するのでは?」と懸念を表明していた。たまたま今回の四条畷市では市議会議員の対立候補がでたが、もし対立候補が出なかった場合はどうしたのであろうか?「なりて不足」で選挙が成立しない対策なら、公募で候補者を2名選考し、選挙でえらんでもらうという手もありだろう。いっそのこと、行政から独立した「第三者機関」が複数の候補者を選ぶ、理念や信条、政治手法が全く違っていても、そこは選挙で対応する…というのもありかもしれない。
議員であろうが首長であろうが、理念や目標その他いろいろある複数から、選挙民が投票によって政治家を選び、進路をきめるという現在の選挙制度の下では、政治家の公募はある理念や目標をもった「政党」が行うべきであり、行政や「第三者機関」的なもの、あるいは「石丸新党」のような理念もへたくれもない「選挙互助会」がやるべきものではない…まぁカネを持っている「選挙互助会」が勝手に公募をやるのは自由だが、それで政治が変わるわけではない…記者会見までして報道するものではないのだ。
ただ地方自治行政のばあい、理念や目標の違いが問題にならないケースもままある。特に首長選挙の場合、政党に所属していてもあえて無所属となり、政党からは「推薦」という形を取って、理念や目標の違いを曖昧にした「オール〇〇」という候補者がよく見られる。例外は維新で、前回の兵庫県知事選挙を除き、維新という党派性を前面に押し出して立候補し、選挙に臨む。「身を切る改革」で持てる者と持たざる者の分断を持ち来む維新党派選挙も嫌なものだが、オール〇〇の何の争点もない選挙も、まるで面白くない。「保革」のガチの争いなんぞ、ほとんど存在しない…こういったことが政治への関心の低下や、候補者の減少、無投票選挙につながっている。
その結果、選挙が「人気投票」に陥る…石丸信二のような中身のない人間が、Youtubeなどで流されるイメージだけで持ち上げられ、東京都知事選挙で2位をとる、あるいは斎藤元彦や立花孝志といったろくでもない人間が選挙をひっかきまわし、当選してしまうということも起きる。政治家の中には明らかに政治家として(それ以前に人間として)不適切な人物、人種差別したり、性暴力を開き直ったりする人間も今やいっぱいいる。こういった”不適格者”を選挙の場に出さない方策として、供託金制度というのがあるわけだが、トンデモ人間にカネを出す奇特なヒトがいるため(立花孝志があちこちの選挙に立候補できるのはそのため)ちっとも役にたっていない。公募の逆で”第三者機関”がなんらかの選考をして不適格者を排除すればよいのかもしれないが、それで排除できるのは麻生太郎や安倍晋三のような漢字の読めない政治家だけであろうし、その方法は立候補の自由を侵害し、政治活動や結社の自由を損ねることにもなりかねない。
以上、行政による立候補者の公募…ということから考えたことである。もう少し四条畷市のやったことについて、よく考える必要があるだろう。
東京都議選挙への候補者の公募は、普通の勤め人などから政治家に「転職」するつもりでやってほしという…普通の転職のように、エントリーシートにプロフィール等を書いて、書類選考、適性検査の受検、その後石丸氏による面接を経て、”採用”されるかどうかが決まるという。
石丸新党に”採用”されれば、そこから選挙資金を得て選挙に勝ち抜き、晴れて都議会議員に”就職”できるという「石丸新党」であるが、「転職」という言葉を聞いて思い出したのが、民間の求人サイトを使った公募で市長候補者を決め、その候補者が市長選挙で当選した、大阪府の四条畷市長選挙のことである。ちょっと前にMBSが取材し、放送していた。
『求人サイトで市長候補を公募』したのはなぜ?(以下略)
市長が求人サイトで「次の市長候補」を募集するという全国初の試み。その旗振り役となったのは、大阪府四條畷市の前市長・東修平さん(36)です。公募にこだわったのはなぜか?公募から市長選までの舞台裏に密着しました。
東前市長によれば、「前回の統一地方選挙で市長だと4分の1が無投票だった。なり手不足と言われている中で、市長としてふさわしい素質や情熱を持っている人は一定数いると思っているんですね。ただ、あまりにこの選挙というブラックボックスが、壁が高すぎて挑めていないと」…地方自治体の首長や議員などの政治家の「なり手不足」対策であるという。なお、東市政の継続すら求めない、ということで、ある意味「理念」を求めない石丸新党と共通点がある。
で、公募に応募したのが209人!なんだこれは?うむ、大阪府下のベッドタウンで、あんまり規模も大きくない市長をやってみたいという人がこんなにいるわけだ。ここから絞り込み、最終選考で6人の立候補予定者を、匿名で参加した5人の市民と東前市長が選考委員となって面接し、一人に絞り込んだ。当初は四条畷市とは縁もゆかりもない、元国連職員の篠原雄之氏が「候補者」となったが、選考後に心臓疾患が見つかり、立候補が難しくなった。そこで最終選考で残ったもう一人の、四条畷市出身で市役所に勤めていた銭谷翔氏が「候補者」になった。本番の選挙では、銭谷氏の他に保守系無所属で長年市議を務めてきた渡辺氏が立候補した。選挙結果は銭谷氏9989票、渡辺氏が8891票と、僅差で銭谷氏が市長に選ばれたのである。
政治家の「公募」そのものは、これまでも様々な政党がやっている。民間の「求人サイト」を使って、まるで「転職」のように政治家を募集するのも、維新なり、新しもの好き。人気取りポピュリズム政党ならやりかねない(維新は「政治家への転職」という言葉を使うことがある)。今回の「候補者の公募」は、東前四条畷市長というあるていどまともな政治家が「行政」の仕事の一部として行い、かつ四条畷市そのものがあまりメジャーじゃないこともあって注目を浴びたとは言い難い。維新や石丸のような輩がやると、マスコミも衆目するし、反発する人も多いだろう。
当然「(行政による)市長候補者の公募」というのは、いくら市政の継続性をもとめず、匿名の市民の公募を入れるからといっても、市・行政「公認候補」といった印象・イメージをぬぐうことができない。引用記事にはないがこれが放送されたとき、あるコメンテーターは「(行政の公認ということで)選挙が形骸化するのでは?」と懸念を表明していた。たまたま今回の四条畷市では市議会議員の対立候補がでたが、もし対立候補が出なかった場合はどうしたのであろうか?「なりて不足」で選挙が成立しない対策なら、公募で候補者を2名選考し、選挙でえらんでもらうという手もありだろう。いっそのこと、行政から独立した「第三者機関」が複数の候補者を選ぶ、理念や信条、政治手法が全く違っていても、そこは選挙で対応する…というのもありかもしれない。
議員であろうが首長であろうが、理念や目標その他いろいろある複数から、選挙民が投票によって政治家を選び、進路をきめるという現在の選挙制度の下では、政治家の公募はある理念や目標をもった「政党」が行うべきであり、行政や「第三者機関」的なもの、あるいは「石丸新党」のような理念もへたくれもない「選挙互助会」がやるべきものではない…まぁカネを持っている「選挙互助会」が勝手に公募をやるのは自由だが、それで政治が変わるわけではない…記者会見までして報道するものではないのだ。
ただ地方自治行政のばあい、理念や目標の違いが問題にならないケースもままある。特に首長選挙の場合、政党に所属していてもあえて無所属となり、政党からは「推薦」という形を取って、理念や目標の違いを曖昧にした「オール〇〇」という候補者がよく見られる。例外は維新で、前回の兵庫県知事選挙を除き、維新という党派性を前面に押し出して立候補し、選挙に臨む。「身を切る改革」で持てる者と持たざる者の分断を持ち来む維新党派選挙も嫌なものだが、オール〇〇の何の争点もない選挙も、まるで面白くない。「保革」のガチの争いなんぞ、ほとんど存在しない…こういったことが政治への関心の低下や、候補者の減少、無投票選挙につながっている。
その結果、選挙が「人気投票」に陥る…石丸信二のような中身のない人間が、Youtubeなどで流されるイメージだけで持ち上げられ、東京都知事選挙で2位をとる、あるいは斎藤元彦や立花孝志といったろくでもない人間が選挙をひっかきまわし、当選してしまうということも起きる。政治家の中には明らかに政治家として(それ以前に人間として)不適切な人物、人種差別したり、性暴力を開き直ったりする人間も今やいっぱいいる。こういった”不適格者”を選挙の場に出さない方策として、供託金制度というのがあるわけだが、トンデモ人間にカネを出す奇特なヒトがいるため(立花孝志があちこちの選挙に立候補できるのはそのため)ちっとも役にたっていない。公募の逆で”第三者機関”がなんらかの選考をして不適格者を排除すればよいのかもしれないが、それで排除できるのは麻生太郎や安倍晋三のような漢字の読めない政治家だけであろうし、その方法は立候補の自由を侵害し、政治活動や結社の自由を損ねることにもなりかねない。
以上、行政による立候補者の公募…ということから考えたことである。もう少し四条畷市のやったことについて、よく考える必要があるだろう。