「台湾有事」が煽られ琉球弧、西日本一一帯の自衛隊増強・弾薬庫整備などの「石破軍拡」が推し進められる中、少なからぬ左翼・反戦派は「台湾は中国の一部」であり、それを日中国交回復時に認めているのだから、あるいは国連で「台湾は中国の一省」とされているから、台湾問題は中国の内政問題であり、それに介入することは許されないとしている。実際問題、中台で武力衝突が起こる、中国が「台湾解放・統一」を掲げて軍事行動を起こした場合に、いかなる国もそこに軍事介入する理屈は持ち得ていない(アメリカ・ロシアのような拒否権を持つ国連常任理事国なら、強引な理屈をつけて介入はするだろうが、それはイラク戦争時のような嘘もしくはデタラメにまみれたものになるだろう。)
 だが台湾は1895年以降日帝の植民地下に置かれ、1945年後も現中国政府の支配下には置かれていない実質「別の国」である…日帝植民地時代50年、1945年以降現代までほぼ80年の、中国本土と切り離されていた歴史を持ち、そこに住む民衆はほとんどが「台湾人」というアイデンティティーを持つに至っている。そうした中、日本の左翼が中国という「国家」内部の問題であるとして、台湾問題をを切り離して考えることは誤りであろう。
 昨年10月の京都野音での反戦集会(前編後編)におけるシンポジウムにおいて、京都大学大学院教授の駒込武さんや張彩薇さんらのお話しは、台湾問題について非常に考えさせられるものであった。シンポジウムの中で駒込さんは自らが編集した「台湾と沖縄 帝国の狭間からの問いー「台湾有事」論の地平を超えて(みすず書房、2024年)」を書店で注文してください…とのことだったので、書店に行って買って読んでみた。
台湾と沖縄 帝国の狭間からの問い 「台湾有事」論の地平を越えて/駒込武/呉叡人【3000円以上送料無料】
台湾と沖縄 帝国の狭間からの問い 「台湾有事」論の地平を越えて/駒込武/呉叡人【3000円以上送料無料】
 本書の重要部分は、「台湾独立」を主張する政治学者、呉叡人氏の論を中心に「帝国の狭間」…日本帝国と中華帝国(清朝、中華民国、中華人民共和国)の狭間におかれ、「自己決定権」を奪われた台湾・沖縄の問題を腑分けしてみるというものだ。沖縄は薩摩による侵略、明治維新後の「琉球処分」を経て日本帝国の「植民地」におかれ、台湾は日清戦争(日帝のアジア侵略の一環)に敗れた清帝国が、生き残りのため日帝に「割譲」されたところである。「割譲」して植民地支配下に追いやった「中国」の責任も問うている…そういった本でもある。駒込氏は1章、帝国の狭間から考えるーの自己が著した「無意識の『大国守備』」の中で、こう述べている。
 だが、「台湾は中国の一部」という主張は、沖縄を日本の一部とすることと同様に、歴史それ自体の内には根拠をもたない。国境が線として画定され、民族的な帰属が重要な位置を占めるのは近代以降のことである。したがって、かつて台湾は清国の版図にくみこまれていたという中国の主張は、台湾民衆が清国の「棄地遺民」とされた経験を発端として、近代という時代に繰り返し「台湾処分」を経験させられるなかで「台湾人」という意識を育んできたその歴史的経験を無視するものと票ぜざるをえない。あるいは、本来ならば、東アジア世界における帝国主義的世界分割のお先棒を担いだ日本人に向けられるべき中国人の怒りや憎しみが、世界分割の結果として生み出された台湾人、とりわけ「台湾独立」を主張する人びとに向けられてきたとみることもできる。
 他方、日本政府はといえば「二つの中国」の対立につけいることで、中国侵略戦争にかかわる責任を巧みに逃れてきた。蒋介石政府による台湾植民地化とアメリカによる沖縄軍事占領を追認することで、植民地支配責任も免れてきた。そして今日の「台湾有事」をめぐる構図もまた、その延長上にある。戦争責任・植民地責任を回避したまま、いまなお沖縄や台湾の犠牲の上に相対的平和を享受しつづけている日本本土の人間は、その「無意識の大国主義」とでも呼ぶべきものを、どのようにして自らの意識にのぼらせることが可能であろうか。(p25,26)

 ここで「台湾は中国の一部」というのは中国側の主張であるが、それは先ほども述べたように日本政府が日中国交回復でそれを「十分理解し、尊重する」ことでそれを支えている。「台湾有事」をそのことで切って捨てることで、域内平和を求めようとすることもそれにつながるであろう。また日本は、台湾を中国本土から切り離して植民地支配し、「台湾人」を生み出した…そういった責任もあるわけだ。
かといって、日本帝国(あるいはアメリカ帝国)といっしょになって「台湾有事」に介入し、戦争準備をしてよいというわけでは決してない。いかに台湾民衆の自己決定権を尊重し、実現させるか?ということが問われているのである。