25日から、辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会の総会ということで、沖縄に行ってきたぞ!超久しぶりの沖縄・辺野古である。
朝早くの飛行機に乗って、沖縄入り…やっぱり蒸し暑い!
12時に貸し切りバスで県庁前を出発して、辺野古へ…
「第二辺野古」と名乗っていたバス停が「沖縄高専入口」と名称変更されている!
土曜日で工事がなかったためか、シュワブ前のテントにはだれもいない。
浜のテントには、4年前から中村吉且さんという方が詰めておられる。辺野古新基地建設の概要の説明…向こうには、海面上8mに積み上げられた埋め立て地が見える…また、浜のテントでは中村さんがつくった「沖縄 壊死する辺野古の風景 2024」というパンフレットも500円で販売である。非常に内容が濃いパンフレットだ。ちなみに、中村さんのおつれあいさんは、過去に辺野古で機動隊の暴力により、大怪我をさせられたお方である。
浜のテントの裏には、でっかいグランド(野外音楽堂付き)が整備されている…昨年度にできたらしい。なんか凄いな!子どもたちが野球の練習をしていたよ。もちろん、基地建設”容認“の見返りとして予算がついて出来たものであるが、名護市の東海岸にある公共のグランドとして、使い勝手はよいものだそうな。
中村さんをバスに乗せて、工事の概況を説明してもらう…昔、多くの人が座り込みをして「排除」されているシュワブ前ゲートは、現在、ほとんど工事に使われておらず「第4ゲート」というところで、美謝川付け替え工事や、弾薬庫整備の工事車両を止める行動が行われているそうだ。また辺野古ダム周辺から土砂採取を行うため。30haもの山林を伐採している…これはキャンプ・シュワブ敷地内であるため、法的には問題にならないそうなのだが、自然破壊そのもの…とにかく、4・5年前に私が辺野古に行っていたころとは、大きく地形や用紙が変わっていて、改めて工事の進捗に怒りを覚えざるを得ない。
(手違いで写真がなくてごめんなさい)
(手違いで写真がなくてごめんなさい)
バスはその後、東海岸を北上し、瀬嵩へ…「ホープスポット」の前で、浦島悦子さんの説明…

大きな台船があるところに「作業ヤード」を作ると称して捨て石が投下されている。国が勝手に決めた「制限海域」を使役るフロートが目の前に漂う…カヌー隊は、それを乗り越えて抗議行動を行っているそうな…おりしもこの日から、辺野古新基地建設のための「サンゴ移植」が始まっている(サンゴは移植してもほとんど成功しないのだが、気候の悪い5月~10月に移植を行うなど、ナンセンスの極みである)また、浦島さんもおっしゃっていたのだが、軟弱地盤を地盤改良するということは、そこに住む生き物が死に絶えるということである…絶対に許してはならない!
その他、浦島さんは沖縄戦時に収容所を大浦岬(辺野古岬…地理に詳しくないアメリカ軍は、大浦岬と勝手に呼んだ)に建設し、本部半島や家島の住民を”収容“したこと、家島の住民は住んでいるところを米軍に取られ、特に苦労されたこと、また沖縄戦ではこの辺にも米艦船が沢山来たのだが、今、作業船・台船があふれていて、地元で沖縄戦を体験されている方のトラウマになっていることなどを話された。
瀬嵩を離れて、西海岸へ向かい、安和の土砂積み出し港へ…東京から名護に移住された方が説明。
ここで、みんなといっしょに「牛歩」をやって、ダンプトラックを止める。

警備員、テイケイ‘の皆さんが「車両が通ります…速やかにお渡りください」と言いづづける中(のどがいたくならないのか?)ゆっくり、ゆっくり歩く…多くが高齢者ばかりで、つえをついている人もいる中、これはほんとにいい戦い方だと思った…警察・機動隊もウルサイことは言わない(もっとも警察権力とこういった”関係“になるのは、それなりに力関係を発揮しているからなのであるが…)
塩川港は県の施設なので、5時には仕事が終わる(終えなかればならない)…安和は民間(琉球セメント)の施設なので、夜8時ごろまで搬出、阻止行動が続くこともあるそうだ。
塩川港をあとに、名護から高速道路を南下、今日の宿泊地であるうるま市のホテルに投宿…ここで「懇親会」である…ではでは。