とんでもないことが起こった!群馬県が公園にある朝鮮人労働者の追悼碑を「行政代執行」で完全に破壊したのである!この暴挙を絶対にゆるしてはいけない!
まずは1月29日夕方のY!ニュース群馬テレビより
群馬の森「朝鮮人労働者追悼碑」 撤去工事始まる
 群馬県は29日、高崎市の県立公園「群馬の森」に市民団体が設置した朝鮮人労働者の追悼碑の撤去工事を開始しました。県が設置許可を更新せず後継の市民団体に撤去を求めましたが、応じなかったため、行政代執行しました。
この追悼碑は2004年に「政治的行事を行わない」という条件で県の許可を受け、市民団体が設置しました。しかし、その後開かれた追悼式で出席者が「強制連行の事実を訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などと発言したことを理由に県は2014年に設置許可を更新せず、撤去を求めていました。
 これについて碑を管理する後継の市民団体が適法性を争った訴訟は最高裁まで争われ、2022年に敗訴が確定しました。
 県は、市民団体が碑の撤去に応じなかったため、29日、行政代執行を開始しました。撤去工事に伴い群馬の森を2月11日まで閉鎖し、費用およそ3000万円は市民団体に請求します。

 「強制連行の事実を伝え」ということが「政治的行事である」ということこそ”いいがかり”であるのだが、こんなことで日本の植民地支配と、それによる朝鮮、韓国人への不当な労働強制、差別を告発し「二度と繰り返さない」と誓うためのモニュメントを認めない!ということを弾劾しなければならない。そして右翼勢力におもねり、行政が強制執行し、あまつさえ撤去費用を請求することは許されるものではない!
 そして撤去は、こんな形で始まった…  
 28日のポスト…まるで三里塚における代執行を思わせるものものしさ…抗議する市民を絶対によせつけない!とばかりの弾圧体制だ!もっとも、この「弾圧体制」は、抗議行動を起こす市民を「危険なモノ」として印象付けるためのものでもある…実際は、歴史の反省から背を向け、碑を撤去することこそが危険であるのに…
 そして29日から公園を封鎖して、群馬県がやったことは碑の「完全な破壊」である!どこかに”再設置”できるような配慮も全く行わない、文字通り”粉砕”してがれきの山にしてしまったもである!  
 絶対にゆるしてはならない!
  
 この暴挙に対し、群馬県は韓国との友好関係を失うことになった…韓国、聯合ニュース
 韓国・済州道知事 群馬県との交流協議見合わせ検討=「朝鮮人追悼碑」撤去で
 【済州聯合ニュース】韓国南部・済州道の呉怜勲(オ・ヨンフン)知事は1日、群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人労働者追悼碑の撤去を巡り、同県と推進中の友好交流に関する実務協議を見合わせるべきか悩んでいると明らかにした。
 呉知事は、碑の撤去作業が始まる直前の先月26日に群馬県を公式訪問していた。
昨年8月に群馬県の関係者らが済州を訪問したことへの答礼訪問だったが、碑の撤去時期と重なったことで不適切だったと批判されている。
 済州道の関係者は「訪問日程を調整する際には追悼碑の撤去計画を知らなかった」として、訪問の目的は自治体間交流だったと強調した。
 呉知事は今回の訪問で、群馬県の山本一太知事らに撤去問題について「韓日両国の関係が安定的に発展できるよう政務的に考慮してほしい」と述べ、穏便な対応を要請した。
 その上で、済州道は群馬県と観光を中心とした交流協力を拡大する実務交流協議書の締結を予定通り進めた。
 群馬の追悼碑は朝鮮半島と日本の歴史の理解と友好促進のため、市民団体が2004年に建てた。「朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する」などと記されている。
 群馬県は14年、碑の前で開かれた追悼式典の参加者が政治的な発言をしたとして設置更新を不許可とし、先月29日に撤去作業を開始した。
 日本による植民地時代には、約6000人の朝鮮半島出身者が群馬県の鉱山や軍需工場で労役を強いられた。韓国国家記録院の名簿によると、済州島出身の徴用者は1万人に上る。

 このような反動が来るのは、あまりにも当然である!

 群馬県知事、山本一太をはじめとする、追悼碑破壊の責任者を追及し、打倒し、碑のように粉砕!ぐっちょんぐっちょんにしよう!そして新たに、追悼碑を建設しなおし、再び歴史忘却の愚行がおこなわれないようにしよう!