そろそろこのコーナーも勝手に「まとめ」に入るよ…
ゼロからの資本論_0001
 斎藤幸平氏は本書で、晩期マルクスが独自に「自然科学」や「共同体」の研究をしており、従来の「マルクス主義」でとらえられているものとは違う境地・思想にマルクスは立っていたとする。特に「共同体研究」について、ロシアの農耕共同体「ミール」の研究にいそしみ「ザスーリチ宛の手紙」草稿も引用して
 マルクスが単に資本主義のもとでの近代化を無制限に進めていけばいいと考えていたのではないことは、引用からも明らかでしょう。無限の資本の価値増殖と競争のための技術革新は、「修復不可能な亀裂」を生んでしまう。
 ここで、共同体社会が、伝統に依拠した定常型の持続可能な社会であったことを思い出してください。ということは、西ヨーロッパの社会もそのような社会に移行する必要があると、晩年のマルクスは考えていたのです。(中略)
 繰り返せば、そのような「高次の」共同体社会を実現するために、無限の経済成長は必要ありません。生産力を無限に上げていく必要もないのです。だから私はこれを「脱成長」型経済と呼んでいます。(p196~7)

 と展開してきたのが、前著の「人新世の「資本論」」でも展開された彼の結論なのであるが…
 人新世の「資本論」 (集英社新書) [ 斎藤 幸平 ]
人新世の「資本論」 (集英社新書) [ 斎藤 幸平 ]
 ではどうやったら「脱成長コミュニズム」、あるいは「高次の共同体社会」に到達できるのか、その具体的な方法については斎藤幸平氏ははっきり書いていない。
 本書では「パリ・コミューン」の経験も踏まえ、マルクスの革命観が1848年の「共産党宣言」当時とは変わっていると述べている。「共産党宣言」にはパリ・コミューンについて書いた「フランスの内覧」から引用しながら、1872年の「ドイツ語版の序文」を引用したうえで、次のように展開している。
 ここでは、1848年に執筆された時からの認識の変化が強調されているのがわかるでしょう。『共産党宣言』の段階では、革命によって国家権力を奪取して、その力を社会主義設立のために使えると素朴に考えていた節がありました。けれども、パリ・コミューンの経験を踏まえて、真に平等で、民主的な社会を作るためには、国家権力を使う以外の道を試す必要があると、強調されるようになっているのです。(p205)
 「国家権力奪取の革命」を否定する!ということだ…では「国家権力の打倒」「解体」のための革命ならいいのだろうか?そこのところははっきりしない。
 ただ斎藤氏は「法学幻想」批判を展開しているように、資本主義そのものを国家の力で規制をかけたり、抑制したりする…あるいはソ連・中国がやってきたように生産手段を「国有化」するといった方法を批判し、「できあいの国家」をそのまま利用して、資本主義社会の根源的な変革、そして「脱西洋コミュニズム」に行きつくことはないのであるが…
 ではそうするのか?本書を読む限りでは、「協同組合的生産」がコミュニズムの基礎となるので、人々が生きていくのに必要な必需品、サービスをつくる「労働者協同組合」をつくり、生産に必要な知識や生産手段、生産物を「コモン」として管理していく…それらの協同組合がソーシャルビジネスや自治体ともつながっていくことで、マクロな範囲でアソシエーションを構築していく…世界的に注目を集めている「ミュニシパリズム(地域自治主義)」の国際的ネットワークなどの動き、ローカルなもコミュニティや地方自治体が、グローバルにつながり始めている…こういった「アソシエーション」の拡大・浸食によって、資本主義社会を掘り崩していこう!というのが方法らしい。

 もっともそれでは、これまで「レーニン主義的」に建設されてきた「革命党派」「共産主義党派」にとっては、あまり面白くない結論だろう。では、どうすればいいのか?(つづくよ)