たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

2022年10月

「飛行場前」の歴史

先週行って来た笹の墓標全国巡回展の記事内に
 なお北海道の廃線がらみでは、天北線(89年5月廃止)に空港もないのに「飛行場前」という駅があった。これも戦時中に朝鮮人の強制労働によって突貫でつくられた「浅茅野飛行場」がそばにあるため、そのような名前になったわけである。浅茅野飛行場建設で犠牲になった方の遺骨発掘についても、本展示会で紹介されていたことも付け加えておこう。
 てなことを書いたが、このことを私は高校時代に本多勝一の「北海道探検記」を読んで知っていた。この度、手元にある「北海道探検記」(本多勝一 朝日新聞社 1984年 文庫)から引っ張り出して紹介しよう。なお、本書は現在、集英社文庫の中古が出回っているようだ。
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 371ページに「飛行場前」の歴史 とあって、
 北海道は二重の意味で近代日本の侵略の舞台だったことを、華やかな観光地の対極にあるものとして心の一隅にとどめて欲しいと思う。二重の意味の第一はもちろんアイヌ民族のモシリ(国土)だった北海道への侵略だが、第二は侵略先の中国・朝鮮からの強制連行による強制労働現場である。北海道に特に多かった鉱山や飛行場・鉄道の建設現場は、たいていがその舞台であった。北海道を知るための重要な一面として、ここに一つだけその現場を紹介すべく、私の新聞ルポから転載しよう。
 とある。
 ルポの始まりは「一連の教科書検定問題」という書き出しで始まる。82年に文部省(当時)が高校歴史教科書の「侵略」を「進出」と書き換えさせた問題が起こっていた当時の記事である。そこから「侵略」の結果としての「強制動員(連行)」の実態として、当時のタコ部屋労働の現場と、そこを脱走して生き延びた一在日韓国人の体験を紹介する記事が続く。
 次の章「ひこうじょうまえ」駅 では、国鉄ローカル線「天北線」と浅茅野駅の南、飛行場のない「飛行場前」無人停車場の紹介の後
 だが実は、かつてここに軍用飛行場が作られ、完成の直後に敗戦を迎えて放棄されたのだった。そして、その突貫工事の主要労働力として使われたのが、韓国(当時の朝鮮南部)から強制動員で連れられてきた青年たちである。囚人でもないのにカギをかけられたタコ部屋に寝起きし、ムチでなぐられながらトロッコを推し、栄養失調や集団リンチで次々と死んでゆく青年たち…
 と続く。次の段落で、その現場を生き延びた青森市に住む在日韓国人、沈載明さん(五九…当時)が紹介される。
 1943年5月末、大工見習としてソウルに働きに出ていた沈さんが故郷、忠清南道天安郡木川面応院里に帰っていた時、徴用されてトラックに載せられ、列車に乗って釜山から下関、青森、函館、旭川と鈍行列車で運ばれた。
 オホーツク海に近い小さな駅・浅茅野に着いたのは六月一〇日の朝だった。「山本」らは護送任務だけだから、ここで工事請負土木業の「丹野組」に引き渡される。飯場まで二~三キロ歩かされ、そこで「オガワ=ゴロウ」という飯場長から飛行場建設工事での労働を始めて明らかにされた。衝撃を受けたのは、飯場に錠をおろされたときだ。新築されたばかりの飯場は、便所や食堂もろとも窓なしの壁に囲まれた刑務所のようなタコ部屋なのであった。
 あくる日から、ひどい食事による長時間の過酷な労働が始まった。朝は五時起床。大根の葉などを混ぜた外米めしが中ぐらいのドンブリ一杯と、ミソ汁一杯だけの朝食。終わるとすぐ現場へ出て六時から重労働。モッコかつぎやトロッコを推すような土の運搬が主だ。午前中一回一五分の休憩。昼食には、リヤカーで運ばれた板箱の弁当を三〇分間の休み中に食べる。午後も休憩一回一五分。終わりは「暗くなるまで」だから、北国の長い昼だと労働は一三時間から一四時間におよんだ。夕食も朝と同様の少量と低カロリーである。たちまち体力は衰えてゆき、弱い者から順次栄養失調になり、病人・半病人が続出した。現場の監視人たちは暴力団出身が多く、動作の遅い者は杖をムチにしてぶんなぐる。霧雨の日がつづく作業場は、ムチの音と悲鳴と「アイゴー」の声が、遠く場外の農家にまで聞こえた。(p379~p380)

 記事には飯場の見取り図も書かれており、細長いところに150人が詰め込まれ、土間にムシロを強いて寝床としていた。飯場の幹部や監視人の部屋にはタタミが敷かれていたようだ。小さな風呂も併設されていたが、疲れ果てて風呂にも入れず寝てしまうものが多かったそうである。脱走を試みる者もいたが、つかまると見せしめのヤキ入れが始まる。
 ツルハシの太い柄で背中を力いっぱいぶんなぐる。一発で気絶して転倒する。水をかけてさます。地面に伏して手を合わせ、「助けて」「許して」とおがむ脱走者に、ツルハシの柄が何度でも打ちおろされる。見ていた同報らは、耐え難くなって寝床にもぐり、耳をおおった。それでも「ゴン」「ドスン」と、なぐる音や倒れる音がひびき、悲鳴が聞こえた。
 こうしてヤキを入れられた者のほとんどは、そのまま発熱や下痢などを起こし、やがて死んでいった。(p381)

 記事によれば、沈さんがいたような150人収容の飯場はここに七棟あり、別の場所にも飯場はあった。タコでない労働者もいて、全部で2000人ぐらいと沈さんは見ているそうだ。
 四カ月ほど過ぎた秋のある日、トロッコの保線係をしていた二人が脱走した。脱走者の班長と隊長の沈さんは責任上、追跡をすることになるが、そのまま彼らも脱走することにした。その後、敗戦まで北海道を転々とする。日高の糠平鉱山で働いていたころ、平取のアイヌ家庭に暖かく迎えてくれたということもあるのだが、記事において逃亡生活について詳述する余裕はないとのことである。
 記事はその後40年も経って、1982年10月3日に沈さんがかつての飛行場後を訪問したことを紹介し、
 沈氏らの脱走後、冬にはいって炭鉱へまわされた同報も多かったらしい。現場に近い浜頓別町の仏教道場主・角田観山氏(七三)の調査によれば、氏名のわかる韓国人犠牲者だけでも八十余人。全体では見当もつかない。浜頓別にいた久保浅次氏(七六)は牛車で死体運びをさせられた一人である。その体験をきいた厚木市の渡辺亀二郎氏(六七)によれば、久保氏が自分で運んだ分だけでも二〇〇体くらい、全体では三~四〇〇体と推定されている。飯場長のオガワ=ゴロウは、戦後(一九五に年)旭川でトバク中の現場を警官隊に襲われ、二階から飛びおりそこなって死んだ。
 強制連行された朝鮮人の数は、少ない統計でも六〇万余人、多い数字は約一二〇万人(林えいだい『強制連行・強制労働』に達する。あれから四〇年、クマザサの下に眠る犠牲者の遺骨も放置されたまま、日本の教科書検定は強制連行の歴史事実さえ薄めようとしてる。(p384~385)

 このように記事は結ばれている。
 さて、この記事からさらに40年の歳月が過ぎた…私たちはこの歴史の事実にどれだけ向き合ってきただろうか?
 クマザサの下の遺骨は、忘れるな、そして二度と繰り返すなと訴えているのだ。

政治・社会運動と能力主義について(少しはずれるが)

 10月20日に行われた人民新聞裁判と支援者集会において、運動内における能力主義について次のような発言があった。

 運動内における能力主義が、ハラスメントの原因になっているのでは?という問題提起、そして政治運動や社枚運動が能力主義的に運営されることそのものが、問題であるという提起であり、これは重要なことである。
 補足しておくと、上記発言が出てきた背景には、支援者集会で自分の名前や意見をあまり発言したくない(したくてもできない)ような方もおられて、その人がなんとか発言したけれど名前がよく聞きとれず、別の人が声を荒げて「名前は!」なんてことを言ってしまったということもある。”別の人”が行ったことは明確にその人にとっての「ハラスメント」となったであろう。

 政治政党・党派から「人民新聞」のようなジャーナリズム組織、さらには市民運動のような組織まで、特に後者は「来るもの拒まず」的な要素はあるものの、組織となればどうしても効率・能率も考えないとイケナイし、また、政治や運動が対抗するものが「日本政府」「自由民主党」「大企業」その他資本主義社会を支える主要セクターで、彼らがその「能力」を最大限に生かして弾圧・抑圧してくるわけだから、そこに属する人に「能力」を求め、組織が「能力主義」的に運用されることは、あるていどやむを得ないところがある。とはいえ「能力主義」によって運営される資本主義による社会を取り戻すための政治や運動もまた「能力主義」で運営されることは、本当は警戒され、批判されていかねばならないことである。
 オルターナティブを求める運動・組織が、全然オルターナティブにならないということは、あってはならない。

 ついでの話…「くじ引き民主主義 政治にイノベーションを起こす(光文社新書 吉田徹 2021年11月)というのを読んであるところでレビューしたことがあるのだが…
くじ引き民主主義 政治にイノヴェーションを起こす (光文社新書) [ 吉田徹 ]
くじ引き民主主義 政治にイノヴェーションを起こす (光文社新書) [ 吉田徹 ]
 ある母集団(自治体の市民など)から”くじ引き”で選ばれた「代議員」で”熟議”してものごとを決める「民主主義」手法の現状と課題・問題点などについてまとめられた新書(ただし内容は物足りないところがある)だ。現代見主主義社会のスタンダードなOSである「代表制民主主義」は選挙によって「能力主義」的に選ばれている。(選挙で選ばれるということは、家柄・家系や学歴・経歴、その他見てくれルッキズムも含め、能力があるということになる)そうでなくて、くじ引きという”偶然”によって代議員を選ぶのだ。(無作為抽出となるので、うまくやれば母集団の「民意」を反映した代議員集団を選出することができる)
 ただ「能力主義」じゃないから、どうしても「議会」「会議」「話し合い」に向かない人、「会議に参加する能力のない人」が選出される(もともと、そうした人は選ばれても「やりたくない」として辞退するだろうが)そうしたことを避けるため、あらかじめ「議員」になれる人、「会議に参加する能力のある人」だけ登録しておいて、そこからくじ引きで選べばよいのではないか?という意見が、レビュー中に出てきた。
 だがそういう運用をすると、結局「会議に参加する能力のない人」の意見はいつまでたっても政治に反映されることはない。だが、それが現代の民主主義社会における”疎外”を生み出している…自分は自己決定の意思表示に参加していない…というヤツである。
 「会議に参加する能力のない人」がいかに意思決定の場に参加するか、あるいは「会議に参加する能力のない人」が参加していてもよい会議、議会や審議会等をいかにつくるか?ということも問わなければならない。

とりあえず今日はここまで。

与那国駐屯地の米軍使用を許すな!

 琉球弧の島々の軍事要塞化が、新たな段階に入った…八重山毎日新聞のWEBサイトより
米軍、与那国駐屯地使用へ 来月11日から日米共同演習
 自衛隊と米軍による日米共同統合演習が来月11日から10日間の日程で行われ、米軍が与那国駐屯地を使用する方針であることが25日までに分かった。与那国町にも防衛省から米軍が滞在する予定との説明があった。米軍の滞在は、祖納港視察で訪れた2007年7月以来2度目で、訓練目的では初めてとなる。
 防衛省が21日付で公表した資料によると、同演習の実施のため、「米軍が陸上自衛隊与那国駐屯地の土地などを使用することについて、日米合同委員会の承認を得たもの」としている。承認日は20日。
 使用期間は来月1日から25日までとなっているが、訓練の具体的な内容や規模は明らかになっていない。
 町によると、今月7日に防衛省職員が来島し、与那国駐屯地で演習を計画しているとの説明があった。それによると、来月10~19日の間、米軍が滞在する予定だが、規模は不明。演習は駐屯地内のみを想定しているという。糸数健一町長は国防は国の専権事項とし、自衛隊と米軍の訓練実施に関して「反対する考えはない」と話し、住民生活に支障がないよう要望した。(以下略)

 与那国島は自衛隊「南西シフト」で真っ先に自衛隊のレーダー部隊「沿岸監視隊」160名が、2016年に配備されているが、小西誠氏の「要塞化する琉球弧」(社会批評社2019年9月)によれば、約500m2の「貯蔵庫」(弾薬庫だろう)が建設されており、いずれミサイル弾体など重火器の貯蔵が行われるのではと指摘されている。その与那国島に演習の短い期間であるが、米軍が滞在して訓練を行うというのである。
要塞化する琉球弧 怖るべきミサイル戦争の実験場! [ 小西 誠 ]
要塞化する琉球弧 怖るべきミサイル戦争の実験場! [ 小西 誠 ]
 またこの本では2017年に自衛隊の河野統合幕僚長と、米太平洋軍トップのハリー・ハリス太平洋軍司令官が視察に訪れていることが紹介されており、与那国島の基地開設が米軍の対中・日米共同作戦態勢の重要なステップであると説明されている。このステップが今年の日米共同演習でさらに進められるのだ!
 与那国島は「台湾有事」において文字通り最前線となる。レーダー基地は戦争の目や耳であるから、そこが真っ先に叩かれる。ましてや狭い島にミサイルを貯蔵し、部隊を展開させるとなれば、敵ミサイルの飽和攻撃を受けて完膚なきまでも破壊されるだろう。沖縄戦の再来である。 
 今回の日米共同統合演習には、もう一つ重要なニュースがある。Y!ニュース沖縄タイムスより
「武力攻撃事態」への発展を想定 地対艦ミサイル、沖縄県内で初の訓練 来月 日米の大規模演習
 【東京】防衛省統合幕僚監部は21日、日米共同の大規模な統合演習「キーン・ソード23」を11月10日から19日まで実施すると発表した。武力攻撃かどうか判別が困難な「グレーゾーン事態」から、日本が直接攻撃される「武力攻撃事態」への発展を想定。沖縄県内で初めて、陸上自衛隊八重瀬分屯地で地対艦ミサイルの展開訓練を行う。県内の民間地を使用する訓練の予定は現時点ではないという。
 日米共同で後方補給の拠点を開設し、装備などの補給品を輸送・集積する訓練も、統合演習としては初めて県内で実施。米軍那覇港湾施設(那覇軍港)や米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)も使用する。
 輸送訓練として、軽量なMCV(16式機動戦闘車)や、弾道ミサイル防衛に用いるPAC3(地対空誘導弾パトリオット)を那覇基地内に空輸する。
 MCVについて、防衛省関係者は「他の民間空港への空輸もできないか、県や県内自治体と調整中」としており、双方から承諾を得られれば実施する考えだ。
 また、県内の複数の自衛隊基地や米軍施設内で、島しょ部での傷病者発生を想定した医療拠点開設や患者の後送に関する訓練、日米の連絡調整所の設置訓練などを実施。陸自知念分屯地で電磁波作戦訓練、北大東村の米軍沖大東島射爆撃場で実弾射撃訓練も予定している。
 徳之島(鹿児島県)では、南西地域で初めて日米のオスプレイが連携する訓練を行い、対抗部隊を配置した実戦的な訓練もする。(東京報道部・新垣卓也)

 見出しにあるように、沖縄島に自衛隊ミサイル部隊を展開し、訓練を行うという。宮古島と沖縄島は260㎞も離れており、宮古海峡を「封鎖」するためには現時点で宮古島のみならず、沖縄島にもミサイル部隊を置かなければならない。そのための展開訓練を行うというのである。

 中国共産党の党大会が開かれ、習近平国家主席が3期目を始めるという情勢の中で「台湾有事」が煽られている。8月にはアメリカ、ペロシ下院議長が訪台し、対決姿勢を強めた。ひとたび戦争が起これば、馬毛島、奄美大島から与那国島まで、琉球弧の島々は戦場となり、ミサイルが雨あられと降ってくることになる。こんなことを許してはならない!

 日米共同統合演習「キーン・ソード23」を中止せよ!米軍の与那国島使用反対!島々を戦場にするな!沖縄戦を繰り返すな!
 「台湾有事」を煽る米日帝国主義を許さないぞ!戦争を準備する岸田政権を打倒しよう!

笹の墓標展示館・全国巡回展に行って来た

 先日、京都西本願寺開法会館で10月17日から25日まで行われていた「北海道(アイヌモシリ)・笹の墓標展示館全国巡回展」に行って来た。
笹の墓標展示館_0001
 北海道で一番寒いとされる「雨竜郡幌加内町朱鞠内」に、戦時中の雨竜ダム建設や国鉄名雨線(後の深名線)建設のため、多くの朝鮮人労働者が「タコ部屋」での過酷な労働に従事させられ、200人を超える方が亡くなっている。死者は地元の光顕寺(ただし戦時中は名前がなく、戦後寺号公称により名前がつく)で供養されるも、死体は笹やぶの下に埋められ、墓標も立てられず忘れられていった。光顕寺も1962年に住職が転出し、無住となる。
 70年代に地元の市民団体「空知民衆史講座」が犠牲者の調査を始め、寺に残された位牌や「埋火葬認許証」などから日本人犠牲者168人、朝鮮人犠牲者45人が判明している。80年代からは共同墓地ブラ側の笹やぶから遺骨の発掘も行われ、22体の遺骨が発掘されている。77年に亡くなった朝鮮人犠牲者15人の本籍地に手紙を出し、7人の遺族から返事が届いている。遺骨返還も行われ、日本国内や韓国に遺骨が届けられ、納骨されている。この運動は1997年から「東アジア共同ワークショップ」に引き継がれ、日本人や韓国・朝鮮人のみならず、中国、台湾、アイヌの青年たちが取り組みを続けている。
 檀家の減少で維持管理が困難となった光顕寺の本堂を市民団体が譲り受け、1995年7月1日に「笹の墓標展示館」として犠牲者の遺品や位牌などを展示し、周辺も整備していた。ところが2020年の1月に雪の重みで倒壊し、また隣の宿泊施設も翌年に失火で焼失してしまった。現在、再建のための募金活動が続いている。その活動の一環としての「全国巡回展」なのだ。
 ガイドの人からお話を聞きながら、さほど多くない展示をみてまわった。過酷な建設現場では日本人労働者も犠牲になっているのだが、日本人労働者はちゃんと一人ひとり遺体を横たえて埋葬されているのだが、朝鮮人労働者は竪穴にまとめて掘りこまれていたのだそうな。「日本に行けば、よい仕事がある」と下関まで行き、周旋人に連れられて北の果てで過酷な強制労働の上、死んでも差別があったわけだ。私たちはこの歴史を忘れてはならないし、繰り返してはならない。発掘された遺骨や遺品(衣服、履物、ハンコや茶わんなど、身の回りのものばかりが出てくる)はそのことを教えてくれる。

笹の墓標展示館_0001(3)
 さて、ここからは余談⁉
 会場で販売していたクリアファイルには、旧光顕寺の記念館があしらわれているのだが、内地の”立派な”お寺と違い、なんかローカル線の無盡駅の駅舎のような建物である…で、ご覧のとおり朱鞠内あ案内、国鉄路線マークなんかが書かれているので、1994年に廃線となった深名線記念グッズ?と見紛うようなものであったので、200円で購入!しかし観光地とかアニメグッズで販売されているクリアファイルのお値段相場は400円だから、もっと高値で売ればエエのに…
 深名線には、80年代と90年代に一応乗車済みだ。クリアファイルのとおり朱鞠内駅の隣が、湖畔駅で、雨竜ダム建設でできた朱鞠内湖の最寄駅…ただし、駅からも気動車の車窓からも湖は全然見えないというオチがついていた。もっとも戦時中のダム建設や鉄道建設で朝鮮人労働者が強制労働させられていたことを、知識として知ってはいても、こうした取り組みや記念館が出来ていることは全く知らなかった。私も含めこういった状況も、過去の歴史を学ばなかった、学べなかった負の状況なのであることを改めて考えさせられるものである。
 なお北海道の廃線がらみでは、天北線(89年5月廃止)に空港もないのに「飛行場前」という駅があった。これも戦時中に朝鮮人の強制労働によって突貫でつくられた「浅茅野飛行場」がそばにあるため、そのような名前になったわけである。浅茅野飛行場建設で犠牲になった方の遺骨発掘についても、本展示会で紹介されていたことも付け加えておこう。
笹の墓標展示館_0001(2)
 クリアファイルの表側は、こんな感じ…

かがやけ憲法!集会のお知らせ

 11月3日憲法集会のお知らせ。
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かがやけ憲法!
平和といのちと人権と
11/3(木・祝)
14時開会 扇町公園
終了後、パレード

改憲・大軍拡NO!くらしをこわす岸田政治にストップを!輝け憲法!いかそう9条!

岡野八代さん×若者トークセッション
「憲法って何だろう」
~仕事・コロナ・平和~

スペシャルゲスト 岡野八代さん
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科(西洋政治思想史・フェミニズム理論)。著書に「戦争に抗するーケアの倫理と平和の構想」(岩波書店)、「フェミニズムの政治学ーケアの倫理をグローバル社会へ」(みすず書房)など。

川口真由美とおもちゃ楽団
ピクニックシートなどご準備いただき、距離をとりながらゆっくりお聞きください

高良鉄美参議院議員
辺野古基地問題、台湾・南西諸島問題、コロナ感染で揺れる沖縄から

立憲野党からの連帯の挨拶

主催 おおさか総がかり行動実行委員会
カンパにご協力を 郵便振替「平和憲法パレードの会」
00910-4-331584

大阪憲法会議・共同センター  06₋6352₋2923
戦争をさせない1000人委員会・大阪 06₋6351₋0793
しないさせない戦争協力関西ネットワーク 06₋6364₋0123
おおさか総がかり行動実行委員会HP
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あるみさんとは

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左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
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