たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

2022年06月

”クソ仕事”しか無い社会が問題だ!

 「セックスワーク論」についての考察はとりあえずこれで終わりにしたいのだが…また「セックスワーク・スタディーズ」より。第6章「セックスワーカーへの暴力をどう防ぐか」青山薫 で、こんな記述があった(「暴力をどう防ぐか」とは直接関係はない)
セックスワーク・スタディーズ (当事者視点で考える性と労働) [ SWASH ]
セックスワーク・スタディーズ (当事者視点で考える性と労働) [ SWASH ]
 世界中のセックスワーカー当事者運動のNGOで、スコットランドを拠点とするNSWP(グローバル・根とワーク・オブ・セックスワーク・プロジェクト)のアジア太平洋地域部門のAPNSW(アジア太平洋セックスワーカー・ネットワーク)というのがある。そこがこんなロゴマークを配っているのだそうな。
ミシン禁止のロゴ_0001
 図1を見てください。APNSWがよくステッカーやキーホルダーにして配るロゴですが、ミシンの上に禁止マークを重ねたデザインは、セックスワーカーに、他の「まともな」仕事につく訓練をさせる強制プログラムに反対する意思表示のマークでもあります。(中略)「ミシン禁止」は、そんなプログラムに対して、「まともな」仕事に就けとは、セックスワーカーをステレオタイプな女性の仕事に押し込めることだ、そんな強制はまっぴらだ、と反対する象徴なのです。裁縫や料理の技術を身につけること自体は良いことに違いありません。しかし、とくにアジアでは、とりわけ女性にとって、これらの技術が、たとえばFOREVER21やCALVINKLEINやNIKEのようなグローバル資本が必要とする、低賃金、長時間、拘束の多い劣悪な労働条件の仕事にしかつながらないという歴史と現実があります。「ミシン禁止」は、それらに比べれば、セックスワークの方が金銭的にも時間的にも自立的で、ずっと「まとも」な働き方だ。という主張でもあるのです。(p147)
 この後で「もちろん、セックスワークは搾取から自由な薔薇色の仕事というわけではありません」と続いているのだが、要するに新自由主義の下、特に女性には「まともな」仕事がない!性産業の方が「まともな」仕事になっている!という現実問題があることを示しているのではないだろうか。
 SNSにおける議論を見て見ると、ドイツは「セックスワーク論」を採用して性産業を「合法化」したら(別に「採用して合法化」したわけではなさそうだ…今のところ「セックスワーク論」が理想とする「セックスワークの非犯罪化」に一番近いのはニュージーランド、その次がオーストラリアということだそうな)合法・非合法含め性産業が肥大化し、労働条件も悪くなったということだそうなのだが、これも性産業を「合法化」して「自由な労働市場」で選ばせれば、性産業以外の「まともな」仕事が、新自由主義の下で”クソ仕事”になっており、就く人間がいないということの裏返しではなかろうか?アボリショニストの側は性産業が肥大化してことをもって「セックスワーク論」を批判するのだが、むしろ「まともな」仕事が”クソ仕事”になっていることに対し、戦慄すべきところだろう。アボリショニストの側が「性産業からの(女性の)解放」を掲げると、セックスワーク論者が「(クソ)労働からの解放」を対抗的に掲げることになっている。
 先の第6章の終りの方で、青山薫氏は「近年の売春犯罪化」がトレンドになってきているとしている。具体的にはスウェーデンやノルウェー、アイスランドなどの北欧の国々から始まった、アボリショニストからは「北欧モデル」…売買春に携わる女性を罰したり、罪に問うことはしないが、業者や買う側の男性を取り締まる方法…として賞賛されているものが出てきていることを紹介している。日本においては「AV新法」を巡る紫と赤についてで書いた通り、「セックスワーク論」よりもそれを忌避し、批判・非難するフェミニズムのほうが勢力が強いので、「北欧モデル」に基づいた性産業解体の動きについては親和性があり、進められていく可能性が強い。
 しかしこの”世界的な動き”も、うがった見方をすれば今性産業で働いている女性を、新自由主義下のクソ仕事に追いやるための、新自由主義政策に沿ったものであるとの批判もできよう…ポストコロナで労働力も不足している。
 他方、現在の「福祉貧弱国」ニッポンにおいて、「セックスワーク論」が大々的に持ち上げられることは、本来は福祉や良質な仕事につながるべく女性に対し「性産業があるでしょ!」圧力にもなりかねない…福祉や良質な仕事の代わりに、就きたくない人が性産業を強いられることになるのだ!
 両者とも、地獄の道である…と同時に、セックスワーク論もそれを批判する人たちにとっても、真の敵は「新自由主義」ということになる。そしてそれと闘うことを”フェミニズムのみに強いる”ことは本末転倒である。
 ここに革命的左翼の出番があるわけだ。

性産業の解体か解放か?

 「セックスワーク論」を取る側も批判する側も、性産業(売買春)は資本主義下の「家父長制度」を支えるものであると位置づけている。例えば「セックスワーク・スタディーズ」の第3章「なぜ『性』は語りにくいのか 近代の成り立ちとセックスワーク」で、山田創平氏は次のように展開している。
セックスワーク・スタディーズ (当事者視点で考える性と労働) [ SWASH ]
セックスワーク・スタディーズ (当事者視点で考える性と労働) [ SWASH ]
 このようにして①結婚前にはセックスをせず(したがって出産せず)、成人したのち結婚して、②夫が出勤して金を稼いで、それゆえに夫が家庭での権力を握っており、それに従う従順な妻が、家事を無賃労働によって担い、その無賃である理由が「愛」によって理解され、③その「愛」のある夫婦の間でのみセックスをして、2人程度の子供を生み(それは人口管理上、男児と女児の1人ずつが理想的)、④子供の養育や病人・障がいを負った人のケアが「家族」の「愛」=家庭内の相互扶助によってなされるという「家族」が理想化され賞賛されるようになるのです。(p76)
 そして、そこから外れるセックス、性愛も含め人間関係はすべて「間違ったもの」「不幸なもの」「異常なもの」とされる。そのうえで、
 近代社会では、男性は家族の中(夫)と外(労働者)を行き来します。一方、近代社会では女性は家庭の中(妻)だけに存在することになっています。よって男は実際のところ「家庭の中でのセックス」と「家庭の外でのセックス」の双方が許されるが、女性は「家庭の中でのセックス」しか許されないということになります。男性に許されている「家庭の外でのセックス」も、「家庭内でなされる愛や出産に連なるセックス」とは異なるセックス、つまり竹村が指摘するように家庭内でのセックスの代替であり「愛」よりも「欲望」中心的なセックスであるという理解において、近代の家庭観、性道徳では、はるかに格下です。その種の「欲望」の「達成」は「非嫡出子の誕生」や、「正しい家庭イメージの破壊」につながらない状態で、有り体に言うならば「不倫にならない状態」で、限られた場所で表向き隠されながら、しかし実際にはそれとわかる状態で、行われる必要があります。セックスワークはそこに配置されます。先に述べたように、近代家族において「女性のセックス」は「家庭内にのみ」存在するものですから、家庭外でセックスをする女性のセックスワーカーは近代社会ではそもそも「いないはずの存在」として存在しています。それは社会において承認されていない、制度外の存在なのです。(p79~80)
 「制度外の存在」であるからこそ、セックスワーカーや性産業は「周縁」に追いやられ、蔑視され、差別されるというわけだ。
 そこで「セックスワーク論」では、性産業に関わる様々なくびきや差別にまみれたまなざしを、現行の「差別構造」「家父長制度」はそのままに(というよりも、”現場の理論”で”降りかかってくる火の粉を払う”運動だからなかなかそこまでは手が届かないということだろう)性産業を「周縁」から解放しよう!という主張を取る。一方、セックスワーク論を批判する側は、こういった差別構造…例えば男性にのみ「家庭の外でのセックス」が許される≒性的行為の売買や性暴力そのものの肯定…全体を解体・止揚しようとする、その過程で性産業も解体されるとしているわけだ。(もう少し正確に書くと、セックスワーク論を否定する側も「家庭の外でのセックス」も自由に…もちろん男女LGBT問わず…「解放」しようとしているが、性的売買は差別・性暴力そのものだからダメ!としているのに対し、セックスワーク論では性的売買もまた差別や性暴力から解き放ったうえで「解放」しようとしているということだ。付け加えると、この本に示される急進的アボリショニスト達は「家庭の外でのセックス」を解放しないまま、性産業のみ解体しようと急ぐので、自らの掲げる理想とは程遠い”抑圧的””暴力的”な姿勢になってしまう)
 別のところでセックスワーク論は差別を問わないと書いたのは、こういったことも含まれているわけである。ただ、そこでも書いたのであるが
 もちろん性産業従事者自らが「自分は「売春婦」ではない、セックスワーカーである!」と立ち上がり、自らを肯定することはこの構造をブチ破る突破口になる。
 周縁からセックスワーカーが攻め上がり、性産業≒「家庭の外でのセックス」の”地位向上”によって、差別構造そのものは問われるし、揺らぐこともあるだろう。だから「セックスワーク論」を簡単に「差別(構造)を問わないから、ダメ!」と否定するわけにもいかないのである。

「セックスワーク論」は現場の理論

 「セックスワーク論」について学ぶため読んでみた。
 セックスワーク・スタディーズ ―当事者視点で考える性と労働
 SWASH編 日本評論社 2018年セックスワークスタディーズ_0001


 帯にはこんなことが書いてある…
▼こんな方にお薦めします
●性風俗で働いている方
●弁護士、相談員、カウンセラー、保健師など、性風俗で働く人々の支援に関心のある方
●セックスワークについてのレポートや論文を書きたいと思っている学生の方
●女性問題についての法律・政策立案などに関わる行政官、政治家、研究者の方
●セクシャルマイノリティのセックスワークについて知りたい方

 なるほど、そういった方に「セックスワーク」とはどうゆうものか?予断や思い込みを抜きに書かれた「入門書」であると思う。
 あと「セックスワーク論」が出てきたのは1980年代なのであるが、これは同時にAIDSが出てきた時代でもある。当初は男性同性愛者の病気として現れていたが、ほどなく「体液の交換」によってこの病気が広まることが分かり、セックスワーカーや注射器を使いまわす薬物依存症の人たちが「ハイリスク集団」として扱われるようになる。そうすると偏見や排除といった差別的な扱いも増えるわけだが、そういった中、セックスワーカーや支援者たちがどうやって安全に仕事をすることができるか?(セーファーセックス)という実践の中から出てきたということも分かる。
 性産業の現場というのはいろいろあって、この本以外にも様々な現場について語っているもの(再選業を肯定的に見ているものも多い)が沢山あるのだが、本書の中でSWASH代表の要友紀子氏は次のように述べている。
 ここで押さえておいてもらいたいことは、セックスワーカーの人権をこうした様々な角度・立場から考えなければならないということと、これらの問題のすべてをセックスワーク/ワーカーの本来的な問題として捉えることはまた別だということです。つまり、前者は「セックスワーカーには現在どんな困り事やニーズがあるのか?」という問いの立て方ですが、後者は「何に困っている人がセックスワーカーなのか?」という逆転した問いの立て方をしてしまっているのです。当然、後者の問いから導かれるセックスワーカーは、多様な個別例の集まりではなく、人びとのイメージの中にしか存在しません。しかし、ネガティブな背景を持つステレオタイプなセックスワーカー像は、様々な社会問題を考えるきっかけ作りや啓発、解決のプロセスに利用しやすく、社会的にニーズがあります。こうした場面では性風俗で働く人々が「労働者」とみなされることはまずなく、労働三権の確立をはじめとするセックスワーカーの労働問題がなかなか俎上にあがらないのもそのためです。
 セックスワーク問題へのこのような無自覚・無批判な関心の持ち方は、セックスワーカーに対する社会的排除を強化してきました。自らの信じる「良い社会」というイデオロギーのためにセックスワーカーを利用することは、セックスワーカーへの搾取の形態の一つと言っても過言ではありません。(p31~32)

 社会運動や変革をするにあたって、セックスワーク、ワーカーへの差別や偏見に、無自覚であるな!ということでもある。
 また本書を読むと、性産業の現場にはLGBT当事者がけっこう携わっていることも分かるし、本書の中でも当事者による記述もある。LGBTの性のあり方が抑圧され、数が少ない事もあって例えば出会いの場が性産業の周縁に追いやられてきたという歴史もあるからだろう。(もちろん性産業に携わっていないLGBT当事者もいる)だからセックスワークについてこうした単純化は少数者の存在を「ないこと」「ないもの」にしてしまう差別・抑圧になってしまうから注意が必要だ。またそうゆうこともあって「セックスワーク論」および論者はLGBT権利運動との親和性も高いように思う。
 とにかく「セックスワーク論」は、性産業で働く人の現場から出てきた運動であり、理論である…内容を肯定するか否定するかはともかく(例えば本書の第4章「法規制は誰のためにあるのか」で松沢呉一氏と山田創平氏の対談記事が掲載されているのだが、松沢氏は「道徳を法律にしてはいけない」という”正論”を展開している反面、性産業への規制は「人権」のためになされるという考えがすっぽりと抜けている…ちなみに松沢氏は「ヘイトスピーチ」への規制についても反対しており、こんな粗雑な論・人物をつかって”規制論”に対する反論にしてはイケナイ)それゆえフェミニズムの立場で性産業を解体するにせよ、改良して存続させるにせよ無視してはならない論であると思う。また左翼的なことを言えば、性産業の廃絶・解体もしくは改良はセックスワーカー自らの事業であるのだから、ここから出てきた議論・理論について向き合い、批判的であれ解体・再構築であれ一定、取り入れなければならないだろうと考える。当事者抜きの性産業解体なんて、あってはイケナイのだ。
 ということで以前批判紹介したこの本がなぜ差別にまみれてしまうのかもよく分かる…現場労働者の声を無視しつつ、高邁な理論を振りかざせばみんな恐れ入るだろうという態度であるからだ。
セックスワーク・スタディーズ (当事者視点で考える性と労働) [ SWASH ]
セックスワーク・スタディーズ (当事者視点で考える性と労働) [ SWASH ]

辺野古支援者集会のお知らせ

 集会のお知らせ
6/30 第1回辺野古支援者集会
「辺野古地域の歴史」

「イデオロギーよりアイデンティティ」(翁長元県知事)の言葉‼
ー基地再編交付金、及び久辺三区(辺野古、久志、豊原)への特別交付金とは

20220630 辺野古勉強会_0001
日 時:2022/6/30(木)
場 所:淀川区民センター
   (阪急十三駅から徒歩約8分 大阪市淀川区野中南2-1-5)
講 師:三浦俊一さん
   (釜ヶ崎日雇労働組合 副委員長)
   ー2014年から50回現地へ
参加費:1000円(資料代等)
  資料「沖縄報告 狙われた辺野古! 金治明/2019.11」
    「辺野古新基地建設問題 三浦俊一/2021.02」

 「沖縄本土復帰」から50年が経過しました。マスコミの姿勢は一変し、大量の「沖縄本土復帰50年」関連特集が報道されています。基地の現状、沖縄戦の体験、本土の戦後復興と切り離された米軍支配の時代、生活のための世界各地や本土に渡った沖縄県民の生活の苦難、本土での県民差別体験などが報道されました。沖縄関連の世論調査・意識調査も様々な角度から行われ、その報告もありました。これらの報道によらずとも、最低の良識があれば、オール沖縄の苦難は理解できると思います。
 5月13日の朝日新聞合同世論調査によると、沖縄米軍基地固定化の現状に、沖縄の基地負担が重すぎると「思う」人は「どちらかといえば」を含めて、沖縄、全国とともに8割に達していますが、「思う」に限ると、全国が32%だったのに対し、沖縄は56%で半数を超えています。「本土に理解されていない」(80%)とする県民の生活感覚、深い失望感は本土の人々とは大きな隔たりがあり、沖縄県民からの怒りの数字が示されています。
 私たち「辺野古派遣サポートおおさか基金」は、こうした現状を打破したいと今回の集会を企画しました。辺野古新基地建設が強行されている「キャンプシュワブ」と辺野古集落の成り立ち、基地建設をめぐる「交付金」「補償金」等について、県を通さず市町村などに直接交付する特定事業推進費などについて、三浦さんから詳しくお話しいただき、日本政府の沖縄地方自治への介入行為を暴いていきたいと考えています。
 私たちは今、「どのような国造り」を目指すのか。平和憲法のもとでの立憲主義の回復、地方自治の尊重を実現するとともに、緊急課題としての辺野古新基地建設中止、「植民地条項」を含む「日米地位協定」の抜本的改定をどのように実現していくのか、改めて討議を重ねましょう。
 まずは、辺野古現地のフィールドワーク、基地の街の実態から学ぶことから現地支援を考えてみましょう。

辺野古派遣サポートおおさか基金(事務局 水原和行:090₋8212₋0867)zenmzhr02@yahoo.co.jp

宮古島フィールドワークに参加(後篇)

 宮古島フィールドワークの続き…野原の「慰安婦祈念碑」を見た後、おそい昼食はヤギ肉が食べられるお店に…だが、食べたのは宮古そばとか(ヤギ肉は高い!)である。
 そこから準天頂衛星追跡管制局を見に行く。
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 なんかカッコいいドームが出来ているように見えるが、近くによってみるとハリボテ感満載のレーダー?である。ちなみに「みちびき」準天頂衛星システムとは、GPSよりもより正確な、センチメートル単位の位置情報を測ることが出来る…この情報をアメリカに与えれば、米軍はより正確に巡行ミサイルを撃つことができるということ。ちなみに各地に7つある「追跡管制局」のうち、5つが琉球弧(種子島、沖縄島、久米島、宮古島、石垣島)に置かれるのだ。ちなみに予算は内閣府が付けており、防衛費とは別枠である。
 仕事はNECがやっているようで、見学していたら中からNECのメットを被った人が出てきた。いろいろ会話している中で「これ風で飛んでいかないの?」「風速80mまで耐えられるよう設計されております」「宮古島では昔、風速85mを観測したことがあるんだけど…」「それじゃ、飛ばされるかもしれませんね」と、なかなか技術屋さんは正直である。
 準天頂衛星追跡管制局を見た後は、島の南東部、保良(ぼら)の弾薬庫や射撃訓練場を見に行く。
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 緑の台形の間が、弾薬庫となる…ここにミサイル弾体が貯蔵されるのだ。横の建物が、射撃訓練場である。とにかくデカい!
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 手前の大きな建物が、射撃訓練場…奥に小さく、保良の集落が見える…小さく見えるが、直線距離で基地から200mしか離れていないのである。
 保良の弾薬庫を見た後、海上保安庁の射撃訓練場もあるので、入り口だけ見てきた。
 予定では東平安名岬に行って、宮古海峡(いざ戦争となったら、ここをミサイルで”封鎖”するのだ)を見ることになっていたのだが、天気も悪く先の予定もあるので、車で島の東海岸を北上する。行き先は国立療養所宮古南静園である。「ハンセン病歴史資料館」の開館時間内に、到着しなければならない。
 「南静園」の入り口から車で入ると、目の前にすごく開けた景色の良い”リゾート空間”が広がるのだが、かつてここはハンセン病患者を隔離・収用し、差別してきた重い歴史があるのだ。
 「資料館」はコロナ対策のため、5人ずつまとまって入館し、案内してもらう。ここでは元患者さんが「証人」として案内している。施設にあった学校に通っていたという元患者さんから、自分に与えられていた部屋(復元)の説明を受けた。またここは戦時中、空襲にもあっており(規則正しく建物が並んでいるため、軍事施設と間違われたようだ)空襲後には職員が職場放棄して”逃亡”し、患者さん達はガマや壕の中で自活を強いられるという、大変な思いをして終戦を迎えたのだそうな。
 また資料館内には、かつて存在した「監禁室」が復元されて展示されていた。”職員に反抗した””態度が悪い”などという理由で、懲罰的に患者さん達が何カ月も監禁されたりしたのである。そこは窓もなく、当然、夏でもエアコンなどはないところである。
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 南静園から出る前に、職員宿舎の壁に撃たれた機銃弾の跡を見る…戦争の爪痕がここにも残っている。
 南静園を見学して宿舎に戻り、市街の飲食店で清水さんと交流会を行って、2日目は終了。
 3日目は、伊良部島、下地島に渡り、下地島空港を見学する。
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 伊良部島の長山港、海保の巡視船が5隻も停泊している。宮古島における海保の拠点なのであるが、あまり建物とかはないようだ。

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 伊良部島の、渡口の浜…きれいな砂浜が広がっているが、いずれ米軍と自衛隊が共同で上陸訓練とかを行うのではないかと言われている。サーファーが2名程、サーフィンを楽しんでいた。
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 下地島は、伊良部島と狭い水道を挟んでいる。空港の管制塔が見えるが、下地島空港はこのあたり一帯の広い空域の管制業務を行っており、この管制塔は成田空港のものより能力が高いそうだ。
DSC07384
 今のところLCCが少し利用しているだけなので、3000m級の滑走路は閑散としている。

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 島の北側には、滑走路の誘導灯が張り出しているのが見える。なお、下地島はかつて島を車で一周することが出来たのだが、今は途中で行きどまりとなっているそうだ。ちなみにゴロゴロしている岩は、かつての大地震の時の津波によって運ばれてきたもの。

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 空港を見たので、あとは”観光”

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 静かなダイビング・スポットでもある伊良部島の白鳥岬…ダイバーのための船が何隻も出ていたよ。

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 では伊良部大橋を渡って、宮古島に戻ろう…橋のたもとで案内していただいた清水さんと別れて、レンタカーを返しに空港まで行くことになった。
 ではでは…
 
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
ではでは(^^)

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