「セックスワーク論」についての考察はとりあえずこれで終わりにしたいのだが…また「セックスワーク・スタディーズ」より。第6章「セックスワーカーへの暴力をどう防ぐか」青山薫 で、こんな記述があった(「暴力をどう防ぐか」とは直接関係はない)
![セックスワーク・スタディーズ (当事者視点で考える性と労働) [ SWASH ]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/7243/9784535587243.jpg?_ex=128x128)
セックスワーク・スタディーズ (当事者視点で考える性と労働) [ SWASH ]
世界中のセックスワーカー当事者運動のNGOで、スコットランドを拠点とするNSWP(グローバル・根とワーク・オブ・セックスワーク・プロジェクト)のアジア太平洋地域部門のAPNSW(アジア太平洋セックスワーカー・ネットワーク)というのがある。そこがこんなロゴマークを配っているのだそうな。

図1を見てください。APNSWがよくステッカーやキーホルダーにして配るロゴですが、ミシンの上に禁止マークを重ねたデザインは、セックスワーカーに、他の「まともな」仕事につく訓練をさせる強制プログラムに反対する意思表示のマークでもあります。(中略)「ミシン禁止」は、そんなプログラムに対して、「まともな」仕事に就けとは、セックスワーカーをステレオタイプな女性の仕事に押し込めることだ、そんな強制はまっぴらだ、と反対する象徴なのです。裁縫や料理の技術を身につけること自体は良いことに違いありません。しかし、とくにアジアでは、とりわけ女性にとって、これらの技術が、たとえばFOREVER21やCALVINKLEINやNIKEのようなグローバル資本が必要とする、低賃金、長時間、拘束の多い劣悪な労働条件の仕事にしかつながらないという歴史と現実があります。「ミシン禁止」は、それらに比べれば、セックスワークの方が金銭的にも時間的にも自立的で、ずっと「まとも」な働き方だ。という主張でもあるのです。(p147)
この後で「もちろん、セックスワークは搾取から自由な薔薇色の仕事というわけではありません」と続いているのだが、要するに新自由主義の下、特に女性には「まともな」仕事がない!性産業の方が「まともな」仕事になっている!という現実問題があることを示しているのではないだろうか。
SNSにおける議論を見て見ると、ドイツは「セックスワーク論」を採用して性産業を「合法化」したら(別に「採用して合法化」したわけではなさそうだ…今のところ「セックスワーク論」が理想とする「セックスワークの非犯罪化」に一番近いのはニュージーランド、その次がオーストラリアということだそうな)合法・非合法含め性産業が肥大化し、労働条件も悪くなったということだそうなのだが、これも性産業を「合法化」して「自由な労働市場」で選ばせれば、性産業以外の「まともな」仕事が、新自由主義の下で”クソ仕事”になっており、就く人間がいないということの裏返しではなかろうか?アボリショニストの側は性産業が肥大化してことをもって「セックスワーク論」を批判するのだが、むしろ「まともな」仕事が”クソ仕事”になっていることに対し、戦慄すべきところだろう。アボリショニストの側が「性産業からの(女性の)解放」を掲げると、セックスワーク論者が「(クソ)労働からの解放」を対抗的に掲げることになっている。
先の第6章の終りの方で、青山薫氏は「近年の売春犯罪化」がトレンドになってきているとしている。具体的にはスウェーデンやノルウェー、アイスランドなどの北欧の国々から始まった、アボリショニストからは「北欧モデル」…売買春に携わる女性を罰したり、罪に問うことはしないが、業者や買う側の男性を取り締まる方法…として賞賛されているものが出てきていることを紹介している。日本においては「AV新法」を巡る紫と赤についてで書いた通り、「セックスワーク論」よりもそれを忌避し、批判・非難するフェミニズムのほうが勢力が強いので、「北欧モデル」に基づいた性産業解体の動きについては親和性があり、進められていく可能性が強い。
しかしこの”世界的な動き”も、うがった見方をすれば今性産業で働いている女性を、新自由主義下のクソ仕事に追いやるための、新自由主義政策に沿ったものであるとの批判もできよう…ポストコロナで労働力も不足している。
他方、現在の「福祉貧弱国」ニッポンにおいて、「セックスワーク論」が大々的に持ち上げられることは、本来は福祉や良質な仕事につながるべく女性に対し「性産業があるでしょ!」圧力にもなりかねない…福祉や良質な仕事の代わりに、就きたくない人が性産業を強いられることになるのだ!
両者とも、地獄の道である…と同時に、セックスワーク論もそれを批判する人たちにとっても、真の敵は「新自由主義」ということになる。そしてそれと闘うことを”フェミニズムのみに強いる”ことは本末転倒である。
ここに革命的左翼の出番があるわけだ。
![セックスワーク・スタディーズ (当事者視点で考える性と労働) [ SWASH ]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/7243/9784535587243.jpg?_ex=128x128)
セックスワーク・スタディーズ (当事者視点で考える性と労働) [ SWASH ]
世界中のセックスワーカー当事者運動のNGOで、スコットランドを拠点とするNSWP(グローバル・根とワーク・オブ・セックスワーク・プロジェクト)のアジア太平洋地域部門のAPNSW(アジア太平洋セックスワーカー・ネットワーク)というのがある。そこがこんなロゴマークを配っているのだそうな。

図1を見てください。APNSWがよくステッカーやキーホルダーにして配るロゴですが、ミシンの上に禁止マークを重ねたデザインは、セックスワーカーに、他の「まともな」仕事につく訓練をさせる強制プログラムに反対する意思表示のマークでもあります。(中略)「ミシン禁止」は、そんなプログラムに対して、「まともな」仕事に就けとは、セックスワーカーをステレオタイプな女性の仕事に押し込めることだ、そんな強制はまっぴらだ、と反対する象徴なのです。裁縫や料理の技術を身につけること自体は良いことに違いありません。しかし、とくにアジアでは、とりわけ女性にとって、これらの技術が、たとえばFOREVER21やCALVINKLEINやNIKEのようなグローバル資本が必要とする、低賃金、長時間、拘束の多い劣悪な労働条件の仕事にしかつながらないという歴史と現実があります。「ミシン禁止」は、それらに比べれば、セックスワークの方が金銭的にも時間的にも自立的で、ずっと「まとも」な働き方だ。という主張でもあるのです。(p147)
この後で「もちろん、セックスワークは搾取から自由な薔薇色の仕事というわけではありません」と続いているのだが、要するに新自由主義の下、特に女性には「まともな」仕事がない!性産業の方が「まともな」仕事になっている!という現実問題があることを示しているのではないだろうか。
SNSにおける議論を見て見ると、ドイツは「セックスワーク論」を採用して性産業を「合法化」したら(別に「採用して合法化」したわけではなさそうだ…今のところ「セックスワーク論」が理想とする「セックスワークの非犯罪化」に一番近いのはニュージーランド、その次がオーストラリアということだそうな)合法・非合法含め性産業が肥大化し、労働条件も悪くなったということだそうなのだが、これも性産業を「合法化」して「自由な労働市場」で選ばせれば、性産業以外の「まともな」仕事が、新自由主義の下で”クソ仕事”になっており、就く人間がいないということの裏返しではなかろうか?アボリショニストの側は性産業が肥大化してことをもって「セックスワーク論」を批判するのだが、むしろ「まともな」仕事が”クソ仕事”になっていることに対し、戦慄すべきところだろう。アボリショニストの側が「性産業からの(女性の)解放」を掲げると、セックスワーク論者が「(クソ)労働からの解放」を対抗的に掲げることになっている。
先の第6章の終りの方で、青山薫氏は「近年の売春犯罪化」がトレンドになってきているとしている。具体的にはスウェーデンやノルウェー、アイスランドなどの北欧の国々から始まった、アボリショニストからは「北欧モデル」…売買春に携わる女性を罰したり、罪に問うことはしないが、業者や買う側の男性を取り締まる方法…として賞賛されているものが出てきていることを紹介している。日本においては「AV新法」を巡る紫と赤についてで書いた通り、「セックスワーク論」よりもそれを忌避し、批判・非難するフェミニズムのほうが勢力が強いので、「北欧モデル」に基づいた性産業解体の動きについては親和性があり、進められていく可能性が強い。
しかしこの”世界的な動き”も、うがった見方をすれば今性産業で働いている女性を、新自由主義下のクソ仕事に追いやるための、新自由主義政策に沿ったものであるとの批判もできよう…ポストコロナで労働力も不足している。
他方、現在の「福祉貧弱国」ニッポンにおいて、「セックスワーク論」が大々的に持ち上げられることは、本来は福祉や良質な仕事につながるべく女性に対し「性産業があるでしょ!」圧力にもなりかねない…福祉や良質な仕事の代わりに、就きたくない人が性産業を強いられることになるのだ!
両者とも、地獄の道である…と同時に、セックスワーク論もそれを批判する人たちにとっても、真の敵は「新自由主義」ということになる。そしてそれと闘うことを”フェミニズムのみに強いる”ことは本末転倒である。
ここに革命的左翼の出番があるわけだ。