前回のセックスワークとは、どんなワークか?において
具体的には、女性が街中で個別に男性と”交渉”して直接取引するケースを除き、性産業、風俗業を通さない限り、性的サービスを売ることはできない。そして性産業に携わるのは圧倒的に男性であり、男性が男性に性的サービスを売っているのである。女性が経営者であっても、性産業は「男性の論理」で商売しないと商品は売れないので、男性が男性に売るという構造は変わらない。
すなわち
男性 ⇒ 男性
しか成立していないわけだ。この連関に入らないと、女性が性的サービスを自主的に売ることはできない。
ここで前回出てきた、スーパー銭湯に併設されている、リラクゼーションを提供するマッサージについてはどうだろうか?実は個々の労働者がマッサージサービスを提供する場合も、業者を通じて行われている。ただしマッサージサービスを提供する業者は、別に男性であっても女性であってもかまわないし(男女平等が実現していないので、実際のところは男性経営者が圧倒的に多いのだろうが)経営が男性オンリーに向いているということもない。よって業者が介在していても
男性 ⇒ 女性
男性 ⇒ 男性
女性 ⇒ 男性
女性 ⇒ 女性
の四つが平等に成立する。
ここに、女性⇒男性であるような関係性のように見えて、実は男性⇒男性であるという倒錯したところに、性産業の本質があり、そしてそれが性産業が女性差別である、あるいは構造的に女性差別を内包しているし、せざる負えないということではなかろうか?
加えてリラクゼーションを提供するマッサージ業の場合、サービス提供者は業者と雇用関係を結んでいるケースが多い、いわゆる雇用労働者である(そうでない場合もある)のに対し、性産業の場合、業者とサービス提供者(ワーカー)との間に雇用関係を結んでいるケースはほとんどない。ワーカーの立場は個人事業主である。これは雇用関係を結ぶに当たり、労働内容を明記しなけれなならないからであるが「性的サービスの提供」を労働内容にするわけにはイカンということがあるのだろう。
業者はあくまでも「場」を提供しているだけなのだ。近年は店舗を構えない「デリバリータイプ」の性産業も盛んであるのだが、その場合業者は性的サービス提供の「機会」を提供しているだけということになる。だから大抵のセックスワーカーは「自分は男性に対してサービスを提供している」という意識になる。(もっとも大抵のサービスを提供する人は、会社に対して自らの労働・サービスを売っているという意識にはなりにくく、「お客様にサービスを提供している」意識を持っている人が圧倒的だろう)
「セックスワーク論」あるいは「セックスワーク論者」が、実際の性産業で起こっている差別・抑圧関係への批判に欠けている(あるいは乏しい)といわれる原因は、このへんの仕分けがきちんとできていないからだろう。
これに対し、セックスワークにおける性的サービスの提供については、圧倒的に女性 ⇒ 男性の関係性となる。
と書いた。これをもう少し考察してみよう。
具体的には、女性が街中で個別に男性と”交渉”して直接取引するケースを除き、性産業、風俗業を通さない限り、性的サービスを売ることはできない。そして性産業に携わるのは圧倒的に男性であり、男性が男性に性的サービスを売っているのである。女性が経営者であっても、性産業は「男性の論理」で商売しないと商品は売れないので、男性が男性に売るという構造は変わらない。
すなわち
男性 ⇒ 男性
しか成立していないわけだ。この連関に入らないと、女性が性的サービスを自主的に売ることはできない。
ここで前回出てきた、スーパー銭湯に併設されている、リラクゼーションを提供するマッサージについてはどうだろうか?実は個々の労働者がマッサージサービスを提供する場合も、業者を通じて行われている。ただしマッサージサービスを提供する業者は、別に男性であっても女性であってもかまわないし(男女平等が実現していないので、実際のところは男性経営者が圧倒的に多いのだろうが)経営が男性オンリーに向いているということもない。よって業者が介在していても
男性 ⇒ 女性
男性 ⇒ 男性
女性 ⇒ 男性
女性 ⇒ 女性
の四つが平等に成立する。
ここに、女性⇒男性であるような関係性のように見えて、実は男性⇒男性であるという倒錯したところに、性産業の本質があり、そしてそれが性産業が女性差別である、あるいは構造的に女性差別を内包しているし、せざる負えないということではなかろうか?
加えてリラクゼーションを提供するマッサージ業の場合、サービス提供者は業者と雇用関係を結んでいるケースが多い、いわゆる雇用労働者である(そうでない場合もある)のに対し、性産業の場合、業者とサービス提供者(ワーカー)との間に雇用関係を結んでいるケースはほとんどない。ワーカーの立場は個人事業主である。これは雇用関係を結ぶに当たり、労働内容を明記しなけれなならないからであるが「性的サービスの提供」を労働内容にするわけにはイカンということがあるのだろう。
業者はあくまでも「場」を提供しているだけなのだ。近年は店舗を構えない「デリバリータイプ」の性産業も盛んであるのだが、その場合業者は性的サービス提供の「機会」を提供しているだけということになる。だから大抵のセックスワーカーは「自分は男性に対してサービスを提供している」という意識になる。(もっとも大抵のサービスを提供する人は、会社に対して自らの労働・サービスを売っているという意識にはなりにくく、「お客様にサービスを提供している」意識を持っている人が圧倒的だろう)
「セックスワーク論」あるいは「セックスワーク論者」が、実際の性産業で起こっている差別・抑圧関係への批判に欠けている(あるいは乏しい)といわれる原因は、このへんの仕分けがきちんとできていないからだろう。