ロシアによるウクライナ侵略が始まって1ヶ月、全国で反戦のとりくみ、ロシアの侵略を弾劾するとりくみが行われている。今回の「ウクライナ反戦」では、空色と黄色のウクライナ国旗を掲げている人が多い。反戦運動の場にウクライナ国旗がアイコンのようにバンバン持ち込まれているわけだ。まぁデザイン的に簡単だし、写真映えもするものだとは思うのだが…
かつてアメリカがアフガニスタンやイラクを侵略した時の反戦運動で、アフガンやイラクの国旗を掲げたというのはほとんどない。掲げるとしたら「PEACE」を表すレインボーフラッグだった。もっと昔のベトナム反戦運動でも、北ベトナムや南ベトナム解放民族戦線の旗を掲げるということはなかっただろう(「解放戦線旗」については掲げたりすることもあったようだが、今日のウクライナ国旗のように「アイコン化」はしていない)
反戦運動は、そこに住む人民、戦争で苦しむ人民のために行うものだ。国家・国旗のために行うものではない。
戦争は、国家が起こす…だから反戦の行動において、それを象徴する国旗に”バッテン”をつけたり、あるいは燃やされたりすることがあるわけだ。ロシアやアメリカの国旗は、そのような扱いをうけるであろう。
抵抗の象徴として、旗が掲げられるという場合がある。先の南ベトナム解放民族戦線旗や、反戦の場でよく掲げられるパレスチナの旗なんかがそうだ。今のところウクライナは「国家の軍隊(暴力装置…これはウクライナ国民にも向けられるものだ)」でロシアの侵略に抵抗しているから、またロシアの侵略が成功し、傀儡政権でもおったてられれば今のウクライナ国家はなくなるから、ウクライナ国旗は抵抗の象徴だ!との位置づけは可能かもしれない…しかし引っかかるものがある。
ウクライナのゼレンスキー大統領がやたらもてはやされるのもそうで、まぁこれもウクライナ国民が「団結」してロシアに抵抗する象徴であり、かつ最高司令官でもあるわけだからやむを得ない部分もあるのだが、それでも先日は日本の国会でリモート演説まで行って、日本国の支持を訴えた!
2000年代にリモート会議のインフラが整っていたとしても、アメリカが侵略戦争をおっぱじめた時にタリバン政権の幹部や、サダム・フセインが日本の国会で演説する…なんてことは想像できないだろう。
ウクライナ(の政権)が「西欧」の「民主主義的」価値観をもっており、無条件に支持されるのに対し、アフガニスタンやイラクはそうではない、非西欧、非民主的、イスラム主義だから…というのでは差別的でナンセンスだろう。もっとも日本国はアメリカべったりで、最初からアフガニスタンやイラク国家の側には絶対に立つことはないから、タリバンやフセインが日本の国会で演説することはない。
そーいえば、ゼレンスキー大統領がリモート演説した国は、NATO加盟国と日本だけ…これは明らかに「味方」になってくれる国に対して行われたもので、日本は国家として公然と「NATOの側」に立ったことになる。ゼレンスキーの演説内容に”感動”している場合ではない、「次の大戦」で公然と米国・NATO側に立つということを公言したようなものである。
それはともかく、2000年代は日本国がタリバンやフセインの味方をしなくても、日本の人民はアフガニスタンやイラクの人民のために、彼らが死なないために、反戦の行動に立ち上がった!そこにアフガンやイラクの国旗は必要なかった。だからウクライナの、そして戦争に駆り出されるロシアの人民のため、彼らが死なないために立ち上がるのであれば、そこにはウクライナやロシアの国旗や国家は必要ないのである!(そういえばウクライナの国歌を歌ってウクライナ連帯を示そうというイベントもあったようだ)
反戦運動内で国旗をかかげ、国家を過剰に持ち上げることについて、「次の大戦」が控えている情勢の中、今度は”敵国”が浮上し、それと戦うことが持ち上がってくる中で容易にからめとられ、「平和の敵」に対し戦争行為で対抗する、そのための国家動員にやすやすと乗っかってしまうという過ちにもつながるだろう。そのうち反戦運動に「日の丸」が掲げられるかもしれない(それも「憲法九条」とセットで!)全ての戦争に反対するには自国の戦争に反対しなければならないのに、こんなことでは戦争がドンドン広がってしまう。
今、反戦運動の場に国旗や国家が過剰に持ち込まれていることには、それを何が何でもイカンよと排除・排斥することは難しいかもしれないが、充分注意し、警鐘を鳴らしておくことは必要であると思うぞ!
かつてアメリカがアフガニスタンやイラクを侵略した時の反戦運動で、アフガンやイラクの国旗を掲げたというのはほとんどない。掲げるとしたら「PEACE」を表すレインボーフラッグだった。もっと昔のベトナム反戦運動でも、北ベトナムや南ベトナム解放民族戦線の旗を掲げるということはなかっただろう(「解放戦線旗」については掲げたりすることもあったようだが、今日のウクライナ国旗のように「アイコン化」はしていない)
反戦運動は、そこに住む人民、戦争で苦しむ人民のために行うものだ。国家・国旗のために行うものではない。
戦争は、国家が起こす…だから反戦の行動において、それを象徴する国旗に”バッテン”をつけたり、あるいは燃やされたりすることがあるわけだ。ロシアやアメリカの国旗は、そのような扱いをうけるであろう。
抵抗の象徴として、旗が掲げられるという場合がある。先の南ベトナム解放民族戦線旗や、反戦の場でよく掲げられるパレスチナの旗なんかがそうだ。今のところウクライナは「国家の軍隊(暴力装置…これはウクライナ国民にも向けられるものだ)」でロシアの侵略に抵抗しているから、またロシアの侵略が成功し、傀儡政権でもおったてられれば今のウクライナ国家はなくなるから、ウクライナ国旗は抵抗の象徴だ!との位置づけは可能かもしれない…しかし引っかかるものがある。
ウクライナのゼレンスキー大統領がやたらもてはやされるのもそうで、まぁこれもウクライナ国民が「団結」してロシアに抵抗する象徴であり、かつ最高司令官でもあるわけだからやむを得ない部分もあるのだが、それでも先日は日本の国会でリモート演説まで行って、日本国の支持を訴えた!
2000年代にリモート会議のインフラが整っていたとしても、アメリカが侵略戦争をおっぱじめた時にタリバン政権の幹部や、サダム・フセインが日本の国会で演説する…なんてことは想像できないだろう。
ウクライナ(の政権)が「西欧」の「民主主義的」価値観をもっており、無条件に支持されるのに対し、アフガニスタンやイラクはそうではない、非西欧、非民主的、イスラム主義だから…というのでは差別的でナンセンスだろう。もっとも日本国はアメリカべったりで、最初からアフガニスタンやイラク国家の側には絶対に立つことはないから、タリバンやフセインが日本の国会で演説することはない。
そーいえば、ゼレンスキー大統領がリモート演説した国は、NATO加盟国と日本だけ…これは明らかに「味方」になってくれる国に対して行われたもので、日本は国家として公然と「NATOの側」に立ったことになる。ゼレンスキーの演説内容に”感動”している場合ではない、「次の大戦」で公然と米国・NATO側に立つということを公言したようなものである。
それはともかく、2000年代は日本国がタリバンやフセインの味方をしなくても、日本の人民はアフガニスタンやイラクの人民のために、彼らが死なないために、反戦の行動に立ち上がった!そこにアフガンやイラクの国旗は必要なかった。だからウクライナの、そして戦争に駆り出されるロシアの人民のため、彼らが死なないために立ち上がるのであれば、そこにはウクライナやロシアの国旗や国家は必要ないのである!(そういえばウクライナの国歌を歌ってウクライナ連帯を示そうというイベントもあったようだ)
反戦運動内で国旗をかかげ、国家を過剰に持ち上げることについて、「次の大戦」が控えている情勢の中、今度は”敵国”が浮上し、それと戦うことが持ち上がってくる中で容易にからめとられ、「平和の敵」に対し戦争行為で対抗する、そのための国家動員にやすやすと乗っかってしまうという過ちにもつながるだろう。そのうち反戦運動に「日の丸」が掲げられるかもしれない(それも「憲法九条」とセットで!)全ての戦争に反対するには自国の戦争に反対しなければならないのに、こんなことでは戦争がドンドン広がってしまう。
今、反戦運動の場に国旗や国家が過剰に持ち込まれていることには、それを何が何でもイカンよと排除・排斥することは難しいかもしれないが、充分注意し、警鐘を鳴らしておくことは必要であると思うぞ!