たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

2022年01月

レイシズムとは何かー梁英聖(その6)

 その5の続き
第六章 日本のレイシズムはいかに暴力に加担したのか
 
この章では六~七十年代の朝鮮高校生徒襲撃、八~九十年代のチマチョゴリ切り裂き事件、そしてゼロ年代以降の在特会の登場を中心に、戦後日本における差別扇動メカニズムを分析したものである。

①朝高生襲撃事件型=反共主義の極右による非公然かつ直接の差別扇動
 これは国士館高校・大学を拠点とする極右学生が、朝鮮学校に通う主に高校生(中学生も含む)を狙って起こした集団暴行・リンチ事件である。殺人にまでエスカレートしたケースもある。国会議事録によれば、一九七三年七月四日赤松勇議員「(六六年以降)国士館及び帝京商工など二校の朝鮮人高校生に対する暴力事件は、市民を含めて計五六〇回事件を起こしている」とあり、「国士館高校・大学を拠点とする極右組織による、反共主義イデオロギーに基づいた反朝鮮総連・朝鮮学校に対する意識的な差別扇動が、意図的・組織的に引き起こした事件」p201だ。国士館は右翼的な教育を行う大学、学校だが、加害者に暴力を振るわせるのは、国士館の教育一般によるものではなく、リーダーの役割を果たす具体的な極右組織であり、極右の差別扇動は殺人を含む深刻な暴力を実際に生み出したのである。
 七三年以降沈静化したのだが、これは国士館学生による暴力が暴走し、日本人にまで被害が及ぶことで社会問題になったからである。つまりレイシズム問題としてではなく、日本国憲法と境域基本法に国士館が違反していたので「解決した」というものだ。ただし、極右組織の活動を停滞あるいは消滅させれば、暴力事件も発生しなくなるということも分かるだろう。
②チマチョゴリ切り裂き事件型=「普通の人」による自然発生的暴力型
 本書では九四年六月の事例が紹介されている。こういった事件は一九九八年八月に約七〇件発生しており、三度の大きな「チマチョゴリ事件」がある。特徴として、
 第一 極右ではなく、「普通の人」による自然発生的な犯行が中心
 第二 被害者が女性や低学年児童にまで拡大し、とくにセクシズム暴力が激増
 第三 朝鮮半島情勢・日朝関係が悪化したり、在日コリアンへのバッシングがマスコミで行われる時に集中
 という点だ。極右による差別扇動が見当たらず、その代わり政治による差別扇動によって起ったといえる。政府・マスコミによる北朝鮮バッシングは、グローバル化と冷戦構造崩壊後の米国の東アジア戦略に沿う形で「カントリーリスク」に対応すべく日本が軍事大国化(日本の仮想敵はソ連から北朝鮮にシフト)する中で起こった事件である。 
 そして、政治による差別扇動が八十年代末から三〇年近くにわたり日本でレイシズムを増大させた結果、新しい二一世紀型差別扇動回路が現れた。これが
③在特会型=政治による差別扇動が生んだ、遊び半分で暴力を組織する日本型極右の脅威
 二〇〇七年、在特会という極右組織が結成・活動開始した。樋口直人氏は①正面からレイシズムを掲げ②継続的に組織化され③インターネットを通じて「普通の人」の動員に成功と分析している。
 彼らの活動は、以下のように分類分けされている。
 ①街宣型…いわゆる「ヘイトスピーチ」街頭で公然と行われるデモや街宣を行うもの
 ②襲撃型…京都朝鮮学校襲撃事件、徳島県教祖襲撃事件 人種化された個人・団体・地域にダメージ 
 を与えるための組織的・計画的暴力を行うもの
 ③キャンペーン型…社会運動としての差別 SNSや出版物を通じて、具体的な獲得目標と人種差別の
 方法を提示し、それら人種差別を一斉に行うよう呼びかけるアクションをするもの
 ・入管に在日コリアンを通報して国外退去させるキャンペーン
 ・朝鮮学校への補助金を廃止させるよう自治体に要請する
 ・あいちトリエンナーレを主催した愛知県知事をリコール
 ・朝鮮学校の高校無償化除外に反対した弁護士会や個々の弁護士への不当懲戒請求事件
議会進出型…日本第一党、日本国民党、無所属 選挙でレイシズム扇動を行うもの
 日本第一党は、二〇一六年、在特会創設者桜井誠が立ち上げ「外国人に対する生活保護を廃止します」をはじめ、公然と排外主義を掲げる極右政党である。なお二〇一九年四月の統一地方選挙は、選挙を通じてヘイトスピーチを拡散する人物、当選するために差別を活用する人物、かつて酷い差別を繰り返したことがある人物、差別を扇動するために議員になろうとする人物が非常に多く見られ、NGO反レイシズム情報センター(ARIC)調査では、四九名もの極右が選挙に立候補していることが明らかになっている。
在特会(新しい極右勢力)
 政治による差別扇動が自然発生的に草の根の極右を組織するまでに拡大した結果、かれら極右がSNSや街宣や後援会や出版物などを通じて「普通の人」のレイシズム暴力を大々的に扇動している。日本には反極右という反差別ブレーキが存在しないため、欧州のような「適合ジレンマ」が発生しない。そのため、極右になることのハードルが恐ろしく低く、極右にならなくとも自民党や保守的市民として簡単に差別ができる。一方で差別するのに飽きたり嫌になったり、あるいはごく小規模での抗議でさえその活動が後退する特徴がある。こ
 こで重要なことは、極右活動へのカウンターとヘイトウォッチである。極右・へイトクライム・レイシズムへの監視活動が、欧米では重要な反レイシズム実践となっている。継続して極右やレイシズムのデータを収集し分析し公表することで、差別と極右台頭の危険性を社会に可視化させるのだ。
 極右なき戦後日本社会に極右組織の結成を用意した背景は、歴史否定である。欧州のホロコースト否定は、レイシズムに基づくヘイトスピーチの一類型とされ、処罰の対象である。一方、日本版歴史否定論は一九九〇年代から急速に台頭した。高橋哲哉氏は日本版の歴史否定論が、ホロコースト否定論と「同レベルの最悪の修正主義に近づいている」と指摘している。
 欧州ではホロコーストの歴史が公的な記憶として公認され、ネオナチも規制されている。反レイシズム規範があるので、それに対するバックラッシュとしてのホロコースト否定が起こっている。しかし日本版歴史否定の場合、アジア侵略と植民地支配の歴史が公的な記憶となっておらず、ようやく九〇年代にアジアの被害者が「証言」を始めたことが直接の攻撃の引き金となっている。
 日本軍「慰安婦」の存在が社会問題になったのは、一九九〇年六月国会で社会党本岡昭次が日本軍「慰安婦」の実態調査を要求、労働省職業安定局が「民間の業者が軍とともに連れ歩いた」「調査はできかねる」答弁を受けて、九一年八月一四日、金学順さんが実名で名乗り出て日本政府を告発したものだ。日本政府の歴史否認が契機となっているのだ。
 九三年河野談話では「軍の関与」を認めたが、それが何であるかはあいまいなままにされ、九五年村山談話では「植民地支配と侵略」に謝罪を行うも法的責任については明確にせず、レイシズムや歴史否定と闘うという具体策もなかった。
 九六年「新しい歴史教科書をつくる会」 九七年「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(事務局長:安倍晋三) 小林よしのり「戦争論」と歴史否定の動きが激しくなる中で、二〇〇一年 安倍晋三はNHKに圧力をかけ、女性国際戦犯法廷取材番組の改編させた。歴史否定を使って極右が攻勢をかければ、国や自治体はもちろん政治家やマスコミさえ沈黙し、ほとんど南の抵抗もなくレイシズムが増大するという、二一世紀日本で日々みられるパターンが確立してしまったのである。
 日本の慰安婦ヘイトは差別が許される状況下で、最も威力のある武器として活用されている、一般庶民やマイノリティや社会運動家や人権や反差別を訴える著名人を攻撃する際に「慰安婦」ヘイトがフル活用されている。性暴力を告発した伊藤詩織氏への攻撃がその典型例で、彼女を「慰安婦」被害者になぞらえ、ウソツキだと中傷し続けている。
 これほど反差別ブレーキが存在せず「慰安婦」ヘイトをはじめとする歴史否定論が何の抑止にも出会わずに、しかも官民それぞれの極右勢力によって三〇年以上継続されている国は、先進国では日本のほかにない。歴史否定の動きは今に至るまで放置され、加速され続ける、第二次安倍政権発足後二〇一二年末以降は、政権主導で歴史否定が行われている。アジアの侵略史が真相究明レベルから不十分であり、必要なジャッジメントもなされていないのが現実だ。
 今や日本版の歴史否定はグローバル化の動きがみられる。「慰安婦」ヘイトは現時点では日本でしか通用せず、世界では悪質なレイシズム特にセクシズムだとして一顧だにされることはないのだが、欧米のネオナチや白人至上主義者らが「慰安婦」ヘイトを、自らのホロコースト否定や黒人奴隷制擁護の歴史否定論を正当化するために用いることもある得るだろう。
 また現代はレイシズムの商品化、産業化による差別扇動が問題がある。「戦争論」「マンガ嫌韓流」をはじめ、「Will」「SAPIO」「Hanada」「正論」など、ヘイト本と称される差別・ヘイトスピーチを商品化したコンテンツは一般の書店で山積みされ、自由に購入できる状況だ。
 ネットでの差別扇動は「保守速報」「大韓民国民間報道」などがあり、後者は大学院卒の二五歳の男性が金もうけのために作ったものだ。アクセス数を稼ぐためにレイシズムを扇動していた。売れれば差別だろうがジェノサイド扇動だろうが商品として流通し、その商品の力、資本の力によってレイシズムが扇動されてしまう時代なのだ。(つづくよ)

レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]

辺野古新基地建設反対!琉球弧への自衛隊配備を許さない集会&デモ(後編)

 ようやく先日の続きが書けるぞ。
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 私(山城さん)も辺野古・高江に張り付いていたが、島々の軍事化に脅威を感じてきた。与那国や石垣、宮古島に行き、保良の弾薬庫にも反対してきた。かつては島々に自衛隊がおとがめなしに入ってくるための、辺野古の工事はダミーではないかとも思ったこともあったが、実は辺野古が最大の軍事拠点、キーステーションになる。水陸機動団の第三連隊が辺野古に来る!台湾から与那国まで110㎞、沖縄が戦場にならないはずがない!
 今、南西諸島の軍事化に抵抗するための「県民の会」を立ち上げようとしている。ダグラス・スミスさんは、国は限定的な戦争を想定しているが、国と国との戦争になるなら、国際法上、全面的な戦争につながると言っている。また沖縄が戦場になることを許さない国会論戦も起こっていない。県民も辺野古には強い抵抗感があるが、南西諸島の軍事化が共有されておらず、運動体もつくられていないからである。
 ところが沢山の課題がある。会の名称の問題で、まず「南西諸島」が東京からの視点であり、表現そのものが差別であるという意見がある。それに代わる「琉球弧」も学術的すぎて一般の人には理解しづらい。鹿児島の島々も「琉球弧」か?という問題や、宮古島・石垣島を琉球とくくるのも問題があるだろう。「わたしたちの島々」という表現や、各島の名称をつかう手もあるが、総称するときのいい名称がない。また「県民」にするのか「市民」にするのかということもある。しかしこの会が立ち上がったら多くの結集を呼びかけたいと述べられた。
 ネット記事のコメント欄への書き込みを見ると、日本中が「沖縄の主張は甘えである」と考えているようだ。「新聞記者」ではマスコミを情報操作する部署が描かれている。社会が沖縄に「黙れ!」という世論を醸成しているが、こうした世論に警鐘を鳴らしながら、戦争にならないようにして欲しいと述べられて、講演を終えた。
 休憩後の質疑応答では、若い人たちが「南西諸島」の自衛隊配備問題をどう考えているか?について、沖縄でも運動は「ジジババ」の世界で、共通の課題である。「県民の会」の立ち上げには、役員や呼びかけ人は男女同数にする、若者も積極的に入れるなど、努力していきたいと述べられた。
 続いて40代ぐらいの男性が挙手して登壇し「命が大切だというなら北朝鮮のミサイルに抗議しないのはおかしい!」などと問い詰めてきた。これは明らかにクソ右翼であったので、みんなで問い詰めてエレベーターのところまで追い込み、つまみ出した。一応出て行ったが、その後PLP会館に向かって「街宣」を始め出したが、16時前には帰ったようだ。雨も降ってるし、あそこで一人がなっていても近所の住民から通報を受けた警察が来るだろう。なおクソ右翼は「村上」と名乗っており、事情に詳しい人によれば、八尾市の市会議員選挙に立候補したことがあるらしい。
 その他「県民の会」について「連帯する全国共闘会議」のようなものを作る、あるいは「市民の会」という名称にすれば、県外の人が参加・連帯しやすくなるという意見が出された。山城さんは政党や団体参加ではなく、個人参加にして保革を越えた「戦争反対」一本でまとまる団体にしたいそうだ。
 その後の各団体アピールでは「ジュゴン保護キャンペーンセンター」の活動報告や、「辺野古派遣おおさか基金」から辺野古ぶるーカヌー隊で、海保によって怪我を負わされた千葉和夫さんの国家賠償訴訟支援のための報告会(後に、コロナ流行により中止決定)の案内があった。また「大阪アクション」の構成団体ではないが「南西諸島への自衛隊配備に反対する大阪の会」や「米軍Xバンドレーダー基地反対・京都連絡会」のアピールがあった。
 「南西諸島~」の会は、昔は三里塚闘争や石垣・白保の空港反対運動をしてきたグループで、2017年に「石垣島のことは言うが宮古島のことは言わない」という指摘を受けて、では現地に行ってみようということで始まった運動だそうな。現地情勢を伝える会報を出したり、街宣活動を行ったりしている。
 米軍Xバンドレーダー基地反対・京都連絡会は、2年間現地の集会ができていない、「いらんちゃフェスタ」もオンラインでやらざるを得なかったことを報告された後、米軍基地建設の2期工事が終わったが、肝心の米軍が来ていない。コンビニもないへんぴなところなので、米軍兵士が入りたがらないのではないか。(米兵はコンビニが好きでよくコンビニで買い物しているそうな)ここは攻撃を受けることはないと説明をうけたが、高さ3m、幅1mもの防御壁が建設された。2期工事で米軍基地が固定化され、自衛隊基地も拡張された。自衛隊基地にも反対で、コールを上げている。現地、宇川は農協も小さなスーパーも撤退し、北斗信金のATMも無くなって地域の人が生活しづらくなっている。町で地域活性化のためのアンケートを取っているにもかかわらず、小学校が統廃合された。そこに大きな風力発電が建設されようとしていると述べられた。
 「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」の女性たちによる「みかんの山」の替え歌…安倍スガ岸田、維新へと、強権の風、どこまでも…が披露された。DSC06958
 最後の行動提起では「辺野古新基地を止めるには、琉球弧の軍事化を止め、琉球弧の軍事化を止めるには辺野古新基地を止めなければならない」と発言があった。結集は100名ぐらいである。
 集会後は冷たい雨が降る中を、扇町通を西に、梅田OSビルまでデモでありますっ‼
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 「今日の選挙は、名護んちゅ勝利!「ガジュマル構想」実現に、連帯!」「設計変更、もとから不許可!軟弱地盤の、改良できない!遺骨の冒瀆、埋め立てするな!サンゴを殺す、工事をやめろ! ジュゴンを殺す、工事をやめろ!」

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 「石垣島の、軍事化反対!」「宮古島の、軍事化反対!」「与那国島の、軍事化反対!」「奄美大島の軍事化反対!」「馬毛島の軍事化反対!」(ここでは「南西諸島」や「琉球弧」といった島々を総称する言葉を使わず、個々の島々の呼称を使うことにした)
 「基地建設を、直ちにやめろ!」「設計変更、不承認支持!」「みんなの力で、工事を止めよう!」「市民の力で、埋め立て止めよう!」などとコールしてきた。
 別のクソ右翼が2名ほど妨害にきたが、挑発にのらずそれを跳ね返し、デモを貫徹したのである。
  ではでは…

辺野古新基地建設反対!琉球弧への自衛隊配備を許さない集会&デモ(前篇)

 昨日1月23日、PLP会館会議室で行われた辺野古新基地建設反対!琉球弧への自衛隊配備を許さない集会とデモに参加してきた。主催は「STOP!辺野古新基地建設!大阪アクション」である。沖縄から元沖縄平和運動センター議長の山城博治さんを招いて講演してもらう予定であったが、コロナ感染拡大を受けてリモートでの講演となった。川口真由美さんの歌も予定されていたが、川口さんが出席を控えられたため中止となったものである。
 集会は14時開始、リモートで山城博治さんとつながる。山城さんの肩書は「元議長」の他、今も「オール沖縄会議、辺野古現地闘争本部長」なのだと自己紹介された。この日は名護市長選挙の投開票日でもあるのだが、沖縄では朝から雨が降っていて人の出足が悪いため、投票率が低くなりそうだという話から始まった。(実際の投票率は68.32%で、前回より8.60ポイント下回るが、それにしても7割近くある。選挙結果は現職の渡具知武豊が1万9524票で当選、オール沖縄の岸本ようへいが1万4439票と残念な結果に終わった。)
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 まずは辺野古現地の状況から、ゲート前の抗議行動は一旦再開されたものの、感染拡大により1月7日から休止している。毎月第一土曜日に「ブルーアクション」というゲート前集会を行っており、12月4日のブルーアクションは800名が参加したが、2~3回やってまた休止になったのは残念である。私たちは1日も早い知事の判断を求めていたが、ようやく11月25日に「設計変更不承認」が出された。知事を激励するための集会を12月7日に計画していたが、これもコロナのために中止になった。国は設計変更不承認を覆すため、12月7日に国土交通省に審査請求を出したが、審査には数ヶ月かかる。また今回は「執行停止」がかけられておらず、不承認を撤回しても承認されたことにはならないから、事態は動かなくなっている。工事は細々と続けられており、空のダンプが出入りしている。港から土砂の積み出しは行われているので、どこかに土砂をストックして、辺野古側のかさ上げ工事を続けている。また大浦湾側でN2護岸が完成し、桟橋として土砂搬入に使われているとのことである。
 大浦湾側では美謝川の付け替え工事が課題となっている。水路の付け替えが市の協議事項であるにもかかわらず、現名護市長は何もしないで黙認し、12月から工事が始まった。市長の権限を使えば止められるのに、やらなかったのは市民への裏切りであり、暴挙である!名護市長選挙の課題は、市民の命と暮らしを守るために基地建設を認めるのか認めないかだ。22日の最後の打ち上げ集会では800人集まった、4年前より結集は少ないが、コロナ禍でよく集まったものだと思う。現市長は子どもの貧困に関わる政策、子どもの教育に関わる援助を基地建設協力の再編交付金を使って行うとしている。しかし岸本陣営は、名護市の年間予算400億円のうち、再編交付金は15億円、3~4%にすぎない。このぐらいの金額はいかようにも捻出できるのであり、ともに基地のない平和な街をつくる、数パーセントのために未来を誤ることはあってはならないと訴えているのだそうな。
 沖縄のコロナ感染源が米兵、米軍であることがあまり知られていないような気がする。キャンプ・ハンセンで最大の感染があり、金武町から名護市に広がり、医療崩壊が起こっている。軍事基地が市民の生活を潤すことはない。県政とタイアップしながら、辺野古の基地を止めると述べられた。
 自公の側は企業選挙を、職員に休暇を与えて期日前投票に行かせ、確認もとりながら行っている。23日昼の段階で投票率は45%、午後から雨が上がるのでもっと投票に行って欲しい。岸本ようへい候補の親は、岸本建男元市長である。「逆格差論」で地域おこしを提唱したバリバリの革新であったが、基地建設を容認した。しかし7項目の、ほとんど実現不可能な条件(25年使用など)をつけた。ようへい候補は、父が生きていれば、基地は野放図につくらせるものではない、このような基地建設は認めなかっただろうと言っている。これを取り戻す、名護市長選挙は地方自治がかかったものだと述べられた。
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 続いて南西諸島(博治さんは南西諸島という呼称を使う)の軍事化について、「台湾有事」「尖閣有事」が宣伝され、台湾有事は日本有事とされている。TVや新聞を使って中国の脅威が煽られている。バイデン大統領は21年4月の日米首脳会談で台湾問題を取り上げたが、これは中国の国内問題に日本が公然と介入していく宣言である。沖縄を拠点に米軍が介入し、同時に「集団的自衛権」を認めた自衛隊も参戦していく。沖縄の私たちが戦争の矢面に立ってしまうということだ。米軍といっしょになって中国に戦争を仕掛けるなど、理解できないし、あってはならないことだ。
 宮古島ではミサイル基地が建設され、保良(ぼら)弾薬庫には大型の輸送艦でミサイルが搬入された。石垣島は2024年の基地完成に向けて急ピッチで工事が進められている。石垣市の中山市長は積極推進派で、住民投票条例も無視している。2月に市長選挙があるが、現職に対抗する側は分裂している。一人は中山に反発して与党から離脱したが、自衛隊を誘致し住民投票にも反対しており、もう一人は自衛隊誘致に断固反対している。オール沖縄は「勝つために一本化を」と言っているが、自民党の市長が独り勝ちするのは止めたいと述べられた。(続くよ)

レイシズムとは何かー梁英聖(その5)

 その4の続き、けっこう重要なところである。
第五章 一九五二年体制
 ところで、日本には人種差別を公然の目的にした差別政策や法律はない。国籍さえ取得すれば国民としての権利を十全に享受できる(タテマエとなっている)。では日本におけるレイシズム、在日韓国・朝鮮人に対する差別の根源は何か?それが一九五二年体制と呼ばれる入管法制である。
 一九五二年体制は、出入国管理令(入管法①)外国人登録法(外登法②)法律第一二六号(法一二六③)を柱とする入管法制である。なお、以下に日本の朝鮮人支配の変遷を示す(これは重要!)
図表12 レイシズムとは何か_0001
それをかいつまんで説明すると
・植民地支配時代の朝鮮人支配の枠組み
「日本国籍の壁」によって朝鮮人を囲い込み
「国籍の壁」から出られないようにカギをかけ
その上で戸籍と言う「レイシズムの壁」を法制度として貫く 
(ちなみに上記の図をみれば、植民地時代「朝鮮人も同じ日本人であった」などとうてい言えないことは一目瞭然である)
・GHQ占領期…日本の国籍によって閉じ込めると同時に戸籍によって差別化をはかる方法を踏襲
 一九四五年十一月一日「初期の基本指令」「台湾系中国人及び朝鮮人を、軍事安全の許す限り解放民族としてとりあつかう。彼らは本指令に使用されている「日本人」という語には含まれないが、彼らは、日本臣民であったのであって、必要の場合には、貴官は、敵国民として処遇してよい」これが、日本政府が在日コリアンをレイシズム対象として扱うことを許す条件になる。一九四五年十二月「戸籍法の適用を受けざる者」と言う表現で参政権「停止」し、一九四七年五月二日 外登令(外国人の入国を減速禁止、国内にいる外国人の登録義務)において「朝鮮戸籍令の適用を受けるべきもの」「適用については当分の間外国人とみなされる」これが朝鮮人弾圧法になったのだ!
 一九四八、四九年には朝鮮人学校強制閉鎖令が出されたが、これは在日朝鮮人が「日本国民」だから日本の学校に通うべき!というもので、外登法では外国人、学校教育では日本人とされている。「日本国籍と戸籍の使い分けは、むしろレイシズム政策を一貫させる道具だった」p180のである。
・四・二八サンフランシスコ講和条約発効…外地戸籍者を一律に日本国籍喪失させる暴挙!法務民事局長通達第四三八号
 これがなぜ問題かというと
①そもそもサンフランシスコ講和条約にはなんら在日朝鮮人の国籍について規定がない。
②サ条約を審議した講和会議には一人も朝鮮人が出席していない
③国籍選択権が一切認められていない
④憲法違反である(法律で国籍を定めるとする憲法第十条)
 こうしてみると、植民地時代、GHQ時代、五二年以後とは、一貫して朝鮮人を人種化して日本人と分けるレイシズム政策が貫徹しており、それが国籍と戸籍の二つの制度によって支えられてきた。また特徴として「公的な体系性をもった明示的プランではなく、むしろ国籍と戸籍を恣意的に使い分け、官憲の広範な裁量に依拠している」p182のである。
一九五二年体制と在日特権―法一二六という元祖「在日特権」…一般法としての入管法(入管法と外登法)と、その例外を規定する特別法
 入管法では、旅券もビザも無い外国人は日本に入国することができない。だが在日朝鮮人には当然ながら旅券もビザも無い…不法滞在の「外国人」が六十万も一夜にして増える。それを「解決」するための特別法が、法一二六なのだ。
 法一二六は、朝鮮人、台湾人という旧植民地出身者にのみ、特別に在留資格なしで在留してよいと定めたもので、ただし優遇措置ではなく。在留資格なしという極めて不安定な状況に追い込むレイシズム政策だ。すべての在日コリアンは含まれず、①一九四五年九月二日から五二年四月二八日まで引き続き日本に在住した朝鮮人②その朝鮮人が五二年四月二八日まで出生した子に限定。一度でも朝鮮半島と行き来した者、朝鮮戦争の難を逃れてやってきた者は含まれない。法一二六によって在留資格なしで滞在できた在日から生まれた子については、何の規定も無いのである。
 「特定在留」は三年に一度更新しなければならない不安定な法的地位、その子(孫)は在留期限の更新が一年もしくは三年の「特別在留」とされる。「在日朝鮮人の歴史と実情を踏まえその存在を公認して生活の権利を保障した政策ではまったくない。反対に無理やり国籍を失わせた在日を当面居てよいとする極めて場当たり的例外的な措置にほかならない。」P186のだ。
 五二年体制の一般法部分は、二〇〇九年の大改正によって外登法が廃止され、入管法に吸収1本化した。特別法部分は、六六年入管特別法(日韓法的地位協定時の協定永住)八二年改正入管法(難民条約締結時の特例永住)を経て、九一年入管特例法による、今日の特別永住資格となったのである。
 戦後日本社会での五二年体制が果たした役割はなんだろう?
第一 レイシズム法を入管法に偽装する体制の成立…レイシズムの壁が国籍の壁と癒着、政策・法律レベルのレイシズムが国籍「区別」に偽装され、見えにくくなる。
第二 反レイシズムゼロ下で外国人政策の代用物 
 ①反レイシズムがないので、在日コリアンは国からマイノリティとして公認されず、国籍以外にその政策上の「定義」さえ存在しない
 ②レイシズムに基づいた日本の戸籍=国籍制度に、米国の反共主義かつレイシズムに基づいた国籍別割り当てを規定した厳しい入管法部分だけが接ぎ木されたものである。
 ③反レイシズム規範が入管法と対決・衝突することなく、欧米でつくられるほかなかった移民政策(入管精伊作+統合政策)がつくられなかった。
第三 在日コリアンの権利を、外国人と平等に無権利状態におく入管法にとっての「特権」として正当化させた。
と、筆者はまとめている。
否定される在日コリアンの権利…教育でのレイシズム政策
 一九四八年の朝鮮学校閉鎖のロジックは「日本国民だから」である。それが「外国人」とされた一九五二年体制ひきつがれている。日本国籍を持たないことをフル活用して、朝鮮人と朝鮮学校をさらに排除し、「外国人」には学校への就学義務はなく就学はあくまで「恩恵」であり、外国人のための教育に税金を使うべきではないとのロジックで、一九五五年都立朝鮮人学校が廃校にされた。その後朝鮮総連が結成され、全国的に朝鮮学校再建に乗り出した。
 一九六〇年代に、新たな弾圧体制が構築された。六六年六月「わが国の安全保障に関する中間報告」で「間接侵略による危険は現状においてもすでに存在している」「とくにわが国に多数存在している北朝鮮系学校は、わが国に於いて反日教育、教育革命を実施し、このままでは将来わが国に重大な脅威となろう」…反共だけでなく在日コリアンという民族集団を一様に敵視するという発想はいうまでもなくレイシズムである。」P191こんな文言は、現在でも言われ続けているのではないだろうか。
 日韓条約前後の日本政府の政策は、在日コリアンの自主的な民族教育を一切認めず、むしろ「同化」させるというエスノサイド的なレイシズム政策である。ただ、外国人学校法案は、総連とそれに連帯する市民の反対運動によって四度上程されたが全てつぶされている。しかし、
第一 教育の義務と権利はあくまで日本国籍保持者のみに認められ、外国人が学校に通うのは「恩恵」であって、いつでも入学や就学が拒否できた。
第二 朝鮮人学校・外国人学校は日本の教育体系からは体系的に排除されている。これはレイシズムによる隔離政策である。
第三 反レイシズムの差別禁止法も政策も一切作られなかったため、政策上一九五二年体制と衝突する法・政策が存在しない。
 それでは、在日朝鮮人運動やそれと連帯する市民運動も強力だったのに、なぜこんなことがまかり通ったのか?
第一 南北分断で在日コリアンも分断され、本国のネイションの一員として本国の政治に関与することが社会運動の課題となったため、日本国内での「公民権」(シティズンシップ)を闘い取ることは問題にもならなかった。
第二 日本の市民運動や他の反差別運動も加害者の差別する自由を社会正義によって規制するのではなく被害者支援を通じて人権回復を訴えるというスタイルであったため、普遍的な差別禁止法を闘い取るという目標を掲げなかった。
と、筆者はまとめている。私が付け加えて言うならば、日本国内での「公民権」(シティズンシップ)を闘い取ることは問題にもならなかったのは、「公民権」を得ることが同化に繋がる、すなわち天皇制の問題とぶち当たったからではないのか?とも思うが、どうだろう。
 筆者は最後に「スリーゲートモデルさえ通用しない入管法1本で外国人政策を代用する一九五二年体制が生きている。五二年体制が外国人政策の代用物とされる限り、政策亡き差別政策は継続される。…在日コリアンにたいしてだけでなく、外国人研修生(技能実習生)はじめ一般的に移民や難民に対する日本のレイシズムをも強力に支えているのである。」p195とまとめている。
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]

レイシズムとは何かー梁英聖(その4)

 その3の続きである。
第四章 反レイシズムという歯止め
 レイシズムを国際社会が放置したことがファシズム台頭を招いたという歴史的教訓から、反レイシズムは国連の目的でもある。国連憲章第一章第三項には、「人種、性、言語、宗教による差別なく、すべての者のために人権と基本的自由を尊重するよう助長奨励する点で、国際協力を達成すること」とあるし、人種差別撤廃条約は一九六二年に作成決議、一九六五年に作成・採択、二十七か国の批准で一九六九年に発行している。この時代はネオナチの反ユダヤ主義レイシズムが世界的に問題となっており、またアフリカ十七か国が独立・国連加盟そたことから、第三世界諸国からの反アパルトヘイト・反植民地主義の声を無視できず、人種差別撤廃条約成立に「絶対的優先」を与えたのである。人種差別撤廃条約は
 第一 レイシズムを社会がなくすべき悪である
 第二 締結国が立法を含めたあらゆる手段で撤廃することを義務付ける
 第三 特に危険なレイシズムの差別扇動と極右を法律で処罰すべき違法行為・犯罪と規定しているのである。
 条約でのレイシズムの定義は、①ルーツ(人種・皮膚の色・世系・民族・エスニシティ)に基づくグループに対する②不平等な(平等の立場における基本的人権の行使を妨げたり害したりする)③効果をもつもの(差別の目的や意図は関係ない)であり、①人種化されたグループへの②不平等な③効果を持つ行為や制度(法律や政策)が、人種差別撤廃条約が禁ずるレイシズムである。
 レイシズムに明確な定義を与え、各国に立法を義務付けることで、レイシズム行為が差別禁止ラインより上にエスカレートしないようにしたのだ。
 そして人種差別撤廃条約には、四つの反差別ブレーキがあるとしている。 
差別する自由を規制することこそ真の自由である(禁止するための差別の定義)
 差別を社会が定義すること、差別を区別と線引きすること…社会正義が定める差別の定義があってはじめて差別する自由を実戦で否定することが可能。反レイシズム規範の成立は市民社会での激烈な反差別闘争なしにはあり得ない。
 「人種」の否定 生物学的な人種の存在の否定…レイシズムという言葉自体、ナチの人種理論を否定する文脈で用いられたもの。反レイシズムがなければ、人種理論はいくらでも復活し差別に使われる。一方、差別しようとする側は生物学的な人種の代わりに文化や宗教などを持ち出す…これは「新しいレイシズム」である。
差別扇動と極右の違法化―人種差別撤廃条約の最大の特徴
 差別扇動の違法化、その抑止…差別扇動と極右への資金援助を含む支援の禁止、極右組織そのものの違法化義務付ける。例えばドイツでは、憲法擁護庁が常時ネオナチを監視し取り締まりを行っているし、アメリカもFBIや州警察がヘイトクライム対策やKKK等の白人至上主義による極右テロリズム取り締まっている。
国家の差別扇動への対抗
 「国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと」と明記しており、国や自治体の差別だけでなく、国会議員・地方議員・政党による差別扇動を規制すること、公人のヘイトスピーチを厳しく批判し取り締まることは、レイシズム暴力の組織化を阻止する上で非常に重要であるとしている。
 一方、国家による規制から逃れる極右の動向として、欧州では極右が反レイシズム規範を持つ市民社会に自分達を適合させることを迫られる「適合ジレンマ」があり、ナショナリズムやイスラム教批判、ヨーロッパのアイデンティティに訴える「右翼ポピュリズム」という高等戦術をとる。米国では反差別規範に「適合」するのとは真逆に、トランプ大統領のように「適合しない」ことをアピールする形での「右翼ポピュリズム」という高騰戦術をとっている。
 ところが日本には「適合ジレンマ」で悩ませるだけの社会的な反レイシズム圧力がなく、欧州では一発で政治生命を失うほど露骨なレイシズムを掲げても、社会的に強く批判を浴びることが無いのである。
 欧米諸国で闘いとられた反レイシズム規範を、筆者は
① 六〇年から七〇年代初にかけて基準となる反レイシズム規範が成立(反レイシズム「1.0」)
② その後アップデート(反レイシズム「2.0」)…社会運動の力なしには勝ち取れない。
と位置付けている。その内容は、
・欧州・国連型(当初から差別禁止法で差別と共に差別扇動を禁止)
・ドイツ型(戦犯訴追と歴史教育と合わせた「過去の克服」の一環として、刑法改正によるヘイトスピーチ規制)
・米国型(差別禁止法制定、行為と言論に二分し、行為は規制し言論は擁護する)
と分類している。
 それではドイツと「反レイシズム」なき日本との違いはどこから来ているのか?筆者は冷静体制の違いに目をつけた。ドイツの冷戦体制は、仇敵フランスや英国と和解し、EC(EU)という経済共同体を結ばざるを得なかったことが、反ナチ規範の形成を必要としたことに対し、日本の「東アジア冷戦構造」は、米国のアジア戦略に規定されるかたちで、昭和天皇戦争責任の曖昧化した。また強大な米国をハブにした二国間安保体制の「足し算」(日米安保、韓米、比米…)に依存していることから、この軍事・政治上の国際関係によって反ナチ規範に類する反レイシズム規範をつくるよう強いられなかったと分析した。ドイツは被害国「イスラエル」と友好関係を築かなければならなかったが、日本の被害国(中国・朝鮮・ベトナム)は無視できる東側陣営になり、西側陣営の国々(韓国・台湾・フィリピン)は、米国の圧力で戦後補償要求を押さえつけることができた。また冷戦で分断された国が欧州では加害国ドイツ(反ナチ規範を競わせる)なのに対し、東アジアでは被害国朝鮮(日本への従属を競わせる)であったことも大きい。
 米国型の反レイシズムはどこから生まれたのか?六〇年代の反戦運動が、マイノリティ活動家も国家による弾圧を避けるために、人種隔離の廃止と行為の差別禁止を求めた。反レイシズムの言論を反共主義のレイシズム国家から守るため、差別禁止法性に行為/言論の特殊な二分法が採用されているのである。一九八〇年代に「行為」とされる人種差別を厳罰化させる文脈で「ヘイトクライム」という概念が生まれている。また「言論(スピーチ)」とされた差別に対し、それは「行為」と同様で処罰すべきだと批判する文脈で「ヘイトスピーチ」という概念も生まれた。「ヘイトスピーチ」(言論)は連邦法で禁止には至ってないが、ジェノサイド扇動は規制され、職場での差別発言はセクシャル/レイシャル・ハラスメントなどで規制されている。
 ところで日本での「ヘイトスピーチ」規制は「規制VS言論の自由」という構図で未だに議論されている。ところが欧州・米国では、差別を禁止することが大前提であり「差別禁止をどの程度行うか」の議論が行われているのである。
 筆者は「日本型反差別の深刻な帰結」として、以下の点を挙げる。
第一 極右や差別する加害者に対しては、反差別が抑止力とならないばかりか、かえって被害者を加害者の目前に差し出すことになる。…反差別の側は、事実や人権だけでなく、社会正義も対置しなければならない。
第二 「被害者の声を聴け」という日本型反差別が、むしろ被害者を沈黙に追い込んでしまう。マジョリティが差別の判断基準をマイノリティに押し付ける一方で、その解釈権は利き手であるマジョリティが握る。そうなると、マイノリティはマジョリティに受け入れられる程度の被害しか語れなくなる。
第三 社会に正義を打ち立てないために、反差別の社会的連帯の基準もつくらない。マジョリティ/マイノリティが立場を尊重したうえで差別に対抗して共闘するための基礎的インフラとなる反差別ブレーキが必要。
 欧州・米国での「反レイシズム2.0」では、構造的不平等をなくすため、形式的平等だけでなく実質的平等を達成するための、マイノリティのみに認められた特別な権利保障が必要だという水準に進んでいる。これが「アファーマティブアクション」「ポジティブアクション」と呼ばれるものである。それに対し日本は、人種差別撤廃条約の批准さえ一九九五年と、一四六番目の遅い批准であり、包括的差別禁止法もつくらず、差別統計もとっていない。これは条約違反でもある。
 正規滞在外国人の権利保障に関する国際比較調査における、移民統合政策指数(MIPEX)は、二〇一五年最新調査で、総合指数四四と三八カ国中二七位と低い。特に差別禁止の項目は二二点の三七位と下から二番目であり、戦後から今日まで、未だ公的な移民政策(入管政策+統合政策)も存在していないのが現状だ。
国籍・市民権による区別をどうするか
 反レイシズムの力は国籍「区別」のかなりの部分を否定することにも成功している。国籍(市民権)がない人びとへの差別が、国籍「区別」の下に実施される場合はレイシズムとされる。欧米では既に大半が国籍法で生地主義(領土内で生まれたら国籍を与える)を導入しているため、移民二世以降は国籍「区別」の対象にはなっていない。
第一 反レイシズム規範は必ず国籍や入管という国民国家の境界という壁にぶち当たる。
第二 反レイシズムは入管法と対立・対決・衝突し、入管法の内容や実際の運用でレイシズムを抑制することが可能である。
第三 反レイシズムは一旦入国した難民・移民・その家族に対してシティズンシップを認めさせる闘争を行うことで、公式/非公式の多様な移民の統合政策を国家につくらせることを可能にした
第四 その結果つくられた統合政策は国境での入管政策(誰を国外から入れるか)との何らかの政策的整合性を撮ることを国家と官僚に迫ることができる。
としている。
スリーゲートモデルとシティズンシップ 
 スリーゲートモデルとは、トーマス・ハンマーによって考案された図であり国民国家を、権利を制限する三重の同心円にみたて、①国境②居住(永住)③国籍 の三つのゲートが存在する。

図表10 レイシズムとは何か_0001
 
 ところがこもモデルは日本では通用しない!例えば在日韓国人が永住資格を取得するのに必要な居住期間より(原則十年)、帰化(五年)のほうが短い。特別永住や永住という在留資格はあるが、欧米のデニズンのようにシティズンシップが認められたものでは全くない。選挙権は国政どころか地方参政権もない。差別禁止法が無いため差別からも無保護である。日本語教育さえ制度的に補償されていない。多文化政策どころか多言語政策でさえ国レベルでは存在しないのである。
図表11 レイシズムとは何か_0001

反レイシズムゼロの日本では、
第一 反差別ブレーキがないのでレイシズムはほぼ妨害を受けない。 
第二 移民政策も反差別法もないので、ナショナリズムの中に移民を取り込もうという主張も盤石である。
第三 日本でもレイシズムはナショナリズムを隠れ蓑にしているが、反レイシズムをかいくぐる高等戦術でさえない。植民地時代のレイシズムを戦後は旧植民地出身者の日本国籍を喪失させ「外国人化」したうえで「単一民族神話」型のナショナリズムを隠れ蓑にすることで継続させてきた。(ナショナリズムとレイシズムの接合が、戦後日本では独特の癒着をしている)

このあたりの展開は、次の第五章に続くよ!
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
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