これまでこれとかこれとかこれその他で、人類が産業革命以降に化石燃料を大量に燃やして発生させた二酸化炭素が、地球を温暖化させているということを批判してきた…温暖化は、残念ながら自然現象であり、人類が化石燃料を燃やすのをやめても「温暖化」は止まらない(二酸化炭素で温暖化しているのではないから)のである。
ところが、グリーンランドに雨が降ったり、大熱波や大寒波が来たり、大規模な山火事が発生したりとう”気候変動”(それは1000年前の中世温暖期や、2000年前のローマ温暖期にも発生していたにもかかわらず、たまたま”観測”されていなかっただけ)の原因は「温暖化」であり(例えば他の、人間が森林を切りすぎたりしたことが原因だったらどうするのか?)、それをふせぐために「脱炭素」して二酸化炭素の排出量を減らさなければならない、というドグマがまかり通っている。
それは結局のところ、目先の化石燃料の使用を”迂回生産”でなんとかしようという、誠に愚かな政策を行う事こそ「正義」とされ、なんでもかんでも電力化で余計に化石燃料やその他の資源を大量消費したり、(スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリ氏もこのドグマの下、原子力発電…放射性物質を制御するため、余計な化石燃料や資源を大量消費するシロモノ…を認めるというとんでもないことになっている)果ては大気中、海洋中の二酸化炭素を固定してしまおうという、エントロピー増大則に反するクソ技術に手を染める…もちろんこれも、化石燃料やその他資源を大量消費することにしかならない…など、もはや何をやっているのか、よくわからない状況に陥っている。
どれもこれも
二酸化炭素排出⇒温暖化⇒気候変動…×
ゆえに、「脱炭素」こそ正義! というドグマが悪いのである。
「気候変動に反対しよう」「気候変動対策をやれ!」という社会運動は、グリーンニューディールの名の下で、とりもなおさずなんでもかんでも電力化したり、エントロピー増大則に反するクソ技術を政府の手で推し進めろ、カネを出せという運動になってしまう。そしてそのことは、一部の石油資本などにはダメージがあるかもしれないが、大部分の重化学工業資本にとっては、願ったりかなったりの設備投資先となる(最終的には化石燃料も大量消費するので、石油資本も儲かる)そこに投資する金融資本も莫大な利益を蓄えることになるのである。
そして問題…例えば森林の切りすぎだとか、大規模な開発だとか…は、まったく解決しない、むしろ「森林切っても、その分二酸化炭素を吸収すればいいでしょ」というような、問題はさらに悪化するのである。(もちろん、個々の「環境活動家」がそういった個別問題に取り組み、問題を解決させようとしていることは大いに認め、評価する)
だから私は、斎藤幸平のように訴えたい
脱炭素こそ「大衆のアヘン」である!
ところが、グリーンランドに雨が降ったり、大熱波や大寒波が来たり、大規模な山火事が発生したりとう”気候変動”(それは1000年前の中世温暖期や、2000年前のローマ温暖期にも発生していたにもかかわらず、たまたま”観測”されていなかっただけ)の原因は「温暖化」であり(例えば他の、人間が森林を切りすぎたりしたことが原因だったらどうするのか?)、それをふせぐために「脱炭素」して二酸化炭素の排出量を減らさなければならない、というドグマがまかり通っている。
それは結局のところ、目先の化石燃料の使用を”迂回生産”でなんとかしようという、誠に愚かな政策を行う事こそ「正義」とされ、なんでもかんでも電力化で余計に化石燃料やその他の資源を大量消費したり、(スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリ氏もこのドグマの下、原子力発電…放射性物質を制御するため、余計な化石燃料や資源を大量消費するシロモノ…を認めるというとんでもないことになっている)果ては大気中、海洋中の二酸化炭素を固定してしまおうという、エントロピー増大則に反するクソ技術に手を染める…もちろんこれも、化石燃料やその他資源を大量消費することにしかならない…など、もはや何をやっているのか、よくわからない状況に陥っている。
どれもこれも
二酸化炭素排出⇒温暖化⇒気候変動…×
ゆえに、「脱炭素」こそ正義! というドグマが悪いのである。
「気候変動に反対しよう」「気候変動対策をやれ!」という社会運動は、グリーンニューディールの名の下で、とりもなおさずなんでもかんでも電力化したり、エントロピー増大則に反するクソ技術を政府の手で推し進めろ、カネを出せという運動になってしまう。そしてそのことは、一部の石油資本などにはダメージがあるかもしれないが、大部分の重化学工業資本にとっては、願ったりかなったりの設備投資先となる(最終的には化石燃料も大量消費するので、石油資本も儲かる)そこに投資する金融資本も莫大な利益を蓄えることになるのである。
そして問題…例えば森林の切りすぎだとか、大規模な開発だとか…は、まったく解決しない、むしろ「森林切っても、その分二酸化炭素を吸収すればいいでしょ」というような、問題はさらに悪化するのである。(もちろん、個々の「環境活動家」がそういった個別問題に取り組み、問題を解決させようとしていることは大いに認め、評価する)
だから私は、斎藤幸平のように訴えたい
脱炭素こそ「大衆のアヘン」である!