昨日の梅田解放区で、障がい者の方によるパラリンピック批判があった。「出来る」障がい者だけが称えられる問題、戦傷者のリハビリから始まったという問題の外に(参考記事:パラリンピックも批判しておく)なぜ障がい者だけ”別枠”の大会なのか?というものがあった。障害者と健常者が「オリンピック」という”同じスポーツ大会”に参加しているわけではない、オリンピックとパラリンピック(オリンピックと「同等」であるという表記ではあるが)別の大会で、それぞれ競い合っているのはなぜだ?ということだ。
なるほど、それは私も気づいていなかった…障がい者だけ”別枠”の大会であるということは、障がい者を施設などに”隔離”しておく、障がい者は養護学校、養護教室に行けばいいんだという思想と等価であるという批判である。
確かに健常者と障がい者が同じ条件、同じ土俵で競い合う事は不公平である。また障がい者スポーツは障害の部位や程度によって、様々なクラス分けがなされたうえで競い合っている。
だが健常者のスポーツも、柔道等体重別にクラス分けされているものを、同じ大会で同時進行して競い合っている。健常者のスポーツに、障害者のクラスも入れ込んで、同じ大会で同時に競い合うということも可能だろう。
もちろん大会運営は、めちゃめちゃ手間がかかるようになる。参加する人の介助も必要だし、また健常者スポーツと障がい者スポーツでルール等が違うこともあるから、同じ大会で審判や審査員等の人数も増えるだろう。
で、こんなことを考えると、もう一段、余計なことを考えてしまう…例えば車椅子マラソンなぞ、健常者が車椅子に乗り、上半身だけで走ってはイケナイものなのだろうか(公平性の確保とかいろいろ問題はあるのかも知れないが)障がい者スポーツに健常者があるルールをもって競技すること、逆に健常者のスポーツで、そのスポーツを行うにあたって別に支障のない障害をもつ障がい者が競技する(もうすでにそのような選手はいるのだろう)というようなこと、さらには健常者と障がい者の混成チームで競技する…ルールは健常者と障がい者の比率や、障害の程度によってきめ細かく替える…いや、そもそも競技はするけど、競争はしない、健常者と障がい者の枠をとっぱらって、思い思いにスポーツを楽しむ大会をやる…というのも、エエかもしれない。
健常者と障がい者のスポーツにおける”区分”や”枠組み”は、決して今ある形がベストということではない。障がい者差別解消のための闘いの中から生まれてきた、バリアフリーや、共存・共生社会、多様性の尊重といった理念を少しずつ実践しながら、よりいい方向に変わっていくだろうし、変えなければならない。
ドラえもんが生まれる100年後の未来には、健常者も障がい者も同じスポーツ大会で競い合い、いっしょにスポーツを楽しんでいるのではないだろうか?
なるほど、それは私も気づいていなかった…障がい者だけ”別枠”の大会であるということは、障がい者を施設などに”隔離”しておく、障がい者は養護学校、養護教室に行けばいいんだという思想と等価であるという批判である。
確かに健常者と障がい者が同じ条件、同じ土俵で競い合う事は不公平である。また障がい者スポーツは障害の部位や程度によって、様々なクラス分けがなされたうえで競い合っている。
だが健常者のスポーツも、柔道等体重別にクラス分けされているものを、同じ大会で同時進行して競い合っている。健常者のスポーツに、障害者のクラスも入れ込んで、同じ大会で同時に競い合うということも可能だろう。
もちろん大会運営は、めちゃめちゃ手間がかかるようになる。参加する人の介助も必要だし、また健常者スポーツと障がい者スポーツでルール等が違うこともあるから、同じ大会で審判や審査員等の人数も増えるだろう。
で、こんなことを考えると、もう一段、余計なことを考えてしまう…例えば車椅子マラソンなぞ、健常者が車椅子に乗り、上半身だけで走ってはイケナイものなのだろうか(公平性の確保とかいろいろ問題はあるのかも知れないが)障がい者スポーツに健常者があるルールをもって競技すること、逆に健常者のスポーツで、そのスポーツを行うにあたって別に支障のない障害をもつ障がい者が競技する(もうすでにそのような選手はいるのだろう)というようなこと、さらには健常者と障がい者の混成チームで競技する…ルールは健常者と障がい者の比率や、障害の程度によってきめ細かく替える…いや、そもそも競技はするけど、競争はしない、健常者と障がい者の枠をとっぱらって、思い思いにスポーツを楽しむ大会をやる…というのも、エエかもしれない。
健常者と障がい者のスポーツにおける”区分”や”枠組み”は、決して今ある形がベストということではない。障がい者差別解消のための闘いの中から生まれてきた、バリアフリーや、共存・共生社会、多様性の尊重といった理念を少しずつ実践しながら、よりいい方向に変わっていくだろうし、変えなければならない。
ドラえもんが生まれる100年後の未来には、健常者も障がい者も同じスポーツ大会で競い合い、いっしょにスポーツを楽しんでいるのではないだろうか?