話題の「資本論」本その2は、「人新世の『資本論』」(斎藤幸平 2020年9月)である。
![人新世の「資本論」 (集英社新書) [ 斎藤 幸平 ]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/1351/9784087211351.jpg?_ex=128x128)
人新世の「資本論」 (集英社新書) [ 斎藤 幸平 ]
人類の経済活動が地球に与える影響があまりに大きいことから、ノーベル化学賞受賞者であるバウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新しい年代に突入したとし、それを「人新世(じんしんせい)」(Anthropocene)と名付けた。斎藤氏は現在進行する「(経済活動に伴う)二酸化炭素排出による地球温暖化」を最大の危機と捉えている…が、「人類の経済活動で放出される二酸化炭素による地球温暖化」なる環境問題は実はハッタリであるのに、斎藤氏はなんら疑問をもたないまま「温暖化の脅威」を語るから世話はない。四○○万年前の「鮮新世」という古い話を持ち出さなくても「ミノア温暖期」「ローマ温暖期」「中世温暖期」という1000年周期ぐらいでに今よりも暖かい時代があったのだが、人類は大丈夫だった…産業革命期が小氷期で「寒すぎた」のだ。
環境問題というのは「温暖化」そのものではなく、それ以外の過去の地球になかった要因、森林破壊や農地の酷使、廃棄物による汚染、都市化、水環境の破壊などがグローバルな影響を与えていることだ。これが二酸化炭素増大に伴う温暖化→その影響という「ドグマ」に惑わされて、きちんと認識されていないのだが、このへんを押さえておいたうえで、第一章 気候変動と帝国的生活様式 第二章 気候ケインズ主義の限界 を読むと、「温暖化による危機」アジり以外の点は、まさにその通り!としか言いようがないからしょうがない⁉
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人新世の「資本論」 (集英社新書) [ 斎藤 幸平 ]
人類の経済活動が地球に与える影響があまりに大きいことから、ノーベル化学賞受賞者であるバウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新しい年代に突入したとし、それを「人新世(じんしんせい)」(Anthropocene)と名付けた。斎藤氏は現在進行する「(経済活動に伴う)二酸化炭素排出による地球温暖化」を最大の危機と捉えている…が、「人類の経済活動で放出される二酸化炭素による地球温暖化」なる環境問題は実はハッタリであるのに、斎藤氏はなんら疑問をもたないまま「温暖化の脅威」を語るから世話はない。四○○万年前の「鮮新世」という古い話を持ち出さなくても「ミノア温暖期」「ローマ温暖期」「中世温暖期」という1000年周期ぐらいでに今よりも暖かい時代があったのだが、人類は大丈夫だった…産業革命期が小氷期で「寒すぎた」のだ。
環境問題というのは「温暖化」そのものではなく、それ以外の過去の地球になかった要因、森林破壊や農地の酷使、廃棄物による汚染、都市化、水環境の破壊などがグローバルな影響を与えていることだ。これが二酸化炭素増大に伴う温暖化→その影響という「ドグマ」に惑わされて、きちんと認識されていないのだが、このへんを押さえておいたうえで、第一章 気候変動と帝国的生活様式 第二章 気候ケインズ主義の限界 を読むと、「温暖化による危機」アジり以外の点は、まさにその通り!としか言いようがないからしょうがない⁉
帝国的生活様式とは、グローバル・サウス(グローバル化によって被害を受ける領域、人民を指す)からの資源やエネルギーの収奪に基づいた先進国のライフスタイルのことであり、グローバル・サウスの地域や社会集団からの収奪、代償の転嫁なしに帝国的生活様式は維持できないということ自体が問題である。これはグローバル資本主義の構造に依拠している。ウォーラーステインの言う「世界システム」論を拡張して言えば、資本主義は「中核」と「周辺」で構成されており、中核部は資源を周辺部(グローバル・サウス)から略奪し、同時に経済発展の背後にあるコストや負荷(環境問題)を周辺部に押し付けているのである。しかし、人類の経済活動が全地球を覆った「人新世」は、そのような収奪や転嫁を行う外部が消滅した時代である…資本の力では克服できない限界により、危機が始まるのだ(このへんは資本主義の終焉を主張する水野和夫氏と相通じるものがあるだろう)
グリーン・ニューディールとは、再生可能エネルギーや電気自動車などを普及させるために大型の財政支出や公共投資を行うもので、安定した高賃金の雇用を生み出し、景気を刺激して投資を生み、持続可能な緑の経済への移行を加速させるものだ。しかしグリーン技術は、その生産過程まで目を向けると決してグリーンなものではない。例えば電気自動車の生産、その原料の採掘でも石油燃料は使用されるし、増大する電力消費量を補うため、ますます大量の「太陽光パネル」や「風力発電」(これらも当然、石油燃料を大量に使用しないと作ることは出来ない)の設置が必要となり、資源が採掘される。経済成長を求める限り、環境問題の根本的解決は難しい。 そこで筆者は「脱成長」を提案する…ではその中身をどうするかを、第三章 資本主義システムでの脱成長を撃つ で展開する。
開発経済の分野では、南北問題の解決には経済成長ことが鍵であるとされているが、そのモデルは行き詰まりつつある。生産や分配をどのように組織し、社会的リソースをどのように配置するかで、社会の繁栄は大きく変わるからだ。公正な社会が求められている。グローバルな公正さという観点で見ると、資本主義はまったく機能していない。
公正とか、平等を軸に考えた時、未来の形はどうなるのか筆者は俯瞰する。横軸に平等さ、縦軸に権力の強さを示した図14(p113)に示している。①気候ファシズム…現状維持、資本主義と経済成長にしがみついた新自由主義社会の究極で社会 ②野蛮状態…①によって環境が破壊され、99%の反乱が「勝利」するものの「万人の万人に対する闘争」に逆戻りしてしまう(別名は「『北斗の拳』状態)?)③気候毛沢東主義…②を避けるため、トップダウン的な環境対策を強権的に行う、自由市場や自由民主主義の理念は捨てられる(かつてはこれを「環境ファシズム」という言い方をしていた…若い人は誰も知らない「毛沢東主義」をここで出してきたのは、これがかつて「資本主義」「帝国主義」への強烈なアンチテーゼとして存在していたことを“復活”させたのであろう)で、そうならないための④X…強い国家に依存せず、民主主義的な相互扶助を人々が自発的に取り組みながら環境問題に取り組む社会…である。
④を目指すにあたっての大前提「脱成長」は資本主義では成立しない。「脱成長資本主義」はあり得ないの…もっとラディカルな資本主義批判を摂取する必要がある。それが「コミュニズム」であり、カール・マルクスと脱成長を統合する必然性が浮かび上がるのだ!と筆者は説く。
次章から、かなり刺激的な「マルクス論」が展開される(つづく)