行動の最後のほうで、主催者からの提起アピールがあって、この生活補償を求める闘いにおいても、マイノリティーに対する差別問題を含めて闘おう!というものだった。実際、京都の行動には老若男女、様々な人が来ており、在日韓国人やセクシュアルマイノリティーの方も参加し、自分の主張をされている。6月に京都で生活補償を求めるデモを行ったわけだが、そこでも「反差別」ということはしっかり主張している。
そう、この集会・デモの目的は「生活補償」だけではない…これまであった様々な差別や格差・矛盾、そういったものが「コロナ禍」であからさまになったことを訴え、そのような差別や矛盾を無くそう!というのがキモなのだ。もっかい書くけど、もともと社会に格差や差別は蔓延しているのだが、コロナ禍(あるいは他の災害でもそうなのだが)であからさまになり、差別・抑圧されている者がより被害が大きくなる。だから生活補償を求める際には、差別の問題もセットにしないといけない…求める補償に「差別」があってはならないし、普段から差別をうけ、虐げられている人にこそ手厚い補償や政策を求めるということをしなければならないだろう。
大阪市役所前行動では、病院の労働者に正規・非正規・委託にかかわらず危険手当を払い、感染症予防の研修を行え!と要求しているし、一番困窮している野宿で住民票を持っていない労働者に、きちんと定額給付金を支払えと要求している。DV・虐待被害者への対策をきちんとせよ!という要求も、少数者を見逃さない、見過ごさない!というところから来ている。
で、日本において「反差別」を掲げるならば、天皇制の問題は避けては通れない。京都の行動では必ずこの問題が訴えられる…曰く、生まれついての家系を根拠として、莫大な”ベーシックインカム”が与えられる究極の身分制!それが天皇制だ!(話はそれるが、一律の「定額給付金」は、緊急時におけるベーシックインカムであると考えられる…ベーシックインカムがもらえるのが天皇家だけであるならば、一律にみんながもらうことで一時的にみんなが「天皇家」になる、あるいは「天皇家」をひきずり降ろすことになる?? ただ、天皇家と一般庶民との間では、もらってる額が違いすぎる‼)
天皇制という「究極の身分制」は、外国人差別(天皇の「臣下」ではない)、女性差別・セクシュアルマイノリティーへの差別(男系が尊重され、子孫を残すことが良しとされる)障がい者への差別、正規・非正規の差別(生産性による選別)などを権威付け、正当化するものだ!だから差別に反対して生活補償を求める運動は、天皇制とは非和解とならざるを得ないのだ。
それはともかく、先代の天皇は、あちこち被災地に出かけたり”慰霊の旅”を積極的に行うことによって、民衆の平安を祈り、慰撫する天皇(制)を打ち出してきた。ところがコロナ禍によって、現天皇は即位後、そういったことをバンバンやることが出来なくなっている。感染したら元も子もない、皇居に「Stay Home」して、旅行にもいけない、ましてや民衆に近づき、握手することも出来ないのだ!これは天皇制の危機である。やっぱりコロナウィルスは誰に忖度するわけでなく”平等”だ‼