さて空飛ぶ車批判でもちょこっと触れているのだが、「脱炭素」「カーボンニュートラル」を目標に掲げるということは、どーやら現在、化石燃料をつかってやってることを電力化する⇒その電力は「再生可能エネルギー」から得る ということを前提としているよーだ。(原発推進・容認派はここに、”発電時”に二酸化炭素を発生させない原子力発電所を活用するということを盛り込む…さらには原発本体が地中にあってより”安全”な小型モジュール炉や高温ガス炉に期待しているよーだ)

 だが工業化社会というのは、化石燃料を直接使うのが一番効率がよいエネルギーであるということで成立している!これは断言しましょう!
 例えば再生可能エネルギー、太陽光発電や風力発電が、火力発電に比べどうしても”コスト”で太刀打ちできないのはなぜか?そもそも太陽光や風力が”広く薄い”エネルギー(かつ不安定)であって、かつ工業的に「まとまって大量に」生産できない!という点もあるのだが、それ以前の問題として材料とかに余計な資源・エネルギーが使われているからである。
参考資料は、これ電力化亡国論 核・原発事故・再生可能エネルギー買取制度 (シリーズ「環境問題を考える」) [ 近藤邦明 ]
電力化亡国論 核・原発事故・再生可能エネルギー買取制度 (シリーズ「環境問題を考える」) [ 近藤邦明 ]
 民主党政権時、2011年の福島原発事故後に出た本、もちろん基本的には原発批判なのだが、再生可能エネルギー批判でもある。
 で、そこのP109に出てくる、エントロピー論的生産図を見てみよう。
電力化亡国 資源エネルギー論_0001
 資源から何か製品をt来るときは、一直線に資源から製品が得られるわけではない、一般的に資源は「高エントロピー」状態なので、製品にするためには別の資源(水などの低エントロピー資源や、熱エネルギー)を使って、エントロピーを排除し、廃物や廃熱にしなければならない。石油などの化石燃料を、電力という製品に変える場合も同じである。
 p134に、石油火力発電と太陽光発電のコストから、電力生産図が起こされている。
電力化亡国 石油と資源の投入_0001
 このように、太陽光発電が「コスト崇」なのは、そこに個体設備や石油のお金(すなわち資源)が余計に欠けられているためである。
 原子力発電が「発電の時、二酸化炭素を出さない」とされているが、それを建設する、核燃料を掘り出して生成する、運搬する、使用済み核燃料を安全に(何万年も!)保管する…このそれぞれの過程において、莫大なエネルギーを消費することになるわけだ。だから基本的にコスト高なのだが、今その前後の過程が政治的に(あるいは軍事的に)計上されていない!から、火力発電とトントンで発電が出来るということである。
 ちなみに太陽光発電は天候の悪い時や夜間は発電できないから、蓄電装置とかが必要になる…そうゆことを踏まえると余計にコスト高…すなわち資源やエネルギーを消費するようになる。これを示したのがP142の図である。
電力化亡国 石油と資源の投入その2_0001
 ウンと固体設備における投入量が増えるわけだ…当然、投入される「固体設備」にも、いろいろ化石燃料(石油)が投入されている。高性能な蓄電池を作るには様々な希少資源が必要であり、それも今のところ化石燃料を大量投入し、作られているのだ。
 再生可能エネルギー(ま、原発もそうだが)は典型的なエネルギーの「迂回生産」なのである。化石燃料をそのまま燃やして使えば、簡単に得られるエネルギー量を得るのに「発電時に二酸化炭素を出さない」という目的のためだけ、余分なところで化石燃料を消費することになる。そのまま石炭や石油を燃やして発電したほうがマシ、あるいは車だったら、いいエンジンを使ってそのままガソリンで走ったほうが、EVで走るよりもエネルギーを使わないであろう(いわんや「空飛ぶ車」をや)そういった世界なのだ。
 石炭や石油が今、大量に使われている理由の一つに「再生産が可能」ということもある。早い話が化石燃料を1投入するだけで、100ぐらいの化石燃料が採れる(もっとも今は、採掘が難しいところで取ったり、シェールオイルなどのややこしい資源を使ったりするなど、その数値は下がっているようだ)バンバン「拡大再生産」が出来るのだ!天然資源の薪炭を使っていれば、こんなことは出来ない…資本主義的経済発展の基礎が、石炭や石油の使用なのである。逆に言うと「再生可能エネルギー」だけを使って、「再生可能エネルギーシステムを再生産する」こと、太陽光発電を使って、その太陽光発電と同等の設備を耐用年数以内につくる、もちろんその間、他にエネルギーを供給し続けるということは、おそらく成り立たないであろう。
 「脱成長コミュニズム」を掲げ資本主義的生産を廃絶しようと主張する斎藤幸平氏だが、その後の社会におけるエネルギー(主に電力)は再生可能エネルギーで得ると考えているようだ…だがここで見たように、再生可能エネルギーは別のところで化石燃料を食いつぶす(そもそも太陽光発電システムや風力発電システムもまた、資本主義的工業生産の産物である)ことはちっとも念頭においていないようだ。「脱成長コミュニズム」社会が来て、エネルギー消費量がウンと減少した場合でも、そのエネルギーを化石燃料から直接取り出したほうが、ウンと化石燃料の使用量は少なくなり、二酸化炭素の放出量も少なくなるのに…

 で、参考資料の口絵5と6
電力化亡国 1次エネルギー_0001
 口絵5は、日本の一次エネルギー消費量…石炭・石油が7割以上を占めている。
電力化亡国 最終エネルギー_0001
 口絵6は、燃料別エネルギー消費の推移、電力の割合は2割程度なのだ。「脱炭素」「カーボンニュートラル」を名目に、今化石燃料を使ってやっていることの”半分程度”でも再生可能エネルギーや原子力発電で賄うこと自体、大変なことだ。
 仮に日本で再生可能エネルギーや原子力でなんとか賄えたとしても、地球規模でみるとどっかで化石燃料を大量に使い、二酸化炭素を出しまくることになるのである。

 そうゆう基本的なことが分かっていない輩が、日本でも世界でも多すぎるのである(いや、分かっていてもわざと言わないのカモしれない)。