昨日の記事では、介護労働が他の労働よりも一段低く見られている「職業差別」がある…それは介護の仕事がもともと家庭内、広くしても親族内で”完結”するものであって、「家事労働」を「社会的労働」より一段と低いものとして見ることに由来するのでは?というようなことを書いた。
これをもう少し掘り下げて考えてみよう。
「介護労働」…狭義には高齢者介護だが、障がい者の介護も含む…は、高齢者や障がい者がそのまま生きていくために必要とされる労働だ。言ってみれば、直接、社会的に新たな価値を生み出すという労働ではない。(ただし家庭内で介護に携わる人を介護から”解放”して社会的労働に就かせるという効果はある)昨日の記事で例に出した農業労働では、新たに作物が出来る!という、社会に新たな価値を加えることができる。これが、「家事労働」と「社会的労働」の違いだ。
ただし「新しい価値を付け加えない」という「社会的労働」もいっぱいあって、典型的には商業や物流が上げられる。労働生産物(農作物や工業製品)を”右から左に流す(非常に表現の仕方は悪いが)”だけで、労働生産物に新たな価値をつけ加えるものではない。ただ生産者⇔消費者という分離があり、生産と消費の場が離れている現実から考えると、商業や物流でA⇒Bに労働生産物を移動させる行為もまた、消費者Bにとって、Aで作られた商品価値の一部を為す(だから「価格」に流通費が含まれるのだ)。とりあえず商業や物流は、価値構成の一部をなしている。
人が相手のサービス産業はどうか…マッサージをしたり、理髪・美容の仕事は、相手を気持ちよくさせるという”効用”がある。それが「新しい価値」なのだ。介護労働に近い、保育や教育労働はどうか?子どもや相手が「成長する」という「新しい価値」があるではないか‼
それと比べて、介護労働や家事労働はどうか?対象の相手が気持ちよくなったりすることはあるかもしれないが、それは主目的ではない。ひたすら、日常を続けるだけ…維持管理の仕事なのだ。
土木屋の世界においても、橋やトンネル、ダム、地下鉄等の建設は相変わらずスポットライトを浴びるが、それらを維持管理する仕事は、ひたすらルーチンの繰り返し…定期的に点検・チェックを繰り返し、記録する、何も起こってなければ、安堵だ!…花もなくつまらない。そして苦渋作業は続く…日本を始めとした先進国では社会インフラの整備が進んでいるので、建設工事よりも、そういった維持管理の業務ウエイトが大きくなっているのだが、こうゆう業務はまだまだ人気がないのが実情だ。
そういったことを考えると、大西つねき氏が「若者たちの時間」を「介護労働」に費やすことはいかがなものか?とも思ってしまうだろう。
ただ、「社会の維持管理」ということで考えると、警察や消防も含めた、公務員の仕事というのもまさにそうであって、彼らは今の社会が今のまま継続していくために必要な仕事をやっているわけだ。ではそうゆう公務員の仕事が尊重され、一定世間からリスペクトを受け、身分や収入が安定している…のであれば、介護の仕事も公務員と同様に、その仕事が尊重され、リスペクトされ、身分や収入が安定していないと、そりゃやっていけんだろう!
太西つねき氏は、お金の出し方を変えて、世の中を変える!という考えを持っているようだ。そのお金をつかって、介護労働が世間でリスペクトされるような仕事に変えるのが政治家としての仕事であり、介護労働を見下したあげく、それを縮小するため「命の選別」という絶対にやってはいけないことを持ち出したのは本末転倒なのである。
これをもう少し掘り下げて考えてみよう。
「介護労働」…狭義には高齢者介護だが、障がい者の介護も含む…は、高齢者や障がい者がそのまま生きていくために必要とされる労働だ。言ってみれば、直接、社会的に新たな価値を生み出すという労働ではない。(ただし家庭内で介護に携わる人を介護から”解放”して社会的労働に就かせるという効果はある)昨日の記事で例に出した農業労働では、新たに作物が出来る!という、社会に新たな価値を加えることができる。これが、「家事労働」と「社会的労働」の違いだ。
ただし「新しい価値を付け加えない」という「社会的労働」もいっぱいあって、典型的には商業や物流が上げられる。労働生産物(農作物や工業製品)を”右から左に流す(非常に表現の仕方は悪いが)”だけで、労働生産物に新たな価値をつけ加えるものではない。ただ生産者⇔消費者という分離があり、生産と消費の場が離れている現実から考えると、商業や物流でA⇒Bに労働生産物を移動させる行為もまた、消費者Bにとって、Aで作られた商品価値の一部を為す(だから「価格」に流通費が含まれるのだ)。とりあえず商業や物流は、価値構成の一部をなしている。
人が相手のサービス産業はどうか…マッサージをしたり、理髪・美容の仕事は、相手を気持ちよくさせるという”効用”がある。それが「新しい価値」なのだ。介護労働に近い、保育や教育労働はどうか?子どもや相手が「成長する」という「新しい価値」があるではないか‼
それと比べて、介護労働や家事労働はどうか?対象の相手が気持ちよくなったりすることはあるかもしれないが、それは主目的ではない。ひたすら、日常を続けるだけ…維持管理の仕事なのだ。
土木屋の世界においても、橋やトンネル、ダム、地下鉄等の建設は相変わらずスポットライトを浴びるが、それらを維持管理する仕事は、ひたすらルーチンの繰り返し…定期的に点検・チェックを繰り返し、記録する、何も起こってなければ、安堵だ!…花もなくつまらない。そして苦渋作業は続く…日本を始めとした先進国では社会インフラの整備が進んでいるので、建設工事よりも、そういった維持管理の業務ウエイトが大きくなっているのだが、こうゆう業務はまだまだ人気がないのが実情だ。
そういったことを考えると、大西つねき氏が「若者たちの時間」を「介護労働」に費やすことはいかがなものか?とも思ってしまうだろう。
ただ、「社会の維持管理」ということで考えると、警察や消防も含めた、公務員の仕事というのもまさにそうであって、彼らは今の社会が今のまま継続していくために必要な仕事をやっているわけだ。ではそうゆう公務員の仕事が尊重され、一定世間からリスペクトを受け、身分や収入が安定している…のであれば、介護の仕事も公務員と同様に、その仕事が尊重され、リスペクトされ、身分や収入が安定していないと、そりゃやっていけんだろう!
太西つねき氏は、お金の出し方を変えて、世の中を変える!という考えを持っているようだ。そのお金をつかって、介護労働が世間でリスペクトされるような仕事に変えるのが政治家としての仕事であり、介護労働を見下したあげく、それを縮小するため「命の選別」という絶対にやってはいけないことを持ち出したのは本末転倒なのである。
