「現代ビジネス」こんな記事をみつけた…週刊現代に掲載されている簡単な記事だが、
大阪はかつて、東京をも上回る「日本一の街」だった…それがなぜ「衰退」へ向かったのか? その意外なメカニズム
戦前の大阪は、東京よりも大きな「大大阪」だった。それが1970年を過ぎるころから、衰退していったのである。立命館大学教授で『大阪—都市の記憶を掘り起こす』の著者、人文地理学者の加藤政洋氏が解説するところによれば、2ページ目
「新聞記事を読むと、'70年の大阪万博の頃までは熱気があったことが伝わってきます。しかし、'70年代以降に新幹線や高速道路などの交通網がそれまで以上に発達し、都市同士の結びつきが強くなると、東京が企業の本社機能を吸収するなど、東京一極集中が進みます。さらに、グローバル化のなかで工場は安い労働力を求めて海外に出て行き、大阪経済の地盤沈下が進みます」
とある。
なるほど、新幹線で東京までぴゃーっと行ければ、東京に本社機能とかがあってもよいと考えるだろう。現在は航空機もバンバン、東京と大阪を結んでいる。LCCだってある…集積の利益を考えれば、ドンドンと東京に集中するだろう。
なお、新幹線で大阪の”不利”なところを言えば、新大阪駅が都心から離れていることも大きいだろう。JR(国鉄)を使えば、環状線の大阪駅で東海道本線に乗り換える。それ以外は地下鉄1本だけというアクセスである。今、ようやく「なにわ筋線」から阪急十三をを経て、新大阪に結ぶ阪急電鉄の新鮮構想が浮上し、南海の難波駅から直通で新大阪に行けるようになる。関西空港も含め南のほうから、新大阪にアクセスするのは本当に大変なのだ。
東海道新幹線は戦時中の「弾丸列車」計画の遺産をつかうことで素早く整備できたのであるが、大阪もすっ飛ばして東京ー下関をいち早く結ぼうというものだったので、新大阪駅が不便なものになったのは否めない。
で、加藤教授は次のように続ける。
「'80年代、大阪市は『テクノポート大阪』という都市計画を掲げます。かつては工場で栄えていた湾岸地域や埋め立て地を開発し、そこに『新都心』を作ろうとしたのです。バブルの勢いもあってその一環として建設されたのが、アジア太平洋トレードセンター(ATC)や大阪ワールドトレードセンター(WTC)です。前者は'94年に1400億円超の開発費で、後者は'95年に1100億円超の開発費で竣工されましたが、結局ほとんどテナントが入らず、最終的に府の庁舎や市の部局などが入ったことはよく知られています。ほかにも同計画では多くの開発が失敗、大阪経済にとってむしろ重荷になってしまったかもしれません」
80年代は大阪でも「革新府政」が倒れ、共産党以外相乗り府政が誕生する。この政権が進めてきたのが上記の開発である。しかし記事ではこう解説する。
こうした失敗も、振り返ってみれば仕方がないものに見える。なぜなら、これらの開発は、都市の「文脈」や「歴史」をほとんど無視して、いきなり巨大な建物を建設する「インプラント型(埋め込み型)」の開発だったからだ。衰退する都市にドーピングをするかのように無理やりに建物を造る—その開発手法からは、かつての栄光から転落することへの焦燥が垣間見えはしないか。
都市の「文脈」や「歴史」をほとんど無視した、無理やりの開発…こんなものが失敗するのは、碑を見るより明らかだろう。
こうした「開発府政」の負の遺産を始末するフレコミで、台頭したのがポピュリスト。橋下徹であり、彼がつくった大阪維新である。だが、彼らが掲げた「都構想」そして続きの「カジノ・IR」もまた、都市の「文脈」や「歴史」から切り離された、開発行政の最たるものだ。さすがに「都構想」は市民の手で否定されているが、それでも「三回目の住民投票を!」とする維新の声はなくならない。それどころか、「かつての栄光から転落することへの焦燥」から、ドーピングのように万博、そしてカジノ・IRに期待をかけているのが、大阪の人たちではないだろうか。吉村大阪飛知事が「大阪ワクチン」「(万博で)空飛ぶ車」「大阪カジノ」から最近は、大阪にF1を誘致するなどということも言いだすのは、こいつら維新が普段の行政よりも、何か「イベント」を立ち上げて政治をやっているような手法をとるのも、そうした焦燥からきているのだろう。
衰退から逃れるためには、焦燥から一歩抜け出し、足元をみつめた地道な行政再建に戻る…それが「反維新」を掲げる私たちの主張であるわけだが、まぁ、地味ではあるな。
大阪はかつて、東京をも上回る「日本一の街」だった…それがなぜ「衰退」へ向かったのか? その意外なメカニズム
戦前の大阪は、東京よりも大きな「大大阪」だった。それが1970年を過ぎるころから、衰退していったのである。立命館大学教授で『大阪—都市の記憶を掘り起こす』の著者、人文地理学者の加藤政洋氏が解説するところによれば、2ページ目
「新聞記事を読むと、'70年の大阪万博の頃までは熱気があったことが伝わってきます。しかし、'70年代以降に新幹線や高速道路などの交通網がそれまで以上に発達し、都市同士の結びつきが強くなると、東京が企業の本社機能を吸収するなど、東京一極集中が進みます。さらに、グローバル化のなかで工場は安い労働力を求めて海外に出て行き、大阪経済の地盤沈下が進みます」
とある。
なるほど、新幹線で東京までぴゃーっと行ければ、東京に本社機能とかがあってもよいと考えるだろう。現在は航空機もバンバン、東京と大阪を結んでいる。LCCだってある…集積の利益を考えれば、ドンドンと東京に集中するだろう。
なお、新幹線で大阪の”不利”なところを言えば、新大阪駅が都心から離れていることも大きいだろう。JR(国鉄)を使えば、環状線の大阪駅で東海道本線に乗り換える。それ以外は地下鉄1本だけというアクセスである。今、ようやく「なにわ筋線」から阪急十三をを経て、新大阪に結ぶ阪急電鉄の新鮮構想が浮上し、南海の難波駅から直通で新大阪に行けるようになる。関西空港も含め南のほうから、新大阪にアクセスするのは本当に大変なのだ。
東海道新幹線は戦時中の「弾丸列車」計画の遺産をつかうことで素早く整備できたのであるが、大阪もすっ飛ばして東京ー下関をいち早く結ぼうというものだったので、新大阪駅が不便なものになったのは否めない。
で、加藤教授は次のように続ける。
「'80年代、大阪市は『テクノポート大阪』という都市計画を掲げます。かつては工場で栄えていた湾岸地域や埋め立て地を開発し、そこに『新都心』を作ろうとしたのです。バブルの勢いもあってその一環として建設されたのが、アジア太平洋トレードセンター(ATC)や大阪ワールドトレードセンター(WTC)です。前者は'94年に1400億円超の開発費で、後者は'95年に1100億円超の開発費で竣工されましたが、結局ほとんどテナントが入らず、最終的に府の庁舎や市の部局などが入ったことはよく知られています。ほかにも同計画では多くの開発が失敗、大阪経済にとってむしろ重荷になってしまったかもしれません」
80年代は大阪でも「革新府政」が倒れ、共産党以外相乗り府政が誕生する。この政権が進めてきたのが上記の開発である。しかし記事ではこう解説する。
こうした失敗も、振り返ってみれば仕方がないものに見える。なぜなら、これらの開発は、都市の「文脈」や「歴史」をほとんど無視して、いきなり巨大な建物を建設する「インプラント型(埋め込み型)」の開発だったからだ。衰退する都市にドーピングをするかのように無理やりに建物を造る—その開発手法からは、かつての栄光から転落することへの焦燥が垣間見えはしないか。
都市の「文脈」や「歴史」をほとんど無視した、無理やりの開発…こんなものが失敗するのは、碑を見るより明らかだろう。
こうした「開発府政」の負の遺産を始末するフレコミで、台頭したのがポピュリスト。橋下徹であり、彼がつくった大阪維新である。だが、彼らが掲げた「都構想」そして続きの「カジノ・IR」もまた、都市の「文脈」や「歴史」から切り離された、開発行政の最たるものだ。さすがに「都構想」は市民の手で否定されているが、それでも「三回目の住民投票を!」とする維新の声はなくならない。それどころか、「かつての栄光から転落することへの焦燥」から、ドーピングのように万博、そしてカジノ・IRに期待をかけているのが、大阪の人たちではないだろうか。吉村大阪飛知事が「大阪ワクチン」「(万博で)空飛ぶ車」「大阪カジノ」から最近は、大阪にF1を誘致するなどということも言いだすのは、こいつら維新が普段の行政よりも、何か「イベント」を立ち上げて政治をやっているような手法をとるのも、そうした焦燥からきているのだろう。
衰退から逃れるためには、焦燥から一歩抜け出し、足元をみつめた地道な行政再建に戻る…それが「反維新」を掲げる私たちの主張であるわけだが、まぁ、地味ではあるな。