たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

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#レイシズム

レイシズムとは何かー梁英聖(その7)

 その6の続き、これで最後です。
第七章 ナショナリズムとレイシズムを切り離す
 「レイシズムはナショナリズムと常に互いに補い合う関係にある」p257 なぜなら、レイシズムが実際に暴力を組織する時、国家権力を動員しナショナリズムの支えを得ているし、何らかの「エスニックな基盤」がないと国民/非国民を分断できないからである。これを補うのがレイシズムだ。国民/非国民 に(自)人種/(他)人種 が結びついているのである。
 レイシズムによるナショナリズムの補完については、
第一 レイシズムは過激なナショナリズムの産物などではなく、「正常な」ナショナリズムに内在的なものであり、
第二 国民国家の外的境界において機能するレイシズムが最も根本的なもの(ナショナリズムが存在する限り、レイシズムが存在し続ける)である。ただし、
第三 ナショナリズムとレイシズムには「それらの表象と実在に関してつねにズレが存在する」なぜなら反レイシズム次第で、その国のナショナリズムの政治的目標と具体的なレイシズム実践との間に、矛盾を生じさせ、激化させることも可能だからだ。反レイシズムによってシティズンシップを脱国民化されたものに変えてゆくことで、ナショナリズムとレイシズムの矛盾をふかめる実践的方向性が提示されるのである。
 ところで日本では下の図のように「日本人」/「外国人」という二分法では、①国民(ネイション)と②人種(レイス)がほぼ無意識に癒着している。

図表21 レイシズムとは何か_0001
 「日本人」と言った時、①日本国籍者だけを意味しない、②「日系」(人種)であることが無意識に前提とされている。ところが、① 国民と国民を分ける線(ナショナリズム)②人種と人種を分ける線(レイシズム)は、下図のように異なるのである。
図表22 レイシズムとは何か_0001

 Ⓐ日本国籍かつ人種的マジョリティ  Ⓑ日本国籍かつ人種的マイノリティ
 Ⓒ非日本国籍かつ人種的マジョリティ Ⓓ非日本国籍かつ人種的マイノリティ
 ⒷとⒸは普段見えない、「存在しない」、都合が良い時にⒶに同化し、都合悪くなるとⒹに「異化」する。これは、「日本国籍だったらもう日本人じゃん」という意識と、日本国籍を持とうが「外国人」として「攻撃」することが表裏一体だということだ。日本社会では、日系であっても犯罪被害者や、「慰安婦問題」解決に尽力するマイク・ホンダは「売国奴」であり、一方でノーベル賞受賞の仲村修二やカズオ・イシグロは、日本国籍がないにもかかわらず「日本人」とされる。
 世界は公民権運動、反レイシズム規範の発展により①国民(ネイション)と②人種(レイス)を切り離し、①国籍の壁と②レイシズムの壁を引っ剥がすことに成功した。それによってⒷとⒸは社会的に「見える」ようになり、他民族・多文化主義が成立するようになるのである。

セクシズムと一体のレイシズム―インターセクショナリティという難問
 インターセクショナリティ(交叉性)とは、現実の歴史の中では従属が、レイシズムやセクシズムなど、常に複数の従属と交差していることを明確にする概念である。
 黒人女性弁護士、キンバリー・クレンショウは、黒人女性など非白人女性がレイシズムとセクシズムの二重の従属に、特に暴力に苦しめられているにもかかわらず、既存の反レイシズム運動からもフェミニズム運動からも不可視化されている問題を告発した。これは民族差別と性差別によって被害が倍加するということだけを意味するのではなく、①支配の構造的次元②固有の支配システム③被支配者の表象 によって成り立つ問題なのである。
 レイシズムとセクシズムの絡み合いは、黒人男性が白人女性をレイプする犯罪者と言うステレオタイプによって示されている。これは人種混交へ恐怖を掻き立てるレイシズムと、女性の貞操を男性の所有物とするセクシズムによる扇動であり、奴隷である黒人女性を従属させるための白人男性によるレイプの頻発という実践だったのだ。
 また在日朝鮮人へのレイシズム暴力では、朝高生襲撃事件では狙われるのは男性であり、チマチョゴリ事件では女性であった。前者は極右によるマチズモとミソジニー「女を殴る男は恥だ」、後者は庶民がレイシズム暴力を振るう場合、より弱くしかも識別可能な制服を着用した女性が狙われるということである。また日本の戸籍制度は、レイシズムとセクシズムの体現を日本型家族によって媒介している。五二年の国籍はく奪も、戸籍=日本型家族を基準にして行われたことを想起しよう。
 レイシズムは近代に登場した時からセクシズムと一体なのだ。

資本主義とレイシズム
 資本主義は①レイシズムを途方もなく強化させる②反レイシズムを骨抜きにする③差別によって社会的連帯を壊す。(第二章でも見たが、資本主義が発展すればレイシズムも激しくなっている)こうした資本主義を、BLM運動は告発した。監獄ビジネスと呼ばれる産獄複合体が結びついた必然的なレイシズム暴力、レイシズムを生み出す資本主義のシステムを批判したのである。
 人間を不平等に扱う差別と、剰余価値の生産を目的とする資本主義的生産様式とが、きわめて相性が良いのだ。再生産の目的が剰余価値ならば、資本は際限のない長時間労働を強いる。奴隷制の残虐さ(身分制や奴隷制)が資本の残額さ(どんな過酷な搾取も辞さない)と結びつくことで、後者が搾取のため前者を再編し強化するのである。
 反差別が依拠する平等さえ、市場原理の平等に乗っ取られ、気づかないうちに抵抗できなくなってしまう。不平等な搾取が、”契約”を伴うことで自由で平等なものとして現れる、市場で行われる商品交換は自由で平等なものとして現れる。「隠された(賃金)奴隷制」を支えるのだ。
 新自由主義による平等の簒奪は、結果の平等が、機会の平等に置き換えられるということだ。ミルトン・フリードマンは市場原理の平等を論拠に差別禁止法さえ否定していたし、ゲーリー・ベッカーはアファーマティブアクションを否定して、差別を市場によって定義した。「偏見を満足させるために利益や賃金や所得を自発的に放棄することによって成立する」「もし企業があるグループの人たちを雇わないという選択をしても、よりコストの少ない、より生産性の高い他の人たちを雇うことが収益増加をもたらすものであるなら、その企業の決定は瀬別的ではない。」p291
 統計上マイノリティが所得や学歴で差別があったとしても、それはレイシズムのせいではなく、平等な市場で競走した結果だと正当化される。市場原理や統計を用いる新自由主義的レイシズムは、生物学的なレイシズムとも実は親和的なものだ。
 これに対抗するためには、新自由主義的レイシズムとシティズンシップ闘争の関係が重要である。シティズンシップ内部の市民的自由VS社会的自由の対立を社会権の側が市場規制によって抑え込むような階級闘争もまた重要であり、それなしには反レイシズムは容易に新自由主義に簒奪されてしまうであろう。重要なことは、資本主義を抑制する市場規制や福祉の拡充である。
 
反レイシズム闘争を越えて-ブラック・イズ・マター運動が問うもの
 BLM運動は資本主義との対決を回避した旧世代の反レイシズム運動への批判でもある。反差別ブレーキをつくる反レイシズムの限界性は、資本主義というシステムを変えない限り、レイシズムはナショナリズムと結びついて国民国家を支えるし、労働力再生産装置としての家族ナショナリズムに結びついたセクシズムと根がらみになり、労働者階級を分断し支配するのである。
 インターセクショナリティへの取り組みや、資本主義との闘いを避けることなく取り組むこと、BLMでは従来の反レイシズムと異なり①資本主義批判②気候正義要求③インターセクショナリティ④植民地主義批判⑤監獄・警察廃止 などの革新的要求を伴っている。パレスチナや南アをはじめ第三世界との連帯を通じてレイシズムとグローバルに闘ってゆく運動なのである。
 「私たちは同時代人として、この運動に触発されつつ、どのように日本であるいはアジアで反レイシズムを闘い取って連帯していくかが問われている。」P302

あとがき
 「日本型反差別は己の正当性を確保するために、マイノリティを「差別の真理」を生む「生産手段」にしてしまう。これこそ当事者に本心から被害を語るよう駆り立てて心身御すり減らすが、反レイシズム規範形成には一向に結びつかないという、権力がしくんだ恐るべきワナなのである。
 私たちは日本型反差別から完全に脱却し、本書で述べた反レイシズム1.0を勝ち取る実践の中で、私たちはBLMのような資本主義と闘うグローバルな反レイシズム運動と連帯する道を切り拓かねばならない。それができてはじめて私たちはマイノリティの阻害を語り、それを普遍的な社会変革につなげるための言葉を初面してゆくことができるだろう。」P305 とまとめられている。

 本書を学び、反レイシズム1.0をまず勝ち取っていこう!外国人差別、民族アイデンティティに基づく差別を許さない日本社会をつくろう!
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]

レイシズムとは何かー梁英聖(その6)

 その5の続き
第六章 日本のレイシズムはいかに暴力に加担したのか
 
この章では六~七十年代の朝鮮高校生徒襲撃、八~九十年代のチマチョゴリ切り裂き事件、そしてゼロ年代以降の在特会の登場を中心に、戦後日本における差別扇動メカニズムを分析したものである。

①朝高生襲撃事件型=反共主義の極右による非公然かつ直接の差別扇動
 これは国士館高校・大学を拠点とする極右学生が、朝鮮学校に通う主に高校生(中学生も含む)を狙って起こした集団暴行・リンチ事件である。殺人にまでエスカレートしたケースもある。国会議事録によれば、一九七三年七月四日赤松勇議員「(六六年以降)国士館及び帝京商工など二校の朝鮮人高校生に対する暴力事件は、市民を含めて計五六〇回事件を起こしている」とあり、「国士館高校・大学を拠点とする極右組織による、反共主義イデオロギーに基づいた反朝鮮総連・朝鮮学校に対する意識的な差別扇動が、意図的・組織的に引き起こした事件」p201だ。国士館は右翼的な教育を行う大学、学校だが、加害者に暴力を振るわせるのは、国士館の教育一般によるものではなく、リーダーの役割を果たす具体的な極右組織であり、極右の差別扇動は殺人を含む深刻な暴力を実際に生み出したのである。
 七三年以降沈静化したのだが、これは国士館学生による暴力が暴走し、日本人にまで被害が及ぶことで社会問題になったからである。つまりレイシズム問題としてではなく、日本国憲法と境域基本法に国士館が違反していたので「解決した」というものだ。ただし、極右組織の活動を停滞あるいは消滅させれば、暴力事件も発生しなくなるということも分かるだろう。
②チマチョゴリ切り裂き事件型=「普通の人」による自然発生的暴力型
 本書では九四年六月の事例が紹介されている。こういった事件は一九九八年八月に約七〇件発生しており、三度の大きな「チマチョゴリ事件」がある。特徴として、
 第一 極右ではなく、「普通の人」による自然発生的な犯行が中心
 第二 被害者が女性や低学年児童にまで拡大し、とくにセクシズム暴力が激増
 第三 朝鮮半島情勢・日朝関係が悪化したり、在日コリアンへのバッシングがマスコミで行われる時に集中
 という点だ。極右による差別扇動が見当たらず、その代わり政治による差別扇動によって起ったといえる。政府・マスコミによる北朝鮮バッシングは、グローバル化と冷戦構造崩壊後の米国の東アジア戦略に沿う形で「カントリーリスク」に対応すべく日本が軍事大国化(日本の仮想敵はソ連から北朝鮮にシフト)する中で起こった事件である。 
 そして、政治による差別扇動が八十年代末から三〇年近くにわたり日本でレイシズムを増大させた結果、新しい二一世紀型差別扇動回路が現れた。これが
③在特会型=政治による差別扇動が生んだ、遊び半分で暴力を組織する日本型極右の脅威
 二〇〇七年、在特会という極右組織が結成・活動開始した。樋口直人氏は①正面からレイシズムを掲げ②継続的に組織化され③インターネットを通じて「普通の人」の動員に成功と分析している。
 彼らの活動は、以下のように分類分けされている。
 ①街宣型…いわゆる「ヘイトスピーチ」街頭で公然と行われるデモや街宣を行うもの
 ②襲撃型…京都朝鮮学校襲撃事件、徳島県教祖襲撃事件 人種化された個人・団体・地域にダメージ 
 を与えるための組織的・計画的暴力を行うもの
 ③キャンペーン型…社会運動としての差別 SNSや出版物を通じて、具体的な獲得目標と人種差別の
 方法を提示し、それら人種差別を一斉に行うよう呼びかけるアクションをするもの
 ・入管に在日コリアンを通報して国外退去させるキャンペーン
 ・朝鮮学校への補助金を廃止させるよう自治体に要請する
 ・あいちトリエンナーレを主催した愛知県知事をリコール
 ・朝鮮学校の高校無償化除外に反対した弁護士会や個々の弁護士への不当懲戒請求事件
議会進出型…日本第一党、日本国民党、無所属 選挙でレイシズム扇動を行うもの
 日本第一党は、二〇一六年、在特会創設者桜井誠が立ち上げ「外国人に対する生活保護を廃止します」をはじめ、公然と排外主義を掲げる極右政党である。なお二〇一九年四月の統一地方選挙は、選挙を通じてヘイトスピーチを拡散する人物、当選するために差別を活用する人物、かつて酷い差別を繰り返したことがある人物、差別を扇動するために議員になろうとする人物が非常に多く見られ、NGO反レイシズム情報センター(ARIC)調査では、四九名もの極右が選挙に立候補していることが明らかになっている。
在特会(新しい極右勢力)
 政治による差別扇動が自然発生的に草の根の極右を組織するまでに拡大した結果、かれら極右がSNSや街宣や後援会や出版物などを通じて「普通の人」のレイシズム暴力を大々的に扇動している。日本には反極右という反差別ブレーキが存在しないため、欧州のような「適合ジレンマ」が発生しない。そのため、極右になることのハードルが恐ろしく低く、極右にならなくとも自民党や保守的市民として簡単に差別ができる。一方で差別するのに飽きたり嫌になったり、あるいはごく小規模での抗議でさえその活動が後退する特徴がある。こ
 こで重要なことは、極右活動へのカウンターとヘイトウォッチである。極右・へイトクライム・レイシズムへの監視活動が、欧米では重要な反レイシズム実践となっている。継続して極右やレイシズムのデータを収集し分析し公表することで、差別と極右台頭の危険性を社会に可視化させるのだ。
 極右なき戦後日本社会に極右組織の結成を用意した背景は、歴史否定である。欧州のホロコースト否定は、レイシズムに基づくヘイトスピーチの一類型とされ、処罰の対象である。一方、日本版歴史否定論は一九九〇年代から急速に台頭した。高橋哲哉氏は日本版の歴史否定論が、ホロコースト否定論と「同レベルの最悪の修正主義に近づいている」と指摘している。
 欧州ではホロコーストの歴史が公的な記憶として公認され、ネオナチも規制されている。反レイシズム規範があるので、それに対するバックラッシュとしてのホロコースト否定が起こっている。しかし日本版歴史否定の場合、アジア侵略と植民地支配の歴史が公的な記憶となっておらず、ようやく九〇年代にアジアの被害者が「証言」を始めたことが直接の攻撃の引き金となっている。
 日本軍「慰安婦」の存在が社会問題になったのは、一九九〇年六月国会で社会党本岡昭次が日本軍「慰安婦」の実態調査を要求、労働省職業安定局が「民間の業者が軍とともに連れ歩いた」「調査はできかねる」答弁を受けて、九一年八月一四日、金学順さんが実名で名乗り出て日本政府を告発したものだ。日本政府の歴史否認が契機となっているのだ。
 九三年河野談話では「軍の関与」を認めたが、それが何であるかはあいまいなままにされ、九五年村山談話では「植民地支配と侵略」に謝罪を行うも法的責任については明確にせず、レイシズムや歴史否定と闘うという具体策もなかった。
 九六年「新しい歴史教科書をつくる会」 九七年「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(事務局長:安倍晋三) 小林よしのり「戦争論」と歴史否定の動きが激しくなる中で、二〇〇一年 安倍晋三はNHKに圧力をかけ、女性国際戦犯法廷取材番組の改編させた。歴史否定を使って極右が攻勢をかければ、国や自治体はもちろん政治家やマスコミさえ沈黙し、ほとんど南の抵抗もなくレイシズムが増大するという、二一世紀日本で日々みられるパターンが確立してしまったのである。
 日本の慰安婦ヘイトは差別が許される状況下で、最も威力のある武器として活用されている、一般庶民やマイノリティや社会運動家や人権や反差別を訴える著名人を攻撃する際に「慰安婦」ヘイトがフル活用されている。性暴力を告発した伊藤詩織氏への攻撃がその典型例で、彼女を「慰安婦」被害者になぞらえ、ウソツキだと中傷し続けている。
 これほど反差別ブレーキが存在せず「慰安婦」ヘイトをはじめとする歴史否定論が何の抑止にも出会わずに、しかも官民それぞれの極右勢力によって三〇年以上継続されている国は、先進国では日本のほかにない。歴史否定の動きは今に至るまで放置され、加速され続ける、第二次安倍政権発足後二〇一二年末以降は、政権主導で歴史否定が行われている。アジアの侵略史が真相究明レベルから不十分であり、必要なジャッジメントもなされていないのが現実だ。
 今や日本版の歴史否定はグローバル化の動きがみられる。「慰安婦」ヘイトは現時点では日本でしか通用せず、世界では悪質なレイシズム特にセクシズムだとして一顧だにされることはないのだが、欧米のネオナチや白人至上主義者らが「慰安婦」ヘイトを、自らのホロコースト否定や黒人奴隷制擁護の歴史否定論を正当化するために用いることもある得るだろう。
 また現代はレイシズムの商品化、産業化による差別扇動が問題がある。「戦争論」「マンガ嫌韓流」をはじめ、「Will」「SAPIO」「Hanada」「正論」など、ヘイト本と称される差別・ヘイトスピーチを商品化したコンテンツは一般の書店で山積みされ、自由に購入できる状況だ。
 ネットでの差別扇動は「保守速報」「大韓民国民間報道」などがあり、後者は大学院卒の二五歳の男性が金もうけのために作ったものだ。アクセス数を稼ぐためにレイシズムを扇動していた。売れれば差別だろうがジェノサイド扇動だろうが商品として流通し、その商品の力、資本の力によってレイシズムが扇動されてしまう時代なのだ。(つづくよ)

レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]

レイシズムとは何かー梁英聖(その5)

 その4の続き、けっこう重要なところである。
第五章 一九五二年体制
 ところで、日本には人種差別を公然の目的にした差別政策や法律はない。国籍さえ取得すれば国民としての権利を十全に享受できる(タテマエとなっている)。では日本におけるレイシズム、在日韓国・朝鮮人に対する差別の根源は何か?それが一九五二年体制と呼ばれる入管法制である。
 一九五二年体制は、出入国管理令(入管法①)外国人登録法(外登法②)法律第一二六号(法一二六③)を柱とする入管法制である。なお、以下に日本の朝鮮人支配の変遷を示す(これは重要!)
図表12 レイシズムとは何か_0001
それをかいつまんで説明すると
・植民地支配時代の朝鮮人支配の枠組み
「日本国籍の壁」によって朝鮮人を囲い込み
「国籍の壁」から出られないようにカギをかけ
その上で戸籍と言う「レイシズムの壁」を法制度として貫く 
(ちなみに上記の図をみれば、植民地時代「朝鮮人も同じ日本人であった」などとうてい言えないことは一目瞭然である)
・GHQ占領期…日本の国籍によって閉じ込めると同時に戸籍によって差別化をはかる方法を踏襲
 一九四五年十一月一日「初期の基本指令」「台湾系中国人及び朝鮮人を、軍事安全の許す限り解放民族としてとりあつかう。彼らは本指令に使用されている「日本人」という語には含まれないが、彼らは、日本臣民であったのであって、必要の場合には、貴官は、敵国民として処遇してよい」これが、日本政府が在日コリアンをレイシズム対象として扱うことを許す条件になる。一九四五年十二月「戸籍法の適用を受けざる者」と言う表現で参政権「停止」し、一九四七年五月二日 外登令(外国人の入国を減速禁止、国内にいる外国人の登録義務)において「朝鮮戸籍令の適用を受けるべきもの」「適用については当分の間外国人とみなされる」これが朝鮮人弾圧法になったのだ!
 一九四八、四九年には朝鮮人学校強制閉鎖令が出されたが、これは在日朝鮮人が「日本国民」だから日本の学校に通うべき!というもので、外登法では外国人、学校教育では日本人とされている。「日本国籍と戸籍の使い分けは、むしろレイシズム政策を一貫させる道具だった」p180のである。
・四・二八サンフランシスコ講和条約発効…外地戸籍者を一律に日本国籍喪失させる暴挙!法務民事局長通達第四三八号
 これがなぜ問題かというと
①そもそもサンフランシスコ講和条約にはなんら在日朝鮮人の国籍について規定がない。
②サ条約を審議した講和会議には一人も朝鮮人が出席していない
③国籍選択権が一切認められていない
④憲法違反である(法律で国籍を定めるとする憲法第十条)
 こうしてみると、植民地時代、GHQ時代、五二年以後とは、一貫して朝鮮人を人種化して日本人と分けるレイシズム政策が貫徹しており、それが国籍と戸籍の二つの制度によって支えられてきた。また特徴として「公的な体系性をもった明示的プランではなく、むしろ国籍と戸籍を恣意的に使い分け、官憲の広範な裁量に依拠している」p182のである。
一九五二年体制と在日特権―法一二六という元祖「在日特権」…一般法としての入管法(入管法と外登法)と、その例外を規定する特別法
 入管法では、旅券もビザも無い外国人は日本に入国することができない。だが在日朝鮮人には当然ながら旅券もビザも無い…不法滞在の「外国人」が六十万も一夜にして増える。それを「解決」するための特別法が、法一二六なのだ。
 法一二六は、朝鮮人、台湾人という旧植民地出身者にのみ、特別に在留資格なしで在留してよいと定めたもので、ただし優遇措置ではなく。在留資格なしという極めて不安定な状況に追い込むレイシズム政策だ。すべての在日コリアンは含まれず、①一九四五年九月二日から五二年四月二八日まで引き続き日本に在住した朝鮮人②その朝鮮人が五二年四月二八日まで出生した子に限定。一度でも朝鮮半島と行き来した者、朝鮮戦争の難を逃れてやってきた者は含まれない。法一二六によって在留資格なしで滞在できた在日から生まれた子については、何の規定も無いのである。
 「特定在留」は三年に一度更新しなければならない不安定な法的地位、その子(孫)は在留期限の更新が一年もしくは三年の「特別在留」とされる。「在日朝鮮人の歴史と実情を踏まえその存在を公認して生活の権利を保障した政策ではまったくない。反対に無理やり国籍を失わせた在日を当面居てよいとする極めて場当たり的例外的な措置にほかならない。」P186のだ。
 五二年体制の一般法部分は、二〇〇九年の大改正によって外登法が廃止され、入管法に吸収1本化した。特別法部分は、六六年入管特別法(日韓法的地位協定時の協定永住)八二年改正入管法(難民条約締結時の特例永住)を経て、九一年入管特例法による、今日の特別永住資格となったのである。
 戦後日本社会での五二年体制が果たした役割はなんだろう?
第一 レイシズム法を入管法に偽装する体制の成立…レイシズムの壁が国籍の壁と癒着、政策・法律レベルのレイシズムが国籍「区別」に偽装され、見えにくくなる。
第二 反レイシズムゼロ下で外国人政策の代用物 
 ①反レイシズムがないので、在日コリアンは国からマイノリティとして公認されず、国籍以外にその政策上の「定義」さえ存在しない
 ②レイシズムに基づいた日本の戸籍=国籍制度に、米国の反共主義かつレイシズムに基づいた国籍別割り当てを規定した厳しい入管法部分だけが接ぎ木されたものである。
 ③反レイシズム規範が入管法と対決・衝突することなく、欧米でつくられるほかなかった移民政策(入管精伊作+統合政策)がつくられなかった。
第三 在日コリアンの権利を、外国人と平等に無権利状態におく入管法にとっての「特権」として正当化させた。
と、筆者はまとめている。
否定される在日コリアンの権利…教育でのレイシズム政策
 一九四八年の朝鮮学校閉鎖のロジックは「日本国民だから」である。それが「外国人」とされた一九五二年体制ひきつがれている。日本国籍を持たないことをフル活用して、朝鮮人と朝鮮学校をさらに排除し、「外国人」には学校への就学義務はなく就学はあくまで「恩恵」であり、外国人のための教育に税金を使うべきではないとのロジックで、一九五五年都立朝鮮人学校が廃校にされた。その後朝鮮総連が結成され、全国的に朝鮮学校再建に乗り出した。
 一九六〇年代に、新たな弾圧体制が構築された。六六年六月「わが国の安全保障に関する中間報告」で「間接侵略による危険は現状においてもすでに存在している」「とくにわが国に多数存在している北朝鮮系学校は、わが国に於いて反日教育、教育革命を実施し、このままでは将来わが国に重大な脅威となろう」…反共だけでなく在日コリアンという民族集団を一様に敵視するという発想はいうまでもなくレイシズムである。」P191こんな文言は、現在でも言われ続けているのではないだろうか。
 日韓条約前後の日本政府の政策は、在日コリアンの自主的な民族教育を一切認めず、むしろ「同化」させるというエスノサイド的なレイシズム政策である。ただ、外国人学校法案は、総連とそれに連帯する市民の反対運動によって四度上程されたが全てつぶされている。しかし、
第一 教育の義務と権利はあくまで日本国籍保持者のみに認められ、外国人が学校に通うのは「恩恵」であって、いつでも入学や就学が拒否できた。
第二 朝鮮人学校・外国人学校は日本の教育体系からは体系的に排除されている。これはレイシズムによる隔離政策である。
第三 反レイシズムの差別禁止法も政策も一切作られなかったため、政策上一九五二年体制と衝突する法・政策が存在しない。
 それでは、在日朝鮮人運動やそれと連帯する市民運動も強力だったのに、なぜこんなことがまかり通ったのか?
第一 南北分断で在日コリアンも分断され、本国のネイションの一員として本国の政治に関与することが社会運動の課題となったため、日本国内での「公民権」(シティズンシップ)を闘い取ることは問題にもならなかった。
第二 日本の市民運動や他の反差別運動も加害者の差別する自由を社会正義によって規制するのではなく被害者支援を通じて人権回復を訴えるというスタイルであったため、普遍的な差別禁止法を闘い取るという目標を掲げなかった。
と、筆者はまとめている。私が付け加えて言うならば、日本国内での「公民権」(シティズンシップ)を闘い取ることは問題にもならなかったのは、「公民権」を得ることが同化に繋がる、すなわち天皇制の問題とぶち当たったからではないのか?とも思うが、どうだろう。
 筆者は最後に「スリーゲートモデルさえ通用しない入管法1本で外国人政策を代用する一九五二年体制が生きている。五二年体制が外国人政策の代用物とされる限り、政策亡き差別政策は継続される。…在日コリアンにたいしてだけでなく、外国人研修生(技能実習生)はじめ一般的に移民や難民に対する日本のレイシズムをも強力に支えているのである。」p195とまとめている。
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]

レイシズムとは何かー梁英聖(その2)

 前回のつづき
第二章 レイシズムとは何か
 まず最初に「レイシズムと言う言葉は人種差別を扇動して台頭するナチを批判する文脈で一九二〇年代末から亡命ドイツ人による言論活動によって生まれた。」p47,48
 「レイシズムとは、エスニック・グループに劣っている者と優れているものがあるというドグマ(教義の意)である。どれかの人種を絶滅させようとしたり、あるいは純粋に保とうとするのは、このドグマである。」(ベネディクト・ルース 一九四二年「人種とレイシズム」による批判p48 OECDのレイシズムの有名な用例)と定義を示してみる。その上で科学的レイシズムが否定されていることが紹介されている。ユネスコは「人種に関する声明」(一九五〇年)を出し、さらに「人種の本質と人種の違いに関する声明」(一九五一年)において、人類がホモ・サピエンスと言う単一の種であること「人種の生物学的な差異は存在しないと断言し、人種優越の理論をきっぱりと否定」「人種は生物学的現象ではなくて「社会的神話」であると強調していた。」戦後国際社会は全人類の約束事として科学的人種理論と人種差別を全否定したのである。その上で、
第一 人種差別としての「レイシズムとは何か」の答えは、人類が撲滅すべき絶対悪以外のものではありえない。
第二 人種差別の原因となる人種主義としての「レイシズムとは何か」という問いも、死活的な切実さを帯びて問われる…レイシズムには社会科学的な分析概念としての客観性が鋭く問われている。
第三 欧米では、十九世紀型の人種理論のような人種を用いた人種差別は、少なくとも公的には使えない。
第四 人種を使わずに実際には人種差別をするという、様々な高等戦術が編み出されるようになる。
と筆者は展開している。
新しいレイシズム
 英社会学者マーティン・バーカーは「社会的、歴史的な仮定の所産にほかならない集団分類を、生物学的、疑似生物学的にとらえる」理論や議論はレイシズムとみなせると説いた。「人種の代わりに、移民の文化を人種化したり入国管理と言うナショナリズムに依拠してレイシズムを扇動する新たな高等戦術を編み出したのだった。」p55
 フランスでル・ペンの国民戦線が台頭してきた一九八八年、タギエフ「差異主義的レイシズム」として分析「より抽象的で洗練されており、身体的な序列化と文化的差異の対比に重点が置かれている」と説いた。こういったレイシズムは「人種なきレイシズム」とされ、人種に触れない代わりに文化や差異を持ち出してレイシズムを煽る言説に転換したものである。
 また一九六四年公民権法後も、黒人をはじめ非白人の失業と差別は深刻で、ストークリー・カーマイケルは『ブラック・パワー』内で「制度的レイシズム」という概念を生み出している。黒人と白人の平均収入に格差があるのは誰も意図していないかもしれないが、市場原理と言うシステムが生み出した差別であって「レイシズムが政治的に信用を失い、法で禁じられ、科学者からもまったく評価されず、偏見が表に出される空間がほとんどなくなっても、制度の自然な傾向を食い止める政策が意図的に採られなければ、被差別集団の成員はいつまでも経済や政治空間の底辺労働にしか就けず、雇用、住宅、教育の領域で差別を受ける。」p58、59ことに注目させ注意を促した。「制度的レイシズム」とは単なる分析概念ではなく、ブラック・パワー運動からの戦略的問題提起として生み出されたものだ。
 このほか「現代的レイシズム」という、黒人の文化的・道徳的規範をとりあげる。人種隔離は過去のもので、差別禁止法もあるからレイシズムは「終わった話」だ、というレイシズムや「新自由主義的レイシズム」…平等の基準を市場原理に置いたうえで、形式的差別禁止の論理を全面的に受け入れるとともに、アファーマティブアクションを不当な「特権」として攻撃するタイプのレイシズムが紹介されている。後者において差別を正当化しているのは生物学的人種ではなく市場原理である。
 こういったレイシズム概念の拡張…「新しい」「文化的」「差異主義的」「制度的」「象徴的」「カラー・ブラインド」…様々な形容詞をつけたレイシズムという言葉は、概念のインフレ(概念をやたら拡張させ意味を高騰させる)とデフレ(概念のもつ社会科学的な説明力を減価させる)であるという批判も紹介されている。なお日本のような反レイシズムがほとんど存在しない社会で、これら欧米のレイシズムに関連する概念や理論を無批判に輸入することの危険性も指摘しており、輸入された知が、日本ではむしろ反レイシズム規範を打ち立てることを妨害する効果さえ持つことになると筆者は危惧している。
 さて、これらをふまえた上で改めて著者が示した「レイシズムとは何か」について
レイシズムは人種化する 人口を人種によって切り分けて、「生きるべき者と死ぬべき者を分ける」こと、これがレイシズムの第一の機能である。
レイシズムは殺す(死なせる)ヘイトクライムやジェノサイドさえ引き起こす、単なる「異人種」への差別ではなく、人口にとっての生物学的懸念を駆除する社会防衛の実践するものだ。「レイシズムは人種をつくり出し、生きるべきものと死ぬべきものとを分け、殺す。この恐ろしい機能が前近代にはない。」P76
レイシズムは権力である 権力とは、「リアルな力関係」であり、「レイシズムとは何か」という知を規定する権力関係―差別と反差別ーがあるのだ。それは以下に示したように
第一 人種差別が戦後国際社会によって闘って撲滅すべき社会悪とされ、法や機変で禁止されるという実践関係と切り離すことができない。「何がレイシズムで何がそうでないのか」の真偽を判別する「真理の体制」打ち立てる必要があること。
第二 レイシズムがなぜ、どのようにして実際の行為として特に暴力やジェノサイドなどの最悪の事態として現れるのか、という具体的な分析として問われねばならない。
第三 レイシズムの近代的形態がどのようなものであるかが極めて重要になる。
 からである。
 その上で本書はレイシズムと言う言葉を、ありもしない人種をつくりだし(人種化)、命を奪うレベルにまでそれ等人種差別行為に人々を駆り立てる権力という意味で用いると定義している。そして、レイシズムをイデオロギー・制度・主体として定義することを避け、権力として分析するのである。(つづくよ)
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]

レイシズムとは何かー梁英聖(その1)

 以前絶対読もう!「レイシズムとは何か」で(レビューもするからね)と書いておいて長い時間たったが、ようやく準備が整った!ので開始。「はじめに」と第一章
はじめに
 まず二〇十九年八月三日にアメリカ、テキサス州で起こった、メキシコ人移民を狙った銃乱射事件の紹介から始まる。「いったい若き白人男性に、メキシコ系移民を侵略者だと思わせ…銃乱射事件を夢見るだけでなく、実際に計画させ、犯行声明を書かせ、自宅から一〇〇〇キロの道のりを一〇時間以上かけて車でドライブしてまで実行させたものとは何だったのか―。その答えこそ、レイシズムである。レイシズムとは単なる暴力ではない。レイシズムは最悪の暴力現象を組織する差別だ。」p5~6と述べている。「本書ではレイシイズム(racism人種差別/人種主義)が偏見や差別にとどまらず、最悪の暴力に結びつくメカニズムを分析するという課題に、正面から取り組む」p6とある。
 ところで、日本にレイシズムはあるのだろうか?このブログの読者の多くは「ある」と答えるだろう…朝鮮人差別、アイヌ差別、沖縄差別はすべてレイシズムである。一方、「日本にレイシズムがあるのだろうか?」という疑問そのものに、レイシズムが隠れている。日本人も朝鮮人の同じ「黄色人種」だということ自体がレイシズムである…人種など存在しない「生物学では遺伝的な意味で人類をサブカテゴリに区分できる人種は存在しないことが定説となっている。」しかし「人種は存在しないが、人種差別は存在する」のである。
 本書のテーマは
 1. レイシズムが偏見や差別にとどまらず。最悪の暴力に結びつくメカニズムを分析する
 2. ナショナリズムとレイシズムの接合を分析する
 3. 反レイシズムによってナショナリズムとレイシズムを切り離す
  ということだそうな。また問題は日本における「反差別」の側にもあって
 ① 反差別とは被害者の権利を守ることだ。当事者に寄り添うのが反差別だ
 ② 反差別とは加害者の差別を止めることだ。差別行為を禁止するのが反差別だ。
 日本には差別と闘う社会規範がない…②がないということが問題なのである。欧米では、①と②は反差別の両輪 ②の差別行為の禁止は①の被害者の権利回復の必要条件となる
 「本書は右の日本型反差別から脱却し、差別する権利・自由を否定する反レイシズム規範を日本社会でどのように打ち立てたらよいかという課題と向き合うための基礎となるレイシズムの入門書をめざした。」p13 ということである。

第一章 レイシズムの歴史-博物学から科学的レイシズムへ
 レイシズムはいつ生まれたのか、それは近代である。ただし中世からの異邦人嫌悪(ゼノフォビア)などとレイシズムは関連している「両者とも近代の資本主義社会と深くむすびついているという共通の了解がある」p19
 古代においては、奴隷も植民地も人種とはむすびついていなかった。中世ヨーロッパの反ユダヤ主義は、聖書がユダヤ教を「神殺し」の異教とするキリスト教に基づく差別であり、人種や血統に基づく「ユダヤ人」に対する近代以降のレイシズムとは異なっていた。コロンブス以降の先住民や黒人奴隷に対する差別やジェノサイドも、人種理論がベースになっていたわけではない。「奴隷が改宗しても解放されないことが一連の法で明確にされた」「奴隷になるのは異教徒であるからでなく、異教徒を祖先に持つことによるとされた」p27 直接肌の色や「人種」が使われたのではなく、「祖先」が異教徒だったことが差別の根拠とされていたのである。
 「人種」を科学に持ち込んだのは、スウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネだ。世界を動物・植物・鉱物そして綱・目・属・種 に分類した。人間はヒトという種「ホモ・サピエンス」としたのであるが、そのヒトを四つに分類したのである。もっともリンネの分類は、当時の地理学で地球は四つに分類されていたのを、それに当てはめたもので、近代的な意味での「人種」ではなかったそうだ。
 序列化された分類をしたのは、ヨハン・F・ブルーメンバッハである。人類をコーカソイド、モンゴロイド、アメリカ・インディアン、エチオピアン、マレーと五分類した。「白人が「神の理想」であり、そこから離れるほど退歩し、モンゴロイドとエチオピアン(アフリカ黒人)が最も「神の理想」から遠いとされた。」p31 のである。十九世紀に人種は、進化の発展段階と結びつけられ「有色人種は「ヒトという種」でありながらも、サルと人間(白人)の中間段階に位置する下等な亜種として位置付けられる。」p33 まだ非白人の劣等視は科学的な人種理論には結びついていないが、差別が「自然」によって正当化されはじめた。「社会」と「自然」をわけたうえで「自然」によって差別を正当化する。そして文明や美的な基準…あくまでもヨーロッパ価値観によるもの…で序列化したものが、近代的な差別である。また人種理論は、頭蓋骨や知能を「測定」する基準を提示し、劣った人種と優れた人種とに人類を分類するモノサシ機能を付与した。人類学者が頭蓋骨を収集してデータを取り、脳の容量を図ったりしたのだ。ちなみに本書には書かれていないが、近代日本の帝国大学が、アイヌや琉球人の遺骨を盗掘して収集していたのは、この研究の系譜につながるものであろう。遺骨を返還しないのは、レイシズムである!「ホッッテントット(現南アのコイコイ人の蔑称)のヴィーナス」という、人間の展示、見世物化したあげく、死後も解剖され、標本が見世物にされるということも起こっている。
 生物学的レイシズムは、教育や入国管理や犯罪捜査などに積極的に応用された。イタリアのチェーザレ・ロンブローゾ(犯罪人類学の祖)は、犯罪者や「売春婦」は生まれつきの遺伝であると主張し頭蓋骨の形状や足の指の形や入れ墨の有無や人相まで、あらゆる身体的特徴を犯罪と結びつけただけでなく、有色人種・女性・貧民階級を犯罪と結びつけたのである。
 十九世紀末には、社会ダーウィニズムが登場した。ハーバート・スペンサー、自然淘汰を社会の不平等の正当化や、社会の発展と結びつける。フランシス・ゴルトン(ダーウィンの従兄弟)は一八八三年「優生学」を提唱している。「社会ダーウィニズムによって、進化論の形式で社会を考える、社会の危険から社会を防衛するための理論としてレイシズムが活性化しはじめる。」p40 のである。
 ナチが参考にしたのは実は二〇世紀の米国であり、優生学を徹底的に実施したのである。米国は南北戦争後もジムクロウ法で人種隔離を合法化し、一九三一年まで三〇州で断種法が制定され、約一万二〇〇〇件の断種が行われている。ナチスの政治綱領をまとめた一九二〇年二月四日「二十五箇条綱領」にはレイシズムが明記、第四条には「ユダヤ人は国家の構成員たりえない」とある。ナチスの権力掌握後、一九三三年に断種法、三呉年には人種差別を体系化したニュルンベルク法が制定される。断種を実施し、人種間の婚姻を禁止、アーリア人とユダヤ人の法的な区別を詳細に決めたのだ。ナチが極大化させた二十世紀のレイシズムは、第二次世界大戦を引き起こし、ユダヤ人犠牲者六百万とも言われるジェノサイド、ホロコーストに帰結したのである!(つづくよ)
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]




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あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
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